1月

31

夢と前世

レゾナンスCafeの
『夢とレゾナンス』に参加するため、
このところ夢を気にしている。
今朝起きて、何か夢を見ていたなと
感じるけれど、それがどんな夢かは
思い出せなかった。
普段ならそこであきらめるのだが、
『夢とレゾナンス』に参加すると
決めていたので、
「思い出せればいいな」と
思っていた。
しばらくして思い出せた。
L字型の部屋で会議をしていた。
僕は2つの方向に伸びた長い部屋の
交差点に座っていた。
ある直線にいる人たちは
僕のことを「つなぶちさん」と呼ぶ。
もうひとつの直線にいる人たちは
僕を別のペンネームで呼ぶ。
ふたつの会議はまったく違う議題。
それぞれに僕は別の名前で
参加していた。
ところがあるとき、ある人が、
また別のペンネームで
呼びかけてきた。
そこで目が覚める。
そのあとふつふつと、
僕の前世とその夢の関係が
理解できてきた。
長いのでここには書かないが、
どういう前世かという話は、
『あなた自身のストーリーを書く』
に書いておいた。
その前世を僕が信じているのか
と問われれば、
正直言って微妙である。
本当かどうかは少し疑っている。
でも、見事にいろんなことが
シンクロしていくので、
「そんなの嘘」とも言い切れない
僕がいる。

1月

30

個性ってなに?

AIが仕事に導入されるようになると、
人間の仕事は個性的なものになるという。
そこで、自分の個性とは何か?を考える。
あるようなないような。
やって来たことを振り返ると
ある偏向があることは確か。
まあそれが個性かな。

1月

29

予定通り

予定通りにいろんなことが進むと
とても気持ちがいい。
サクサクサクと。
現実には途中で
スタックすることがよくある。
すると予定を立て直してまた
サクサクサクと。

1月

28

ベーグルのカフェ

城北中央公園の入り口前に
ベーグル専門のカフェができた。
以前同じ場所に
やはりベーグル専門の
カフェがあった。
前のお店は何年か前に
つぶれてしまったけど、
今度のお店は長続きして欲しい。
ベーグルときどき食べたくなるから。

1月

27

わからないことを知る

「このことがわからないのか」と
思うことがある。
それを発見しても、それはたいてい
知りにくいこと。
わからないことがわかっても、
わからないことを理解するまでは
意味がないと思いがちだが、
「わからないことを知る」だけで
なるほどと思うようになった。
わからないから知ってみようと
思えるようになるから。

1月

26

寒いこと

今朝、つららを見た。
東京でつららを見るのは
ひさしぶりだ。
水がたまっていると凍っていた。
子どもの頃にはこのくらいの寒さは
よくあった。
バケツに張った氷が楽しみだった。
石神井公園の池が
凍っているのを見たくて
わざわざ自転車で
走っていったこともある。
水道が凍って
母が困っていたことがあった。
その隣で僕は
「そんなに寒いのスゲーッ」と
思っていた。
子どもにとってはどんなことも
楽しいことだった。

1月

25

凍った手水舎の水

今朝、神社にお参りに行くと、
手水舎の水が凍っていた。
柄杓で氷を割って
手に水を受ける。
清冽なり。

1月

24

雪かき

昨日朝、外に出ると、
何人もの人たちが
雪かきをしていた。
そのまま仕事に行き、
夜に帰ってくると
雪かきされた道は歩きやすい。
ほかの道は
凍って危ない道となっていた。
有難いことだと思った。

1月

23

靴用着脱式スパイク

昨日の雪で朝は道が雪だらけ。
普通に歩いて行ったら
滑って危ない。
前回大雪が降ったとき、
たまたま靴屋で
靴用の着脱式スパイクを
見つけて買った。
それを靴箱から取りだして
靴に着けていく。
なんと歩きやすいことか。
買ったばかりの頃は
着けたりはずしたりするのが
大変だったが、
古くなってゴムが柔らかくなったのか
簡単に着脱できた。
着けると雪の上も氷の上も
安心して歩ける。
歩道でツルツルとして
困っているひとは
買えばいいよ。
ネットで検索すればすぐに見つかる。

