6月

30

2020東京オリンピック

僕は2020東京オリンピックができるのか、それの開催が決まったときから心配でした。
なぜなら、1940年に開催予定だった東京オリンピックを思い出したからです。
もちろん僕は生まれていません。
話を聞いて知っていただけです。
あのオリンピックが中止になったのは、日本がある役目を負ったからではないかと思ったのです。
そして、今回も。
これは僕の勝手な推測です。
欧米社会とアジア社会の結節点としてやりとりする内容は、決して言葉だけでは説明のしようがない、複雑怪奇なものでしょう。
長年の摩擦や妥協が影響してる。
新型コロナウィルスが影を落としているように見えますが、それは見える部分の問題であって、本当の問題は、見えない部分にあるのだと思います。
どんなやりとりがなされるのか、観察していきたいと思います。

6月

30

緊急事態宣言下の神社

緊急事態宣言下の神社は、手水舎が閉鎖され、拝殿前に吊された鈴も鈴緒がはずされ、これでお参りになるのかな?という状態です。
これは神社として正しいおこないなのか?と思ってしまいますが、こういうときこそ人間の創造力を発動させましょう。
まず、手水舎の前で手を洗い口をすすぐイメージをする。
一瞬でいいのです。
水の流れている音も思い出しましょう。
そして拝殿前に進んだら、鈴をガラガラと鳴らすことを想像します。
想像した音で清められる。
あとはいつものように参拝してさっぱり。

6月

28

モロカイ島

ときどき、モロカイ島を思い出す。
どこまでも続く土の道。
広い青空。
沖にはクジラ。
輝く星空。
小高い丘からは足元に星が見えた。

6月

28

茄子の出汁煮

茄子のへたを取って皮をむいて出汁で煮る。
充分に煮たら冷ましてから冷蔵庫で出汁ごと冷やす。
食べやすく切って一緒に冷やした出汁をかけたらできあがり。

6月

28

神の居場所

昔、神は天空にいた。
その息子や娘が降りてきて、民を治めた。
その神は今はどこへ行ったのか?
自分の内か、メディアの中か、一般大衆という幻の中か?

6月

25

讃岐うどん

高校の近くにおいしい讃岐うどん屋さんがあった。
それが懐かしくて、鰹節とさば節で出汁を引いたので自分で作ってみる。
出汁にワカメと刻み葱を入れ、塩で味を調える。
うまい。
からだが安心する感じ。
次の課題は麺だな。

6月

24

堕天使

「堕天使」という言葉があります。
天使だったのに、悪魔になってしまった存在。
悪魔を演じるしかしようがない存在。
堕天使のみなさん、自分が天使であることを思い出してください。
あなたの力は強大です。
あなたの力で多くの人が救われます。

6月

23

タマオタターイタ

朝起きると、相方がラジオを点けた。
J-waveがかかり、アフリカの言葉に似た言語で歌われる軽快な曲がかかった。
うつらうつらしながら聞く。
するとリフレインで突然こう歌われた。
「タマオタターイタ」
不覚にも笑ってしまった。
何度も繰り返されるので覚えてしまった。
さらには、ディズニーランドのスモールワールドのテーマ曲のように、頭から離れなくなった。
「タマオタターイタ」

6月

22

外飲み

ひさしぶりに飲食店でお酒を飲んだ。
正確に書くと、ひさしぶりに人目をはばからず飲食店でお酒を飲むことができた。
いや、もっと正確に書くと、ひさしぶりに国や都が公認の元で、飲食店でお酒を飲むことができた。
不思議な世界になってきた。
笑うしかない。

6月

21

迷いの渦

気持ちいいものを感じ続けていくと、いつか迷いの渦に巻き込まれるようになった。
「これは本当に気持ちいいのか?」
とても曖昧。
他人に理解してもらうために「気持ちいいもの」を書くのであれば、互いに気持ちいいと思っていることを書き続けるしかなくなる。
その先に進もうとすれば、つまり自分の中にある気持ちいいに降りていくとき、なんだかわけのわからないものに触れる。

