1月

15

全体を知る

新しいメディアがひとつできると、そのたびに僕たちはうれしくなる。
知らなかったことが知れるようになるから。
本ができることによってプロテスタントが生まれた。
同じ聖書をたくさんの人たちが手にできるようになったから。
雑誌や新聞が生まれて社会が変化するようになった。
昨日より今日が、今日より明日がよりよいものになるために何をすれば、何を考えればいいのか、多くの人が気づくようになったから。
ラジオができて大きなグループの感情が一方向に向くようになった。
リーダーの感情が声で伝達されるようになったから。
テレビができて比較的世界が平和になった。
言葉では伝えられない状況を目で見ることができるようになったから。
このようにして大雑把な理解の密度を人類は少しずつ上げてきた。
インターネットが生まれてさらに理解の密度を上げる可能性を手にする。
次に生まれるメディアが、前のメディアでは伝えられなかったことを伝えて行く。
僕たちはこうして、いつか宇宙の全体を知るようになるのだろうか?
それを知るために新しいパラダイムが、もうすぐやってくるのではないか?
その新しいパラダイムは、権力者にすべてが集中するようなものではないだろう。
そのことをテイヤール・ド・シャルダンは美しい言葉で表現している。

生命の樹の樹液全体を一本の枝だけのために集め、他の枝の死の犠牲の上に立つ民族主義者の理想は誤っているし、自然の理にそむいている。太陽にむかって伸びあがるためには、まさに木の枝全体の成長が必要なのである。世界の出口、未来の扉、超=人間への入口、これらは、いく人かの特権者やあらゆる民族のなかから選ばれた唯一の民族だけに開かれているのではない。それらは万人の圧力に対して、すなわち、全人類が地球の精神的革新において一致団結し、完成されるような方向に対してのみ道をあけるのである。

『現象としての人間』 ティヤール・ド・シャルダン著 美田稔訳 みすず書房刊

1月

14

グーグルマップ

何十年も前に旅行したところをグーグルマップで覗く。
懐かしい建物があることもあれば、まったく町並みが変わってわからなくなっていることもあり、とても面白い。
30年前には考えられなかった遊び。

1月

7

シンプル

かつてネットは、個人がかなり自由に使えたものだった。
使いたい人が使いたいように使う。
その便利さが受けてあっというまに拡がり、悪用するものも出てくるようになった。
おかげでネットは複雑になっていく。
個人でメールマガジンを発行するのも難しくなってきた。
条件をいくつもクリアしないと届かない。
悪用防止という言い訳で、権力を掌握したい人たちが難しくしているのではないか?
もしかしたら、中心のまわりの人たちが忖度してそうなっているのかもしれない。
世の中がどんどんと便利になり、多くの人たちが応用できる技術が増えてきた今日、大企業が優位を保ち、一般人を操れる状況にしたいのはよくわかるが、それでは幸せな社会は作れないだろう。
ネットがシンプルでいられるようなパラダイムとは何か?
今は絵空事に思えるだろうが、それを考えないと、せっかくの技術がもったいない。

12月

20

4000回

この号で『日刊 気持ちいいもの』は4000号になりました。
ご購読ありがとうございます。
5000号にはささやかな個展でもできたらいいなと思っています。

12月

18

テラ

大学生の頃、記録用のディスクはキロバイトだった。
就職した頃にメガバイトになり、すごいなぁと思っていた。
それがいつの間にかギガバイトになり、いまではテラバイトないと不安になる。
ペタバイトになるのは時間の問題か?

