2月

28

全体観を持つ

インターネットというメディアのおかげかもしれませんが、立場が違うと見えるものやことが違うということに多くの人が気づいてきています。
父は「敗者の文学」というのを追求していました。
負けた者から見た世界は、勝った者から見た世界とは違うということを小説の中に織り込んでいきました。
多くの人がそれに気づくことで、正しいとか間違っているとか、そういうことの基準が揺らいでいるように感じます。
その基準が動くことで、さらに多くの人たちが心地よく生きていけるようになればいいと思います。
でも実際にはそのゆらぎがいいことにも悪いことにも作用しているようです。
きちんと区別して行動していきたいものです。
たとえば、個人が感じる歴史と、国が解釈するであろう歴史とは異なり、どちらが正しいかというのは一概には決められません。
だからときどき、自分という枠を離れて、国や地球という視点からものを見ることもいいですし、逆に微細な生物がもし外界を見たらどんなことを思うのかということを空想するのも意味のないことではないでしょう。
そういう解釈を積み上げていったとき、いったい何が現れてくるのか。
それが僕たちの未来を思わぬ方向に導くような気がします。

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