4月

27

あきらめる

「あきらめる」というと、普通には「諦める」ことをいうが、理由をあきらかにする「明らめる」という言葉があり、同時に心を明るくするという意味での「明らめる」という言葉もあった。
つまり、「諦める」ためには「明らめる」ことが必要だということ。
「諦める」というと何かよくないことを表現しているように感じるが、本当はもっと奥深い意味を持っていたのかもしれない。
日本語ではそのことを昔から伝えてきたのだろう。
すべてを知り尽くす、つまり「明らめる」ことで自然と「諦める」境地になる。
前にジャイナ教の「ケーバラ・ジュニャーナ」について書いた。
それを知ることで「人間の知りようのない智慧」について考えた。
そこを通って僕は「諦める」。
でも、伝えるべきことはたくさんできた。
アフター・コロナでは多くの人がこの境地に達するのだろう。
言葉の不思議さを思う。

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