10 月 03 2008

CosMos

世の中にはわからないことがたくさんある。それをどうにか理論づけて体系立てていくのが科学だ。科学は世の中を説明するための言葉でありながら、時々逆立ちする。理論で事実を説明しようとすることだ。

もとはと言えば事実を体系立てるために作った理論で、事実すべてを説明しようとする。すると時々説明できない事実が現れる。理論を一生懸命追ってきた人はそのとき理論を優先し、事実を見なくなる。裸の王様を笑った子どものように、事実と理論が違うことを指摘すると、理論を大切にしてきた人たちは「事実が間違いだ」と言い出す。

よくやり玉に挙げられることのひとつが「水の結晶」だ。江本勝さんが「水からの伝言」という本にまとめたこと。水に言葉を与えると、言葉の質や内容によって、水を冷凍してできる結晶の形が異なるという内容だ。これが事実か否か、僕にはよくわからない。普通に考えれば、あり得ない話しだ。だけど実際に実験して確かめたわけでもないのでなんとも言えない。本当なら面白いし、嘘なら馬鹿げたことするなと思うし、ファンタジーなら素敵な想像力を持っているなということだ。今回その実験を見せてもらえることになった。しかも、世界賢人会議「ブタペストクラブ」の創設者、アーヴィン・ラズロ博士と一緒に。 ラズロ博士に会うために最近出版されたばかりの「CosMos」を読んでいった。

その席に招いてくださったのが七田チャイルドアカデミーで知り合った飛谷ユミ子さんだ。おかげさまで水の結晶写真を撮影するブースも見せていただいた。

オフィスでお目にかかった江本さんは、世界中で水の結晶について講演している。すると、海外の研究者のなかには追実験をしてくれる人もいるそうだ。江本氏は言った。

「日本の科学者は何も調べないで嘘だというんだよ。困っちゃってさ」

しばらくしてラズロ博士が来た。

(続きはあとで書きます)

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10 月 01 2008

ヒーリング・ライティング〜羽根のワーク

ワークショップランドに主催していただき、「ヒーリング・ライティング〜羽根のワーク」をおこないます。

自分の内面を文章化することで何かを見つけてください。

詳細はこちらです。

 

「本書く塾」は参加者が集まらなかったので中止になりました。参加を検討してくださったみなさん、ありがとうございました。また別の機会にやりましょう。

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10 月 01 2008

扇の奥義

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今年は月次祭、祇園祭、ねぶた祭と、大きなお祭りを三つも見ることができた。どのお祭りでもどこかで必ず扇子をもらった。お祭りと扇子は付きものなのだろうか? と思っていたら、書店で吉野裕子(よしのひろこ)全集を見つけ、第一巻の最初に「扇」という民俗学論文が載っていたので買って読んだ。

普通であれば俗説ではないかと思われることを丁寧に調べて書いてある。全集を全部読んでしまおうかという気になってきた。それほど面白い。著者は50歳になってから扇について調べ始め、本を書き、六十歳を過ぎて東京教育(筑波)大学の博士号を取得すると書かれていた。

現在の神道は性的なことが隠されて、もともとの意味がわからなくなっているものが多いが、その本によれば、昔は陰と陽とその交わるところに神が降りてくると考えられていた。バリ島で教えてもらった価値観とそっくりなので驚いた。

沖縄の蒲葵(びろう)から話しが始まり、扇は日本が起源にもかかわらず、どのように作られたか、どのように使うかのしきたりなど、知っている人がほとんどいないということで、吉野女史は扇に関連する祭を調べて回る。すると沖縄を軸にして次第に扇の意味、神道のかつての形が現れてくる。

ここでは丁寧な説明はできないので、興味のある人は原文を読んで欲しいのだが、いくつもある扇と神との関係の話のなかで、なるほどと思ったのがミテグラの話しだった。まとめることに問題を感じるが、端的に書くとこうだ。

