12月

24

多次元に生きる

臼田夜半さんとお話しをしたとき、地湧社の社長だった増田圭一郎さんが同席していた。
何かの話がきっかけで、増田さんが片桐ユズルさんの話をした。
オルダス・ハクスリーの翻訳をしたかただという。
調べると何冊かのハクスリーの著作とアレクサンダー・テクニークに関する本の翻訳をなさっている。
そのなかから『多次元に生きる』を読んだ。
とてもいい本だ。
特に「両生類の教育」という章に興味を持った。
僕たちは言語の世界と非言語の世界の両方に生きている。
その二つの世界に同時に生きているから両生類。
そこにこんなことが書かれていた。

ほんとうの『道』に好悪はない。愛憎から離れてはじめて道の本来の姿が見えて来る。好きなものを嫌いなものに対立させること、それこそ心の病いである。

神を何か特別なものと思ったり、神を何かよりも貴いと思ったりしているうちは、そのひとは未開の地に住む野蛮人であり、子供であるのだ。その人にとって神がすべてと同じになってはじめて一人前になったといえるのだ。

気持ちいいものばかりを抽出していると、どうしてもときどき気持ちよくないものに直面する。
気持ちいいものと一緒にいるとき、実は気持ちよくないものとも一緒であることがよくわかる。
気持ちいいものを感じるとき、気持ちよくないものも一緒に居させてあげる。
今日はクリスマスイブ。
クリスマスキャロルを思い出すと悲しい感じがする。
もちろん楽しいものだという側面もあるのです。
でも悲しくも感じる。
言語の世界ではどちらか片方だけを取り上げますが、非言語の世界には両方存在するのです。
愛する家族ほど、実は憎たらしかったりするのです。
それを表現してもいいし、表現しなくてもいい。
僕たちは両生類だから。

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