Search Results for: コーヒー

1月

10

コーヒーの旨さ

幼い頃、コーヒーといえばインスタントコーヒーだった。
カップにコーヒーの粉を落としてお湯で解かす。
それに砂糖とミルクを入れた。
ところがある日、13年上の兄が、サイフォンで引いた豆のコーヒーを淹れてくれた。
僕は小学生だったが、その旨さに目を見張った。
なんだこれはと。
以来、コーヒーの虜になった。
いろんな豆を挽いてコーヒーを淹れた。
でも、当時はコーヒー豆の味がいまのように安定していなかった。
店によっては焙煎して何日もしたコーヒー豆を売っていたが、当時はあまりそんなこと気にされなかった。
だからコーヒー豆の味を追求しても、あまり仕方がなかった。
いまは焙煎したての豆をいただけるようになったので、豆の違い、産地の違い、農園の違いがはっきりしてきた。
追っかけていくとはまるだろうな。
クラシック音楽も、演奏者やオーケストラ、録音の時期によって違いがあるように、コーヒーの産地や焙煎の度合いなど、些細な違いを評価できるようになると。

8月

15

コーヒーを淹れる

なるべく焙煎したてのコーヒー豆の挽きたてをドリッパーで淹れる。
お湯を少しずつ落としながら泡のドームを作る。
泡のドームが落ちついてからまた少しずつお湯を落とす。
こうやって淹れて行くと、時間がとてもかかる。
泡のドームなんか気にせずに、どっとお湯を落とせば時間は短縮できる。
要はどちらが美味しいか。
物理的には違いがあるとは思えない。
しかし、気分には違いが生まれる。
その違いに重きを置くかどうか。

7月

31

アイスコーヒーの氷

かなり以前に、アイスコーヒーの氷をアイスコーヒーで作ったことがある。
それだと溶けてもアイスコーヒーは薄くならない。
だけど、実際にやってみると、あまりおいしいとは思えなかった。
それで気がつく。
アイスコーヒーは濃くないと嫌だが、薄くならないのも嫌なのだ。
最初の一口は濃い方がいい。
だけど飲んでいるうちに、濃いのがくどくなる。
終わりの頃にはちょっと薄いくらいのがいい。

2月

27

コーヒードリップケトル

ずっとコーヒーをドリップするのに電気湯沸かし器からお湯を落としていた。
電気湯沸かし器に「コーヒードリップモード」というのがあり、そのスイッチをセットすると、お湯がゆっくりと出てきたのだ。
それでなにも不自由ないので、それでコーヒーを淹れていたが、実はコーヒードリップケトルが気になっていた。
コーヒードリップケトルはコーヒードリップのために作られた小振りのヤカン。
注ぎ口が細長くて、あそこを通るときにきっとお湯の温度が丁度良くなるのだろう。
欲しいなぁと思いながら、そこまでコーヒーの味にこだわるか?と思い、買わないでいた。
すると天に願いが聞き入れられたのか、神の配剤か、もらうことになった。
さっそく説明書にあるように洗って、二度ほど水を入れては沸騰させて、ついにはミネラルウォーターを使ってお湯を沸かし、コーヒーをドリップしてみた。
江古田珈琲焙煎所の御主人の真似をして、細かく砕いたコーヒー豆をドリッパーにセットしたらその真ん中にまずはチロッとお湯を落とす。
大地に雨がしみ込むように、コーヒー豆にお湯が浸透した頃、次のチロロッを落とす。
コーヒー豆の大地の真ん中に、泡のドームが小さくできる。
ムフフ。
チロロッ、チロロロッ、チロロロロッと、少しずつ落とすお湯の量を増やしながら、泡のドームを次第に大きくして、ついにはコーヒー豆全体から旨味を引き出す。
できたコーヒーを飲む。
う、うまい。
いままでと物理的にはたいした違いはないはずだ。
気のせいだろうか?
いや、違うと思う。

10月

22

朝のコーヒー

毎朝のようにコーヒーを飲む。
豆を電動ミルに入れて、細かく砕き、粉にしてドリッパーにセットする。
お湯を注いでいくとコーヒー豆の粉がふっくらと膨んできて、コーヒーの香りが充満する。
朝の心地よい儀式。
以前にもここに書いたから、もう書かないと思っていたが、あえて書いてみる。
繰り返される心地よさは忘れてしまいがち。
記憶を遡っていけば、幼い頃に13歳年上の兄にコーヒーを入れてもらった幼稚園児か小学生のころにたどり着く。
あれから何度繰り返したのだろう。
それぞれの時に、それぞれの喜びがあり、それぞれの感覚があった。
もし朝にコーヒーを淹れられなくなったら、それだけで寂しいことだと思う。
朝にコーヒーが淹れられることの、何というありがたさ。

