3月

31

往還という言葉

ある日、「往還」という言葉を見かけた。
あまり見慣れない言葉だ。
調べると「道を行き来すること」とある。
または「行き来するための道」。
文章の前後関係から読み解くと「あの世とこの世を行ったり来たりすること」とか「ある意識から別の意識へ行ったり来たりすること」と読み取れる。
そういう意味でこの言葉を使うのか、と思っていたら、あちこちで似た意味で使われているのを見つける。
資本主義と次の社会、通常の意識と変性意識、コロナ前とコロナ後、あちこちで往還している。

3月

30

人生の選択を誤る

昨日 本を読んでいて「人生の選択を誤る」という言葉が気になった。
夜に夢を見た。
内容はよく覚えてないのだが、夢の途中で上着を脱いだ。
しばらくして目が覚めると、パジャマの上着を脱いでいて寒かった。
あわてて着たが、そのときもどんな夢を見たのか覚えていなかった。
だけど、何か夢の感触のようなものがあった。
朝起きて、夢の感触をたどると、ジープに取り付けた銃の台座と、荒くれ男たちを思い出す。
そして、人生の選択を誤るという言葉。
それで思い出した。
荒くれ男たちとジープに乗って銃をぶっ放しながらニューヨークかどこか、アメリカの都会を駆け巡っていた。
「人生の選択を誤る」ってこういうことだろと、夢が教えてくれたようだ。

3月

30

日本人の何か

十年ほど前、インドの聖者であるパイロットババジにインタビューしたとき、こんなことを言われた。
「ヒマラヤの教えを正しく受け取れる可能性が高いのは日本人だと思う。欧米人はあらゆる価値をお金に換算してしまう。日本人は尊いものがお金に換算できないことを知っているし、そのことを行動に示してくれる」
それがなぜかを知りたくなり、いろんな本を読んだ。
それはひと言ではうまくくくれない何かだと思うようになった。
それをあえて言語化すると「日本的霊性」ということになるんだろう。
鈴木大拙の著作にあるが、その広がりは一冊の本ではまとめきれない。

3月

28

ルッコラと小松菜のおひたし

相方がルッコラと小松菜のおひたしを作ってくれた。
ルッコラは生のまま、茹でた小松菜と和える。
そこに削り節をかけて、食べるときに醤油をチロッと落とす。
ビールを飲みながらポリポリと食べる。
ルッコラのピリッとした味と茹でた小松菜がよく合っておいしい。
母が作ってくれたほうれん草のおひたしを思い出す。

3月

28

花見の散歩

朝から出かけて近所の桜を見て回った。
まず、朝の光は桜を美しく見せてくれる。
薄明かりの頃には薄いピンクが少し濃い色に思える。
桜を見上げるようにして背景を空にすると、空の色がよりいっそう青く見える。
相方といろんな思い出話などしながら半日歩いた。

3月

26

朝日の陰翳

朝日が昇ってきた。
街が美しく見える
日が射す部分と影ができる部分。
両方の存在が美しさを際立たせる。

3月

25

もうすぐ悟る

世界は少しずつ良くなっている。
進化論的にいえばそうだろう。
宗教によっては、過去に理想的な世界があり、すこしずつ崩れて行きつつあると考えるものもある。
どちらが正しいかは、これから僕たちがどちらに向いていくか次第だ。
なので僕は、世界中の人がもうすぐ悟ると考える。
それはどういう世界か。
あらゆる人の大欲が満たされる世界。
大欲とは、仏教でいう菩薩や如来が持つような、すべての人が幸せになるためのビジョン。
その少し前では、価値観が錯綜し、混乱するだろう。
今がその状態だと思う。
ネットで「大欲」を調べると、「欲が深いこと。欲が深すぎると結局損をする」みたいな解釈がたくさん出てくるけど、その意味をリフレーミングしましょう。

