7月

7

騎手がチラッと見るように

昔、イェイツのお墓に行ったことがある。
スライゴーのドラムクリフ教会にある。
墓石に詩が彫られている。
とても印象的だった。
Cast a cold eye on life. on death.
Horseman pass by !

7月

5

Jeff Peterson のギター

ホノルルのはずれを散歩していたとき、疲れたのでカフェにでも入ろうと思い、知らないホテル内のアーケードに入った。
そこにはCDショップがあり、ふらっと入るとギターの素敵な音が聞こえてきた。
きっとハワイアン・スラッキーギターだろう。
ハワイにはスラッキーギターの名手が何人かいる。
前にハワイに行ったとき、スラッキーギターの名手によるベスト盤のようなアルバムを買っていた。
店員に「この曲は誰のなんていう曲ですか?」と質問すると、カウンターに立てかけてあったCDケースを指差して「それだよ」という。
オレンジ色の丘の先に霧に包まれた暗い森が写っている抽象的な表紙だった。
「有名なひとなんですか?」
「いや、新人だよ。いい音だすよねぇ」
そこではじめて Jeff Peterson を知った。
飾られていた「Slak key Guitar ~ The Artistotry of Jeff Peterson」を買った。
以来、何枚かのアルバムを買い、朝によく聞く。

6月

28

嫌なことを体験すること

嫌なことを体験することが「気持ちいい」なんてとても言えない。
だけど、考え方を少し変えると、「気持ちいいかも」と思える。
僕たちは普段「個人」としてしか生きていない。
もしそうであれば「嫌なこと」は嫌なだけだ。
だけど「人類」という集団の一部であると考えると「嫌なこと」は改善すべき問題点に見えてくる。
「人類全体」が心地よい状態であるためには、僕が体験した「嫌なこと」は、改善すべき点となり、僕には改善する可能性が与えられたことになる。
その改善のためには多大な努力と時間と、計り知れないトライ&エラーが必要となるかもしれない。
でも、「人類全体」が心地よい状態になるためのお手伝いができるとしたら、ラッキーなことかもしれない。
その可能性を実現するか無視するかは、自己裁量である。

6月

26

幸せになるということ

「幸せになる」というのはどういうことか考えてみた。
とても個人的で、一般の人には当てはまらない答えだったが、それこそが大切なのだと思うようになった。
それは、幼い頃からの体験に大きな根元がある。
うちには古本屋を開くことができるほど本があった。
木造家屋にただ本棚を置くと、その本棚があまりにも重くなってしまって、ついには床が抜けたりするので、本棚を新しく作るときには土台から作らなければならなかった。
そんな特殊な家に住んでいた。
幼い頃から家中にある本の背表紙を見ながら暮らした。
変な本がたくさんあった。
拷問の仕方とか、即身仏になる方法とか、売笑についてとか、普通の家庭にはこんな本ないよなと思う本であふれていた。
ある日そういう本の中から一冊を手に取る。
幼い頃にはまったく理解できなかった本が、理解できるようになっていく。
それが僕にとっての幸せだった。
そういう幸せに触れ続けるために本を読み、本を書く。

6月

17

粗大ゴミを捨てる

区の粗大ゴミ受付センターに連絡して、粗大ゴミシールを貼って、粗大ゴミを捨てた。
ひとつはラジカセ。
スピーカーが大きくて低い音のしっかり出るいいラジカセだった。
ひとつはファックス。
15年くらい使って来たかな。
気持ちいいかどうかは微妙だな。
愛用していたものを手放すって微妙だ。
気持ちいい部分と、そうではない部分がある。

6月

16

アメリカの混乱

アメリカの混乱は、いったい何が起きているのか正しく把握することが難しい。
アメリカにいる人でもきっとそうだろう。
まして日本にいたら矛盾した話がたくさんあって、どれが正しいのかわからない。
もうすぐきっと日本も同じ状態になる。
これはきっと新しい時代の禊のようなもの。
山本太郎の都知事選出馬で、いろんな勢力がいろんなことを言い始める。
すっきりとしたいい時代に脱皮したい。

