半ケツとゴミ拾い

先々週末に京都に行った。そのとき三条か四条の橋のたもとに看板を出して座り込んでいた若者がいた。

「あなたを見てインスピレーションで色と言葉を贈ります」

地面に布を拡げ、いろんな言葉のかかれた紙を広げていた。「ああ、やってるな」と思い、あまり観察もせずに通りすぎた。10年ほど前に原宿で僕も似たことをした。「あなたに言葉をプレゼントします」と書いた札を作り置いておく。その札の前にただ黙って座っていた。しばらくすると興味を持った人が話しかけてくれる。するとしばらくいろいろとお話しして、どんなときに思い出したら元気になる言葉が欲しいのかと聞く。それでまたしばらく話して最後に言葉を紙に書きプレゼントする。そのことを思い出しながら若者が作った看板の前を通り過ぎた。

その五日後、地湧社の増田圭一郎さんに会った。いろいろとお話しをして楽しく過ごした。途中で最近出版なさった本の話になり、『半ケツとゴミ拾い』という本をいただいた。帰って読むと面白かった。

概要はこうだ。大学生まで悩むことのなかった筆者は、就職に際して自分が何者でもないことに気づく。そして何かしなければなならないと焦るのだが、何も変わらない。何もできない情けない自分。すると筆者の兄が、とにかく何でもいいからやってみろという。そこで朝六時に一ヶ月間、新宿を掃除してやると決めるが、実際にやるとひどい目に遭う。なんとかがんばって一ヶ月掃除し続けたら、半ケツの浮浪者がひとりだけ手伝ってくれるようになる。そのうちに手伝ってくれる人が増え、いじめられたヤクザの兄さんに優しくしてもらえるようになり、メディアにも取り上げられて大人数で掃除をするようになるというサクセスストーリーだ。最後には学校に呼ばれて講演会をやるまでになる。その講演会で子供たちの元気のない様を見た。

「この子たちに元気になるような言葉をかけてあげればいいのに」

そう思った筆者は自分の言葉を子供たちに与えるようになる。そして、それを路上でもおこなうようになった。そのときの写真を見てびっくりした。

「あなたを見てインスピレーションで色と言葉を贈ります」

三条か四条の橋のたもとで見た札とまったく同じものだった。世の中にはすごい偶然があるものだな。「半ケツとゴミ拾い」を読んでからあの場にいってたらきっと声をかけただろう。

『半ケツとゴミ拾い』 荒川祐二著 地湧社刊

ガケ書房

京都のガケ書房に行きました。基本的には本屋さんなのですが、ただの本屋さんではありません。その逸脱ぶりはお店のデザインにも表れています。

ガケ書房

なぜこんなところから軽乗用車が突き出しているのか、まったく理解不能ですが、この車、どうやら何ヶ月に一度か、ペイントが変わるようです。

なかに入ると完全に本のセレクトショップです。きっと店主の気に入ったものしか置いてないのでしょう。それでどうして本屋という商売が成り立つのか、理解できません。たとえば、あまり有名ではない作家の本がきれいにそろっていたり、ある作家の本は一切置いてなかったり、たくさんの作品がある作家でも、数冊しか置かれてなかったりしてました。

たまたま本を見ていたら耳に入ってきたのですが、どこかの書店のオーナーがガケ書房に来て、どうしてこれで成立するのか一生懸命聞いてました。

「うちでも本当にいいなと思う作品だけ選んで並べたりするんですけど、そういうのって全然売れないんですよ。どうしたらこれだけ趣味的な棚揃えでやっていけるんですか?」

思わず僕の耳もピクピクッと立ってしまったのですが、店主と思われる男性は「いやぁ」とか「ううん」とかしか言いません。(笑)

この本屋で面白かったのは、古本屋への貸し棚があったこと。どこかの古本屋さんが棚を借りて、ガケ書房で古本を売っているのです。それから、個人でも同じことができて、ある棚では自分が気に入って売りたいと思った本を仕入れてきて売れる棚があるのです。もう発想がまったく普通の本屋とは違う。入口脇には小さなスペースがあって「もぐスペ(もぐらスペース)」と名付けられ、日単位で貸してもらえます。そこではお金さえ払えば何してもいいようで、タロット占いとか誰かのカフェとかが開かれるようです。なんとアナーキーな本屋でしょう。うっとりしてしまいます。