祝詞などに登場するミテグラという言葉を吉野女史は二種類の意味があるといっている。ひとつは「貴重な神への進献物」、もうひとつが「両掌に捧げられた神聖な神降臨の道が開かれるところ」だそうだ。桃の節句のお雛様が扇を両手で持っているが、あの形がミテグラで、そこが神への道の入口となると言うことだ。だとすればお祭りで扇を持つことの意味が明確になる。扇を持っていれば誰のところにも神はやってくる。両手の平で作ったくぼみが陰を象徴し、そのあいだにはさんだ扇が陽を象徴する。そこは胎児が生まれる場所であり、死んだ魂が帰るところである。

 

この本の中で三角形が象徴するのは母胎であることが示される。死んだ人がかつて頭に巻かれた三角の白い布は、死んで母胎に回帰することを示していたそうだ。

ところで、昨日たまたまテレビをつけたら、トンカラリンのことが放送されていた。トンカラリンは熊本にある遺跡。

詳しいことはここに書かれている。

http://inoues.net/ruins/tonkararin.html

ここを通ると幼い頃に見た夢を思い出したと茂木健一郎氏がBlogに書いている。その夢は参道を通ってきた記憶のようだとも書いている。

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/10/post_819c.html

この遺跡のなかを通っていくと、途中、岩に三角がたくさん彫られているところがあるそうだ。その三角と吉野裕子女史が書いた三角は同じ物なのではないかと感じた。もしそうだとすると、やはりトンカラリンは胎内回帰の体験をさせるための装置なのでは?と、勝手に推測した。もしそうだとしたら興味がある。「胎内記憶」を出版して以来、その話しにはどうしても興味を持ってしまう。そのことと、バリ島、そして神道がつながるってのがいとおかし。

ニュピが疑似臨死体験をさせてくれることについていつか本にするつもりだが、それに神道も関わりがあるとすると、もっと面白いことになりそうだ。

バリと日本の文化の繋がりについて表すことになるのか、隔たった場所でも人間という動物が、どの地域にいても共通して持つ感覚として胎内記憶を見るのか、おそらく両方の要素が複雑に絡むのだろうが、明確にすることができたらいいのにと思う。

吉野裕子全集第一巻

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9 月 27 2008

スパイのためのハンドブック

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「こんな本ばかり読んでいたらばかになるな」と思って本を選択し直したとき、この本は手放さなかった。

「スパイのためのハンドブック」 ウォルフガング・ロッツ著・朝河伸英訳 ハヤカワ文庫

帯に佐藤優氏の言葉「一般人はこういう恐いスパイの世界に極力近づかないほうがいい」と書かれているので期待して買った。しかし、内容は想像の範囲内であった。もっと「えーっ」と驚く内容を期待していたのだが、裏切られた。でも、本自体は面白く、1日で読み切ってしまった。

読みながら思い出したのは広告会社に勤務していた頃の事だった。そう、広告会社での仕事はスパイの仕事に少し似ている。

たとえば、新しい番組が始まるときなど、テレビ局はどんな意向を持っていて、どんなスポンサーを探しているのか、それがたとえ他社扱いでも探りを入れる。そんなときにどうしたかと、本に書かれていたことがちょっと似ていた。なにしろ社内では「殺人以外はなんでもやる」と言われていた。(もちろん冗談だ)

そういえば、本屋で立ち読みした「サイゾー」には「人気企業のヤバい噂」というのに、「電通営業マンがプライドこっぱ微塵の(恥)宴会芸」というのが載っていたが、あれはメディア関係では何十年も前からの有名な話しで、ロングランな噂だなと思った。

話しを元に戻す。

本の冒頭にスパイ適応度テストがある。僕は160点代で「普通並み」だった。その1問目にこういうのがある。

スパイになりたい動機はなにか。

1.冒険 2.お金 3.理想

この問題では高得点であるほどスパイとして適合しやすいと考えられる。この問題で高得点を得られる選択肢を選んだ人は、広告会社勤務にも適応できるだろう。

「スパイと異性」という章には「秘密情報部員として異性とのかかわりあいを上手に処理する能力に関してのテスト」なんてのもあった。

著者は実際にイスラエルの諜報員だった。諜報員でありながらエジプト潜入直前に妻をめとり、素性がばれて妻も刑務所に入れられる。妻は健康が悪化し、釈放されてしばらくして亡くなった。そんな苦い話しも混ざっている。

