7月

4

夢についての夢

もう10年以上も前にこんなことを
どこかに書いた。

人は手を自由に使うことで
外界に変化を与えるようになった。

これは確か霊長類を研究している
誰かの本で読んだことだと思う。
それに僕はこんなことを書き加えた。

言葉も、外界を変化させるために
生み出されたものだと思う。

最近読んだユングの
「変容の象徴」に
ボールドウィンの引用があり、
こう書かれていた。

つまり言語は、精神的な意味を発達
させ保存するための具体的で事実に
即した歴史的な道具である。言語は
社会の判断と個人の判断が一致する
ということのすぐれた証言であり、
証明である。妥当であると判断され
た、共通の法則に従う意味は、言語
化されて、社会的に一般化されたも
のとしての「社会的」に意味になる。

これを読んで僕の空想が飛躍する。
夢についての夢を見た。
つまり、夢とは、
外界を変化させることの
できなかった生物が、
自身の心の中で納得するために
生まれた、
出来事を合理化させるための
手段だったのではないかと。

動物に心があるのかないのか
よく議論されたが、
人間の心と同じ「心」は
ないかもしれないが、
心の前駆段階のようなものは
あるだろう。
それは、その生命が置かれた
さまざまな状況を受け入れるために
生み出される思いであり、
人間にとっての夢のようなもの
なのではないかと感じた。

夢は理屈の通った状況を
生み出さない。
なんでこんなことを思うのか
理解不能なものが多い。
それは言語を持つ以前の思考
だったのではないかと思うのだ。
丁寧に説明すると長くなるので
これでやめるが、そう思って、
なんとなくうれしくなったので
ここに書いた。

6月

6

赤の書から抜粋

あなたはこの時代の精神に仕え、深
みの精神を免れることができると思
っている。けれども深みはもはやこ
れ以上ためらわずに、あなたをキリ
ストの密儀に無理やり押し込めるで
あろう。人間が英雄によって救済さ
れるのではなく、自らが一人のキリ
ストとなることがこの密儀に属して
いる。このことはこれまで生きてき
た聖者たちの例が象徴的に教えてく
れる。

—————

赤の書は心理学者ユングの著作。
第一次大戦を前に精神状態が不安定
になり、黒い表紙のノートに夢やヴ
ィジョンを書き連ねて行く。これを
ユングは黒の書と読んだ。当初、ユ
ングはなぜそれを書いているのか、
理由がわからなかった。しかし、第
一次世界大戦の開戦により、心の不
安定さはその予告であったことを知
る。

1914年から16年をかけ、黒の書を清
書した。中世の写本を彷彿とさせる
装飾を施して。この清書は赤い表紙
の大きな革装のノートに書かれたた
め『赤の書』と呼ばれる。

ユングの死後、銀行の金庫に保管さ
れ、内容を知ることはできなかった
が、2009年、遺族が許可を出し、各
国で出版されていった。

2月

16

赤の書

ときどきパラパラとページをめくっていた『赤の書』を
ついに読み出した。
とても大きな本なので
テーブルに置くだけで一苦労だ。
読み始めると止まらない。
ユングの夢とも想像とも創作とも
言えるような曖昧な世界に
引きずり込まれる。
こんなことが書かれている。

深みの精神は、私の悟性と
あらゆる知識を奪い去り、
説明できず、不条理なことに
身を捧げさせる。
そして私からある一つのことに
役立たない言葉と文字の
一切を奪った。
ある一つのこととは
意味とナンセンスとの融合であり、
これが超意味を生み出すのである。
ところで超意味とは、
来るべきものへの進路であり、
道であり、橋である。
つまりそれが来るべき神である。
それは来たるべき神自身ではなくて、
神のイメージであり、
このイメージが
超意味の中に現れるのだ。
神は一つのイメージであって
神を崇拝する者は
超意味のイメージの中において
崇拝せねばならない。
   『赤の書』創元社刊より

ユングはこの本を書くことで
様々なことに気づいて行く。
そして『黄金の華の秘密』
と出会って書くのをやめる。
こんなことも書かれている。

道は唯一つしかない。
それはあなたたち一人ひとりの
道である。
(中略)
皆、自分の道を行きなさい。

先を読むのが楽しみ。