先日、「water」というドキュメンタリー映画を観てきました。とても面白かった。水にまつわる色々な話し。江本勝さんの「水からの伝言」が批判されていますが、この映画では江本さんも出演して、水について語っています。
この映画では「水は情報を伝達するもの」という視点で論を進めています。水は自然の流れの中では、豊かなエネルギーや情報を蓄えるが、都市部の水道管のなかを通ると、水が何度も直角に曲がらされるためにエネルギーを失い、汚染されていくという下りがあります。その証拠として、水道の水と、自然の水を犬に差し出すと、犬は自然の水を飲むというシーンがありました。
水が情報を伝達するという考えはとても魅力的ですが、もしそれが本当だとしても、どんな情報なら伝えられるのかを知る必要があるでしょう。以前こちらに書いた、チトロ博士の研究は、あるかもなと思いました。詳細はいつか書くと言ってまだ書いてませんが、そのうち書きます。
この映画の終わりで、世界中の宗教者が聖水を使うことを描いています。そして、その聖水は稀釈しても効果が減らないことも伝えていました。僕が実際に見た、バリ島の聖水も同じ考えで配られていました。ブサキ寺院で配られる聖水は、各家族が家に持ち帰り、稀釈して使うのです。なぜそのようにするのかというと映画では、水が記憶している内容は転写されるからだと明言していました。僕にはこのことが水に情報が入っていることの直接の証拠とはならないと思うのですが、確かに世界中の人たちが同じことをしているのだとすると、それはいったいなぜだろうと考えざるを得ません。もしかしたら文化的な意味や象徴的な意味があるのかもしれませんが、世界中の聖人たちが、水に伝わる情報について感じていたと考えることは魅力的です。