1月

22

雪が積もる

子供の頃、雪が積もるとなると
それだけでそわそわした。
早く降ってくれないかな、
積もってくれないかなと。
もし雪が積もれば雪合戦をしたし、
雪だるまを作ったり、
雪の上を滑って遊んだ。
大人になると
そんなことはしなくなったが、
心の片隅に
「したいやりたい」という
ウキウキした気分が残っており、
雪の日には
何かやらかしてしまいたくなる。

1月

21

カカオ99%

「カカオ99%」というチョコをいただいた。
舌の上で溶かすと苦い。
カカオ独特の酸っぱみは
あまり感じなかった。
カカオがクリオロ種ではないのかも。
明記されてないのでよくわからない。
それでもカカオの香りは感じる。
クリオロ種のカカオを齧りに
メキシコに行きたい。

1月

20

金刀比羅宮

幼い頃、歌集に「金比羅船々」が
載っていて、うちでときどき歌った。
その記憶があって、
四国に行ったとき金刀比羅宮まで
足を伸ばした。
階段をずっと登って行く。
すでに夕方になりかかる頃に
参道入口に着いたので、
奥社までたどり着くのか心配だった。
なにしろ1368段もある。
とぼとぼと歩いて行くが、
100段も登るともう疲れが出て来る。
その13倍も歩かなければならない
と考えると目が回る。
それでもとぼとぼと登って行った。
表参道の入口に近いところには
両側にお店があって、
疲れれば休めるが、
ある程度進むとお店はなくなり、
ただひたすら階段をあがっていく。
はじめは霧雨だった雨が
次第に傘のいるような雨になり、
御本宮に着く頃には
ザアザア降りだした。
そこまで785段。
暗くもなってきたので
奥社に行くのはあきらめ、
御本宮でお参りして帰る。
見晴らしのいいはずの
展望台からの景色は、
灰色一色で残念だったけど
幼い頃から知っていた、
けど行ったことのなかった
金比羅さんに行けてよかった。

1月

19

干し芋

芋けんぴの話を書いたら
干し芋のことを思い出した。
同じサツマイモからできているのに
できあがりは全く違う。
まず噛み心地が違う。
芋けんぴの歯ごたえはパリパリとか
バリバリだが、
干し芋の歯ごたえは
グッと噛んでグニグニッと噛み切り、
モグモグと噛み続けて
しばらくするとネチネチしてきて
甘みがジュワジュワと出てきて、
しばらくしてアゴが痛くなるけど
その頃がおいしい。
一度ジュワジュワ染み出てきた
甘みを感じると、
アゴが痛いなとは思いつつ、
もう一枚食べたりする。
その後は食べ終えるまで
アゴの痛みとの戦いが続く。
うまいという思いが強いか、
痛いという思いが強いか。
芋けんぴは
砂糖がコーティングしてあって
はじめから甘いけど、
あわてて食べると
口のなかに刺さって痛い。
どちらも痛みのともなう
うまさなのだな。

1月

18

芋けんぴ

ひさしぶりに芋けんぴを食べる。
サツマイモを細く切って油で揚げ、
そこに砂糖をコーティングしたもの。
パリパリとしておいしい。
ちょっと固めなものは
口のなかでバリバリ噛む。
あわてて食べると
口のなかに刺さって痛い。
多少痛くてもおいしければいい。

1月

17

年賀状の返事

最近になって返ってくる
年賀状の返事が素敵。
そもそも松の内に
年賀状のやりとりは終わるものだが、
それを知っていてもこの時期に
わざわざ返事をしてくるのは
何か伝えたい思いがあってのこと。
こんなに一通一通丁寧に書いていたら
大変だろうなと思いながら読む。
その人の人柄がわかる。

1月

16

新しい柄杓

朝に参拝する近所の神社には
しばらくのあいだ手水舎に
金属でできた柄杓しかなかった。
去年、烏に襲われた頃を境に
木製の柄杓がなくなった。
きっと烏が近くに巣を作り、
その材料として
持って行ってしまったのだろうと
推測している。
なぜか烏は金属製の柄杓は
持っていかなかった、
ということだと思う。
初詣客を見込んでか
神社は新しい柄杓を用意した。
柄の長い新しい柄杓で手と口を濯ぐ。
あの烏、
どうしたのかなぁと思いながら。

1月

15

絵本の記憶

甥に子どもが生まれた。
クレヨンハウスに頼んで
毎月絵本を届けてもらうことにした。
それで自分が読んだ絵本のことを
思い出そうとする。
母の言葉によれば、
幼稚園で売られていた絵本は
ほとんど買い、それでも足らなくて
本屋でも買っていたという。
たけど僕はそれを何も覚えていない。
たった1冊
「小さな王様の大きな夢」
という絵本だけ
妙に詳しく覚えている。
小学一年か二年の時に読んだ絵本。

1月

14

神道とは何か?

