2月

28

からだのおとろえ

からだのおとろえを感じる歳になった。
ちょっとした動きにそれを感じる。
それに抗うために運動をする。
定期的に運動すると少しだけ
かつてできなかったことが
できるようになってくる。
それでも間に合わないときは仕方ないが、
間に合う分は取り戻したい。
からだのおとろえを感じるのは
それに気づくきっかけ。

2月

27

喜ぶ子ども

トレッサ横浜でバルシューレの
イベントのお手伝いをした。
バルシューレジャパンの
福士唯男さんの指導のもと、
子供たちを集めてバルシューレ。
子供たちはバルシューレが楽しくて
ただ立っているのではなく、
その場でぴょんぴょん跳びはねる。
楽しいと思わず飛び跳ねるよねぇ。
その様を見て、
こっちも飛び跳ねたくなった。

2月

26

しなければならないこと

仕事のように
「しなければならないこと」が
あるのは、いいことだと思う。
僕の一生の間に
「しなければならない」を
まだやっていない。
だからなんとかできるように
がんばっている。
だけど難しい。
生きている間にできるように
今日もせっせと。

2月

25

USBメモリー

昔はカセットテープや
フロッピーディスクなんてものに
頼っていたけど、
1990年代後半からUSBメモリーが
使われるようになった。
はじめのうちはMB程度だったのが、
時がたつに従いGBへと変わり、
便利になっていった。
いまでは携帯用メモリー
として使うのは
小さくて容量のあるこれぱかり。
これからもまだ容量が増えるのかな。

2月

24

お茶を飲む

お茶の香りはささやかなもの。
そのささやかな香りを嗅ぎながら
湯気の立つお茶を飲む。
渋みと甘みと熱さが口に広がる。
余韻として口に残る旨味が
消えてなくなるまで
静かにしていよう。

2月

23

ブレイク前夜

BSフジに「ブレイク前夜」という番組がある。
副題は「次世代の芸術家たち」。
BSフジで番組を見たことはないが、
たまたまYouTubeで見つけた。
これから有名になりそうな
アーティストを、その作品の映像と
インタビューで紹介していく。
面白いのも、
あまりピンと来ないのもあるのだが、
つい見てしまう。
何かにこだわり、
それを追及し続ける人たちの話は
面白い。
いろんな考えで
いろんなものを作っている人たち。

2月

22

スター・ウォーズ/最後のジェダイ

ヒマラヤの聖者を思い出す。
フォースのご利用はほどほどに。

2月

21

小さな熊手

東京芸術劇場の一階に
シアターアートショップという
グッズショップがある。
アート・演劇・音楽に関連した
グッズを売っている。
変わったものがたくさんあるので
ときどき覗く。
どこかの美術館のグッズだとか、
アーティストの作ったメモ用紙や
一筆箋、ブリキで作った
エジプトの棺に入った色鉛筆だとか、
つい「これなに?」と
言いたくなるようなものが
たくさんある。
その中に「作曲キット」
というものを見つけた。
箱の中に三本のペン先と、ノートと、
小さな熊手のようなものが
入っている。
三種類のペン先はきっと
楽譜用のペン先なのだろう。
昔、僕も愛用していた。
ペン先が平らに削ってあって、
縦に書くと太い線が、
横に書くと細い線が引ける。
それで音符の先の玉の部分を
太い線で書き、軸になる細い部分を
細い線で書く。
あとの二本はなんだかよく
わからなかったけど、
きっと太さが違うんだろうと思った。
しかし、小さな熊手のようなものが
なんだかわからない。
店員に聞くと、
「五線を引くペンです」という。
なるほど、これで一度に
五本の平行な線が引けるのか。
キットにあったノートを開くと
無地のノートだった。
なるほど、五線譜ノートを
作るところから始めるのね。

2月

20

音楽をワクワクしながら聴く

最近音楽は、一定の料金を払うと
ずっと聞き続けられるサービスが登場し、
わざわざCDを買いに行ったりしなくなった。
でもそれでいいのかな?と思う。
一時期そういうサービスを
試しに受けたが、
音楽を聴いていて
あまりうれしくない。
ときどき素敵な音楽に出会えるのは
いいことだけど、
たいていの曲は僕にとって
退屈なものだ。
悪くはないけど、よくもない。
なぜそうなるのか?
僕の好きな音楽は、
それを演奏している
ミュージシャンのことを
多少は知っているからだ。
たとえ知らなくても、
好きになったら知りたいと思う。
ずっと聞き続けられる音楽サービスは
ミュージシャンの背景について
ほとんど知る機会なく流されて行く。
かといって、ひとつひとつ
調べて行くのも大変。
こう考えて行くと、
ただ音楽を聴いているということも、
本当に「ただ聴いている」のとは
違うことがわかる。
せっかく音楽を聴くなら
その曲に感動できる状態、
心が動く状態で聴きたい。

