1月

31

苺とシャンパン

映画「プリティ・ウーマン」に苺を食べながらシャンパンを飲むシーンがある。
はじめてその映画を見たときに「そりゃうまいだろうな」と思い、ときどき真似する。
文句なくうまい。

1月

30

冬の冷え切った青い空

風が吹くと震え上がる、
厚着をしないと凍えてしまう、
そういう冬の冷え切った青い空の下、
手袋をして歩いて行こう。
人出の少ない砂浜や、
いまでは小さくなった畑の道を、
てくてくてくてく。
最後にコークスの焚かれたストーブのある、
木造のうちでコーヒーをすすろう。
それだけでひとは、幸せになれる。

1月

29

前大統領府

アメリカではトランプが「前大統領府」をフロリダのパームビーチに設立したそうだ。
まだ何をするのかは明確ではないが、大統領の時のホワイトハウスのスタッフが集まっているという。
大統領の時に約束したことを実現するそうだ。
あまりにも面白い話なので、笑ってしまった。
この話はフェイクではない。
ACU(The American Conservative Union Foundation)の日本支部的な一般社団法人JCUが発表している。

1月

29

混合ワクチンの思い出

二種混合ワクチンか、三種混合ワクチンかは定かではないが、僕が幼い頃、母が混合ワクチンの接種を拒否してくれた。
後日、厚生省がそのワクチンの使用を中止した。
脳症などの副反応が報告されたからだ。
そのニュースが流れたとき、どのように僕への接種を拒否したかを話してくれた。
拒否などできる状態ではなかったそうだが、母は頑として拒否してくれた。
接種会場で半日、僕を抱えて立たされたとか。
その話を思い出すと、ありがたかったと泣ける。

1月

27

一人用土鍋

一人用の土鍋に、適当に具材を入れて煮る。
変な組み合わせにさえしなければ、たいていおいしくなる。
食べたあとは土鍋と取り皿と箸を洗うだけでいい。
食事に手間をかけたくないときにはありがたい。

1月

26

菌との共生

僕たちの体にはたくさんの菌が共生している。
皮膚にも腸にもたくさんいて、体中いないところはないのではないか?
それぞれの部位でいろんな働きをしてくれているようだが、それらの詳細を僕はあまり知らない。
菌の種類がたくさんあるからだ。
見方によれば人の体は菌に支えられている。
そのことを前提にしなければならない。
ところが最近新型コロナウィルスのおかげで、ありとあらゆる菌を絶滅させてしまいそうだ。
菌の一部である細菌は、ウィルスとはまた違うものであるけど、ウィルスを消毒することで死滅する。
ウィルスも菌も、宿る生体がないと困るので、元はどんなに凶悪でも、しばらくすると悪さをあまりしなくなっていく。
それは宿られる生体が免疫を身に付けるのと同時に、菌も自分が生きていくために遠慮するからだ。
だから、どんな凶悪な菌も、いつか凶悪さを手放していく。
そうしないと自分が生き延びられないから。
宿主がいなくなったら困るのは菌やウィルスだ。
新型コロナウィルスもしばらくしたら凶悪さを手放していくはず。
それよりも、急ごしらえのワクチンの方が僕は怖い。

1月

25

夢の見方

少し前に、夢の見方を体得した。
夢は勝手に見てしまう。
なぜそんな夢を見るのかわからないことが多い。
夢を見たら非二元的にとらえる。
すると夢の意味が浮上する。
いくつもの意味が絡まっていることが多い。
丁寧に分解したり、一体のまま解釈したり、あれこれすると、思わぬ意味が浮かび上がる。

1月

25

矛盾だらけの話

自分には矛盾がある。
話す相手によって違うことを言うことがある。
それはある程度仕方ないことだと思っている。
相手のことを思ってそう言って上げるのであれば、それは仕方ないことと言えるだろう。
では、自分の都合を優先するために話を変えることはどうだろうか?
自分の都合というのが具体的にどういうものかによって変わるだろう。
たとえば、こんなふうに考えることができる。
視点が自分の内側にあるか、外側にあるかで、判断が変わる。
常識では多くの場合、視点は自分の内側にあるものだ。
だけど政治家のような人間は、社会の視点という自分の外側に視点を持って行かざるを得ないことがある。
そういうとき、狡猾な人は外と内を混同して、話を曖昧にしてしまうことがある。
どういうときに内側に置き、どういうときに外側に置くべきかは、きっと「共感」という、いまの僕たちには少し曖昧な判断基準によって決められる。
それを厳格にできるものなのか、いまの僕にはよくわからない。
それはただ、各個人の心によるものと考える人が多数派だろう。

1月

23

何をしているのか

「日刊 気持ちいいもの」を書き続けることでいったい僕は何をしているのか?
その理由をかつて書いた。
だけど、新しい理由をもうひとつ見つけた。
僕は誰かを説得しようとは思わない。
ただ自分が感じたことを表現したいだけだ。
誰も共感してくれなくてもいい、誰も賛同してくれなくてもいい。
僕が感じたことは僕だけのものだ。
たまたま同じことを感じる人はいるかもしれない。
たまたま共感する人はいるかもしれない。
それでいい。
誰かを無理矢理説得して、自分と同じ方向を向かせ、自分と同じ考えを持たせることはない。
あなたはあなたのままで、僕の文章を、読みたいときだけ読めばいい。
多様な世界はそこから始まる。
そういうことが感じられる文章とはどんなものか?
それを見つけてみたかった。