「読むインテリジェンス」というほどではないが、ウィスキーを嘗めながら読むにはいい本だ。

 

「スパイのためのハンドブック」 ウォルフガング・ロッツ著・朝河伸英訳 ハヤカワ文庫

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9 月 26 2008

ばかになる本

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先日、本屋で本を買おうとして、選んだ本を見て「こんな本ばかり読んでいたらばかになるな」と思った。そこで本の選択を変えた。

後日、そのことを思い出し、僕は自分が読んでいる本を「ばかになる本」と「賢くなる本」に分けていることに気づいた。(笑)

僕にとってばかになる本とは、なんの知識も与えてくれないような、純粋なエイタティメントを指す。ところが読みたいのはそういう本だったりする。少し難しくて、いままでまったく知らないような知識を与えてくれるような本を読みたいと理性的には思うのだが、そういう本を読むには多少の努力が必要であり、ついばかになる本に流されてしまう。

ばかになる本はたいていよく売れている本だ。

もの書きとしては売れる本に興味を持つべきだ。しかし、ばかになる本に興味を持つわけにはいかない。

僕の内面はこうして葛藤を繰り返す。

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9 月 25 2008

あまり多くの人に読んでもらいたくない話

Published by Tsunabuchi Yoji under NEWS, 考えたこと

三笠フーズの問題に関して、いろいろと考えていくと、どうしても「まぁ、そういうこともあるだろうな」という感覚にとらわれてしまう。そこが僕の弱いところだ。広告業界にいたとき、三笠フーズの事件を思い起こさせるようなことが何回かあったからだ。

たとえば、ひとつの例。

もう20年も前のことだが、広告会社に入って僕の最初の仕事は、テレビ局と合同でやるゴルフコンペの賭け金を集めることだった。A4の封筒の表紙にコンペに参加する人たちが競馬新聞の表のように紹介されている。

1枠 ・・ダイオー ◎ 前回のコンペでは最終ホールでつまずいた。しかし、実力はなかなか。

2枠 ハワウマ・・ ○ 前回おしくも二位。今回は優勝を狙う。

3枠 テケテケ・・ × 女性同伴でないとホールを回れないという弱点あり。

などなど

それをもって社内でそのテレビ局に世話になっている人たちのところに行って賭け金をもらってくるのだ。営業担当などはたいてい世話になっているテレビ局員に1,000円程度賭ける。なかには10,000円くらい賭ける人もいた。そうやって新入社員は社内を回ることで、何十人かの社員とテレビ局員との関係を覚えていくのだ。

もちろんはじめて回るときには自己紹介から始まる。

「はじめまして、新入社員のつなぶちと申します。今度××テレビとゴルフコンペをやるので、一口でも乗っていただきたいのですが・・・」

「ほう、新入社員か。部署は? 俺は○○社担当の△△だ。○○社は××テレビで何やってるか知ってるか? 提供番組が答えられたら一口乗ってやろう・・・」

「えーっと、確か土曜に○○○という番組があったように・・・」

「おーっ、じゃ一口は乗ってやろう。もうひとつあるんだが、それは?」

「えっ、、、、平日の昼の帯で○○○は違いましたっけ?」

「あれは他社扱いだ。減点だな」

「えっ、そんな」

「冗談だ。いいよ、ひとつ当てたから、乗ってやる。そのかわり○○社関係の面白い情報があったら必ず持ってくるんだぞ。それで貸しを帳消しにしてやる」

「はっ?」

「××テレビの□□部長には■■■という番組の時にかなり世話になっているんだ。だから□□部長に三口。そのかわり負けたらお前に貸しだからな」

「そ、そんな、、」

こんな調子だ。こうやって社内に顔見知りができて情報が回るようになっていく。「貸し」とか「借り」は半ばジョークだが、そのジョークを切っ掛けにして会話が回っていく。後日、この先輩から電話がかかってきて、「借りを返せ」という口実で仕事をもらう。たいていそれは無理難題だ。その無理難題をクリアすると「なんだ、お前もやるとできるじゃないか」とか言われる。