2月

19

あなたと夜と音楽と

ビル・エヴァンス「グリーン・ドルフィン・ストリート」に収められたスタンダード。
ドラムのリズムのみの前奏でいきなりメロディーが始まる。
その入り方がとても粋。
昔、煙草の宣伝に使われていてテレビから流れてきたとき「なんだこの曲は」と思い探した。
コマーシャルに感謝。

2月

18

ピョンチャン冬季オリンピック

羽生結弦が怪我をしていたので
金メダルは難しいかな
と思っていたけど、
見事金メダルを獲得、
宇野昌磨も銀メダル。
スピードスケート
女子500メートルでも
小平奈緒が金メダル。
ほかの競技の選手たちも
四年間の努力の成果を見せてくれる。
スポーツニュースがいつもより
断然面白い。

2月

17

コロンビア スプレモ ナリーニョ

いつものように
江古田珈琲焙煎所に行き、
一杯コーヒーを飲んで
コーヒー豆を買う。
その日は
コロンビア スプレモ ナリーニョ
を飲んだ。
チョコレートのような独特な味。
これを買って帰りました。
うちでチョコレートを食べながら
飲んでます。
チョコの味 プラス
チョコに似たコーヒーの味で
しびれる。

2月

16

赤の書

ときどきパラパラとページをめくっていた『赤の書』を
ついに読み出した。
とても大きな本なので
テーブルに置くだけで一苦労だ。
読み始めると止まらない。
ユングの夢とも想像とも創作とも
言えるような曖昧な世界に
引きずり込まれる。
こんなことが書かれている。

深みの精神は、私の悟性と
あらゆる知識を奪い去り、
説明できず、不条理なことに
身を捧げさせる。
そして私からある一つのことに
役立たない言葉と文字の
一切を奪った。
ある一つのこととは
意味とナンセンスとの融合であり、
これが超意味を生み出すのである。
ところで超意味とは、
来るべきものへの進路であり、
道であり、橋である。
つまりそれが来るべき神である。
それは来たるべき神自身ではなくて、
神のイメージであり、
このイメージが
超意味の中に現れるのだ。
神は一つのイメージであって
神を崇拝する者は
超意味のイメージの中において
崇拝せねばならない。
   『赤の書』創元社刊より

ユングはこの本を書くことで
様々なことに気づいて行く。
そして『黄金の華の秘密』
と出会って書くのをやめる。
こんなことも書かれている。

道は唯一つしかない。
それはあなたたち一人ひとりの
道である。
(中略)
皆、自分の道を行きなさい。

先を読むのが楽しみ。

2月

15

トブラローネ

トブラローネの小さなチョコをいただいた。
子供の頃にときどき普通サイズの
トブラローネを食べた。
親父がどこかでもらってきたのだ。
大きくて食べ応えがあった。
いまではサイズか小さくなったり、
イギリスでは三角の間隔を広げたりして
騒ぎになったそうだ。
チョコに混ざっているヌガー、アーモンド、
ハチミツの味が懐かしい。

2月

14

センス・オブ・ワンダー

朝、駅までの道を歩いていると
ポールでできたガードレールを
小学生の男の子ふたりが
一生懸命蹴っていた。
何をしているのだろう
と思って近づくと、
外枠の太いポールを押さえる
細いポールに、
鉄製の輪が括り付けてあり、
ガードレールを蹴ると
その輪が振動して、
ビョーンという不思議な音を
発していた。
公共物を蹴って遊ぶとは何事だ、
と思ったが、
ビョーンという音に対する
センス・オブ・ワンダー。
黙って通り過ぎた。

2月

13

NEWoMan

新宿にNEWoManという
駅ビルができた。
去年のことらしい。
NEW-o=Manと読んで、
真ん中の「o」の意味は何だろうと
思っていた。
あるときふと気づくと、
「NEW Woman Man」がくっついて
「NEWoMan」なんだなと思った。
そう見えたきっかけは、
その駅ビルに行くと
女性らしい中性的な雰囲気の
男の子が何人もいたから。
新宿らしいと思った。
売っているものも中性的な商品が
多いような気がした。
LGBTがもう少数者では
ないような気がした。

2月

12

一人で泳ぐ

いつも泳いでいるプール。
いつも誰かが泳いでいる。
たまたま誰もいなくなると
急に水面がきれいになる。
誰かか泳いでいると、
必ず水面に小さな波が立つが、
誰もいないとその水面が
鏡のように静かになる。
僕が動いてはじめて揺れる。
鏡のような水面を
泳いで行くのが気持ちいい。
実際にその様を
見られるわけではないけど、
泳ぎ始めるとき、
静かな世界に入って行くことになる。
泳ぎ終わって振り返ると
僕の泳いだ航跡と
広がりつつある波がある。