3月

13

コーヒーを淹れる

生まれてこの方、何回コーヒーを淹れたんだろう?
何百回ではきかない。
きっと何千回のオーダー。
毎日淹れたとして30年続けていたらと考えると、そろそろ一万回に近づいているかも。
大学生くらいまではインスタントコーヒーだったけど、就職してからはほぼ豆から淹れている。
そう考えると一万回になったかもな。
サイフォンはいちいち洗うのが面倒なので、ほぼいつもドリップで楽しむ。
最後にサイフォンで淹れたのはいつだろう?
10年くらい前かな。
こう書くと、ひさしぶりにサイフォンで淹れてみたくなる。
あのポコポコという音がいいよね。
サイフォンで淹れたのは数十回程度かな。
それ以外、ほぼいつもドリップ。
かつて実家には挽いた豆をセットすれば自動でコーヒーを淹れる簡単なマシンがあった。
懐かしいな。
今は手で淹れる。
挽き立ての豆にお湯を落とすと、フワッと豆が盛り上がるのがいい。
香りもたつ。
かつて母さんは僕がコーヒーを淹れると喜んでくれた。
だけど基本的にはコーヒーを好まなかった。
飲むときは胃にやさしいと言って牛乳を入れた。
僕も何杯も飲む時はその教えを守っている。
いまは相方に淹れている。
相方も喜んでくれるが、牛乳を好まないので僕のように何杯もは飲まない。

6月

27

朝鮮人参の香りのコーヒー

行きつけの喫茶店に行った。
そこでは豆の名前が「国名・地域名・農園名」で書かれている。
だから同じコロンビアでも、実は少しずつ違う味であることがわかる。
しかもその店で焙煎していて、ほかより安い。
そこに行ったとき、新しい豆が入っていた。
味の特徴に「シナモンの香り、バターの香り、うんぬんかんぬん」と書かれていた。
頼んで飲んでみる。
最初の香りに懐かしいものを感じた。
それは昔、親父が飲んでいた煎じた朝鮮人参の味と香りだった。
店主に「朝鮮人参の香りがしますね」と言ったら、「そうですか。朝鮮人参を飲んだことがないからわかりませんでした。僕にはシナモンの香りでしたね」という。
シナモンを感じない訳ではない。
でも、僕の第一印象は朝鮮人参なのだ。
そしてふと気づく。
もしコーヒーのリストに「朝鮮人参の香り」と書かれていたら「飲みたい」と思う人はいるだろうか?

9月

5

コーヒーモヒート

日差しが強く暑い日に
外を歩いた。
自動販売機で水を買おうとするが、
どこの自販機も売り切れ。
ヘトヘトになって歩いていると
上島珈琲店を見つける。
アイスコーヒーを飲もうかと思うが、
メニューに
コーヒーモヒートを見つける。
ノンアルコールだというので
大きなサイズを頼む。
ゴクゴク飲んでのどの渇きを癒す。

3月

20

コーヒードーム

ドームと言って思いだすのは東京ドーム。
それからスノードーム。
スノードームは美術館があるほどで、
あの小さな世界に憧れる人が
多いのですね。
今回の話題はコーヒードーム。
焙煎したてのコーヒー豆を
挽いてすぐにドリップすると
できてくるコーヒードーム。
このところ豆は江古田珈琲焙煎所で
買っているので
うちでドリップすると
必ずコーヒードームができてきます。
まずは挽いた豆にお湯を垂らし、
粉砕された豆がお湯を含んでから
ゆっくりと細いお湯を
垂らしていきます。
するとモコモコとコーヒードームができてくる。
このときにコーヒーの香りが
フワァーと立ち上がります。
この時点でもうコーヒーを味わっている。
できあがるわずかに赤みが射した
漆黒のコーヒー。