さて話しを本題に戻そう。当時だって、賭けゴルフが合法であったわけではない。しかし、なんとなく「それくらいはいいだろう」という雰囲気があった。しかも、賭けゴルフの集金のおかげで、社内に顔見知りがたくさんできた。みんながそのことを認めていたのである。もちろん、テレビ局も。ところが何年か前に森元首相が賭けゴルフをしたとテレビで猛烈に批判されたことがある。きっとこれでテレビ局内での賭けゴルフは御法度になったんだろうなと思った。(実際にはもっと前に御法度になっていたかもしれないけど)

話しのポイントは、20年ほど前、僕はもちろん賭けゴルフはいけないことだと知っていた。しかし、回りがみんなでそれをすることを楽しんでいる。新入社員はそれについて「違法だ」とか「やめましょう」だとか言えなかった。雰囲気に流されたのだ。ある地方とか、会社とか、あるレベルで閉じた社会にはそのような“雰囲気”というものが生まれることを会社に勤めたことで知った。

そこで三笠フーズ。もちろん、三笠フーズのやったことはとんでもないことだ。だから内部告発があった。しかし、誰も正面切って「それはいけない」とは言えなかった。誰も会社からクビになどされたくないからだ。

「三笠フーズはいけないことをした」と批判するのは簡単だ。しかし、政府筋から大量の事故米の処理を頼まれ、名目を「糊」にしたが、実際には糊にはできず、三笠フーズはどうすればよかったのだろう? 事故米を買っただけでは赤字になる。

三笠フーズの肩を持つつもりはないが、よく考えていくと心が疼く。

「三笠フーズがいけない!」、以上終わり!!

としてはいけないような気がする。

政府筋の責任追及はもちろんだが、自分のなかにある「組織に流される性質」について、よく考えなければならない。

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9 月 22 2008

アフラトキシン

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三笠フーズの問題で、農林水産省が事故米に関してこちらに発表している。

これを探すのにGoogleで検索したら、こんなBlogを見つけた。

実際にアフラトキシンというのはどんな物質か調べるとウィキペディアに書いてあった。極少量でネズミが100%癌になった飛んでもない物質だそうだ。

そんな物質を輸入すること自体問題だ。このことについてきちんと書いているメディアはあるのだろうか? 新聞ではカビ米と書いている。これでは100%癌になるような有害性があることに気づけない。日本のカビにはこんなすごい有害性のあるものはないだろう。だから「まぁ、カビくらいなら」と考えてしまう。報道規制でもされているのだろうか?しかも、癌になるということは、すぐにはその毒性がわからないということだ。

YouTubeにこんな映像を見つけた。

何年か前から西日本の肝臓癌発生率が高くなっていた。その理由はわからなかったが、三笠フーズの事故米の発送先と肝臓癌の発生率の高くなった地域を調べると、宮崎を除き一致するというのだ。因果関係が公の機関で調べられたわけではないので、偶然の一致かもしれないが、公の機関も恐くてその関係性を調べることはないだろう。

政府は国民を守るために働いて欲しい。

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9 月 09 2008

アーヴィン・ラズロ博士

Published by Tsunabuchi Yoji under NEWS, , 環境

世界賢人会議「ブタペスト・クラブ」の会長で、「地球交響曲第五番」への出演で知られているアーヴィン・ラズロ博士が講談社から新刊を出します。タイトルは「CosMos(コスモス)」。
昨晩、刊行記念パーティーに行きました。そこで知ったのですが、10月4日(土)午後3時から博士が交流会&サイン会をするそうです。それに参加なさりたい方は9月9日(つまり明日)から丸善丸の内本店で「CosMos」を予約すると先着120名に整理券を配布するそうです。整理券がなくなったら終了になります。本の発売は10月1日です。
ラズロ博士に会いたい人は丸善本店に急げ。