「神道の神秘」という本の中に
以下の記述を見つけた。

神道は、前述したように、教祖・教
義・戒律・崇拝対象にこだわらない。
従って、どちらが優れているとか、
どちらが真理であるといった論争を
もたらすことがない。もともと神道
は多神教であるから、誰がどの神格
を、どのような仕方で信仰しようと、
それが他をつぶそうという野心を見
せたり、悪事をなさない限り、許容
し受け入れるのである。それぞれの
信仰や体験を大切にし、平和共存を
旨とするのである。
「神道の神秘」山陰基央著

素敵だと思った。

1月

13

アランセーター

かつてアイルランドの
アラン諸島に行ったとき、
アランセーターを買った。
ダボダボな大きなセーターを選んだ。
二十年近くたつが、
いまでもよく着る。
暖かいと風が通って涼しく、
寒いと保温がいい。
漁師たちが防寒・防水のために
着ていたというのがよくわかる。
二十年着てこの状態なら
一生ものと言ってもいいだろう。
買ったとき、編んだ人のサインが
タグに入っていた。
あと二十年も楽にもちそうだ。

1月

12

−2℃

早朝の散歩で、
馴染みのパン屋のおじさんが
「今朝は−2℃だってねぇ」という。
公園に行くと芝生が霜で
きらきらと輝いた。
そうだあそこ行こうと
思って歩いて行ったのは
霜柱のできるところ。
その土の上を歩く。
余程寒かったのだろう、
霜柱が固すぎて
踏んでもサクッとつぶれない。
ガチガチ。
強く踏みしめることで
場所によってガスッとつぶれた。
子供の頃を思い出してにんまり。

1月

11

トランプの国

小学一年の頃、
母の知人の俳優さんが
「トランプの国」とか言う
子ども向けの演劇をしたので
見に行った。
いまにして思えば豪勢な舞台だった。
主人公の姉弟がいる。
弟が降った雪を食べて、
なぜかトランプの国に行く。
そこはその名の通り
トランプのキャラクターが
城を守っている。
そこでどんな事件が起きるのかは
忘れてしまったが、
姉弟で難局を乗り越えていく。
そのときのテーマ曲を
いまだに覚えている。
「ごまかし札はやっつけろ
 ジャックとクイーンも勢揃い
 ハートの国のカーニバル
 さあさあジャックのお出ましだ
 今日は楽しいカーニバル」
という歌だった。
はじめて見た舞台だったので
興奮したのを覚えている。
あれから50年ほどたち、
実際にアメリカが
トランプの国になるとは
夢にも思わなかった。

1月

10

麩菓子

幼い頃、麩菓子は赤かった。
赤い麩菓子をサクサクとよく食べた。
最近見かける麩菓子はたいてい黒い。
黒砂糖の色なのだろうか?
ときどき見かけると食べたくなる。
あの歯ごたえを思い出して。

1月

9

仕事の依頼

不意に電話がかかってきて、
ひさしぶりに聞く声に喜び、
新年の挨拶のあと、
「実は知り合いが
 こんなことしたいと言ってるけど
 手伝ってもらえるかな」
と仕事をいただく。
ありがたいことです。

1月

8

馴染みの店の小さな灯り

馴染みの店に歩いていく。
少し離れたところから
小さな明かりが見える。
人影がチラチラ。
今日も誰かいるな。
あれ食べようかなと
もう決めている。

1月

7

お神楽

明治神宮で昇殿参拝をした。
そのときお神楽が奏で上げられ、
巫女さんが倭舞(やまとまい)を舞う。
音程が合ってないことが
気になるのだが、
そもそも音程が
合っているのかどうかは
西洋的価値観で、
お神楽には関係がない。
音程のゆらぎを楽しむのが
東洋的音楽の楽しみだなと
思った瞬間から
お神楽のよさが沁みてくる。
音程の呪縛から解放された瞬間。