6月

19

かき氷

ある時、ある場所にアンティークな雰囲気の喫茶店があった。
その店に入り、ブレンドコーヒーを頼んだ。
若い女の店員がコーヒーと一緒に小さなかき氷を持ってきた。
「これは?」
「サービスです」
女はカウンターの中に戻って行った。
そのかき氷は、氷がフワフワで、食べたことのない味がした。
カウンターの向こうにいる店員に聞いた。
「これは何のシロップですか?」
「お客様はこの店ははじめてですよね」
「はい」
「次にいらしたときにお教えします」
ちょっとムッとした。
なぜいま教えてくれないんだ。
きっとこれはお店のプロモーションの手法なのだろう。
その手に乗るか。
二度と来ないと心に決めた。

あれから三年が過ぎた。
いまだにあの店の雰囲気とかき氷の味が忘れられない。
再びアンティークな雰囲気の喫茶店に来た。
前と同じ席が空いていたのでそこに座った。
若い男の店員がやってきた。
ブレンドコーヒーを頼んだ。
しばらくしてコーヒーだけがやってきた。
店員に質問した。
「あの、かき氷は?」
男は「かき氷?」と復唱し、「うちには置いていませんよ」という。
「三年ほど前にここでコーヒーを頼んだら、サービスですとかき氷が出てきたんですけど」
「うちではないでしょう。この店を僕は五年ほど経営していますが、カキ氷なんて出したことがありませんよ」
言葉を失った。
男は「ごゆっくり」と言って
カウンターの奥に消えた。

5月

15

山形のだし

「山形のだし」が何を意味するのか、十年ほど前に知った。
ご飯にのせるととてもうまい。
健康にもきっといいだろう。
でも、きちんと作るのはちょっと大変。
がごめ昆布をどうやって入手するのかがわからない。
なので代用品を使うことになる。
先日、カルディ・コーヒーに寄ったら、「山形だしの素」が売られていたので早速購入。
美味しかったけど、がごめ昆布のぬるぬる感はなかった。

12月

5

電動ミルと手回しミル

30年くらい使っていたコーヒー豆用電動ミルが故障した。
スイッチを押しても動かない。
それで、以前使っていた手回しミルを出した。
相方が埃のつかないようにラップでくるんで保存していたのですぐに使えた。
同じブレンドの豆を挽いて淹れても電動と手回しでは味が違う。
こんなに微妙なものなのかと驚いた。

6月

25

盛夏

まだ6月なのに盛夏のようだ。
気温は36度になった。
半ズボンを履いて、バリシャツを着て、首には水を含ませるとひんやりするタオルを掛けて、窓を開け放って、風に吹かれている。
真空断熱タンブラーにアイスコーヒーを入れてちびちびと。
37度になったら仕方ないのでエアコンかな。
もう少し頑張ろうかな。
はっきりしない夏より、暑い夏のほうが好き。

6月

21

サーモス真空断熱タンブラー

2012年にスターバックスでフロストロゴダブルウォールグラスというのを買った。
ガラスが二重になっていて、アイスコーヒーを入れてもグラスの表面に結露しない。
とても重宝した。
しかし、ガラス製だったので4年で割れてしまった。
同じようなものを探すと、ステンレス製のサーモス真空断熱タンブラーを見つけた。
これがとても重宝している。
熱いの入れても、冷たいのでも、いい。
特にいいのは冷たいもの。
結露しないので、アイスコーヒーを入れて机の上に置いておいても、まわりがびしょびしょになることはない。
でも、お客様に出すときはびしょびしょになるかもしれないグラスをコースターに載せて使う。
そのほうがアイスコーヒーらしいから。
この使い分けを自然としていて、あるときそのことに気づく。
自分の行動を面白いなと思う。

4月

13

湧き出す記憶

フランク・プウルセルのレコードがうちに一枚だけあった。
そこにFM東京の番組、ジェット・ストリームのテーマ曲になっていた「ミスター・ロンリー」が入っていた。
それが聞きたくてアマゾンミュージックでフランク・プウルセルのアルバムを聴いているが、タイトルがほぼすべてフランス語で書かれているので、英語タイトルで書かれているのは「あ、あの曲ね」と思えるが、多くは聞いてみてはじめて「あの曲か」とわかる。
ときどきかかるかつて聴いていた曲。
そういう曲がかかると、ずっと忘れていた懐かしいことを思い出す。
「Le Torrent」という曲がかかった。
聞いた途端、それは家のアルバムでは「急流」というタイトルの曲だったと思い出す。
一緒に、コーヒー豆の置かれていた戸棚が湧き出てきた。
あまり使わないサイフォンと、4種類の豆、そして電動コーヒーメーカー。
いろいろとブレンドしてみたが、好みはマンデリン5とモカ1だけだった。
半世紀も前のこと。