12月

10

写真の合成

初夢について語り合うイベントのビジュアルを作るのに、6枚の写真を渡された。
フォトショップでコラージュを合成する。
見たことのない異世界が生まれた。

12月

9

あふれる言葉

中村哲医師が殺され、SNSでは中村医師を賛美し悼む声が鳴り響いている。
二ヶ月ほど前、中村医師がアフガニスタンから名誉国民として市民証を授与されたニュースが入った。
そのニュースはあまり話題にはならなかった。
なぜだろう?
陰謀論の好きな人はきっとこういうだろう。
「喜びや賞讃されるような話はマスメディアは流さないんだよ」
確かにそういう部分はあるかもしれない。
でも「いいものはいい」と伝えてくれる人もいる。
「搾取するためには人民を困った状態に置かなければならないのに、ヒーローが助けるような話が一般化したら搾取できなくなるから、権力者は人民が困っているという情報だけしか流したくないんだ」
そうなのかな? そうかもしれないがそれを肯定する材料がないからなんともいえない。
こういう人もいる。
「一般の人が嫉妬したりうらやむような話はあまり流れないんだよ」
視聴率が上がらないとマスメディアには流しにくいからね。
それはあるかもしれない。
だとしたら、一般の人が嫉妬したり、うらやんだりしないようにならない限り、いまの状況は続くことになる。
でも、そのことだけに話を収束すると、それは正しくないような気がする。
現代の僕たちにとって、単純な言葉は罠だ。
社会は複雑に絡み合い、個人の感情もネットワーク社会によって生まれてきた算出しようもない果てしない関係で形作られる。
誰か一人が何かを乗り越えたところで何も変わらない。
その絶望感が世界を覆う。
でも、考え方をちょっと変えると希望も見える。
みんなで考え方を改めると、それはもの凄いパワーを生み出すということ。
そのきっかけとなる言葉が、ネットにあふれている。
新たな複製子が生まれるとき、そこには必ず解き明かせない混沌がある。

12月

4

音声入力

この原稿を音声入力を使って作ってみた(。)
思っていたより使えるので驚く(。)
時々とんちんかんなことを書かないかなぁと実は期待している(。)
でもほとんど誤変換がない(。)
驚いた(。)
何か難しいことを言ったら誤変換してくれるんじゃないかと思っていろいろ期待するが(、)全くないので帰って(かえって)つまらない(。)
やった(、)帰ってる(かえってが)間違えている(。)
いちど(誤)変換したら次々に間違い始めた(。)
雄太(コンピューター)も自信を失うことがあるんだろうか(。)
実際の原稿を作るには手で修正しなければならないな(。)
その方がコンピューターとしては可愛げがある(。)
文の最後には。(マル)取り(と)入れれば良いのであろうか。
丸和(マルは)入った。
大家(こうや)れば、店(テン)も入るのかな。
店(点)を入れるのが(は)、(テン)と言えば良いのだろうけども、(テン)でわからないことがあるんじゃないのかな。
伝統(テンと)、の区別を求めるのは酷だよな。

( )内は手で修正しました。

11月

22

INDIGO

大学生から就職した頃まで、よくハイ・ファイ・セットを聞いた。
一番好きなアルバムはなんといっても「Pasadena Park」だったけど、たまたま「INDIGO」というアルバムを見かけた。
僕の記憶からはすっかり消えていた。
でも、「聞いたことがあるかも」という感触があったのでネット上にあったそれを聞いてみた。
完全に覚えている訳ではないけど、断片的にメロディーを覚えている。
聞いているうちに心がなんかザワザワする。
この曲と一緒に忘れた思い出があるのだろう。