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9 月 07 2008

職業に貴賎なし

Published by Tsunabuchi Yoji under 仕事, 考えたこと

テイヤール・ド・シャルダンの全集がやっとそろった。7年かけて一冊ずつ集めてきた。これで念願の本が完成できる。やっと手にした第二巻を読んでいて、ふと思ったことがある。それを予備知識のない人にわかってもらうためには、かなりの文章を書かなければならないので、ここには書かないでおくが、それを考えていた際に「職業に貴賎なし」という感覚が必要になるなと思った。よく使われる言葉だが、その真の意味を理解している人は少なくなってきたようだ。「職業に貴賤なし」とネット上で検索すると、悲しい解釈がたくさん出てくる。いろんな解釈ができるだろうから、押しつけるつもりはないが、かつての日本ではこのような解釈だったと思う。

どんな職業でもかならずそれは誰かの役に立つから職業として成り立っている。そして、そのことの価値はそれによって得られる報酬とは関わりない。自分の仕事とのスタンスで価値は決まる。

現代の人は、貴賤の価値判断を収入に結びつける。そこが違うのだと思う。たとえば、どんなに収入の低い仕事でも、それがないと多くの人が困る仕事というものがある。それをしている人は、収入が少ないことを覚悟の上でそれをやっている。そのような人たちをもし収入が低いから劣った職業だというなら、その人たちはその仕事への意欲を失うだろう。低い収入にもかかわらず、その仕事をすることによって社会に貢献しているのだ。だから価値がある。現代はとても個人主義的な価値判断しかされなくなったが、「社会」という切り口から物事を見れば、どのような形にせよ社会に貢献している職業であれば価値があり、それは誰かがしなければならない。だから職業に貴賎はないのだ。

たとえば、現在漁業はガソリン価格の高騰で収入の少ない職業になってしまった。だからといって漁業をしている人たちの仕事が賤しくなったわけではない。たとえ収入が少なくなっても、魚を必要としている多くの人のために漁を続けるひとがいたとしたら、それは貴い仕事といえるだろう。農業も漁業も収入が少ないから賤しいという考えがあったとしたら、僕たちは食料を得ることができなくなる。同じように、どんな仕事でもそれがなくなると困る人が必ずいるはずだ。
人は仕事をすることで社会に貢献しているのだ。だから職業に貴賎はない。このような感覚は現代では「建前」としか理解されなくなってきているようだ。それは悲しいことだと僕は思う。

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8 月 30 2008

豚のカシス焼き

ドライカシスをたくさんいただいたので、ただポリポリ食べているのではつまらないなと思い、調理してみた。
いろいろ考えて「豚のしょうが焼き」のしょうがの代わりにカシスを使ったらどうかと思いついた。
だいたい豚肉はフルーツとの相性がいい。
しかし、しょうがとカシスを同じように使うわけにはいかない。ちょっと工夫したら美味しかったのでご紹介。
できあがるまで美味しいものになるかどうかわからなかったので、写真は撮りませんでした。あとで撮っておけばよかったとちょっと悔やむ。

さて、作り方です。
とっても簡単。

まずは小さな鍋にドライカシスを入れ、ひたひたになる程度の日本酒を注ぐ。
これを火にかける。
沸騰しかける頃にはカシスの色が日本酒に移りますので、そこで火を止める。
ワインのようなきれいな色になります。
フライパンで豚肉の両面をさっと焼きます。
そのフライパンにカシスの色が移った日本酒をカシスごと入れて蓋をして蒸し焼きに。
一緒に適量の醤油を入れる。
少し煮詰まってきたらソースの味を確かめて醤油の量を調整してください。
日本酒と醤油がいい感じに煮詰まるまで煮ていき、コショウをかける。

以上です。

予想以上に美味しかった。

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