1月

26

K君と墓参り

大学生の頃、理系だった僕たちは、実験レポートの提出前に内容を照らし合わせたり、教え合ったりすることを口実に、仲良しがそれぞれ車で真夜中にファミレスに集まり、コーヒーを飲みながらいろんなことを話した。
ある日K君が「これから母さんの墓参りに行きたい」と言いだした。
一緒にいたT君と僕は驚いた。
零時を過ぎて、そろそろ帰ろうとか思っていたときにそんなことを言われた。
「もうすぐ丑三つ時だよ。こんな時間に墓参りしてどうするの?」
K君は「いいじゃん。きっと楽しいよ」。
どうしてそんな話になったのか詳しくは覚えてないが、「母さんに二人を紹介したい」という感じだったように思う。
K君は幼い頃に母親を失っていた。
その思い出のいくつかを聞いていた。
そういう文脈で断るほどT君も僕も冷淡にはなれなかったので、三人でK君の母親が眠る郊外にあった大きな霊園に午前一時過ぎに行った。
あたりは真っ暗。
だけど、幹線道路が霊園のそばを通っていたので、何も見えないというほどではない。
うっすらと影が見えるお墓がたくさん並ぶなか、K君は「こっこちこっち」と母親のお墓に向かって歩いて行く。
怖くないというわけではないが、怖くてたまらないというほどではない。
K君の母親に会いに来たのだ。
「ここだ」と言って一つの墓石を示された。
暗くてよく見えないが、そこで三人で手を合わせた。
すると「鈴の音が聞こえたね」とK君がいう。
「きっと母さんが喜んでいる」
僕には聞こえなかったが、否定はできなかった。
そして、本来であれば怖いはずの、見知らぬ霊園の真ん中にいて、思い出話を聞いていたK君の母親といると思うとさほど怖くはないという、不思議な感情を味わった。

7月

15

KOMEDA is

東銀座の KOMEDA is という喫茶店に入った。
正しくは is のあとに横長の四角が入るのだが、そんなのどうやって表現していいのかわからないので省く。
その喫茶店で「アボ照り」というハンバーガーを食べた。
アボカドの照り焼きハンバーガー。
肉の部分が大豆でできているが、知らないと気づかずに普通に食べてしまう。
全部植物由来のものしか出さないというのがコンセプト。
KOMEDA is も「コメダイズ」と読み「米大豆」にかけてある。
だからコーヒーのミルクも豆乳を投入。
店員さんの対応が細やかで気持ちよかった。

3月

5

お湯待ち

朝起きてトイレに行く。
見た夢を反芻する。
モデルの女の子が和服を着て立っていた。
なんの夢だろう?
頭を掻きながらトイレから出て、コーヒーを淹れることにする。
コーヒードリップケトルに水を入れ、コンロにかける。
カップにドリッパーをセットして、紙フィルターを載せる。
コーヒー豆を電動ミルで砕く。
フィルターに砕いたコーヒー豆を入れてお湯待ち。
カップ二杯程度の水はすぐに湧くので、立ったまま待つ。
水がふつふつしてくるのと一緒に、見た夢もふつふつしてくる。
夢の中でモデルの女の子が何を考えているか感じていた。
男が近づくとモデルは倒れかかった。
そのときの感覚。
男はモデルにつかまれて立たせる。
「平気ですか?」
「はい」と言ったときの感情の動き。
「服が乱れてしまったので、直してもらえますか?」
「いいよ。両手を横に伸ばして」
女は両手を横に伸ばして男の目を覗き込む。
男は女の帯を解いて着物を直し、また帯を結ぶ。
「これでいいかい」
「お食事に連れて行ってもらえませんか?」
「いま?」
「はい」
「あいにくいま持ち合わせがない」
「じゃあ今度」
ふと、ふたりの感情が両方とも、手に取るようにわかったことに気づく。
言葉の間にある一瞬の感情。
どちらの感情もここにあることが不思議なことだと、湧きつつあるお湯を眺めながら知る。
「不自然な夢だ」
きっと僕が非二元なんてことを考えているから、夢がそれに合わせてくれたのだろう。
夢はそのくらい自由なものだと教えられた気がする。
しゃらくさい夢だ。

