7月

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夢についての夢

もう10年以上も前にこんなことを
どこかに書いた。

人は手を自由に使うことで
外界に変化を与えるようになった。

これは確か霊長類を研究している
誰かの本で読んだことだと思う。
それに僕はこんなことを書き加えた。

言葉も、外界を変化させるために
生み出されたものだと思う。

最近読んだユングの
「変容の象徴」に
ボールドウィンの引用があり、
こう書かれていた。

つまり言語は、精神的な意味を発達
させ保存するための具体的で事実に
即した歴史的な道具である。言語は
社会の判断と個人の判断が一致する
ということのすぐれた証言であり、
証明である。妥当であると判断され
た、共通の法則に従う意味は、言語
化されて、社会的に一般化されたも
のとしての「社会的」に意味になる。

これを読んで僕の空想が飛躍する。
夢についての夢を見た。
つまり、夢とは、
外界を変化させることの
できなかった生物が、
自身の心の中で納得するために
生まれた、
出来事を合理化させるための
手段だったのではないかと。

動物に心があるのかないのか
よく議論されたが、
人間の心と同じ「心」は
ないかもしれないが、
心の前駆段階のようなものは
あるだろう。
それは、その生命が置かれた
さまざまな状況を受け入れるために
生み出される思いであり、
人間にとっての夢のようなもの
なのではないかと感じた。

夢は理屈の通った状況を
生み出さない。
なんでこんなことを思うのか
理解不能なものが多い。
それは言語を持つ以前の思考
だったのではないかと思うのだ。
丁寧に説明すると長くなるので
これでやめるが、そう思って、
なんとなくうれしくなったので
ここに書いた。

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