7月

19

縄文化

1997年、ヒーリング・ライティングを始めたとき、いったい自分が何を始めたのか、よくわかっていなかった。
いまでもよくわかってない部分があるだろう。
でも、わかった部分もある。
当時、自分で書いた文章を発表する人は少なかった。
インターネットが始まったばかりの頃だ。
ヒーリング・ライティングを始めて「文章の書き方をわざわざ学ぶかな?」と言われた。
でも、そこそこ人は参加してくれた。
癒されるために。
癒されて文章が書けるようになると、たいていの人はそこでやめる。
方法を手に入れたから。
当初はそれでいいと思っていた。
しかし、時間とともに何かが変わっていく。
何が変わったのだろう?
それは環境や社会だった。
インターネットが一般化し、SNSが広がると、みんな何かしら文章を書くようになる。
とても短い簡単な文章を。
かつて文章を書く人はこんなことを言った。
「書きたいと思うことと、実際に書いていることにズレを感じる」
多くの人はそのズレを埋めるために文章を書き、その結果文章がうまくなっていく。
しかし、SNSができると「書きたいと思うことと、実際に書いていることにズレを感じる」という人は鳴りを潜めた。
「イイネ」が付くことで安心する。
自分の心に書いていることのズレを聞くのではなく、他人に認めてもらって満足する。
「自分が感じていること」について深くは考えず、みんなが「イイネ」してくれることに流されていく。
僕みたいに「自分の心に聞いてみる」なんて奴は鬱陶しいだけだ。(笑)
こうして自分と社会との分断が始まる。
自分の心は置き去りにして、社会に同調することを覚える。
自分は社会の部分となり、全体にはなり得なくなっていく。
その結果、心も次第に部分しか見えなくなる。
選挙のときにそれが現れる。
「どうせ僕の一票は何の役にも立たない」
部分しか見てないために全体が見えないからだ。
政治について考えるためには全体を知らなければならない。
自分の住んでいる地区、都道府県、日本を知った上で、世界全体を考え、経済を考え、過去と未来を考える。
きちんと考えるためには、日常生活を送っている多くの人にとって時間が足りない。
全体を知るなんて無理としか思えない。
だから棄権する人もいるだろう。
だからあまり考えずに投票する人もいるだろう。
僕もかつてはそうだった。
いまでも本当に全体を考えているのかどうかはかなり疑問だ。
「全体」というものは得られるようで得られない。
話を簡単にするためにたとえとして三つの人格を取り上げる。
「読者」と「作家」と「編集者」。
ヒーリング・ライティングではこの三者が一体になることを目指していた。
それに気づいたのは最近のこと。
三者が一体になると全人格者になれると仮定する。
この三者が一体になどなれるのか?
「読者」も「作家」も「編集者」も、断片的な人格なのだ。
「読者」はただ受け取るだけ。
「作家」はただ発信するだけ。
「編集者」は「作家」が発信したいことを「読者」が受け取りやすくする工夫をするだけ。
工業的な社会ではそれで良かったと思う。
情報化社会になってこのような分断は、精緻に組み合わされるようになる。
インターネットでは「読者」であり「作家」であり「編集者」であることを求められる。
円環が閉じつつある。
分断されていた「読者」「作家」「編集者」が統合されていく。
きちんと統合されるためには学ぶ必要があることがとても増える。
しかし、それらを学び切って新たな地平に立つ人が増えていくだろう。
端から見ているとそこにはほとんど何の変化もない。
癒しと同じだ。
それは、深い解釈とともにもとの状態に戻ること。
分断は、統合のために必要なステップ。
ここで話は一気に飛ぶ。
すでに長く書き過ぎた。
日本人は深い解釈とともに縄文の社会に戻っていく。

7月

9

メディアの発達

メディアが発達したことで、世界中の人たちと近くなれた。
海外旅行にも気軽に行けるようになった。
字幕付きの映画をケーブルテレビでいくらでも見られるようになって、英語が少しうまくなった気がする。
メールアドレスやSNSのIDさえわかれば、誰とでも対話ができるので、誰とでも仲良くすることを無意識にも心がけるようになったように思う。
こうやって、人と人との距離が近づくと、喧嘩も起こりやすくなる。
インターネットができたばかりの頃、いろんな人がいろんなところでバトルしていた。
いまでもあるが、かつてのような感情むき出しのバトルは少なくなったように思う。
炎上しても、少しは礼儀作法がある。
まぁ、人にもよるのだろうけど。
メディアが発達したら、自分の心もそれ相応に発達させないとね。
適切な教育があれば、昔の人より容易に成熟した大人になれるような気がするが、一方で、命のやりとりをするような場面が減ったせいか、苦みばしった価値観の深い大人は減ったような気がする。
社会全体が幼形成熟(ネオテニー)しているのかな?

7月

4

スパムメールの山

スパムメールが毎日山のように届く。
メールソフトの上でほぼ毎日のようにポチポチと消去する。
メールソフトではサーバーのスパムも消すように指示しているのだが、なぜか消えずに残っている。
それは数ヶ月に一度はポチポチと消していく。
まったく無駄な作業だ。
そう考えることで感情が高ぶる。
落ち着かせようとしても無駄だ。
落ち着かせようとすると感情は高ぶる。
落ち着いていることが肝要だ。
まるで瞑想だな。
スパムメールも使いようによっては気づきの入口。

5月

28

アネーカーンタヴァーダ

ジャイナ教に「アネーカーンタヴァーダ」という考え方がある。
一言でいうと多元論と価値の多様性の原理。
三冊の本を読み比べて、どういうことかを探ってみた。
しかし、不明なことがまだ多い。
アネーカーンタヴァーダを比較的きちんと説明しているのはなんとウィキペディアだった。
インターネット万歳。
多次元リフレーミングの内容が濃くなった。