3月

24

桜を撮る

まだ満開とは行かないが、かなり咲きそろってきたので写真を撮る。
ほぼ毎年の行為。
よく飽きないなと思う。
飽きてはいても、また撮ってしまう。
聖なる行為。

3月

23

大日経を読む

大日経の現代語訳を読んだ。
いままでにいろんなお経の現代語訳を読んできたが、きちんと理解しているものはほとんどない。
そもそも理解するというのはどういうことなのか、それすら謎になる。
わかったような、わからないことが、ずっと続く。
眠くもなる。
それを続けているとやっと理解できることが生まれてくる。
それはまさに、僕の内側に生まれる。
他人に説明しても詮無いことだ。
なるほどと唸る。
いろんなお経に苦労して、「あれは理解した、これは理解できない」とやり続けてきたおかげだ。

3月

23

感情の種

「日刊 気持ちいいもの」では、書いている僕の「感情の種」を探しているという側面がある。
感情の種とは「そのことを思い出すと感情が動いてしまう」その「何か」だ。
嬉しい、たのしい、悲しい、怒りなどと、いろんな種がある。
そういう種があることを知った頃には、「そんなこと、知らなきゃ良かった」としか思えない。
その種を思い出しては感情が揺らされるから。
しばらくするとその感情の揺れをどうやって止めればいいかと考えるようになる。
そのおかげで心理学や宗教の本をたくさん読んだ。
それだけが理由で読んだわけでもないけど、それも理由の一つだった。
そうやって歳を重ねることができて良かったなと思う。
いろんな種があることがうれしい。

3月

21

大滝詠一に恋をして。

雑誌Penが大瀧詠一の特集を組んだ。
見つけてすぐに買った。
はじめて大瀧詠一を聞いたのは浪人中。
夏期講習の予約のため、予備校前に並んでいたとき、隣に並んでいた男が大きなラジカセを肩に担いで「ロング・バケーション」を聞いていた。
その男に「その曲は何?」と聞いて「おおたきえいいち」という人を知った。
以来、大瀧詠一はいつも僕のそばにいた。
大学生の頃に「イーチ・タイム」が出た。
「ペパーミント・ブルー」を何度も聞いた。
甘酸っぱい思い出がたくさんあるので、文章を書く時には聞くことができない。

3月

20

イチゴミルク

「まぁるくてちっちゃくて三角だ」を思い出す僕はかなりの歳ですが、ひさしぶりにイチゴを潰してミルクに浸して食べました。
イチゴ自体はよく食べるのですが、イチゴを潰すためのスプーンをその正しい使い方で使うのはひさしぶり。
昔はこれに砂糖をかけたけど、いまのイチゴは充分に甘い。

3月

19

リンゴを力石徹のように食べる

不意にリンゴが食べたくなった。
きっとリンゴに含まれる栄養素が足りなかったのだろう。
皮もむかずにムシャムシャと丸ごと食べた。
食べながら、「これ、力石徹だな」と思った。

3月

18

列島祝祭論

柳田國男や折口信夫、仏典などを読んできて、きっとこういうことだろうなと思っていたことを、安藤礼二は鮮やかに『列島祝祭論』に書いている。
お見事。
なんで集英社は「すばる」で連載していたものを出版しなかったのか謎。
作品社でまとめてもらってよかったと思う。
埋もれてしまってはもったいない、というより日本の損失。

3月

17

シガール

ひさしぶりにヨックモックのシガールを食べた。
とても懐かしい。
ところが、幼い頃の記憶と少し違うところがある。
それは、穴の太さだ。
昔はもう少しだけ穴が太かった。
くわえたときにあの穴を通して息をした。
いまのシガールは息をするのには少し細い。
大人になってそんなことをしなかったから気がつかなかったが、幼い頃にはそういう変わったことをした。
それを思い出したのだ。
調べると、かつては手巻きだったが、いまは機械巻きになったそうだ。
昔と変わらぬ美味しさだが、幼い頃の思い出は、そういう些細なことを連れてくる。

3月

16

桜の開花

近所の桜がちらほらと咲き出した。
春である。
いまから満開の桜並木や、川を下っていく花筏や、散り際の桜吹雪を思い浮かべる。

3月

15

桜の芽吹き

桜のつぼみが色づいている。
今年も桜の季節だ。
今年は例年よりちょっと早いそうだ。
まだ3月の半ばだ。
これから咲いたら入学式の頃には散ってしまう。
でも、卒業式には丁度いいか。
去年はあまりじっくりと見なかったから、今年は味わおうと思う。
あと何回見られるのか、数えられるような歳になってきたし。

