6月

30

バリ島での散歩

今朝、すでに気温は31℃だという。
そのなか、散歩に行ってきた。
でも、案外涼しかった。
バリ島の散歩を思い出した。
暑い上に湿度が高かったのでつらかった。
バリ島では昼間、人は外をあまり歩かない。
車や乗り合いバスのようなものを使う。
長い距離を歩くのはあまり賢いことではない。
そのあとに冷房の効いたレストランに入ると温度差で具合が悪くなる。
オープンエアの風通しのいいレストランのほうが居心地がよかった。
東京での散歩も、あとでシャワーを浴びて、風に吹かれる。

6月

29

暑さに耐える練習

今日は40℃になるところがあるとか。
まだ6月末なのに。
そこでいまから暑さに耐える練習。
首には水を含ませるとひんやりとするタオルを保冷剤を巻き込んで巻く。
足元には扇風機。
半袖のバリシャツに半ズボン。
もしこれでも耐えられなくなったら、エアコンが故障したときに使った奥の手を用意。
サファリベストのポケットに保冷剤を詰め込んで着る。w
案外快適だよ。

6月

28

森の冷気

近所に小さな崖があり、その上にお寺と神社があり、森がある。
その崖の下を自転車で通った。
35度を越える暑さの中、森から降りてくる冷気が涼しかった。
森は偉大だ。

6月

27

エアコン

今日はもう気温が37℃になったようだ。
体温より気温が高くなったらエアコンにお世話になる。
35℃くらいまでは窓を開けて扇風機で涼しく感じるが、36℃になったらそうはいかない。
エアコンの有り難さをしみじみ感じる。
エアコンをつけたままだと28℃でも暑く感じるが、外に出て37℃を体験してから部屋に入ると、28℃はとてもありがたい。

6月

26

32℃

夕方に32℃になった。
36℃では外に出る気はしないが、32℃なら自転車で走るのにはいい。
半袖半ズボンに帽子をかぶって、夕焼けを眺めながらチャリンチャリン。

6月

25

盛夏

まだ6月なのに盛夏のようだ。
気温は36度になった。
半ズボンを履いて、バリシャツを着て、首には水を含ませるとひんやりするタオルを掛けて、窓を開け放って、風に吹かれている。
真空断熱タンブラーにアイスコーヒーを入れてちびちびと。
37度になったら仕方ないのでエアコンかな。
もう少し頑張ろうかな。
はっきりしない夏より、暑い夏のほうが好き。

6月

24

サブスク

サブスクって、いいような、悪いような。
いいものだと断定もできないし、悪いものだと決めつけるわけにもいかない。
その中間にあるなにかだ。
世の中のパラダイムが変わりつつある、その大きな一要素ではあるだろう。
多くの人が共有して使う。
そのレッスンのひとつ。

6月

21

サーモス真空断熱タンブラー

2012年にスターバックスでフロストロゴダブルウォールグラスというのを買った。
ガラスが二重になっていて、アイスコーヒーを入れてもグラスの表面に結露しない。
とても重宝した。
しかし、ガラス製だったので4年で割れてしまった。
同じようなものを探すと、ステンレス製のサーモス真空断熱タンブラーを見つけた。
これがとても重宝している。
熱いの入れても、冷たいのでも、いい。
特にいいのは冷たいもの。
結露しないので、アイスコーヒーを入れて机の上に置いておいても、まわりがびしょびしょになることはない。
でも、お客様に出すときはびしょびしょになるかもしれないグラスをコースターに載せて使う。
そのほうがアイスコーヒーらしいから。
この使い分けを自然としていて、あるときそのことに気づく。
自分の行動を面白いなと思う。

6月

20

人間にとっての他の生命

何かの本で、地球上の哺乳類のうち、野生動物はたった4%でしかないというのを読んだ。
ショックだった。
つまり人間と畜産動物とペットが哺乳類の96%をしめている。
それを読んでこんなことを考えた。
人間が哺乳類のほとんどを自分の意図のままに使っていると。
そして、使うだけではなく、ほとんど食べている。
とてもバランスが悪いように感じる。
自分のからだを例として考える。
脳がもっとも大切な部位だから、あとの細胞はどうでもいいと脳が考えていたらどうだろう?
脳に栄養を送るために他の細胞はすべて犠牲にする。
そんなバランスで健康な身体が保てるだろうか?
だからと言って、バランスを取り戻すために人間を殺せとは思わない。
人間にとって他の生命がどんな価値のある存在なのか、よく考えなければならない。
いま僕たちが信じている「ものの考え方」を少し変えた方がいいのかもしれない。
その結果、自然とバランスが取り戻せるのが理想ではないか?

