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灯せ!希望の灯りを被災地に with GO近所

真言宗の僧侶たちが東日本大震災の鎮魂のため、神戸からはるばる福島まで「1・17希望の灯り」を背負って歩いて行きます。

阪神淡路大震災から17年目の2012年1月17日、阪神淡路大震災慰霊・復興の象徴であり、神戸市東遊園地内で輝き続ける「1・17希望の灯り」の分灯式をおこないました。その炎とともに福島へと向かうのです。

2月5日兵庫県西宮市東光寺を出発し、はるばる福島まで歩き続け、3月10日にいわき市内で御逮夜、3月11日にはいわき市内の各津波被災地で一周忌法要をおこないます。

福島に取材に行ったとき、この話しを法海寺の副住職である楠 法雄さんから聞き感動しました。そこで何かお手伝いができないかと思い、いろいろと考え、この徒歩練行の状況をGO近所で発信することを思いつきました。

GO近所はiPhone&iPadおよびアンドロイドのアプリです。立ち上げると位置情報を読み込み、半径200m以内に登録されている情報を表示します。発信者側が受けとる人の位置を指定し、受信者側はその位置にいると情報が得られるのです。なのでこの徒歩練行の概要をまずは全国に発信し、徒歩練行が始まる前後から、その徒歩コースの近辺の人へ向けて、いつそのあたりを通るのか発信していくのです。コース上にいる人は徒歩練行が通る数日前にGO近所でそれを知ることになります。

まずは2/1から、徒歩練行が出発する兵庫県西宮市東光寺周辺にてGO近所による告知を開始し、適宜次の目的地予定がどこであるか告知していく予定です。興味のあるかたは、2/1以降東光寺近辺でGO近所を立ち上げてください。次にめざしている場所がわかるようになっています。ただし、天候などでスケジュールが狂うなど、アクシデントも起きるでしょうから、その際はできる限り正しい情報を入手して発信できるようにしていきます。しかし、現地に担当者が同行するわけではなく、あくまでも徒歩練行している僧侶をサポートしているかたからの情報によるものなので、多少の狂いが生じる可能性があります。

そこで「もし徒歩練行の僧侶たちを見かけたら、何月何日の何時頃どこで見かけたのか、その情報を送って下さい」とGO近所の利用者にはお願いをします。情報の送り先はtwitterの@TWS_PR。URLは https://twitter.com/TWS_PR です。これでいただいた情報によって、より正しい位置の把握が期待できるのです。写真撮影もできたらそれを添付することをお願いしています。予告情報は場所を限って発信しますが、いただいた情報を追跡することでどこを通ったか、どんな状況だったかなど、把握することができたら「GO近所」に広域アップロードする予定です。

こちらでは真言宗智山派ふくいち青年会の僧侶によって徒歩練行の詳細がつぶやかれています。

https://twitter.com/fukuichiseinen

この徒歩練行には僧侶であれば宗派を越えて同行してもらうことができるそうです。ただし、あまり多人数になると問題が生じる可能性があると言うことで、前もって申し込んでいただく必要があるそうです。その詳細についてはこちらにアップされる予定だそうです。

http://www.chiseiren.jp/

『GO近所』を使って感じた日本人の盆栽性

iPhone & iPad、アンドロイドのアプリに『GO近所』というものがある。未来市場創造会×kyobashiTORSOでテーマとして扱うので使ってみた。現在本格的に使えるのは名古屋と小田原周辺のみだが、東京でも使えないことはない。ただし、扱われている情報がまだほとんどない。東京での本格導入前だからだが、お願いしてアカウントを取得して未来市場創造会×kyobashiTORSOの告知を出してみた。

使うと楽しい。

まず告知を出す地域を限定する。未来市場創造会には東京近郊のいろんなところから人が集まってきていたので、東京全域を告知範囲に選んだ。そして告知内容の審査を受けて発信する。

無料で発信できるのは一つの告知について200回まで。つまり200枚のチラシは無料でまけるというようなものだ。それ以上発信したいときは有料になる。東京ではまだ本格導入されてないが、昨日の午後7時から12時間ほどのあいだに60回ほど閲覧された。60名の人がこの告知を見たわけだ。しかも、一度入手した情報をキープしたい人はお気に入りのマークをつけるとそれが可能になるのだが、それをした人がふたりいる。新しい参加者がふたりは来るってことか?

