5月

29

わかることとわからないこと

錬金術の本を読んでいて、何がわかって何がわからないのかわからなくなった。
錬金術の本には比喩のような象徴のような、隠喩のような話がずっと続く。
すると、僕はいったい何がわかっていて、何がわからないのかが曖昧になっていく。
わかったようなわからないことを、またはわからないけどわかったような気がすることを、「わかった」と宣言するか、「わからない」と宣言するか。
こういう曖昧な状態が面白い。

5月

28

三枚の紙

今朝の夢にも「三」が登場した。
三枚の紙にある有名なデザイナーがデザインを施す。
そのデザイナーはこんなことを話す。
「この三枚の紙には微妙な違いがあります。
 そこでこの一枚だけはこの色を使わなければならないと思いました。
 あとの二枚はその一枚が決まったことで、それぞれの色を採用することを決めました」
その話を聞いて僕はこう思う。
「確かに最初の一枚をその色にするのは正解だし当然だろう。
 しかし、あとの二枚についてはほかの可能性がたくさんある。
 なぜそのことについてあのデザイナーは考えないのだろう?」
ここから多次元リフレーミングの話に発展する。
多次元リフレーミングは抽象的な話なので、どう説明するかが問題なのだが、いい例が夢に出てきてくれた。

5月

27

三つの選択肢

夢の中で三つの選択肢を与えられた。

選択肢1
生まれたときまで戻って人生をすべてやり直す。

選択肢2
このまま人生を続ける。

選択肢3
死んで別の人生を生きる。

なぜこのような夢を見たのか理解するため、そして、それぞれの選択をするために、大量なビジョンが降りてきた。
困ったなと思うと同時に笑った。

5月

26

わかったつもりになってみる

わかりかけた人がわかったつもりになってみるのは大切なこと。
わかったと思わない限り、わかり得ないことがある。
そうやってはじめてわかることがある。

5月

25

鳥のように歌う

鳥たちが無心にさえずっている。
いいな。

5月

24

目を覚ます

毎日寝て、毎朝目を覚ます。
当たり前の習慣。
そのほかにも毎日のように僕は目を覚ます。
社会生活の微睡(まどろみ)の中から。
十年に一度の大災害とか、いま降りかかっているコロナ禍とか、そういうアラームのおかげで。

5月

23

5000回記念

もうすぐ4500回を迎える。
5000回には何か、個展のようなことをしたいと思っているが、5000回分の文章をただ掲示しただけでは面白くない。
何かいいアイデアはないかとうつらうつら考える。

5月

22

ウダンを巻く

バリ島にいるアナック・アグン・グデ・ラーマ・ダレムさんとお話しするために、ひさしぶりにウダンを巻いた。
ウダンとは、バリ人男性が礼拝の時に頭に巻く、少しデザインに凝った鉢巻のことだ。
いまはほとんど裁縫されたものを頭に巻くが、凝る人は一枚の布を畳んであの形を作る。
知り合いになった僧侶から畳み方を教わって、一枚の布からウダンを作る。
なぜウダンを頭に巻くのか。
多くの男性が巻いたウダンに花を挿す。
そうすることで陰を装う。
男は陽、女は陰。
神様は陽、地上は陰。
しかし、男は陽だから神様の陽と反発してしまう。
だから、神様の前に跪くとき、男は陰を装う。
男の無意識にあるアニマ(女性性)と同一化するとも言える。

5月

21

ひよ子

散歩してたら「ひよ子」の専門店を見つけた。
興味津々で中に入る。
いろんな「ひよ子」がいた。
「ひよ子」の五色セットとか、サブレとか、プリンとか、どら焼きとか、、、
いろんな「ひよ子」に出会えた。
そのなかで、スタンダードな、昔食べたひよ子を買って帰る。
うちに帰ってさっそく。
味はもちろんのこと、歯にくっつく感触も、お茶を飲みたくなる加減も懐かしい。

5月

20

逃げ恥婚

彼らがあのテレビドラマのように極度の照れ屋だとは思わないが、ああいう雰囲気はつい覗き見してみたくなる。
あまりにもぎこちないので笑いがともなう。
ああいう雰囲気は若い頃のほんの一時期のものだと思っていたが、いまの若い人たちは結婚をする頃になってもああいう雰囲気なのだろうか。
人にもよるだろうけど。
もしあの雰囲気をいつまでも維持できるとしたら、うらやましい。
一方で、面倒な気もする。w

5月

19

欠けた魂

僕らはみんな欠けた魂。
宇宙のすべてを見渡すことはない。
目の前にある材料を捏ねくり回す。
全一者にとっては生みの工程。
欠けた魂にとっては永遠の苦役。

5月

18

霧雨の散歩

散歩をしていたら、霧雨が降ってきた。
傘をさすほどでもない、霧のような雨。
帽子を被っていたので、念のために持っていた折りたたみ傘を差すこともなく、そのまま歩いた。
しばらくすると服が湿ってくる。
せっせと歩いたので、汗なのか、雨なのか、よくわからない。
湿度の高い大気と一体になったよう。
うちに着いてシャワーを浴びる。

