2月

28

黒い瞳、再び

渡辺貞夫の「黒い瞳」が流れてきた。
何度聞いてもうるっとする。
きっとこの『日刊 気持ちいいもの』にももう書いただろうなと思って調べてみる。
2002年6月14日に書いていた。
以下のようなものだった。

—–

黒い瞳
    
渡辺貞夫の曲に『黒い瞳』がある。
シンプルな詩、シンプルなメロディーを
中学生のコーラスが歌う。
バックはブラジルのパーカッション・チームと
ナベサダの率いるジャズバンド。
うまいとかへたとか、そんな域を遙かに超えて
なぜか心が震えてしまう。
音楽で大事なのは技術だけではないことがよくわかる。
ナベサダの問いかけに中学生たちが
全身全霊で答えている。

—-

これを読んでおやっ?と思う。
あの歌は中学生の声なのか?
すっかり忘れている。
調べると、栃木の中学生だということがわかった。
録音されたのは1997年頃、20年以上前だ。
あの歌を歌っていた中学生はもうアラフォーだ。
あの歌を歌うということが、どういう体験だったのか、聞いてみたい。

2月

27

コーヒードリップケトル

ずっとコーヒーをドリップするのに電気湯沸かし器からお湯を落としていた。
電気湯沸かし器に「コーヒードリップモード」というのがあり、そのスイッチをセットすると、お湯がゆっくりと出てきたのだ。
それでなにも不自由ないので、それでコーヒーを淹れていたが、実はコーヒードリップケトルが気になっていた。
コーヒードリップケトルはコーヒードリップのために作られた小振りのヤカン。
注ぎ口が細長くて、あそこを通るときにきっとお湯の温度が丁度良くなるのだろう。
欲しいなぁと思いながら、そこまでコーヒーの味にこだわるか?と思い、買わないでいた。
すると天に願いが聞き入れられたのか、神の配剤か、もらうことになった。
さっそく説明書にあるように洗って、二度ほど水を入れては沸騰させて、ついにはミネラルウォーターを使ってお湯を沸かし、コーヒーをドリップしてみた。
江古田珈琲焙煎所の御主人の真似をして、細かく砕いたコーヒー豆をドリッパーにセットしたらその真ん中にまずはチロッとお湯を落とす。
大地に雨がしみ込むように、コーヒー豆にお湯が浸透した頃、次のチロロッを落とす。
コーヒー豆の大地の真ん中に、泡のドームが小さくできる。
ムフフ。
チロロッ、チロロロッ、チロロロロッと、少しずつ落とすお湯の量を増やしながら、泡のドームを次第に大きくして、ついにはコーヒー豆全体から旨味を引き出す。
できたコーヒーを飲む。
う、うまい。
いままでと物理的にはたいした違いはないはずだ。
気のせいだろうか?
いや、違うと思う。

2月

26

非物質化

いろんなものがデータだけでできてしまう。
たとえば本。
電子ブックはもう存在する。
同じようにいろんなものが、サービスが、これから非物質化されていく。
非物質化されたものは不足することがない。
というか、自由にコピーできれば過剰になる。
不足のない世界が一部実現している。

2月

25

二つの理屈

二つの理屈が同時に成り立たないとき、たいていどちらかが正しいことにするために、他方を傷つける。
どちらかが優位に立つように仕向ける。
そういうことはせず、ふたつの理屈を両方受け入れましょう。
放っておくだけでもいい。
どちらもいつか役に立つ。

2月

24

流されるwikipedia

ネット上の百科事典、Wikipedia。
よくお世話になっている。
この辞書の特徴は、流されていくことだ。
かつてこんな説明があったと思っていても、その説明が削除されていたり、簡潔な説明があったとしても、いつの間にか長い説明になっていたりする。
ある観点からすればいいことだが、別の観点からすれば面倒な辞典だ。
この世界が相対的なものであることを、じわりと感じさせてくれる。

2月

23

古本の整理

古い本を売ろうと思う。
そのための整理をする。
どの本にも何時間かは一緒に過ごした思い出がある。
たいてい「この本を読んだときにはこんなことがあった」というのを覚えている。
しかし、細かい内容までは覚えていない。
にも関わらず何か文章を書いているとき、「あの本のあのあたりを読んでみようかな」とか思う。
するとそこに参考になることとか、書きたいことの例になるような話が書いてあったりする。
それははっきりと覚えているわけではない。
匂いのように立ちのぼってくるもの。

2月

23

ときどき引くポエタロ

5年ほど前にポエタロというカードを入手した。
覚和歌子さんの詩でできたオラクルカード。
5年前にはだいたいいくつかのカードが決まって出てきたので、よく同じカードばかりが出てくるなと思っていた。
ところが最近、出てくるカードの傾向が変わってきた。
よく出てくるカードの傾向は「自分がやるべきことをやれ」とか「自分の拠って立つところを大事にしろ」というカード。
5年前とは何かが変わったとポエタロで知る。