5月

27

菩薩行を生きる

2010年頃に『チベット仏教・菩薩行を生きる』という本を読んだ。
いい本だった。
『入菩薩行論』という仏典の翻訳だ。
2016年にダライ・ラマ法王が日本でその説教をした。
そのときの録画がこちらにある。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p4367/
ひさしぶりにその本を取り出し読み、なるほどなぁと思う。

5月

15

サイトを作りなおす

ヒーリング・ライティングのサイトを作りなおした。
前に使っていたCMSが、ページ数が増えるごとに更新が難しくなり、困っていたのでwordpressで全部作りなおした。
これで気が向いたときに更新していける。
http://www.healingwriting.com/

5月

7

心の散逸構造を確立する

今朝起き掛けに「心の散逸構造とは何か」と夢から問いかけられた。
散逸構造とはベルギー人のイリア・プリゴジンが1970年代に確立した考えで、液体など、流動的な物質に現れる現象だ。
たとえば生命は散逸構造である。
物質を取り込み、そこからエネルギーなどを抽出して、別の形でいろんなものを発散させることで、生命という非平衡的な状態を維持する。
つまり「心を散逸構造と見ると何が現れてくるのか」という課題を夢から与えられたのだ。
朝起きてイリア・プリゴジンを検索すると、エリッヒ・ヤンツの「自己組織化する宇宙」に序文を寄せていることを見つける。
もう30年近く前に読んだ本なので「おや、そうだっけ」と思って書棚から引っ張りだして読んだ。
その序文を読み終わり、ページをパラパラとめくると、その本の終わりにあった文章に赤線が引かれていた。僕がかつて引いた赤線だ。

生命を、とりわけ人間の人生を、自己実現のプロセスと見ることもできる。外的には、ダーウィン的な側面が解放に拮抗する体験を形成し、内的には、協調的な側面がより豊かな交響楽を奏でる意識のクレシェンドとなって、自己を実現させていく。自己組織化の新たなレベル–心の新たなレベル–が切り開かれる自己超越において、意識の和音はより豊穣なものとなるのだ。無限にきわまって、聖なるものと一致する。だが、聖性は人格とかのかたちをとることはなく、むしろ、多レベルのリアリティの総体的な進化ダイナミクスとして現れる。神秘に代わって〈意味〉が、われわれの主題に加わるのである。オルダス・ハクスレー流に言えば、われわれは〈全体意識〉となり、すべてを包括するこの心の進化に、そして〈意味〉という聖なる原理に、ひとりひとりが参与することになる。

はじめてこの本を読んだとき、「外的には、ダーウィン的な側面が解放に拮抗する体験を形成し、内的には、協調的な側面がより豊かな交響楽を奏でる意識のクレシェンドとなって、自己を実現させていく。自己組織化の新たなレベル–心の新たなレベル–が切り開かれる自己超越において、意識の和音はより豊穣なものとなるのだ。無限にきわまって、聖なるものと一致する。だが、聖性は人格とかのかたちをとることはなく、むしろ、多レベルのリアリティの総体的な進化ダイナミクスとして現れる。神秘に代わって〈意味〉が、われわれの主題に加わるのである。」の部分が、よくわからなかった。

二度目に読んだとき、ここがとても大切だなと思って赤線を引いた。

三度目にこの箇所を読んで、この部分を誰もが理解できる物語にしたいと思う。

4月

21

サイトを作る

1998年頃からサイトを作り始めた。
96年頃からインターネットが普及し、WINDOWS98で一般的になった。
GO LIVEというサイト制作ソフトを友人からもらい、それではじめてのサイトを作った。
タイトルは「つなぶちようじの生息域」。
タイトルと、真ん中に牛が一匹いるイラストだけの、ほとんどなんにもないサイトだった。
次第にコンテンツが増えていったが、それをたくさんの人が見に来てくれた。
面白かったのは、海外にいる日本人が見に来てくれたこと。
「飛ぶ教室」というイベントをおこなったときには、フランスやアメリカから問い合わせがあった。
その頃は反応がとてもよかった。
いまは詐欺やなりすましが心配なのか、かつてほどには問い合わせは来ない。
インターネット黎明期というのは新しい出合いがたくさんあって、楽しいものだった。

4月

8

テラバイト

年々、使うハードディスクの容量が大きくなり、いまではテラバイトが当たり前になった。
かつてはキロバイトでやっていたが、それがメガバイトになり、いつしかギガバイトになり、ついにテラバイトになってきた。
容量が大きいと使っていて楽だが、整理しようとすると大変だ。
テラバイトはなんでもかんでも入れっぱなし。

