8月

7

奇跡的なことを信じてみる

奇跡的な話というものを信じないように教え込まれている気がする。
「そうそう都合のいいことは起きない」と思い込まされている。
その思いがあるおかげで詐欺には引っかからない。
一方で、本当の奇跡に接したとき、そのことを素直に喜べなくなる。
よく話を聞いた上で、実際に体験することで、奇跡というものを信じると、何かとてもさっぱりとする。
例えば、清田益章さんに目の前でスプーンの柄を曲げて、ついにはポッキリと折ってもらったことがある。
疑いの目が見ているとモヤモヤするが「そういうものだ」と信じるとすっきりする。
自分の身の回りで起きることも同じ。
「そんなの信じられないよ」と思っている間はモヤモヤするが「そういうものか」と信じるとさっぱりとする。

8月

7

仮説を立てる

言葉が存在するおかげで、仮説を立てることができるようになりました。
もし言葉がないと、仮説は立てられません。
「本当か?」と思う方は、言葉なしで仮説を立ててみてください。
言葉がないと「仮説」という概念すら持ち得ません。
言葉と共に生きることができてよかったと思う。

8月

4

一澤だより

「一澤だより」が届いた。
一澤信三郎帆布のDMだ。
ここのカバンが大好きで、No.03664にその話を書いた。
そのカバン屋さんから創立115年を記念して「一澤だより」というDMが届いた。
「いいごえん(創立115年)」ということで、はじめて作るDMだそうだ。
手作り感満載の12ページ。
信三郎さんはどの写真も登場するのは後ろ姿だけ。
余程照れ臭いのだろうか。
届けてもらって嬉しいDMというのは珍しい。

8月

3

矛盾を受け入れる

毎日のように気持ちいいものを書いていると、自分の中で矛盾していることに気がつく。
そういうとき、かつては外界との関係を考えて正しいと思われるほうを選んでいた。
あるときから矛盾をしばらくそのままにするようにした。
すると居心地が悪かった。
今もときどき居心地が悪いことがある。
でも、それをそのままにしておく。
すると、個性化の扉が見えてきた。
その先はなんだろう?

8月

2

いま僕たちがしていること

いま僕たちは何をしているのだろう?
ただ漫然と生きているわけではない。
自分の視点からだけで見ると、生きていくのに必死なだけだ。
だけど、人類という視点からみると何が見えるのか。
人類はいろんなことをしているから、ひとことなんかでは括れない。
でもあえてざっくりと括ってみる。
人類は心地よい状態を探し求めているのだと思う。
これは個人が「心地よい状態を探し求めている」というのもある。
そして、地域や国も全体としてそれをしているだろう。
結果として人類全体も「心地よい状態を探し求めている」と言ってもいいのではないか。
人によっては「心地よい状態を探し求める」ために他人を踏みつけてもいいと考えている人もいるかもしれない。
でも、その人も「心地よい状態」を得るために「他人を踏みつけなくてもいい」となったら、踏みつけないだろう。
人類は全体として「心地よい状態」を作り上げるためにいろんなことをしている。
ある人は農作物を作り、ある人は魚を捕まえ、ある人はゴミを処理し、ある人は調理をし、ある人はものを考え、ある人は商売をし、ある人は発明をし、ある人は金融に携わり、ある人は国防に関わり、ある人は政治をし、ある人は・・・と、数えきれないような仕事をすることを通して、まずは自分を心地よくし、それを通して人類全体が心地よい状態に向かうように頑張っていると、僕は思う。
人によっては「絶対にそんなことしていない」という人もいるだろう。
それはそれでいい。
ざっくりと括ったのだから。
そして「そうでなければならない」というつもりはない。
「そうなんだろうな」と僕が思っていること。

8月

2

暗黙知の言語化

なんとなくわかってはいるけど、うまく言葉にできないことがある。
例えば、「家」という概念がなかった頃の人間がここにいたとしよう。
現在の家ほど立派なものではないが、動物の「巣」とは何かが違う場所に住んでいる。
「巣」にはたいてい屋根がない。
「屋根を付けた巣」だと表現してみる。
しかし、それもしっくりこない。
「巣」とは何が違うのか考えてみる。
そうだ、「巣」では何世代も同じところに住まないが、僕たちの住む場所は何世代も受け継ぐものだ。
だから「世代を超えた巣」とか言ってみる。
御先祖様がそこにいたし、きっと今もいるかもしれない。
そういう守るべき場所だ。
「屋根を付けた世代を超えた巣」という言葉は不便だ。
「寿限無寿限無」の落語のようになってしまう。
そこでは一緒に住んでいるものみんなが安寧に暮らせるように祈っている。
白川静先生の説によれば、その祈りのために犠牲を捧げ、それを表現したものが「家」という文字になった。
こんなふうにして、自然界に存在しなかった「家」という概念が生まれてきた。
似たようなことを人間は連綿と続け、いろんな概念と言葉を生み出してきた。
みんながなんとなくわかっていることをこうして言語化してきた。
これからも新しい言葉が生まれ続ける。