僕の印象では、ガケ書房は「本を売る」のが目的ではなく、「本好きと一緒に何かやる」のが中心的考え方のように思えました。きっとその楽しさが客を呼ぶのでしょう。僕もそれに吸い寄せられてしまった。地方には時々チェーン展開されている大きな本屋がありますが、そういうところは売れ筋の本をたくさん仕入れるために少部数しか出ないような本はほとんど置かないところがあります。そういう本屋のアンチテーゼのようでした。

あと気づいたのは、本が大切にされていること。本を商品として置いているのではなく、大切に扱うべきものとして置かれている感じがしました。大切に扱われている本からはその雰囲気が伝わってくるので買って帰りたくなる。そう感じたのは僕が知っている範囲では、ガケ書房以外にはブッククラブ回だけです。その点でも地方巨大チェーン書店のアンチテーゼだな。おかげで六冊も買ってしまった。またいつか覗きに行きたい本屋です。

祇園祭

7月15日から17日に京都に行き、祇園祭を見た。

何年か前、真夏の京都に取材に行き、遠くから山鉾を見て、いつか祇園祭を見たいと思っていた。

祇園祭と一口に言うが、この祭はその規模がすごい。

まずその期間は7月1日から31日まで、7月一ヶ月がまるまる祭になる。

「京都の人」とひとくくりにしては失礼かとは思うが、僕の知っている京都の人がおっとりしているのにどこか着実に物事を運ぶその性質を、この祭を見ることで納得してしまった。

毎年このような祭をおこなうためには、ある期間をもって着実にするべきことをこなしていかないとうまくいかないだろう。その性質が「京都の人」にしっかりと定着しているような感じを受けた。

今回、行くまで何も知らなかったので、僕のように何も知らない人に祇園祭がどんな祭かと一言で説明すれば、疫病退散、厄よけのための祭だ。

863年に疫病が流行り神泉苑ではじめての御霊会がおこなわれる。869年にも流行り、このときに卜部日良麻呂(資料によっては日良麿)が66本の矛(当時の国の数)を立てて牛頭天王を祀ったことが伝統となる。昔は祇園御霊会と呼ばれていた。

一ヶ月の間に様々な行事が執り行われ、それぞれが有機的に進行し、おそらくすべての行事を見ようとするのは無理だろう。ウィキペデイァには以下のようにその日程が書かれている。しかし、実際にはもっと細かい神事や儀式がほぼ毎日のようにおこなわれていく。

  • 7月1日 – 吉符入(きっぷいり)。祭りの始まり。
  • 7月2日 – くじ取り式。
  • 7月7日 – 綾傘鉾稚児社参。
  • 7月10日 – お迎え提灯。
  • 7月10日 – 神輿洗い。
  • 7月10日から13日まで -山建て鉾建て。分解収納されていた山・鉾を組み上げ、懸装を施す。
  • 7月13日 – 長刀鉾稚児社参(午前)。
  • 7月13日 – 久世駒形稚児社参(午後)。
  • 7月14日 – 宵々々山。
  • 7月15日 – 宵々山。
  • 7月16日 – 宵山。14~16日をまとめて「宵山」と総称することもある。
  • 7月16日 – 宵宮神賑奉納神事。
  • 7月17日 – 山鉾巡行。
  • 7月17日 – 神幸祭(神輿渡御)。
  • 7月24日 – 花傘巡行。元々、この日に行われてた後祭の代わりに始められたもの。
  • 7月24日 – 還幸祭(神輿渡御)。
  • 7月28日 – 神輿洗い。
  • 7月31日 – 疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしまつり)。祭りの終わり。

これだけ見ただけでも驚いてしまうが、調べれば調べるほどいろんな細かい行事が現れ、とても網羅はできないような気がする。それだけ細かいのは安土桃山時代から江戸時代にかけて京都では町組(ちょうぐみ)が整備され、山鉾町と寄町が定まり、それぞれの町が鉾や山を出すようになったからだ。それぞれの町がそれぞれの山鉾のために儀式を行う。山鉾は応仁の乱以前には58基あったそうだ。現在は35基あり、今年は3基が休んだため32基が山鉾巡行に登場した。

以下は宵山での山鉾の様子。

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