6月

19

かみしめてわかる味

食べてすぐおいしいと思うものはたいしたことがない。
ところが、何度も食べて、噛みしめて、しばらくたってからおいしいと思うものは、底力がある。
最初の一口はおいしいかどうかわからなくても、二口三口と食べるうちにいいかもと思うようになり、それでもおいしいかどうかはわからなくても、あとでまた食べたくなる。
我慢できずしばらくしてもう一度食べなおすと、はじめてはっきりとおいしく感じるその味。
もうすぐとりこだ。

6月

18

肉食動物が生きているのは草のおかげ

草食動物が元気に生きるためには広い草原が必要。
草原が狭いと、食べ尽くして終わってしまう。
肉食動物は、草食動物がたくさんいないと生きていけない。
草食動物を食べ尽くしてしまったら、肉食動物は生きていけない。
だから、肉食動物が元気に生きて行くためには、たくさんの草食動物と、それを支える広い草原が大切。
でも、動物園には草原はない。
人間が草や餌を持ってきてくれるから。
それでいつしか忘れてしまう。
肉食動物は草食動物のおかげで肉食動物になれたこと。
草食動物は草原のおかげで草食動物でいられたこと。
人間も、便利になることで、いろんなおかげを忘れてしまう。
宗教には、それを忘れないための仕組みがあった。

6月

17

あらゆるものの肩に乗る

あらゆる存在が、何かの肩の上に立っている。
どんな音楽も、音階がないと生まれなかったように。
どんな言葉も、最初の原始的な言葉がなければ生まれなかったように。
どんな生命も、原初の単細胞がなければ生まれなかったように。
どんなアイデアも、言葉がなければ生まれなかったように。
誰もが、両親がいなければ産まれなかったように。
あらゆる存在が何かの存在のおかげで存在する。
肩に乗せてくれてありがとう。
そして、肩の上に乗ってもらえて嬉しい。

6月

16

バジルの花

鉢植えのバジルに花が咲いた。
小さな白い花だ。
毎年、葉をむしられて、カプレーゼやジェノベーゼソース、はたまたパスタに載せられたりしているのに、恨み言ひとつ言わずに可憐に咲いている。
ありがとう。
僕のからだの一部は、君でできている。

6月

11

Pigcasso

市原ぞうの国で象が絵を描いた話をしたら、絵を描く豚がいることを教えてもらった。
その名は「Pigcasso」。
PigとPicassoがドッキングした。w
象の絵とは異なり、こちらは完全な抽象画だ。
デジタルアートとしてネット上で買うこともできる。
豚は頭がよく、感性も優れていることは、ライアル・ワトソンの遺作『思考する豚』を読んで知った。
そういう豚を食べてしまうのか?
以前、イルカやクジラは頭がいいから食べてはいけないという話しがあった。
豚も頭がいいとなったら食べてはいけないと主張する人が現れるのだろうか?
人間の原罪について踏み込む課題がひとつ明確になった。
僕は、または僕たち人類は、どんな答えを出すべきなのだろう?
ポークソテーを食べながら考える。

6月

10

時代遅れのRock’n’Roll Band

桑田佳祐、佐野元春、世良公則、Char、野口五郎が演奏する「時代遅れのRock’n’Roll Band」のビデオが公開された。
地味に大友康平も参加している。
伴奏には原由子とハマ・オカモトも入っている。
懐かしい雰囲気の曲だし、80年代の「あのメロディー」が韻を踏むように散りばめられている。
歌詞のように現実も動いていけばいいんだけどな。