2月

21

TR-606

大学生の頃、ローランドのTR-606というリズムマシンで音楽を作っていた。
簡単な作りのリズムマシンだったけど、音は特徴的で良かった。
いまでもときどき、これはTR-606かな?と思う音に出会う。
最近ではローランドが、デスクトップミュージック用にPCに入れられるソフトを開発したが、至れり尽くせりで、かつてのシンプルさはない。
便利と言えば便利だが、かつてのシンプルなものでも結構苦労したので、いまの機能ではきっと音を選ぶだけで時間がかかりそうだ。
それが楽しいといえば楽しいが、思い出に浸りたい僕としては「前の方が良かった」と言いたくなる。
感覚が年寄りじみたな。w

2月

20

吉祥寺

吉祥寺の地図を見ると、いろんな思い出があふれてきた。
ここでこんなことがあった、あそこにあの人が住んでいた、ここで買い物したなどということ。
それで不思議に思う。
普段よく行く場所ではそんなふうにはならない、
たとえば、池袋の地図を見ても、たくさんの思い出があふれてくるとは思えない。
なぜ吉祥寺ではそんなことが起きるのか?
滅多に行かないからかな。
行くときはそれぞれに鮮明な理由があり、思い出が残るからかな。

2月

20

すべては相対的かもしれない

自分が立っている場所によって見えるものが違う。
それを深く了承していくと、絶対的なものがないように思えてくる。
だけど、それが本当かどうかはよくわからない。
「絶対的」という言葉の意味もぐらついてくる。

2月

18

はっきりと言われること

理工学部を出て、基礎的な科学的訓練を受けていると、ときどき奇妙に感じるニュースに出会うことがある。
最近では新型コロナの話だ。
全く新しいワクチンが一年で導入される。
mRNAワクチンという奴だ。
そんなことがあるのか?と思ってしまう。
前にも書いたことがあるが、かつて毒物研究をしている博士の本を編集したことがある。
そこでその先生が、「どんどんと毒物研究に費やす時間が短くなり、あまりにも短くなってしまったので有効な研究ができなくなってしまった」と言っていた。
短くなっても三年から五年だった。
五年でも催奇形性の研究は充分にはできない。
今回のワクチンはたったの一年だ。
ときどき「In Deep」というBlogを覗く。
そこの記事に衝撃的なことが書いてあった。
脊椎外科医であり、米国外科医協会の前会長であるDr Lee Merritは、現在配布されているコロナウィルスワクチンは「人々に対して配備されている危険な生物兵器であると確信している」というのだ。
詳しくはDuckDuckGoなどで検索して欲しい。
Dr Lee Merritはアメリカのネットメディアで何カ所かインタビューを受けている。
こんなにはっきり言われると、なんか安心する。

2月

17

不協和

共鳴は、微妙にずれている周波数の間では起きにくい。
全く同じか、倍数になっているときによく起きる。
つまり、180Hzと181Hzでは共鳴しないが、180Hzと360Hzだと共鳴が起きる。
それって、家族でなかなか話が合わないことに似ているように思う。
あまりにも近いため、微妙なズレが共鳴を起こさない。
似たもの同士でも、ささいな違いがあるとき、それが問題になる。
些細な違いに拘泥するか、鷹揚にマルッと了解するか。

2月

17

共鳴

いろんなところ、思わぬところで共鳴が起きる。
鳴き龍の下で手を叩くと、龍の声が聞こえるのは共鳴だ。
チチェン・イツァーのピラミッドにある階段前で手を叩くと、そこでも共鳴が起きる。
共鳴は音だけではない。
色が見えるのも、光の共鳴の結果と言えなくもない。
きっとあらゆる物質が共鳴でできている。
電子が陽子や中性子のまわりを包んでいるとき、そこにはきっと共鳴と似た現象が起きているはず。
だから、電子と陽子や中性子の間がとても離れているのに、そこに隙間を感じることはない。
複雑な共鳴の折り重なりの中で、僕たちは生きている。

2月

15

復興オリンピック

復興オリンピックという名前で2020東京オリンピックの準備は始まった。
当初は311の復興かのように思えたが、どんどん予算が膨らみ、「復興」の言葉は言われなくなった。
ところで、1940年、中止になった東京オリンピック。
当時はこれを機に、オリンピックのことを五輪と呼ぶようになった、
アジアで初、有色人種国家でも初のオリンピックは、日中戦争や当時の世界情勢のために中止となった。
その後、日独伊三国同盟と連合国がぶつかった。
結果として三国同盟は負けた。
2013年、2020東京五輪が決まったとき、なんとなく、このオリンピックも中止になるのではないかと思った。
なぜそう思ったのかは明確ではない。
当時はただ、「歴史が繰り返される」のではないかと思っただけだ。
最近、なぜそう思ったのかがうっすらと理解できるようになってきた。
それは、価値観の変更に関係があるなと。
三国同盟と連合国の対立と当時は見ていたが、戦争が終わってはっきりとなくなったのは帝国主義だった。
大国が小さな国を併合し、従えていく。
そんな帝国主義の流れが薄らいでいった。
しばらくは継続したが、植民地は次々と独立していった。
それと同じようなことが、今回のオリンピックを契機に起きてくるのではないか。
いまを生きている僕たちにははっきりとは見えない価値観が立ち上がり、古い価値観とすり替わっていく。
それがいったい何か、それを僕たちはいまうっすらと感じつつある。
心の復興となる、何ものかが。
それはNWOと呼ばれるものとは違う気がする。