6月

21

たくさんの間違い

生命は、きっとたくさんの間違いを犯して生き延びてきた。
その間違いが突飛であるほど、死ぬ確率も高くなる。
しかし、そんなこと可能なはずがないと思われたことを繰り返しトライして、やっとたどり着けた答えがあったから、生き延びてきたのではないか?
単細胞生物が互いに合体する。
嫌気性が好気性になる。
太陽光線が強くて遺伝子が正しくコピーできないので性別が生まれる。
生きる場所を求めて行けない場所に行く。
毒ある食べ物を食べ続けることで解毒作用を獲得する。
もし常識というものがあったとしたら、どれも正しくない行動。
数え切れない間違ったトライに、やっといつか行くべき道が見つかる。
そうやって生命は生き延びてきたのではないか?
だとしたら、僕たちが思い込んでいる「間違い」とはいったい何だろう?

6月

19

死の準備

若い頃に「死の準備」なんて言われたら、きっとギョッとしただろう。
でも歳を取ってくるとそうでもない。
当たり前のこと。
30代には筋肉の付き方が変わった。
それ以前は運動すれば筋肉がついた。
30代になるとその速度が落ちる。
40代には、筋肉を付けるためには少々我慢が必要になった。
50代には、新しく筋肉を付けるのはほぼ無理なので、できる運動を繰り返すことで筋肉を維持する。
ここから先は未知だ。
プールで親しくなった70代の女性が、「もう筋肉付けるのは無理」と言っていた。
別の80代の男性は「腕が上がらなくなった」と泳ぐのをやめた。
こうして心の準備も整っていく。

6月

18

ゆっくり漕いで速く漕ぐ

その泳ぎ方を僕はイルカから習った。
ゆっくりと漕いで加速して最後を速く。
水は最初から速く漕ぐと着いてこない。
最初はゆっくりと漕いで水が着いてくるのを待つ。
着いてきたら加速して、最後は速く。
でも、さじ加減が微妙。
同じようにやっても全然進まないこともある。
ぐーっと進めると気持ちいい。

6月

17

と陽の間

晴れている日がずっと続くと、雨の日が恋しくなる。
雨の日がずっと続くと、晴れた日が恋しくなる。
喜びは、陰と陽の変わり目にあるようだ。
だとするなら、女を続けている人は時には男になり、男を続けている人は時には女になるといいのかも。
でも、すべての陰と陽を交換することはできないか。
できる?

6月

16

土砂降りの朝

窓の外から土砂降りの轟音が聞こえる。
土砂降りよ、この状況を洗い流してくれ。

6月

15

5月15日と29日、ロンドンにて

2021年5月15日と29日、ロンドンにて、大規模な抗議活動がおこなわれた。
もちろん、アレへの抗議だ。
日本では打て打てとマスメディアで叫ばれているが、冷静な人たちは冷ややかな目を向けている。
社会的立場によって仕方なく打たなければならない人たちもたくさんいる。
なんとか自分を納得させて、打つ人もいる。
もちろんマスメディアのいうことを聞いて、喜んで打つ人もいるだろう。
そういう日本の状況下で、ロンドンの映像は力づけられる。
https://bit.ly/3voj4un

6月

14

早朝の雨と鳥の声

早朝、雨が降っていた。
にも関わらず、晴れやかな声の鳥が鳴いている。
「雨なのに鳥は嬉しいのかな?」
そう思っていたら雨が止んだ。
雨が止んでも鳴いている。
鳥の声が雨をやませたようだ。

6月

10

人口百億

人口が百億を超えると人類は滅亡するなんて話しがあるけど、それは微妙だ。
百億を超えないように頑張ろうとしているいまの状況の方が不自然だと思う。
百億を超えたら、人類はいままで通りには生きていけなくなるだろう。
それがチャンスだ。
生命が海から陸に上がったように、地面を這う生命が空を飛んだように、共通概念を持ちようがなかった生命が言葉を獲得したように、いまの僕たちには想像できない飛躍をするだろう。
それが生命だから。
人智が及ぶ範囲で何かしようと考えるのは「無知の知」を認めてない。
人類が別次元に飛躍したときの生命を人間と呼ぶかどうかはまた別の問題。

