8月

30

複雑なこと

善意でしてあげたことでも、相手は「押し付けられた」と思うかもしれない。
意地悪でしたことを相手は「うれしい」と思うかもしれない。
たまたましてあげたことを相手は「鬱陶しい」と思うかもしれないし、「うれしい」と思うかもしれない。
一対一ならこういうことはまだ理解できる。
しかし、多人数対多人数のやりとりは複雑すぎて話にならない。
あるグルーブが別のグループに何かをしてあげる。
1グループの人によっては善意だったり、悪意だったり、「面倒だからしなくてもいい」と思っていたりもするのだろうが、そのグループの代表のような人が「善意だ」と宣言すると、それは善意でやったことになる。
一方で、何かをしてもらった2グループには1グループからしてもらったことを「ありがとう」と思う人がいれば、「嫌みだ」と思う人もいて、「面倒なことをするな」と思う人もいるが、2グループの代表が「ありがとう」と言えば、それが2グループの代表的な意見となる。
しかし、互いのグループの中にはいろんな思いの人がいて、代表が変わるとそのグループの思いも変わったかのような状態になる。
ここいらのゴタゴタを人間はあまり丁寧に考えない。
「グループの意見」とか「かつてからの認識」とか言って、いくつもある解釈のひとつだけを強調して取り出すから複雑度が増す。
複雑なことをそのまま取り上げることはできないのかな?
いまのところ難しそうだ。
もし可能になったら?
楽しいかもって思えるかな?
能率ばかりで考えるとそんなことはできないと思うけど、好きな人たちと意見交換がたくさんできると思えれば、楽しいかも。
「1グループのAさんはこういう意見、Bさんはこういう意見、Cさんはこういう意見。2グループのxさんはこういう意見、yさんはこういう意見、zさんはこういう意見」
こういうのを全部言い合い、聞き取ったら、みんなが「なるほどそういう考え方もあるのか」となるのでは?
それで、最善の策はどんなものかをみんなで考える。
時間がかかるので能率的ではないけどね。
みんながそのやりとりを楽しいと思えたら、いいのでは?

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