4月

23

春瀬央季ラストステージ

10年以上応援してきた宝塚宙組の春瀬央季さんが最後の舞台に立っている。
その舞台「NEVER SAY GOODBYE」を見て来た。
Front Lineで歌って踊る春瀬さんを見て感動した。
お疲れ様。
ありがとう。

4月

11

HELL YOU TALMBOUT

映画「アメリカン・ユートピア」が評判だったので見た。
ディヴィッド・バーンのライブ・パフォーマンスを映画にしたもの。
この映画の中で「HELL YOU TALMBOUT」という歌が歌われる。
曲が始まるとすぐに涙が流れる。
なんだこのエネルギーは。
気持ちいいわけではないが、何か大きな明言されてない思いが伝わってくる。
あとで調べると、HELL YOU TALMBOUT はスラングで「御託並べてんじゃねぇよ」みたいな意味だという。
ネットで調べた歌詞には「Hell you talkin’ ‘bout」と書かれていた。
何回か「Hell you talkin’ ‘bout」と叫んだあとに、「○○,say his (or her) name}と続く。
○○には個人名が入るのだが、その映画ではその名前が誰のモノなのか、説明はない。
だけどその名の人と思われる写真が大写しになり、わきに生年月日と没年月日が表示される。
なかにはその人の家族が写真を持っているようなものもあった。
映画を見ている最中にはいったいどういう人の名を呼んでいるのかわからなかったが、生年月日と没年月日から、寿命をまっとうした人ではないことだけは理解できた。
あとで調べると、みんな人種差別によって殺された人のようだ。
言語化されていないエネルギーに圧倒された。

3月

31

フクさんの「高齢ADHD母の遠距離介護記録」

いろんなBlogを読んでいるが、ほぼ毎日読むBlogは少ない。
そのうちのひとつが「高齢ADHD母の遠距離介護記録」。
90歳近い母親のADHDと認知障害を心配しつつ、ときどきその行動に腹を立てる。
筆者は東京に住んでいるが、九州に住んでいる母親のお世話にときどき帰る。
東京にいるときにはアレクサで繋いで、いつでもお話しをできるようにしている。
その日常のつらさと楽しさ。
母と娘の関係を幼い頃から現在まで、行きつ戻りつしながら、タペストリーのように編み上げています。
自らの感情の揺れを認めつつ、いろんな角度から見つめ直すフクさんの文章に脱帽です。
https://55enkyorikaigo.hateblo.jp

2月

22

スーパー猫の日

今日は2022年2月22日で、スーパー猫の日だそうだ。
相方が喜んで朝からニャーニャー言っている。
楽しそうでいい。

2月

10

スノーエンジェル

前回、雪が降った時、「スノーエンジェルを作りたい」と言われたことを思い出す。
作れるほど積もるかな?

1月

28

はじめて見たオゴオゴ

バリ島のニュピの日に、プリカレラン家にホームステイさせてもらった。
ニュピ前日の夜、低級霊を祓うために、村ごとに大きなはりぼての鬼を作り練り歩く。
その儀式や鬼をオゴオゴという。
当時バリ島の街にはほとんど街灯がなく真っ暗だった。
その中を数十人の男たちが高さ五、六メートルもあるようなオゴオゴを神輿のように担いで移動していく。
時々なぜか彼らは走り出す。
数十人が一度に暗闇の中を走ってくると、その音は恐怖をもたらす。
うっすらと見えるオゴオゴの影、激しい息と意味のわからない言葉、そして数十も重なったペタペタというサンダルの音。
どう避けていいかもわからない。
狭い道の中で揉みくちゃにされて、ひとごみから吐き出されると、オゴオゴを引き回した集団は遠ざかっていった。