2月

11

ロコモコ食べた

昨日、ロコモコが食べたいと書き、
そのあとでロコモコを食べに行った。
検索したら池袋に
ビッグアイランドカフェという
ハワイアンカフェを発見。
行ってひさしぶりに
ロコモコを食べた。
生ビールに「ビッグウェーブ」と
「ロングボート」があると
書かれていたので、
「ロングボード」を頼んだら、
「今日はビッグウェーブしかありません」と言われた。
まあどっちも美味しいからいいや。
ひさしぶりのハワイ気分。

2月

10

ロコモコ

ふとロコモコを思い出した。
ひさしぶりに食べたい。
僕が以前食べたのは
マウイ島のパイオニア・インで。
ご飯にハンバーグステーキと
目玉焼きがのった丼物のようなもの。
ただし、海外では丼がないので
お皿に載って出て来る。
スタンダードなものは
グレイビーソースがかかっているというけど、
僕の食べたものはホワイトソースだった。
最近では東京でも
出してくれるところがときどきある。
書いているうちに
さらに食べたくなってきた。

2月

9

サクサクとできること

なぜITがこれほど普及したのか
というと、なんでもかんでも
効率を高めてくれるから。
欲しい書類は検索すれば出て来るし、
スマホで大切なメモを書いておけば
デスクトップのパソコンでも表示される。
文章書かなくても何か言えば
かってに文字化してくれるソフト
なんてモノもある。
なんでもかんでも便利になるけど、
ただひとつうまく行かないのは
人の感情。
便利になればなるほど、
些細なことで
感情的になることがある。
昔に比べればずっと便利なのだから、
少し肩の力を抜きましょう。

2月

8

スライドショー

サイトのトップによくあるスライドショー。
サイトに設置するために探すと、
いろいろと面白い機能があるものがたくさんある。
マーケティングの中心がWebに移動しつつある。
というか、かなり移動した。
多様性のあるいろんな仕事が生まれてくるね。

2月

7

最後のパーカーGEL

最後のパーカーGELの
リフィルを使うことにした。
ずっとこれを愛用していたが、
何年か前に製造中止になり、
最後のリフィルを使わずに
大切にとっておいた。
大事にしていても古くなるばかりで、
いつか書けなくなってしまうだろう。
それよりも使ってやる方がいい。
最後の書き味を楽しんでいく。

2月

6

水の音

気持ちいいものとして
何度も思い出すもののひとつに
水の音がある。
一滴だけ水滴が水面に落ちる音。
波の音。
せせらぎの音。
ちょろちょろ流れる水の音。
滝の音。
水琴窟の音。
泳いでいるときの音。
雨の音。
雨の音にもまたいろいろある。
どれも素敵。
なぜ水の音に心慰められるのだろう。

2月

5

ボーラン

アイルランドの民族楽器にボーランがある。
でっかいタンバリンのような楽器だ。
それを一本のバチで叩く。
そのバチは鉛筆のように持ち、
もの凄く早く振り回して
細かいリズムを叩く。
ドラタタ、ドラタタ、ドラタタ、ンタンタ
みたいに、アクセントを付けたり
休符が入ったりして複雑なリズムを産み出す。
かつて練習してできるようになったけど、
もうきっと無理だろうな。
叩けたときは楽しかった。

2月

4

リターン・トゥ・オマドーン

マイク・オールドフィールドのことをネットで調べたら、
去年新譜を出していることに気がついた。
早速買って聞いた。
「オマドーン」という言葉の意味が
わからないが、それは
マイク・オールドフィールドの
三作目のアルバムのタイトルだ。
「どこにいったい戻ってくるのか」
よくわからないまま聞いた。
インナースリーブを見てなるほどと思う。
ますひとつはバージンレーベルにもどった。
インナースリーブの一枚目に
木の写真が載っている。
これが何の木の写真か
わからなかったけど、
次の写真で類推ができた。
その写真には書類が写っていて
そこに「The Manor Mobile Unit」と書かれている。
マナースタジオに戻ってきたんだな。
最初の三部作を録音したスタジオだ。
しかも、使っている楽器は恐らく
シンセサイザーやコンピューターの
補佐を得ずに演奏しているのではないかと思う。
ネット上には「オマドーン」という言葉は
「馬鹿者」を意味するとある。
それが本当なら、
マイク・オールドフィールドは
「馬鹿者に戻る」訳だ。
いったい何がバカなのか?
自分ですべての楽器を演奏して
多重録音で音楽を作るという
とんでもない手間をかけることに
戻ってきたのだろう。
いまでこそそうやって音楽を作る人は珍しくないが、
1970年代には珍しかったのだ。
そもそも機材を手に入れるのが大変だった。
まあ、いろいろと書きつつ、
「リターン・トゥ・オマドーン」を
聞いて幸せ。
これに尽きる。