5月

17

兆す

かつて言葉にされなかったことが兆している。
支配者の驕りと民衆の祈り。
混ぜ合わされて、見たことのない魂が生まれる。

5月

16

アナクレオンの杯

アナクレオンの杯は沈黙の言葉で行く末を語ってくれるそうだ。
でも、そんな杯がなくても、お酒があれば充分だ。
あればあったで楽しそうだけど。

5月

16

パイプラインの夢

飛行機から海に飛び降り、浜辺でパイプラインに巻き込まれる夢を見た。
美しい景色が見られた。
海底に何があるのかは見えなかった。

5月

16

信じて待つこと

世の中では、信じられないことがたくさん起きている。
だからこそ、信じて待つことの価値が高まる。
信じて待っている人にはきちんと答えよう。

5月

13

バリ島の秘密

毎年のようにバリ島に行っていた。
2017年からアグン山の噴火が始まり、去年からはコロナで何年か行ってない。
ひさしぶりにお世話になっているアナック・アグン・グデ・ラーマ・ダレムさんとZOOMを介してお話しした。
バリ島の宗教はバリ・ヒンドゥーと言われるが、それはいろいろな宗教の渾然一体化だ。
アグン・ラーマさんとお話ししていると、どのように様々な宗教が習合されるのかわかるような気がする。
基本的には他を批判しない。
相手のいいところを自己同一化する。
自分の都合に合うように多少の改変を加える。
議論をする。
本当の答えは神のみぞ知る。

5月

13

明太子のスープパスタ

昆布、鰹節とさば節で出汁を取ったので、それを使って明太子のスープパスタを作る。
出汁にネギとニラをみじん切りにしてパラッと入れて沸騰手前まで温め、いい塩梅に塩を加え、ほぐした明太子を入れてスープにする。
スパゲッティを茹でて器に盛り、そこにスープをかける。
トッピングに白髪ネギと明太子を載せたらできあがり。
分量は好きにして。

5月

11

集合無意識

今の日本はいろんなところで抑圧されていて、その結果何が生み出されるのか心配でもあり、楽しみでもある。
集合無意識が、いろんなところで形になる。
アートや哲学、エンターテイメントへの影響が楽しみ。

5月

11

低空飛行の旅客機

東京都上空を旅客機が低空飛行で飛ぶようになってから一年が経った。
子供の頃にあんな低いところを飛ぶ旅客機を見たらわくわくしただろうなと思いつつ、大人になった僕は事故が起きなければいいがと思う。
あの程度の騒音なら、僕は気にならないが、繊細な人はきっと困っているだろう。
そもそもは羽田空港の増便のための施策だったはずだが、コロナで便数が減っても変わらないのが不思議。

5月

9

ユングが生きていたら

ユングが現代に生きていたら、何を言ったか空想する。
ほぼ10年ごとに起きてくる大惨事。
911、311、コロナ禍。
これらの現実と集合無意識の関係を説いて欲しい。

5月

9

思い出のナシチャンプルー

2016年以来、バリ島に行ってない、
翌年にアグン山が噴火して、落ちついたら行こうと思っていたら、今度はコロナ騒ぎだ。
なので、バリ島のナシチャンプルーが食べたい。
都内のバリ料理屋さんに行ってもいいのだろうけど、バリ島で食べるのが一番。
あの、なんだかわからないものがたくさん入っているけど「おいしい」料理をまた味わいたい。

5月

7

居酒屋で食事

昨晩、近所の馴染みの居酒屋で、夕飯を食べた。
いつもに比べてすいていた。
普段は夜七時頃に行くと、満席に近く、座れるかどうかが心配だが、この状況ではあいた席が目立った。
普段ならお酒と一緒につまみを頼むのだが、ご飯を食べたら終わりだ。
八時には閉店してしまう。
普段よりずっと安くて済む。
店頭でお客さんが「お酒は飲めないの?」と質問し帰っていった。
店にとっては大打撃だ。
前に海鮮丼を食べ、おいしかったのでそれにしようかとも思ったが、お品書きのローストビーフ丼なるものに目が留まった。
それを頼み、掻き込む。

5月

6

医者が拒否するアレ

お医者さんでも打ちませんとはっきり宣言している人がいるアレは、ネット上を調べるといろんなことがわかる。
検索をするのにGoogleを使うと安全かのように思うが、DuckDuckGoを使うと様子が違う。
そうだよなと思ったのは、以下の記事。
普通にきちんと考える人は似た結論に至ると思う。
https://note.com/jinniishii/n/nd79cd2175c27

5月

6

Oni

Theo HAZEというアーティストが、「Oni(鬼)」を描き続けている。
立体作品もあるし、インスタレーションもやる。
Oniは、怖くない顔、どちらかというとかわいいくらいの顔で、目から星が飛び出している。
マンガではありそうな表現だが、アートでは珍しい。
目から星が出るというのは、それを感じた人の主観である。
誰かが驚いて、心の中で「目から星が出る」と感じても、それは他人からは見えないのが普通だ。
しかし、その人が非常に驚くか苦痛を感じるか覚醒するか、何かして「目から星が出た」と感じたとき、その人に共感する人がそばにいたときには「目から星が出た」状態であることを感じることができるだろう。
つまり、Oniの様子は「よほど驚くか苦痛を感じたか覚醒したOni」の内面が、他の人らに伝わっている状況を表している。
Theo HAZEの作品は「それがOni」であることを伝えている。
Oniは誰でもがそれになる可能性を表現しており、そういうOniの状況を鑑賞者が受けとる準備を促しているように、僕には思える。
http://theohaze.com