11月

9

デカメロンを読む

3月頃から読み始めた『デカメロン』を読み終えた。
河出文庫、平川祐弘(祐は旧字)氏の翻訳。
『デカメロン』は『十日物語』と訳されることがある。
「デカ」が「10」で、「メロン」が「日」を表す。
「でかいメロン」を思い浮かべて、ちょっとエッチな想像をする僕は大はずれだ。
内容は、ペストの流行で10名の男女がフィレンツェから逃れ、郊外に滞在する。
その10日間の滞在中、皆が面白い話をして過ごそうと提案され、10人が毎日一話ずつ語り、それが十日間で100話の物語が披露される。
『デカメロン』はその様を描いたものだ。
参加した10名の人間関係は簡単に紹介されるだけでほとんど触れられない。
内容の中心は100話の物語。
毎日その日の王、または女王が決められ、その人がその日一日語り合う話のテーマを決め、誰が次に語るのかも指定できる。
舞台となった1348年はペストが最も流行った年であり、フィレンツェの人口は九万人が、三万人にまで減少した。
出だしにはその黒死病ともペストとも呼ばれる病気の症状が説明されギョッとするが、そこから先はフィッレンツェでの悲惨な状況を忘れようとする人々が、笑えたり、驚いたりするような話を繰り返していく。
『デカメロン』は艶笑話だと言われている。
確かに性的な話もいくつかあるが、そればかりではない。
感想はというと、とても難しい。
100話にそれぞれ感想があるので、いろんなことを考え、感じた。
平川祐弘氏はこの文庫にとても丁寧な解説をつけている。
上・中・下巻それぞれについていて、それらを読むのも楽しかった。
まとめると一冊の本になるほどの分量だ。
それで知ったのだが、ボッカッチョ(僕が学生の頃はボッカチオと呼ばれていた)はダンテ作『神曲』の研究者で、その優れた文学性を称揚しつつ、一方で批判としてこの『デカメロン』を書いたという。
そう言われてなるほどと思うのは、『デカメロン』では善悪がとても不安定なものとして書かれている。
たとえば、夫が仕事に熱心で、あまり相手をしてもらえない夫人が、若い男と浮気をするような話があるが、読み進めて行くと、夫人に寂しい思いをさせた夫の方が悪者となり、懲らしめられてしまったりする。
当時のカトリック的善悪判断からすればとんでもないことだと批判されただろう。
そういうことをボッカッチョはあえて書くことで、カトリックによる窮屈な社会に対して一矢報いたのだという。
だから、カトリック的な価値観を持つ人々には「馬鹿げたエロ話」的な扱いを受けた。
しかし、その内容の奥の深さは、700年近く読み継がれていることで明らかだ。
カトリック的善悪より、そこに生きている人の感情が大切だと訴えているようにも感じたが、必ずしもそのような話ばかりではないところが、いいところだろう。
『神曲』も、いつか読もう。
コロナ禍で窮屈な現在と、少し被る部分を感じる。

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