水の音

波の音、ザブン

雨の音、ザー

滝の音、ドーッ

みんなおんなじ水の音

鼓動の音、トクトク

わたしのなかに、トクトク

あなたのなかに、トクトク

地球の上の 誰の胸にも、トクトク

トクトクも、実はやっぱり水の音

あなたの心が揺れるとき

わたしの心に波紋が広がる

みんなおんなじ水だから

あなたの耳に懐かしい

やさしいきれいな水の音

心の底から湧き出るように

あなたのために祈ります

母さんからいただいた、トクトク

父さんからいただいた、トクトク

いつまでも安らかに続きますように

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この詩「水の音」は2004年8月14日、NPO法人ピース・キッズ・サッカーの主催する大会に参加するため、イスラエルとパレスチナから来た子供たちの歓迎会で朗読したものです。

それぞれの節で日本語、ヘブライ語、アラビア語で輪唱のようにして朗読されました。

ヘブライ語訳を福地パウロさん、アラビア語訳を高橋友佳理さんにしていただきました。

当時のイスラエル大使エリ・コーヘン氏や駐日パレスチナ総代表部代表のワリド・シアム氏にもご臨席いただきました。

世界が平和であるよう祈ります。

2008/12/12

映画「福田村事件」

映画「福田村事件」が予想外のロングランになり公開劇場数を伸ばしている。この映画の何が面白いのか。きっとそれは誰に聞いてもうまく答えられないのではないか、と思う。なぜなら、森達也という監督が、「うまく答えられないこと」を撮ろうとしているから。言葉というレッテルでは表現しきれないこと。それを撮ろうとしているから。

そもそも森達也監督は監督デビューが「A」という映画だった。オウム真理教がテロを起こし、日本中が大騒ぎになっているその最中、オウム真理教の内側に入り、その日常を撮っていった。その映像に多くの人が驚いた。そして言葉を失った。

「あの凶悪集団が、、、」

「、、、」ではいろんなことが言えるかもしれないが、映画を見るとあの時代の雰囲気ではいいにくいことが見えてきた。そして、それに気づいた人は一人取り残される。

「言いたいが、言ったらどうなるのだろう?」

言い出すことに勇気が必要な何か。日本を覆い尽くしている言語化できない雰囲気に気づかされてしまう。そしてそれに気づくと誰にでも気軽には言えないので一人取り残される。よほど仲が良い、何を言っても許し合える人たちとしか言い合えない「あれ」。

映画「福田村事件」では、関東大震災当時言えなかったであろうことを令和の今、感じさせてもらう。なぜそれが言えなかったのか? 令和の今なら当たり前に言えるようになってきた。でも、と思考が止まる。

令和の今、言えないことがある。

それは注射のことであったり、安倍元首相の暗殺の真相であったり、ウクライナとロシアの背景であったり、海洋放出のことであったり、色々だ。でも、それらは言おうと思えば言える。書ける。恐怖心さえ乗り越えられれば。

「A」でも、「Fake」でも、「i-新聞記者ドキュメント-」でも、森監督は現在に生きている人には見えない、言えない、書けない何かを表現してきた。

映画「福田村事件」の舞台となった当時、そこに生きていた人たちはきっと気づいていなかったであろうセリフが出てくる。もし、映画「福田村事件」をこれから見ようとしている人は、ここから先は読まないほうがいい。そのセリフが出てきた時、僕は泣いてしまった。

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