3月

30

リストレスト一体型マウスパッド

「りすとれすと」と入力したら「リスとレスと」と表示された。
違うよ「リスト・レスト」だよとつぶやいて「やれやれ」と思う。
どうでもいいけど。
10年以上愛用の「リストレスト一体型マウスパッド」を使ってきたが、汚れてしまい、一番困ったのは「リストレスト」のジェル部分が溶解し始めたことだ。
ベタベタしてきたので使っていて気持ち悪い。
愛用していたがこうなっては仕方ないと買い替えた。
新しいのはさすがに使い心地がいい。
机にピタッとくっついて動かない。
マウスの動き具合も軽快になった。

3月

11

8年目

毎日書くと言いながら、書いたり書かなかったりして8年がたった。
8年前の今日、7年ぶりに「日刊 気持ちいいもの」を書き始めた。
そして、その日に東日本大震災が起きた。
もう8年がたったのかと思う。
最初に「日刊 気持ちいいもの」を書き出してからは20年がたつ。
あの頃は初代のiMacとPHSを使っていた。
PHSは普通の携帯より軽くて好きだった。

1月

31

こっそり覗く

とある雑誌にインタビュー記事を掲載した。
インタビューをした方がその記事を喜んでくださってFBに書き込んでいる。
こっそり覗いて僕も喜ぶ。
インタビューをした方を喜ばせるために書いた訳ではないけど、喜んでもらえるとやはりうれしい。

1月

26

インターネットが使えない

一昨日「インターネットが使える」と書いたが、いまだに回線が不安定でときどき落ちる。
落ちたときにメールを送ろうとしていると頭に血が昇る。
「このやろう」という怒りとともにやり場のない鼻息が書斎にあふれる。
大坂なおみのように後ろを向いて深呼吸。
スーハー。

1月

24

インターネットが使える

このところインターネット回線が不安定で思うように使えなかった。
いまもまだ完全に復旧したという訳ではなく、たまたま使えるときにメールを流すという感じ。
ケーブルテレビの回線を利用してインターネットを使っているので、昨日はテレビもつながったり切れたりしていた。
不自由な思いをしてはじめて思い出す、普段のありがたさ。

1月

15

海鳴りの島から

「海鳴りの島から」というBlogをときどき見る。
芥川賞作家目取真俊のBlogだ。
だけど、そこには小説作品の話はほとんど出てこない。
何が書かれているのかというと、辺野古の基地建設反対運動についての日誌が書かれている。
ほぼ毎日、辺野古でどれだけ理不尽なことがなされているかを書き続けている。
読んでいると切なくなる。
なぜ沖縄だけに基地が集中するのか。
なぜ沖縄の人たちが嫌だと訴えても聞き入れてもらえないのか。
「海鳴りの島から」は沖縄のアイデンティティーが見えてくる。
特に、沖縄以外が沖縄に押し付けているアイデンティティーが。
では、東京のアイデンティティーとは何なんだろう?

10月

17

人の意識は融合できない

人は、悲しいほどに
ひとりひとり別の存在。
だからこそ、
互いに意見が相容れないことがある。
コンピューターなら何台でもつなげて
いろんなデータの共有ができるが、
人間は、
何人もの人が集まって討議すると
必ずと言っていいほど
意見が割れてしまう。
人によって何を大切にしているかが
異なるからだ。
逆に見ると、コンピューターには
そのようなことがない。
個人が尊重する主義のようなものより
そのときどきに与えられる
判断の根拠によってのみ
物事を決めていく。
個人の主義のようなものは、
感情にも根差している。
それがいいか悪いかは
どう考えるかによるが、
コンピューターはそれを考える
判断の根拠を
与えられるまで待っている。
AIはいつかその判断の根拠も
考えるようになるのかもしれないが、
それはもしかしたら人間にとっては
危険なことかもしれない。
人間は意識の融合ができないからこそ、
互いに言い合う必要が生まれ、
少しの共通認識と、
多くの意見の異なりを生む。
意見がみんな違うから
ある程度の歯止めがかかるが、
判断が一度に共有され,
ある方向に動くとなったら
一度に動けるAIは
人間という存在をどう扱うのか?
そう考えると、人間同士のいざこざは
実はそれほど悪いものでもないように思えてくる。