6月

12

スマッジを焚く

ひさしぶりにスマッジを焚いた。
気分一新、気持ちが軽くなる。
ここのところ世相は暗いことばかり。
膿を出し切って気持ちよい世界の到来を期待したい。

6月

10

初夏の風

南からの風が、部屋の中を抜けて行く。
吹き抜ける初夏の風が気持ちいい。
服装はすっかり半袖半ズボン。
油断をするとつい居眠りをしそうだ。

6月

8

ピアノを動かす

十数年ぶりにピアノを動かした。
引っ越して以来はじめて。
50cmほど動かしたが、それで体中痛い。
引っ越して来た頃はピアノを少し動かしてもたいしたことはなかったが、十数年の歳月は僕のからだを老化させてくれた。
きっと若い頃より、死ぬのが楽なからだになっているんだろうな。

6月

5

寝転がる

わざわざ書くまでもないことを書くなと思うかもしれませんが、切実に寝転がることが気持ちいいと感じたので書きます。
二ヶ月ぶりに泳いだことは6/3に書きましたけど、その二日後に再び泳ぎに行ったのです。
いつものように泳いだつもりでした。
ところが「いつものように」ではなかったのです。
泳いでいるときは「いつもよりからだが重いな」くらいにしか思っていなかったのですが、一晩明けて朝起きたら、からだが動かない。w
体中が筋肉痛で大変です。ww
なんとか起きてキッチンで水を飲み、もう一度寝転がりました。
気持ちいい!
起き上がりたくなかったのですが、起きました。
また寝転がりたい。

6月

3

二ヶ月ぶりに泳ぐ

ほぼ二ヶ月ぶりに泳いだ。
この十年、週に二度くらいは必ず泳いでいたので、こんなにブランクがあいたのははじめて。
以前と同じように泳げるのか心配だったが、なんとか二キロ泳げた。
そのかわり時間がかかった。
早くもとの状態に戻したい。
一掻きするごとに、おやっ?と思う。
前はもう少し進んでいたはずなのに。
どこがどう違うかはわからないが、きっと何かが違うのだろう。
一緒に泳いでいた泳ぎのとてもうまい人も、フォームが少し崩れていた。
端から見ているとわかることが、自分ではどうやらわからないらしい。
少しずつ慣らしていこう。
泳げてうれしい。

6月

3

朝の鳴き声

暑くなって来たので、窓を網戸にして寝る。
朝四時過ぎになると空が白んで鳥が鳴き始める。
日によって鳴く鳥が異なるけど、どの鳥の声も清々しくていい。
はじめて行ったカウアイ島のポイプの浜辺を思い出す。
B&Bに泊まり、開けた窓から早朝に十種類近い鳥の声が一度に聞こえた。
八つくらいまでは数えられたが、九つ当たりから「あれ? さっきこの声数えたかな?」となって、本当に正確な数は疑問。
涼しい風とともに窓から入って来て、とても気持ちよかった。
鳥たちはいったい何をささやき合っているのかな?

5月

27

ハエの侵入

夜にふと「最近ハエを見てないな」と思った。
昔はよく手や足をこすり首をクルクル回す様子を見たものだ。
「虫が減っているからな」と思い寝た。
翌朝、朝ご飯を食べていると、大きなハエが開けた窓から入って来た。
相方は大騒ぎである。
だけど僕は、ひさしぶりに見てうれしかった。

5月

26

一服の幸せ

朝、机に向かっていたら、相方がお茶を淹れて持ってきてくれた。
「朝のお茶は一服の幸せと申します」
そう言って置いていった。

5月

26

耳鳴りがしない

ここのところずっと、電子機器の発する音や、ときには自分の耳鳴りが気になっていた。
ふとそのことを忘れるか、聞こえなくなると、それだけで気持ちがいい。
思い出すと聞こえている。
瞑想することを覚えておいてよかった。

5月

22

幸せな感覚

静かに座って、心を遊ばせる。
思い出の場所、うきうきした感覚、一緒にいた人、空気の感触、過去の出来事。
未来について思い描く。
見たことのない景色、見たことのない現象、はじめての感覚、聞こえてくる音楽。
いま、ここにいて幸せ。

