1月

31

実感の言葉

普通は「実感のこもった言葉」というだろうけど、「実感の言葉」という概念を考えてみた。
「レッテルの言葉」と対になる。
たとえば僕はパソコンの中身についてよく知らない。
するとパソコンの中身についての会話にはついていけないが、うわべの話ならできる。
一方で、パソコンの開発技術者が「クロック数を上げることができました」というとき、きっとそこにはそれまでの苦労だとか、技術的難点とか、いろんな思いが言葉に込められているだろう。
そういうときに「実感の言葉」ということにする。
一方で僕がするだろううわべの話は「レッテルの言葉」ということにする。
明確な線引きは難しいが、言葉にはこんな違いがあるのではないかと思う。
先日父親を亡くした知人と話した。
彼は父親が生きている頃はよく父親に対しての文句を言っていた。
そんなとき、彼に「父親は僕のことを愛していた」といわせても、きっとレッテルの言葉にしかならなかっただろう。
ところが父親が亡くなったあとで話を聞いたとき、ふと彼はこう洩らした。
「親父は僕のこときっと愛していたんだと思う」
そういって涙した。
これこそ実感の言葉だなと思った。

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