さて、これを使った感想だが、日本人的な感覚で作られたアプリだなと思う。なぜなら、このアプリが効果的に使えるのは狭い範囲に限定して、丁寧な内容を発信するときだと思えるからだ。もしあなたがiPhone、iPad、アンドロイド携帯などを持っていたらApp storeやアンドロイドマーケットで『GO近所』を検索してダウンロードしてみてください。こちらのサイトからでもできます。

GO近所サイト

いままでのネットの使い方だと、どうしてもよりたくさんの人に、より広範囲にと告知する範囲を広げていこうとする。その結果、申し込んでもいない人にメールマガジンを発行したり、知らないひとでもtwitterやfacebookでつながり、より多くの人に情報を伝えようとする。しかし、twitterをしばらく使ってきて、そのように使うのはあまり面白くないなと感じはじめていた。知らない人が増えると興味の持てない書き込みが増えてきて、結局見なくなってしまう。SNSを見続けるためには自分が興味のある人とだけつながっていた方が気が楽だ。つまりつながる人を限定した方が心地いいのだ。それと似た感じで、GO近所で告知する相手も、その情報をきちんと使ってくれる確率の高い人にだけ伝えた方が心地いいだろう。いらない情報が山のように来るのはうんざりする。その逆もしかり。無駄に捨てられる情報なら伝えないほうがいい。

昔から日本人は細やかなことを丁寧にするのが好きな民族だ。盆栽が端的な例だろう。その感覚がGO近所に役に立つと思う。だから、いままでネットにはまっていた人とはちょっと違った層の人がこれを使うとはまる気がする。もっとたくさんの人に大量の情報を与えたいと考える人より、適切な人に適切な量の情報を与えたいと願う人のためのツールだと感じたから。

未来市場創造会×kyobashiTORSO第二回 〜近所の人とつながる新しいメディア『GO近所』

『GO近所』のTVCF

あけましておめでたい? 40カ国以上が輸入規制をしている現状

あけましておめでとうございます。

今年の年賀状にはこの言葉を使いませんでした。いまだに日本は緊急状態だからです。いますべきことは、国全体を考えるのか、個人を中心に考えるのかで変わってくる。概要はここに書いた。

これからの日本がきちんと機能するためには、いろんな価値観の人がいろんな視点で働く必要がある。子どもや子孫のために疎開する人も大切だし、コミュニティを守ろうと、どんなに放射性物質の脅威があろうとも維持させようとするひとも必要だろう。これらの人たちはそれぞれに大切な役割を果たすことになる。そして可能であれば、それぞれ立場が違い、出した答えが違おうとも、きちんとそれぞれが共同できる心性と仕組みがあるべきだろう。そのためには正確なデータが必要だ。

これから子どもを産む女の人と子どもは、関西以南へ疎開するべきだ。いまは戦争時のような緊急事態だから経済的なことはあとで考えるしかない。のんびりしていると被害が及ぶことはほぼ間違いない。そして、疎開したらその土地で取れたものだけを食べること。

いまは日本が次第に変化していくことに助力したいと思う人たちだけが東北・関東に残るべきだろう。いろんな人に話を聞くと、自営業や中小企業のトップは比較的この覚悟ができている。いっぽうでサラリーマンはほとんど政府の発表を鵜呑みにしている人が多いように感じる。そのような人はあとで話しが違うと思うことになるだろう。

そろそろ大きな会社では家族を疎開させるための仕組みができあがってきても良い頃だと思う。働き手となる男は東北・関東に残り、まだ若い母親や子どもだけでも、支社のある西の地域に疎開させるという仕組みだ。もしかしたらすでに何社かはおこなっているかもしれない。問題になるので発表していないだけで。さらに、会社によっては本社の移転も始まるかもしれない。政府からよほど強くそのようなことはするなと禁止されない限り。

女の人はこのような状況に繊細だから、夫がサラリーマンで奥さんが疎開したいという希望を持っているとき、家族内での対話が非常に大切になるだろう。夫も妻も、相手の立場になって考えて上げない限り、このような対話はうまくいかない。

東北や関東に残る人は特攻隊のような犠牲的精神がないとあとで酷い目に遭うだろう。それがないのであれば早く疎開したほうがいいと思う。ただし、被爆してもなんともない人もいるようなので、酷い目に遭うかどうかは時間が経たないとわからない。

あれだけ放射性物質を排出しているのに、福島の野菜や米が国内に流通しているというのは信じがたいことだ。しかも福島に行くと、基準以下だからと福島の人たちは安心して食べている。僕のような人間が一日二日行ったところで確かにたいした問題はないかもしれないが、福島の人たちはそういう作物を毎日食べている。だから、そのような作物を販売することにも特に悪気はないし、それを咎められることを風評被害と呼ぶ。なにしろ基準を守って流通させているからだ。しかし、この基準がとても甘いことは、現在44カ国が日本からの農作物を輸入規制していることから明らかである。(「日本の作物 輸入規制」でググると去年10月時点での詳細がわかります) 福島にいると放射性物質の毒性についての話しはすべてが嘘であればいいと願うしかない。