3月

15

日光 その3

太陽系に太陽があるおかげで、僕たちは生命になれた。
もし太陽系に太陽がなかったら、僕たちは地球上で、土や岩以上のものにはなれなかっただろう。
太陽のおかげで温められ、光合成をする生命が生まれ、雌雄ができて、地球上に生命圏が生まれた。
太陽に、どれだけ感謝してもしきれるものではない。

3月

13

日光 その2

朝日が出た日には、作務衣一枚を素肌に着て朝日を浴びる。
作務衣が黒いせいか、冬でも朝日で温められて寒く感じない。
同じことを曇りの日にやると寒くてしょうがない。
それだけ朝日の熱が大きいということ。
そのまま椅子を出して一時間くらい本を読んでも大丈夫。
不思議なことに、PCを見過ぎて落ちた視力が、朝日で本を読んでいるうちに回復してくる。
そのときは文字がはっきり読めるのでうれしい。
PCを見出すとまた落ちるのだが。

3月

12

日光 その1

日光の気持ちよさは、何度書いても書ききれるものではない。
時と場所にもよるし、前後の状況によっても変わる。
それをときどき、ここに書き続けることにする。
いろんな日光の気持ちよさを感じていこう。

僕のBlogのタイトルは「水のきらめき」。
なぜそのようにしたのかはたくさん理由があって、これも書き切れない。
その理由の一つが、太陽の光のきらめきにある。
昔、年に一度は御蔵島に行っていたことがある。
目的はイルカと泳ぐこと。
1996年から2000年まで。
2000年に三宅島が噴火して行かなくなった。
御蔵島から三宅島がよく見える。
隣の島の人たちが避難して苦労しているのに、イルカと泳ぐ気にはならなかった。
御蔵島に行くと夕日の見渡せる高台に出て、よく夕日を眺めたものだ。
夕日の反射が太陽から僕に向かってまっすぐに海面を照らす。
光の道がキラキラと輝いていた。
心が洗われるような気がした。

3月

11

10年前の今日

10年前、3月1日から試運転した。
3月1日に1991回として、3月11日が2001回の正式稼働。
『日刊 気持ちいいもの』を再開した。
正式オープンの言葉とともに、以下のような文を流した。

—–

生きていること

生きていることは何よりも気持ちいいこと。
もし生きていなかったら
気持ちいいも、気持ち悪いもない。
「愛する」の反対が「憎む」ではなく、
「無関心」とマザーテレサは言った。
「気持ちいい」の反対が「無感覚」としたら
感覚を持てる「生きている」状態は
どれほど素敵なことだろう。
生きている限り、
気持ちいいことを感じていこう。

—–

朝の七時頃に配信して、その日の14時46分、東日本大震災が起きた。
翌日から気持ちいいとはいえない状況の中、「気持ちいいもの」を配信し続ける。
偶然だとはわかっていても、、、

3月

10

自分はいったい誰か?

外面的にはやったことで判断される。
内面的には、表現しない限り誰にも評価はされない。
思い込みを書いたところで無駄だ。

3月

9

開く本を感じる

本を読みながら大切な部分に赤線を引く。
それから何年もして、ときには何十年もして、いつか文章を書こうと思ったとき、どの本を読んで何を思いだすべきか、自分では覚えてないのに、わかることがある。
パラパラパラッとページを開いていくと、読むべき赤線がある。
こういうとき不思議な感じがする。
何を読むべきか言語化できないのに、ページを開くとそこに大切なことが書いてある。
覚えてないのに覚えている。
言語化できない世界。

3月

8

10年前の助言

10年ほど前に言われたことが、当時は意味がわからず、気になっていたものの、やっとその意味がはっきりしてきたが、助言していただいた方はもうこの世にはいない。
早く形にしなければ。

3月

7

緊急事態宣言下の飲食店

緊急事態宣言が延長された。
それでも営業している飲食店の人たちは、いろんな工夫を重ね、頑張っている。
すごいなぁ。
http://bit.ly/3bpMLVg