6月

9

ラリる

病気の治療として薬を飲んでいる。
もちろん医師に処方された薬だ。
しかし、それを飲むと血圧が下がってフラフラする。
朝飲まなければならないので、このフラフラ状態で「日刊 気持ちいいもの」を書くのはつらい。
だけど、この「日刊 気持ちいいもの」を再開した2011年3月11日、東日本大震災が起きた。
そのときに「気持ちいいもの」なんてどうやって書いたらいいんだと悩んだように、いままた薬でフラフラしながら書いていく。
そこに心地よさが生まれるのかも。w
モネが睡蓮を描き続けたように、新たな地平を見つけていこう。

6月

8

テントウムシ

洗面所に入るドアに、テントウムシがいた。
黒い羽に赤い星が二つついている。
ひさしぶりだ。
ティッシュで包んで窓の外に放した。
元気でな。

6月

7

降りそうな雨

空模様が怪しい、もうすぐ雨が降りそうな空の下、自転車で走った。
家が近づいたときにポツリポツリと降り出す。
「頼むから家に着くまで待ってよ」と言いながらペダルを踏む。
自転車置き場に自転車を置いたらザーッと降り出した。
待ってくれてありがとう。

6月

6

泣こうよ

このところ、50,60年台のマイルス・デイビスとか、ビル・エヴァンスとかばかり聞いている。
なんでだろう?と感じてみた。
悲しくないかい?
政治家はウソを吐き、相手側を攻撃ばかりして、自分の立場を正当化する。
自分の落ち度には目をつぶり、それだけならまだいいが、美しい物語に塗り替えてばらまいている。
それを信じないとやって行けない僕たちは、それを知らないこととして生きている。
その代償としての軍事侵攻やら、経済制裁やら、なんやらかんやら。
戦争中には派手で勢いのいい音楽が流行る。
戦後にその反動としてマイルスとか、ビル・エヴァンスの音楽が生まれた。
誰もそんなこと言いはしないけど、僕はそれで多くの人が戦時中の心の傷を癒していたように思う。
同じことをまたするの?
その前に、自分たちの愚かさ加減に泣こうよ。
戦争を放棄した兵士がいるそうだけど、僕は彼らを賞賛する。
怒る前に、泣こう。
殺すより、抱き合おう。

6月

5

豆を煮る

ミックスビーンズサラダを作るのに数種類の豆を煮た。
半日水を吸わせてから熱湯で20分程度。
煮え具合を確かめるのに食べるとそれだけでおいしい。
味をまだ何も付けてないんだけど。

6月

3

雨が近づいてくる

昼過ぎに雷が鳴り、雨が降ったのでもう降らないだろうと油断していたら、雲行きが怪しい。
厚い雲が覆い、風が吹き、遠くから雨音が聞こえる。
大粒の雨がバラバラと降ってきた。
遠くから、雷鳴が聞こえる。
ザッと来るようだ。

6月

2

トロンボーンの音

中学校のそばを自転車で走っていたら、トロンボーンの音が聞こえてきた。
金管楽器の音は吹く人によって微妙に異なる。
どの楽器もそうなんだろうけど、自分がトロンボーンをかつて吹いていたので、特にそれを感じる。
メロディーが上手とか、息継ぎがうまいとか、そんなことではない。
ボーッと吹かれたロングトーンがあまりにも美しかった。
そんなことを感じることは滅多にない。
楽器はもちろん、教室や校庭に奇麗に共鳴していた。

6月

1

団子カフェ

最近、よく団子を食べる。
今日は相方が新宿の追分団子を買ってきてくれた。
食べる度に思うのは、もしこれが焼き立てだったらもっとおいしいだろうなということ。
団子がアツアツで、表面がパリッとしていて、中身の固さにもこだわり、そこに餡が絡む。
持ち帰り店舗で焼き立てを提供するのは難しいかもしれないが、カフェのようにして焼き立てを待って食べられたらいいような気がする。
味は、甘い団子ばかりではなく、塩っぱいの、辛いの、香ばしいのとあったらいい。
お酒に合うものもあったらいいなと思う。
インスタ映えも考えて、色とりどりの団子を用意する。
お茶にもこだわりたい。