1/1の14時28分にマグニチュード7程度の地震があった。それから数日後にはネット上は大騒ぎだったようだ。セシウムの降下量が上がったから。いっぽうで文科省はセシウム濃度の発表を日によって中止すると言いだした。文科省の言い分は「セシウムの降下量に変化が見られないから」。しかし、実際には違うことが起きていると武田邦彦博士は発表している。

政府は今年の311には有効な手立てを何か発表するかと思ったが、動向を見ているとそれは期待できなくなってきた。これからもどうやって原発を維持するかを腐心しているようにしか見えない。恐らく既得権益者がそれを手放さない限り変わりようがないのだろう。民主主義が徹底されることで、ひとりのリーダーが大なたを振るうことができなくなっている。しかし、緊急時には正しい大なたが大切だ。放射性物質がどのように分布しているのか正しく知ろうともせず、原発の状況がどのようであるか隠蔽し、戦時中の大本営発表のようになってしまっている。かつて急に敗戦が告げられたように、いつか急に敗北を突きつけられるのではないかと心配してしまう。この状況に至ったら、とにかく正確な情報を発表し続け、多くの人がそれに即座に対応できるように体制を整えない限り、何か間違いがあったときに何もできなくなる可能性が膨らんでいく。心ある政治家と官僚の活躍を期待している。

日本政府の対応は、内部被曝によって予想される被害を低く見積もることで、多くの人の命を危険にさらしていると言える。危険ではないと言い張れるのは、実際のデータがいままでほとんどなかったから。誰も放射性物質を体内に入れる実験をしてこなかった。結果は数年後に出る。もちろん何もなければいいのだが。チェルノブイリ関連の情報を探してみると、それは儚い願いにしか思えない。食べて支援はとても美しい考えだし日本の復興には確かに大切だが、数年後に個人が背負うリスクがどのようなものか、きちんと調べてから実行したほうがいい。

全開運!しあわせ 創刊

『全開運!しあわせ』という雑誌に連載をしている。『癒しの時間』というタイトルで、「気持ちいいもの」を書くことについてのエッセイだ。

最近は出版不況だから、雑誌の数も減り、普通であれば新創刊は見送られるだろう。ところが『全開運!しあわせ』はムックで始まり、部数が順調に伸びたので季刊誌になり、部数を上げて今号からはコンビニでも売られている。

最近、開運とか幸運をキーワードにした雑誌が増えている。『ゆほびか』『開運』『Misty』『Chakra』『ゆがふる』など。『日経おとなのOFF』では、「開運大全」とか「開運入門」などの特集も組まれている。

なぜこんなにも開運が求められるのか。一番簡単な答えは「多くの人が不安を感じているから」。長引く不景気に震災が加わり、それだけにとどまらず原発事故も重なった。開運でもしなければどうにもならない、ということだろう。ただ、僕はそれだけではないと感じている。

多くの人が一次元的な考えを手放すときが来たのだと思う。

この場合の一次元的考えとは、言語理論的な考えだ。いままで知の発展は書物によっておこなわれてきた。何かを研究したり、勉強したりするのには必ず本を参照し、時代や場所を越えて、深い智恵を持つ人の言葉を追いかけることが学ぶことだった。書物にその智恵が書かれているから、学ぶ者はとにかくその文字を追っていく。書物には出だしがあり、中間部があり、結末があった。知識はそういうものであることを無意識にすり込まれてきた。書き手が予定した順番で読むことで、知識は直線的、つまり一次元的に伝えられたのである。ところが、インターネットが登場してハイパーテキストが標準となった。ハイパーテキストとは、リンクを含む文章だ。すると読者は自分が必要としているポイントだけ読んで、それで済ますことが多くなる。つまり知恵を得るのに直線的に読みつづける必要がなくなった。必要がないというよりは、それを積極的に使うようになった。これがひとつの理由。

もうひとつ、現代において特徴的なことがある。それは、ドラマをたくさん見られることだ。演劇の舞台はたくさんあるし、映画はたくさん制作されるし、かつての映画はどんどんDVD化され、ケーブルテレビや衛星放送で四六時中名作が流されている。こんなにたくさんのドラマを見ることができる人類はいままでなかっただろう。この状況が何を生むのか。前にもどこかに書いたが、チベット密教でおこなわれる修行とそっくりなことが起こるのだ。

チベット密教ではお経を読むと同時に、それを表現した曼陀羅を見ることがある。すべてのお経がこうなっている訳ではないが、一部のお経にはそれぞれの菩薩や如来の話しが書かれており、それを追体験するようにその世界が描かれた曼陀羅が存在する。それぞれの菩薩や如来と一体になったつもりで曼陀羅を見る。そのことによって、菩薩や如来から見ると、世界がどんなふうに見えるのかを感じていくのだ。自分が一体化する菩薩や如来が変われば、見えてくる世界も変わる。それを体験することによって、どんな人とも共感できる心を養う。立場が違い、接する人が違い、まわりでやりとりされる言葉が異なれば、その人が感じる世界はまったく別の物になる。それを体験するための装置なのだ。