1月

22

ホットサンドプレート

ホットサンドプレートを入手した。
パンにはバターを塗って、その上にトマトやキュウリやゆで卵の輪切り、ツナ缶とタマネギみじん切りをマヨネーズで和えたもの、スライスチーズなどをはさんで焼く。
中火で片面二分。
両面焼いて四分。
ホットサンドのできあがり。
ほかにもいろんな具材でホットサンドを作ろうと妄想中。
バターとあずきと薄く切ったお餅のホットサンド、フルーツホットサンド、焼きそばホットサンド、ナシチャンプルーホットサンド、厚切りハムホットサンド、オイルサーディンホットサンド、ブルーチーズとハチミツのホットサンド、エビ天ホットサンド、アボカドホットサンド、サルサソースホットサンド、チョコバナナホットサンド、野菜とソーセージのホットサンド、、、
キリがないのでやめる。

1月

22

気持ちいい状態

毎日、ここに文章を書くときには、気持ちいい状態になる。
もう4374回もやって来たわけだから、はじめの1000回程度の頃よりずっと楽にできるようになった。
だけど、このところなかなか難しい状態が続いている。
なぜなのかの理由はわかるが、それを解消するための探求は続く。

1月

20

幕引き

アメリカの大統領選は、今日の大統領就任式で一応の決着が付く。
トランプもメラニア夫人も最後の演説をホワイトハウスでおこなった。
いい演説だった。
だけど、たくさんの謎が残った。
解決すべき問題も浮上した。
それらはいったいどうなっていくのだろう?

1月

15

干し芋

干し芋が好きでときどき買う。
作り方によっていろんな固さの干し芋がある。
一度自分で作ってみようかと思うけど、都会の真ん中ではどうかな?
空気の綺麗なところで作りたい。

1月

15

ひねくれ者

相方によく、「あなたはひねくれ者だ」と言われる。
なぜかというと、いろんな可能性を考えるから。
みんなが「これが真実だ」と言っている最中に「本当か?」と言う。
ある出来事のいろんな側面を見てみたいと思う。

1月

13

トランプ大統領のスピーチ

今朝、日本時間の五時頃、トランプ大統領のスピーチがYouTubeで流された。
とても静かな演説だった。
静かに世界が変化していく。
もうそれは止められない。

1月

12

大統領選の行方

アメリカの大統領選の行方が気になって仕方ない。
マスメディアではトランプが負けて、あとは大統領の座を譲れば終わりかのように伝えているが、米国の知り合いや一部のネットメディアの内容からすると、トランプはまだあきらめてはいない。
マスメディアではそのことが混乱の原因と伝えているが、米国民の多くはトランプが正しいことをしようとしていると思っている。
話は複雑なのでここでは説明しないが、どちらが勝っても混乱が始まるのはどうしようもなさそうだ。
日本にも影響が来るだろう。
世界の正直化の一歩であり、この混乱を越えて多くの人が幸せになれる社会に脱皮するよう祈る。

1月

8

初茶漬け

普段は永谷園のお茶漬けなんかを食べているが、鰹節とさば節があったので、それぞれの出汁を取って合わせ出汁にして、それでお茶漬けを作る。
合わせ出汁にワカメを入れて温める。
ご飯の上に、出汁を取ったあとの鰹節とさば節を甘辛く煮詰めて作った自家製のふりかけをかけ、じゃこ山椒をぱらり。
そこにわそびをちょっと足して合わせ出汁をかける。
味の調節のためにお醤油と、酒盗を用意。
下手な高級料理よりうまい。

1月

8

令和三年の初詣

初詣に明治神宮に行ってきた。
普段の年と比べると、人がほとんどいない。
昇殿参拝の儀式も、かなり略されていた。
新型コロナウィルスの流行によって。
アメリカでは大統領選が大詰めを迎える。
トランプ陣営の主張を多くのアメリカ人は信じている。
にも関わらずマスメディアにはその詳細がほとんど出て来ない。
テレビのニュースではトランプ大統領は民主主義を破壊したというアナウンサーもいた。
不正選挙をされたにも関わらずこう言われる。
面白い。
いい年になりますように。

1月

3

思い込みを手放す

初夢の話を書こうとして、書き切れなかった。
なぜ書けないかというと、自分の思い込みが手放せないから。
思い込みを手放すと話はとても簡単。
人は幸せに生きていける。
それを考えていくと、欲というものがとても巧妙にできていることがよくわかる。

1月

2

令和三年の初夢

初夢を見た。
ずっと以前から言いたかったことがやっと腑に落ちて、言えるようになった気がする。
初夢自体はどんなものだったのか覚えてないのだが、目が覚めて「そうか」と思った。
途中まで書いたが、とても長い話なので、僕のBlog「水のきらめき」に書きます。
今日中にアップできるかな?
こんな夢が見られたのは、年賀状のデザインをこんなものにしたからかな。

1月

2

新年明けましておめでとうございます

節目を付けるというのはいいこと。
日本はそのおかげで繁栄しているのだと思う。
混沌の中に節目を。
今年はそれがさらに求められるのだろうと思う。
内にも、外にも。