2月

8

ホケノ山古墳

大神神社に参拝に行ったとき、立ち寄った古墳。
箸墓古墳のすぐそばにある。
さほど大きくないし、登れるようだったので登っていった。
小高い丘となっていて、周囲をぐるりと見回すと、いくつかの古墳らしき丘が見える。
とても気持ちがいいので相方がそこで踊りだした。
両手を広げて「アー」っていいながらクルクル回った。
隣にいて思わず笑った。

2月

8

古墳時代の謎

日本中に16万基もの古墳を造ったという古墳時代。
そんなにお墓を造ってどうするんだろうと思っていたら、とても合理的な説明をしている人がいた。
小名木善行という人。
こんな説明をしている。
「古墳時代と言われている頃に水田がたくさん造られました。
 水田は水路を確保するために水平な土地をたくさん造ります。
 そのために掘り起こされた土がたくさん出る。
 それを積んでおいたのが古墳になったのです。
 あるときから水田の規模が大きくなったので、大きな水田を造ったリーダーを祀るために、大きな古墳の頂上に葬るようになったのでしょう。
 しかも、水害が起きたときには古墳の高さが役に立ちます。
 避難所になるのです。
 そうやって水田技術が広まると同時に古墳も広まっていったのです。
 それが400年するとピタッとなくなるのは、水路が完備して、土砂を一カ所に溜めておく必要がなくなったからではないですか?」
日本中に16万基ものお墓を造り続けたという話よりは、こちらのほうが腑に落ちる。

6月

1

古墳時代

僕が小・中学生くらいの頃には、古墳時代という区分はなかったように思う。
縄文・弥生・飛鳥・奈良・・・となっていたはずだ。
弥生と飛鳥のあいだにいつの間にか古墳時代が入っている。
いつからなんだろう?
古墳は全国になんと16万基以上ある。
古墳時代はだいたい400年ほどだから、単純に計算すると年間400基の古墳が作られていったことになる。
僕はそれがとても不思議なことだと思う。
かつて仁徳天皇陵と呼ばれた古墳が世界遺産の候補になっている。
それはきっとめでたいことなんだろうけど、本当にめでたいのかどうかは立場によるようだ。
世界遺産に認定してもらうために大山(仙)古墳と名前を改めた。
つまり仁徳天皇の陵ではないことがわかっているから。
さらに日本の文字の発生はこの頃だと言われている。
漢字が渡ってくる以前、日本には神代文字というものがあったという主張があるが、学術的にはまだあまり認められてない。
神代文字は何種類もあり、立場によって主張が微妙に異なるため学術的に認められないようだが、存在したことは確かなことのように思われる。
なぜなら、400年のうちに16万基の古墳を作るのであれば、その作り方等を文字文書にしてないはずはないと思うからだ。
古墳を作る技術にはたくさんの知識が必要だろう。
それを徹底させるための文書があり、それを多くの人が目にして読み、それを人夫たちに伝えない限り、あのように巨大な構築物は作れないのではないか?
しかも、毎年400も。
その文書がすべて漢字であったのだろうか?
もしかしたら大陸から信じられないほどたくさんの人たちが日本に押し寄せてきたのだろうか?
そして、大陸から来た人たちと、もとからいた日本の人たちとの混血が始まったのだろうか?
大陸と日本の言葉がクレオール化したものが日本語となったのだろうか?
日本語に漢字が使われているのは、そういうことなのかもしれない。
謎がたくさんあるって、なんかワクワクする。