2月

14

大きな地震

昨晩23時頃、大きな地震があった。
福島に比べれば東京の揺れはたいしたことはなかったけど、積んであった本が崩れてきた。
大地も生きているな。
そういえば、この「日刊 気持ちいいもの」を再開したのが2011年3月11日だった。
10年後の余震、大地からの挨拶。

2月

14

老人ごっこ

僕も相方ももうすぐ還暦という歳になってしまった。
そこでときどき老人ごっこをする。
同じ姿勢でじっとしているとからだが動きにくくなったりする。
そういうときに「おばあさんや、手が動かなくなったしまったよ」とかやる。
すると相方が「おじいさんや、もう歳なんだから、無理はしないようにね」とか言ってくれる。
そして二人で笑う。
この遊びのポイントは、もうすぐ「ごっこ」ではなくなるという点だ。

2月

14

オレンジピールチョコ

この季節になると毎年必ずオレンジピールチョコをもらう。
しかも手作りだ。
そのかたの話によると無農薬のオレンジを知り合いから手に入れることから始まるとのこと。
とてもありがたい。
とてもおいしい。

2月

14

ホットサンドの研究

No.04375にホットサンドプレートのことを書いたが、以来ときどきホットサンドを作っている。
説明書には中火で片面二分、両面で四分と書かれているが、それだとパンはこんがりと焼けるが、はさんだ具に熱がまわらず、スライスチーズが溶けないなど、不満が目に付くようになったので、焼き方の研究を始めた。
まず、弱火で片面三分、両面で六分焼くことにした。
火の加減が難しいが、これで具にも熱がまわるようになる。
しかし、繊細になればなるほど問題も気になる。
具によって熱のまわりが違うのだ。
ホットサンド研究の深みにズブズブ。

2月

10

ファ鍋

「土鍋で作るとおいしいね」と相方が言うので、「では次はレ鍋で作ろう」と言った。
不思議そうな顔をする相方に、続けて僕は言った。
「その次はミ鍋でさ」と言うと、相方は理解した。
「次は?」と問いかけると「ファ鍋ね」と、しょうがないから付き合って上げるわよという顔をする相方が好き。

2月

9

みんなが悟ったらどうなるか

特に何かが大きく変わるわけではない。
みんなが少し生きやすくなるだけだ。

2月

9

悟る瀬戸際

911、311、アメリカの不正選挙と、社会の様相が浮き彫りにされる事件が10年ごとに起きてくる。
おかげさまで人類は覚醒の瀬戸際にいるのではないか?
インターネットの発達によって情報に複雑性が加えられた。
仏教で言われていた真如がどこにあるのか、理解する人が増えただろう。
もうすぐ覚醒の連鎖が始まる。

2月

9

贈与論

贈与論の本がブームだという。
社会が収奪からできているからその正反対が持ち上げられるのだろう。
だけど立場が違うだけで、同じことが贈与に見えたり収奪に見えたりする。
弱肉強食は収奪だと思うかもしれないが、食物連鎖は贈与だという。
同じ現象の見方が違うだけなのに。

2月

6

パーティー

七年前に出版パーティーをした。
本の出版を記念してのパーティー。
いろんな方に協力していただき、50名ほどのパーティーができた。
そこで出会った人たちが、何かを始める。
いまだに「あの時出会った人と、こんなことしました」という報告が来る。
うれしいなぁ。

2月

5

2021年2月5日の夢

どこかの町を相方と歩いていると、道の真ん中で知らないおじさんがいろんなものを売っていた。
見たことのないような彫刻や、何に使うのかわからないような道具を、針金で作ったようなちゃちな棚に載せて売っていた。
「これはなんだ?」と覗いていると、相方が「ねぇねぇ」と呼ぶ。
「なーに?」と言って呼ぶ方に行くと、一人の元気な少女が何かしゃべっている。
「どうしたの?」と相方に聞くと、「この娘面白い」というので話を聞こうとすると、その少女と目が合った。
「パーティーしよう」
その娘の声にドキッとして目が覚めた。

2月

5

君あり、故に我あり

サティシュ・クマールの本を読んだ。
ジャイナ教のことや、非二元論、そして平和について書かれている。
この時期に読めてよかった。