1月

19

怪談

幼い頃、怪談を聞くのが好きだった。
あの、怖くてぞわぞわする感覚に酔った。
兄がよく体験談をしてくれた。
それを父に話したことがある。
「純ちゃん(兄のこと)こんな怖い経験したんだって」
兄が嘘をつくとは思えなかったので、その体験はすべて真実だろうと信じて話した。
すると父がこう言った。
「僕も一つだけ、僕の父さん、ようちゃんにとってはおじいさんだな、から聞いた怪談があるよ。聞く?」
もちろん聞いた。
祖父は戦前、樺太の真岡に住んでいた。
そこに知り合いの老婆がいて、その老婆は不思議な能力を持っていると噂されていた。
その老婆があるとき病気になり、町外れの病院に入院したそうだ。
祖父はいつか見舞いにと思っていたある日、夜に厠に行った。
いまでいうトイレだ。
当時のトイレは汲み取り式だから匂う。
母屋から少し離れたところに作られていた。
厠で用を足し、出てきて水道で手を洗おうとすると、水道が不思議な音で唸りだした。
驚いて様子を見ていると、震える水道の蛇口から水煙のようにして、あの老婆の顔が現れた。
驚いた祖父は「何をしている」と怒鳴ると、老婆はこう言って消えた。
「退屈だからねぇ」
翌日、町外れの病院に老婆に会いに行った。
すると老婆は祖父の顔を見るなりこう言った。
「退屈だからねぇ」

1月

17

ブラバンの秘密

「聖なるもの」に向き合ったときの感覚をヌミノーゼといい、その感覚がしたときのことを思いだしているが、本当にこれもヌミノーゼと呼べるかどうかは判断が分かれるところだと思う。
でも、僕の感覚はそうだと伝えてくれているので、そのように扱う。
高校生の頃、僕はブラスバンドに入っていた。
そこで指揮をやらせてもらえることになった。
指揮をしていた先輩から、演奏会の直前にメンバーを集めて必ずこれを言うようにと、演奏会を成功させるための秘密の言葉を教えてもらった。
そのときの僕にはそれを言う理由がまったくわからなかった。
「そんなこと」としか思えなかった。
そこで文化祭の時、3回の演奏のうち1回を、わざとそれを伝えないで演奏をした。
すると何も間違いのない演奏だったが、ほとんど誰も感動しなかった。
きちんとそれを言うと、観客も演奏者も、とても感動する演奏会になった。
それを知って以来、僕はこの言葉を呪文と呼んでいる。
それはこんな言葉だ。
「これからする演奏はたった1度のものだ。同じお客様に聞いてもらうことはもうない。僕たちも同じコンディションでやることはもうないだろう。だから、いまの僕たちにできる最高の演奏にしよう」
これをいうとなぜかゾクッとした。
そして、その演奏にみんなが感動する。
うまいとか下手とか、そういう次元ではない何かが働いた。

11月

26

ノーマン

本棚の奥から「ノーマン」という漫画が出てきた。
手塚治虫が1968年に描いた作品。
読んで驚いたのは、「スターウォーズ」と似たシーンがいくつか出てくること。
デススターとそっくりな建造中の人工星が出てくるし、その中にはデススターの中とそっくりな柱状のコンピューターがある。
フォースのような超能力も出てくるし、話も五億年前の宇宙戦争について。
「スターウォーズ」がパクったのではないかと思えるほど。
もしこれが偶然の一致だとしたら、人間の深層心理にこういう元型のようなモノがあるのかもしれない。

11月

22

切ない話

この世には、切ない話がたくさんある。
切ない話を「気持ちいい」とは言えないけど、切ない話の中にわずかな希望や、善意や、ささやかなハッピーがあると素敵だなと思う。
じんわりと心温かくなる。

11月

4

かたいからだ

からだがかたくなったと思う。
滑らかな動きがしにくい。
動画サイトで踊っている女の子を見て、「こういう動きはもうできないな」と思った。
そこでやってみる。
からだじゅうがゴキゴキいう。
でも、何か楽しい。

10月

24

死ぬ暇もない

(ネタバレ注意)
007の新作を見て来た。
去年の2月に公開予定だったが、コロナの感染拡大で延期された。
ほかの映画よりずっと早く延期が決定されたので、細菌戦がテーマだなと冗談で言ったら本当だった。
「死ぬ暇もない」というタイトルなのに、最後に死んだようだ。
なのに、エンドタイトルの最後に「Bond will return」と出てくるので、頭が混乱する。
あれで生きとんのか?

