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3月

9

歩くこと、走ること

このところ足が動かない。
一年ちょっと前に入院して以来、長い距離を歩けなくなった。
半日椅子に座っていると、足が動かなくなる。
一時間くらい歩いたり、自転車で走ったりすると、少し楽になる。
十数年前まではマラソンしてたのに。
今ではジョギングも難しくなってしまった。
歩いたり走ったりすることの爽快さを思う。

3月

13

日光 その2

朝日が出た日には、作務衣一枚を素肌に着て朝日を浴びる。
作務衣が黒いせいか、冬でも朝日で温められて寒く感じない。
同じことを曇りの日にやると寒くてしょうがない。
それだけ朝日の熱が大きいということ。
そのまま椅子を出して一時間くらい本を読んでも大丈夫。
不思議なことに、PCを見過ぎて落ちた視力が、朝日で本を読んでいるうちに回復してくる。
そのときは文字がはっきり読めるのでうれしい。
PCを見出すとまた落ちるのだが。

10月

26

アームチェア

歳をとって筋力が落ちてくると、肘掛がある椅子がありがたくなる。
以前は肘掛は邪魔なくらいに思っていた。
歳をとるとありがたいものが増えるんだな。

6月

8

小部屋

ピアノを動かして作った小さなスペースに、座り心地のいい椅子を入れ、入口に小さな扉を付けた。
読書室のできあがり。
狭い場所で本を読む。

4月

27

ミニドーナッツ

コンビニでミニドーナッツを買った。
このところ運動してない。
一日椅子に座りっ放し。
血糖値の高い僕が口にするものではない。
でも、ぱくり。
毒ほどうまいものはない。

11月

8

赤い部屋

目が覚めると部屋が真っ赤になっていた。
日が昇るのが遅くなり、朝焼けの時間に起きたから。
「部屋が赤いなぁ」と思いながら。いま見ていた夢を思い出す。
中東の人たちになぜか、僕の部屋の本を半分ほどと、机や椅子やPCを盗まれていた。
「なんでこんなものを盗んでいくんだろう?」と思いながら、日本の呪術で呪われると大変だよと思っていた。

2月

8

世の中はあふれている

いい情報も悪い情報もゴッチャになって流れている。
その整理をつけるのがきっと人間の仕事だろう。
にもかかわらず本の読めない人が増えていると言う。
長い文章があると理解ができない人。
そういう人は短い文章から理解していけばいい。
文章はそもそも面倒なものだ。
一瞬で理解できることも、文章にするとどうしても時間がかかる。
でも、時間をかけたおかげで理解できることもある。
「一瞬で理解できる」というのは魔物だ。
「一瞬で理解できる」ことの深さを問わなければならないが、その深さは往々にして長い時間をかけて言語化をしてはじめて表に現れてくる。
その深さは人によって全く違うものだから、その深さについて論議することはとても時間のかかる仕事になる。
わかった気になって放置しておくと、些細な差があとで大きな差になってくる。
だから、繊細な人ほど文章が理解できないと思い込むのではないか?
同じ文章の解釈は丁寧に考えていくと百人百様。
表面上は同じ意味だが、その行間に分け入っていくと、読む人によって見ているものが異なってくる。
だから、わかるわからないなんかあまり気にせず、とにかく読んでみること。
僕が小学生の頃、親父が「ようじは江戸川乱歩が好きか?」というから、「好きだ」と答えた。
怪人二十面相などの子供向けの推理小説を読んでいた。
ところが、それから数日後に、大人向けの江戸川乱歩の全集が届いた。
小学生にはどうかじりついても読めない。
人間椅子になって女性に座られる喜びなんて、小学生には理解不能だ。
笑うしかない。
だけど少しずつ読んでいった。
小学生にこんな教育してもいいのかと思いながら、「こんなの読ませるなんて、変な親父」と思いながら読んでいった。
でも、そのおかげで、理解できないものを読んでも、いつか理解できる時が来ることへの信頼が僕のなかに生まれた。
いまだによく理解できない文章に出会う。
でもそれは、いつか理解されることを待っているのだ。
さあ、世の中にあふれている意味の渦に飛び込もう。

11月

2

ブサキ寺院での礼拝

バリ島のブサキ寺院は
いくつかのお寺が
集まってできている。
その中心にあるのが
プナタラ・アグン・ブサキ寺院。
ここに三大神である
ブラフマ・ヴィシュヌ・シヴァを
祀っている場所があり、
そこで礼拝する。
この三神をまとめて
トゥリ・ムルティと呼ぶが、
その三神のための椅子が
その礼拝所には用意されている。
礼拝所に座り、
アグン山の方向に目をやると
高い場所に
その三つの聖なる椅子が目に入る。
神様は目に見えるものではない。
その見えない神を
そこに降ろすことをイメージした。
そしてその場所と
自分の祖先や親族と
大宇宙に感謝することを促される。
すると、その三つが、実はすべて
つながっているものであることが
イメージでき、そのことに震えた。

6月

5

力を抜く

何かがうまく行かないとき、
からだ全体の力を抜く。
肩に力が入っていたり、
腰に力が入っていたり、
ふくらはぎに力が入っていたり、
思わぬ所に力が入っていたりする。
椅子に座って楽にして、
からだのすみずみを感じてみる。
足や手、お腹、背中、首、肩、
あご、口、目、額、耳、頭皮などを
順番に感じてみる。
どこかに力が入っているのを感じたら、
その力を緩めましょう。
「がんばってくれてありがとう」
といいながら。

4月

3

スパッと切れるトマト

包丁が鈍ってくると
トマトが切れない。
無理に切ろうとすると
中のジュースがジュワジュワと
出てきてしまう。
下手をすると種まで出てきて、
サラダに使うと見た目がよくない。
こういうときは押し切りせず、
スッと包丁を引くと少し改善するが、
切れのいい包丁にはかなわない。
スッと切るとスッパリ切れて
ジュースも種も元の位置にある。
サラダで食べるのは
こういうトマトがいい。
ときどき、うちの近所に
「包丁研ぎ隊」が来る。
橋のたもとに年配の方々が
2、3人道具を足元に置いて
携帯用の椅子に座って並んでいる。
お願いすると刃物を研いでくれる。
うちには研ぎ器があるので、
それでガーッとやれはいいのだが、
一度「包丁研ぎ隊」に頼んでみたい。

3月

15

気持ちいいものを探さない

本当に気持ちいい状態にいたら
きっと気持ちいいものなど
探していない。
でも、ずっとそういう状態にいると、
たまたま気持ちよくない状態に陥ったとき、
不快感を強く感じるだろう。
生きていれば必ず、
不快に思うことが現れてくる。
そのときに不快を手放すことを
学ばなければならない。
それができるかどうか。
わざわざ気持ちいいものを探すのは
普段意識していない
気持ちいいものに、
気づくための練習。
毎日座っている椅子は
当たり前に座っている椅子だから
気持ちいいなんて感じることはあまりない。
でも、あえてそれに気づいてみる。
その上で、それを忘れてみる。
たまたま気づいた不快を、
意図的に手放すことの練習。
時間の無駄?
もしかしたらそうかもしれない。
でも、もしかしたら違うかもしれない。
きっと自分が
どう考えているのかによる。