1月

30

冬の冷え切った青い空

風が吹くと震え上がる、
厚着をしないと凍えてしまう、
そういう冬の冷え切った青い空の下、
手袋をして歩いて行こう。
人出の少ない砂浜や、
いまでは小さくなった畑の道を、
てくてくてくてく。
最後にコークスの焚かれたストーブのある、
木造のうちでコーヒーをすすろう。
それだけでひとは、幸せになれる。

4月

22

テレビを消して

本を読む。
コーヒーを淹れて飲む。
お茶を点てる。
誰かと一緒に料理する。
静かに語る。
窓の外を見る。
青空を見上げる。
音楽を聴く。
見たい映画を選んで見る。
ゆったりと呼吸する。

3月

1

テレワーク

相方がテレワークを始めた。
ダイニングでパチパチとキーボードを叩いている。
コーヒーなど淹れにいくと「飲む?」と聞いて一緒に淹れてあげる。
普段とは違う生活になった人が多いだろう。
飲食店は集客が心配だと思う。
アート関係ではイベントが中止になりお手上げの人もいるだろう。
こんなときこそいままでにない楽しみを見つけるべき。
僕は何かの参考になるかと思い『デカメロン』を読み出した。
出だしはペストの流行から始まる。
死に直面した10人の男女が、それまでの常識から逸脱して語り合う生の現実。
僕たちもなにがしかの覚悟が必要かも。
願わくば、ここしばらくの窮屈な感覚を吹き飛ばすような何かをしたい。

12月

19

パナマ ラ・エスメラルダ農園 ダイヤモンドマウンテン 中浅煎り

江古田珈琲焙煎所で販売していたコーヒー豆の名称。
昔はモカとかコロンビアとか、簡単な名前でしかコーヒーを認識していなかったけど、江古田珈琲焙煎所に通うようになって、僕の中のコーヒーの概念がかなり変わった。
同じコーヒー豆でも、作っている国や農園が違えば味は違う。
こんな当たり前のことに気づいていなかった。
そして、もし気づいていたとしても、微妙な違いのあるコーヒー豆を手に入れることは無理だった。
だから、江古田珈琲焙煎所に通うのは楽しい。
「へー、こんな豆があるんだ」と思って一杯飲み、好きと思えばその豆を買い、好みではないと思えば普段の江古田ブレンドを買う。
タイトルの豆はとても穏やかな味がする。
僕にとっては夜、寝る前に飲んでもいいような落ち着きを感じる。

5月

7

ビール麦茶

JA東京あおば総合園芸センター
ふれあいの里で買い物をした。
区内外で採れた農作物を売っている。
そこに「ビール麦茶」があった。
手に取ると
明治33年、練馬区で栽培された
日本初のビール麦
「金子ゴールデン」で作った
麦茶です、と書かれている。
面白そうなので買ってみた。
淹れてみると普通の麦茶だ。
だけどこの商品にはすでに
歴史的な物語が刻まれている。
中荒井村(現・豊玉南)の
金子丑五郎が六条大麦の「四国」と
米国ビール麦の
「ゴールデンメロン」を
自然交雑した麦の中から選び出し、
日本初めてのビール麦として
育てたそうだ。
当時は関東一円で栽培され、
国産ビールに使われていたが、
昭和25年頃から
使われなくなっていた。
平成15年、農業生物資源研究所に
保存されていた「金子ゴールデン」を
JA東京あおばが中心となり、
練馬の農家が栽培し、
金子ゴールデンを収穫、
それを使って練馬の地ビール
「練馬金子ゴールデンビール」を
作った。
このビールもふれあいの里で
売られている。
この麦を使った麦茶だから
「ビール麦茶」。
この季節になるとずっと
アイスコーヒーを作っていたが、
相方が胃の調子が良くないというので
今年はこの麦茶にする。
幼い頃には母にお願いして
麦茶に砂糖を入れて飲んだりした。
最近でもペットボトルの麦茶を
飲んだりすることはあったけど、
作った麦茶を
冷蔵庫から取り出して飲むと
とても懐かしく感じる。

2月

17

コロンビア スプレモ ナリーニョ

いつものように
江古田珈琲焙煎所に行き、
一杯コーヒーを飲んで
コーヒー豆を買う。
その日は
コロンビア スプレモ ナリーニョ
を飲んだ。
チョコレートのような独特な味。
これを買って帰りました。
うちでチョコレートを食べながら
飲んでます。
チョコの味 プラス
チョコに似たコーヒーの味で
しびれる。