10月

21

風のささやき

スティーブ・マックイーンが主演していた「華麗なる賭け」という映画の主題歌が「風のささやき」。
小学生の頃、うちにあった映画音楽全集の中に収録されていた。
秋になってその曲を聴くとキュンとする。

10月

5

映画「MINAMATA」の功罪

映画「MINAMATA」にはあきらかに事実とは違う点がいくつかある。
だから、あの映画の話がすべて史実に則っていると思うと、大きな間違いが生じる。
たとえば、チッソはユージンの現像小屋を放火したりしなかったし、ユージンを買収しようともしなかった。
「チッソという会社がとんでもないことをした」という概念を伝えるためにそうしたのだろうことはよくわかるが、してないことをしたかのように勘違いしてしまう人が現れてくるのは問題だ。
水俣にかつてそのような事件があり、それを思い出すためにはいいかもしれないが、事実誤認が大きくなると、手の付けようがなくなるかもしれない。
もしかしたらアメリカでは映画「MINAMATA」は公開されないかもしれないという。
表立った理由はジョニー・デップが家庭内暴力をしたからということになっているが、人によってはチッソから訴訟を起こされた場合、映画会社が勝てないからといっている人がいる。
水俣に興味を持った人は、きちんと事実を調べてみる必要がある。
今日のポイント、映画「MINAMATA」は面白い。でも事実とは違う。
これも正直化の一環か。

10月

2

魂を撮ろう

石井妙子著『魂を撮ろう』を読んだ。
よく書けていると思う。
週刊金曜日の取材で石川武志さんにお話しを聞いていたが、そのとき浮上した問題点が綺麗に書かれていた。
なぜユージンとアイリーンは離婚したのかとか、なぜ封印されていた写真が映画に登場するのかとか。
後者の問題は明確な理由は書かれていないが、状況をここまで書いてもらえばいろんな解釈が可能になり、読者がどう思うか預けてもらったという感じがして、もう充分だと思う。
石川さんからも状況は聞いていたが、雑誌の紙幅では誤解が生じると思い書かないでおいた。
映画「MINAMATA」の背景を知りたい人は読むといい。

9月

28

象の描いた絵

これらはみんな象が描いた絵。
象が描くんだよ。
すごいな象って。
見ているだけで頬が緩む。
象大好き。

9月

22

アフリカ象

市原ぞうの国で見た象は、ほとんどがインド象だった。
一頭だけアフリカ象がいた。
インド象には悪いのだが、アフリカ象はかっこうがいい。
頭の形と耳の大きさ。
耳をパッと広げるとかっこよさが際立つ。
アフリカ象の写真ばかり撮ってしまった。

9月

22

市原ぞうの国

ひさしぶりに象に会った。
それだけでうれしい。
さらにもっと嬉しかったのは、象が絵を描くところを見られたこと。
象が絵を描くんだよ。
数十年前には信じられないことだった。
いまでは当たり前のようにしているけど、人間以外の動物が絵を描くんだよ。
すごいことだよ。
象は人間の言葉もちきんと理解する。
猿の惑星になる前に、象の惑星になったりして。
でも、象は手を使えないから、それはないな。
手の代わりに鼻を使うのかな。
鼻がとても器用だった。

9月

22

複雑性の科学

マシュー・サイドの『複雑性の科学』を読んだ。
わかりやすくていい本だ。
複雑性の価値が明確に理解できる。
政治も、数に物を言わせるのではなく、丁寧な議論を通して、複雑性の価値を利用できるようにして欲しい。

9月

15

多様性を取り込む

多様性が大切な時代になってきた。
自分の考えに多様性を取り込むためには何をすればいいのか?
一番最初の入口は「他人の気持ちになってみる」。
それは小説や脚本を書くといい。
主人公の気持ちになり、脇役の気持ちになり、ほんの一瞬しか登場しないキャラクターの気持ちになってみる。
いろんな発見がある。