6月

10

行き詰まる

物事が行き詰まるとたいてい不快になる。
でも、行き詰まった結果、違う次元に飛び立つしかなくなるので、そういう機会が来たと思うと、なぜかうれしい。

6月

8

乱読

僕の読書スタイルは乱読。
ジャンルがめちゃくちゃなのはもちろんのこと、一冊の本を読んでいる途中で別の本を読み出したりする。
元の本を読まなくなることは滅多にない。
別の本を読み終わったらたいてい戻ってくる。
だけど、戻ってこないこともある。
別の本を何冊も読んでから、やっと元の本にたどり着く。
そうやって世界を巡ってから、出会う元の本は、もうかつて思っていた元の本ではない。
September Mornという歌を思い出す。
歌詞にこうあった。
We’ve travelled half way around the world to find ourselves again.

6月

8

自転車で走る

本を借りたくて、関町南の図書館まで自転車で走る。
片道10kmほど。
8Kmほどのところに僕が卒業した高校がある。
かつてはそこに毎日自転車で通っていた。
だからそれプラス2kmは楽勝だと思った。
行きは問題なし。
車や風と競うようにスピードを出して走った。
問題は帰り道。
からだの感覚がちょっと違う。
16歳の頃の僕とはどう考えてもからだが違う。
感覚としてはちょっとだが、そのちょっとが大きい。
家に着いてソファに座ったら、いつの間にか眠ってしまった。
と書きたいところだが、現実にはあっという間だった。

6月

6

ブライアン・メイのファンファーレ

金曜に地上波で映画「ボヘミアン・ラプソディ」が流されたそうだ。
それを聞いてあの映画では、始まる寸前に泣かされたことを思い出した。
確かここにも書いたよなと、過去の『日刊 気持ちいいもの』を見たら、書いてない。
No.03712だ。
映画が始まる直前に鳴る20世紀フォックスのファンファーレが、ブライアン・メイのギターで演奏されていたのだ。
その音を聞いた途端に僕は感電死した。
なきがらが映画を見ていた。

6月

5

ヒジュラ

石川武志氏の『ヒジュラ〜インド第三の性』を読んだ。
これが出版された1995年にも興味を持ったが、そのときには読まなかった。
それから20年以上して読んでみる。
読む機会が回ってきたと言ってもいい。
いろんな意味で凄い本だ。
宗教として捉える。
ジェンダー論として捉える。
隠喩として捉える。
文化として捉える。
消えゆく歴史として捉える。
人の生き様として捉える。
いろんな刺激を受ける。

6月

4

どこにあるのか

気持ちいいものは、いったいどこにあるのか?
ときどき、考える、感じてみる。
「いまここ」なんて簡単なものではない。
他人に伝えるのにそれしかいいようがないから「いまここ」という。
「いまここ」であり、「永遠の彼方」であり、「宇宙大の広がり」であり、「妄想」であり、「意味のないもの」でもある。
それを知るとはどういうことか。
語り尽くせぬ言葉が溢れる一方で、沈黙が訪れる。

6月

3

クロップ・サークル

日本語ではミステリー・サークルというが、クロップ・サークルという言い方の方が好き。
なんとなく。
ミステリーな円ってたくさんあると思う。
ユングが研究した曼陀羅だって、ミステリー・サークルに思える。
だから、クロップ・サークルをミステリー・サークルと呼ぶのは好みではない。
この世に不思議な円はたくさんあるのだ。

ネット上でたくさんクロップ・サークルを見てはニヤニヤしている。
だって、格好いいんだもん。
いったいどこの誰が作っているのか、謎なのも素敵。
神様、どうか僕たちがまだ知らない存在が、アレを作っていますように。