これと同じように、ドラマをたくさん見ていれば、立場や状況が違うことでどんな人でも行動を変えていくことを無意識に学んでいく。この無意識の学びが人に大きなインパクトを与えてきた。つまり、どんな人でも、境遇や状況が違えば、どんなことでもありうるかもしれないということが、なんとなく理解できるようになってきたのだ。

こう考えてくると、運がいいというのは、たまたま偶然に現れることとも考えられるが、運をつかむための準備が必要なことも同時に理解できる。それが風水などにつながるのだろう。

実際に水晶を持ったり、金色の財布を持ったりすると運がよくなるかどうかはわからない。しかし、これだけは言える。多くの人がそれを意識したら、その影響が社会に現れてくると言うことだ。

震災のあとにたくさんのイベントやお祭りが自粛されたが、あれはあまりいいことではない。かつて神道を信じていた頃の日本人なら、大きな震災のあとには神様のために祈っただろうと誰かがBlogに書いていたが、そのような常識でもし日本人が生きていたら、日本中でお祭りがおこなわれ、その結果、少しは景気がよくなっただろう。日本人が一斉に行動することで経済が動いただろう。それはまったく科学的ではないが、動いてしまえばいいのだ。その理由は特に科学的である必要がない。

昨日、清水博博士の場の研究所の勉強会に行った。そこで小山龍介さんが面白い話をしてくれた。福島で場のワークショップというのをしたそうだ。そこで参加者に「あなたにとって(人生の)観客は誰ですか?」と質問をした。ある人は「娘」、ある人は「親」などと答えていったそうだ。そしてさらに小山さんは質問を続ける。

「もしその観客がいなかったら、あなたの行動はどう変化しますか?」

僕はこの話しを聞いてすぐになるほどと思った。かつて日本人は八百万の神々が観客だったんだなと。

ちょうどいま『逝きし世の面影』という本を読んでいる。そこに幕末から明治にかけて、海外から来た人たちがどれだけ日本を賛美していたかが書かれているのだが、なぜそのような文化だったのか、それが気になっていたのだ。その解答のようにして小山さんの話しが響いた。日本人はみんな八百万の神がどこかで私を見ていると感じながら生きていた。それがあの文化を可能にしていたのだなと。

もちろん、八百万の神はちっとも科学的ではない。しかし、実際に日本人に影響を与えていた。日本人の行動の些細な違いが、社会を作り上げる。開運をするというのも、そのための作法のようなものがたくさんある。きっとその作法を守ることで、いろんな影響が現れるだろう。それらが日本の再生につながるのであれば、科学的か非科学的かはどうでもいいような気がする。

社会はいろんな影響を受けて変化する。バタフライ効果が現れてくるフィールドだ。蝶の羽ばたきと同じように、影響を与えるきっかけは些細なものでいい。その些細な影響はたくさん集まり流れていく。この大きな流れを決めるのは、些細なきっかけの傾向が増幅されたもの。しかもその流れには些細な影響が多次元的に折り込まれている。

僕たちは幸せに生きていきたい。それを実現するためにエゴイスティックに生きてしまったら、現れてくる大きな流れはエゴイスティックになり、僅かな成功する人とたくさんの負け犬であふれてしまう。正しい開運法を得て、エゴイスティックではなく、すべての人を含んで幸せになるような方向を僕たちは向くときが来た。それはきっと一次元的ではなく、多次元で、言葉では表現できない。本当の開運がなされるのは、そういう全体に含まれたときだ。その全体を僕たちは夢見て、行動し、形作っていかなければならない。

小山龍介さんが編集するWEBMAGAZINE「Bloom Cafe」

皆既月食

2011年12月10日から11日にかけての皆既月食は見事でした。

完全に月の影に隠れたとき、月が鈍くオレンジ色に輝いていたのが印象的でしたね。恐らく月から地球を見ていたら、地球の輪郭が太陽の光の屈折で、オレンジ色に輝いていたのではないかと思います。

兄が、まだ甥(兄にとっては息子です)が幼かった頃に、もし野球のボールが太陽だとしたら、どのくらいの距離にどんな大きさの地球と月があるかを計算して、それを広場に置いてみたそうです。かなり広い場所が必要で、こんな小さなものの影ができないと日食や月食が作られないものなのかと実感できたそうです。

次の奇跡的に生まれる影は、来年5月21日に東京で、金環食(日食)が見られるそうです。東京で金環食が見られるのは173年ぶりだそうです。その日は晴れて欲しいな。