9月

7

象に会うぞう

象に会いに行こうと思う。
動物園にだけど。
25年前にアフリカに行ったときは感激した。
象に挨拶されたし、呼んだら来てくれたし、甘えておなかを見せてもらったし、突進してきた子象に「Stop.Turn away.」と言ったらいうことを聞いて踵を返して行ってしまったし。
あの象たち、今はどうしているのかな?
幸せに暮らしていて欲しい。
(別人ならぬ)別象だけど、会うと思うとわくわくする。

9月

6

マンガ

マンガは子供が読むものではなくなったと言われて久しい。
文学にも映画にも影響を与えている。
昔テレビドラマで実写の「バットマン」をやっていたとき、コミックに描かれる擬音がテレビ画面に出てきて驚いた。
「Splash」とか「Bang」とか。
マンガが本格的に電子書籍になったら、もっと変わったことが始まるのかな。

8月

24

ワクワクするエネルギー

何かにワクワクすることはいいことだ。
ワクワクしているといろんなアイデアが浮かびやすくなる。
だからワクワクするために何かを準備しておくことは大切なこと。
たとえばこの「日刊 気持ちいいもの」は、僕にとってワクワクのための準備であり考察であり、体験の反芻場所だ。
ワクワクのエネルギーが枯渇すると、かつて書いた文章を読む。
するとワクワクの種が復活してくる。
だけど、そうは行かないこともある。
まさにそのとき、大切な内的探求が始まる。

8月

2

ウルトラマン

エリアーデ著作集の第六巻『悪魔と両性具有』を読んでいる。
第1章が「神秘的な光の体験」という章で、光にまつわる霊的体験がたくさん例として出てくる。
それを読んでいてウルトラマンを思い出した。
「光の国から僕らのために、来たぞ我らのウルトラマン」だから、幼い僕にとっては神様のような存在だった。
放映開始が1966年7月だから、僕はもうすぐ五歳になる頃。
どんな話だったかは忘れてしまったが、確か中東の砂漠の中から、ウルトラマンの石像が見つかるという話しがあったように記憶している。
その石像に僕は妙に惹かれてしまった。
「神秘的な光の体験」を読み進めていくと、光の信仰の起源はイランにたどり着く。

「これらすべての要素は、極めてイラン化された「宇宙主宰者-救世主」 の一大混淆神話にとって必要不可欠なものである。この神話は確かに、ある一つの形態あるいは別の形態をとって後のユダヤ教キリスト教に影響を与えた。しかしこれらの宗教観念のいくつかは、ミスラ信仰やイラン・セム的な混淆宗教に先立っている」 エリアーデ著作集の第六巻『悪魔と両性具有』p.60-61

これがウルトラマンの起源かと勝手に思う。

7月

24

東京オリンピック開会式に対する共感

昼にブルーインパルスが飛んだ。
残念ながら五輪のマークを完全な形でカメラに捉えた人はいなかったようだ。
雲があったし、風が強かったのかもしれない。
残念であったが、まだパラリンピックがある。
開会式の式典は、ピクトグラムのプレゼンテーションは面白かったものの、それ以外はいまひとつ僕にはピンとこなかった。
あれだけ人が入れ替わるのだから、トップに立つ人にビジョンも信念も欠けていたのだろうと思う。
下で働いた人は大変だっただろう。
会場の外では、オリンピックに反対する人たちと、警官たちとの間で小競り合いが起きていたとか。
デモをしたい気持ちもわかるが、あれだけ大金を投入したのだから成功させたいという気持ちもわかる。
ピラミッド社会が崩れはじめ、球体社会に移行しつつある。
インターネットが生まれたときからそれは始まっていた。
なのに、IT会社がピラミッドを維持しようとしているのはちぐはぐに思う。
トヨタはさすがだなと思う。
時代の嗅覚がほかの企業と比べて桁違いだ。
いま経験しているのと同じような難局が、これから数年、あらゆる分野で起きるのだと思う。
社会のメタモルフォーゼのためには必要なステップなのだろう。