5月

20

たくさんのことを知る

ネットの時代になって、かつてでは知りようのなかったくさんのことを知るようになった。
誰かがポソッとつぶやいたことがヒントになって、その奥に隠れていた何かが現れて来たり、噂でしかなかったことが、多くの人々の証言によって事実のように思えて来たり、よほど詳しい人でないとわからなかったことが、多くの人に向けて説明されたり。
ネット時代の前ですでに読み切れないほどの情報があったが、誰でも発信できるようになって情報爆発のようになっている。
情報のカンブリア紀だ。
これを過ぎたら落ち着くのだろうけど、どのように落ち着くかが問題だ。
ひとつの見方にまとめるのではなく、いろんな見方が共存できるようにしたい。

5月

12

妄想する

アフターコロナがどうなるか、妄想する。
根拠なんてなくていい、自分のとっていい社会とはどういうものか。
あまりにも利己的な社会を想像するのは無駄なことだ。
自分にとっていい社会といいつつ、実現する可能性を持たせるためには他人にとってもいい社会でなければ妄想するエネルギーが無駄になる。
面白い。

5月

11

いーの!

相方がリモートワークでずっとうちにいる。
外では大人を演じているが、うちのなかでは子どもになることがある。
この前、何かで「いーの! いーの!」と言い出した。
「長澤まさみの真似か」と言って、僕は「いいんだよ〜」とやった。
すると、「マネじゃないもん、昔からやっていたもん」とスネてしまった。
ここで対処を間違えると大戦が勃発する。
「マネじゃないもん、昔からやっていたもん」と真似をして、ホッペを膨らました。
しばらくはスネたフリを続けていたが、ついには吹き出した。
勝ったぜ。

4月

29

泳ぐイメージ

このところ運動不足なので泳ぎたい。
「泳ぎたいよー」と言ったら、相方が「ここで泳げば?」といい、畳の上を指さす。
「畳の上でこうやって泳ぐのかい?」といって、畳にうつぶせて泳ぐ真似をした。
そんなことしねーよ。

4月

29

ブックカバーチャレンジ

FBでブックカバーチャレンジというのが回ってきた。
一日一冊、いい本を紹介しろという。
いい本はたくさんあるので迷う。
迷うのが楽しい。

4月

27

あきらめる

「あきらめる」というと、普通には「諦める」ことをいうが、理由をあきらかにする「明らめる」という言葉があり、同時に心を明るくするという意味での「明らめる」という言葉もあった。
つまり、「諦める」ためには「明らめる」ことが必要だということ。
「諦める」というと何かよくないことを表現しているように感じるが、本当はもっと奥深い意味を持っていたのかもしれない。
日本語ではそのことを昔から伝えてきたのだろう。
すべてを知り尽くす、つまり「明らめる」ことで自然と「諦める」境地になる。
前にジャイナ教の「ケーバラ・ジュニャーナ」について書いた。
それを知ることで「人間の知りようのない智慧」について考えた。
そこを通って僕は「諦める」。
でも、伝えるべきことはたくさんできた。
アフター・コロナでは多くの人がこの境地に達するのだろう。
言葉の不思議さを思う。

4月

25

オフライン

たまにはオフラインにする。
デジタル機器を一切持たず、のんびりする。
写真も撮らない、通信もしない、知らない言葉がでてきても検索しない。
AIに追いつくなんてあきらめましょう。

4月

24

チャット

facebookのメッセージでよくチャットする。
何人か同時にチャットしたりして、いくつか重なると笑える状況が生まれることがある。
あっちで話していることとこっちで話していることが矛盾したりして、その中心にいる「自分はいったい何者?」という状態になったりする。
一度にいくつもの話に対処しているときふと「聖徳太子になる訓練」と思う。
これからの人類はAIの処理速度に追いつかなればならない。w

4月

22

陰謀論

大学生の頃、フリーメイソンの本を読んでいたら「それは架空の話で陰謀論だ」と言われた。
ヨーロッパにはかつてあったかもしれないが、日本には関係ないと。
しかし、実際にはきちんとあったことが後年わかる。
いまではあっただけではなく、かなりの数の人がそこに属していることも知られるようになった。
なぜかつてはあれほど隠されて、ないことにされていたのか?
そしてなぜ近年それが明かされるようになったのか?
他にも通貨発行権の話だとか、911の原因についてなど、陰謀論と言われるけど、いわれればいわれるほど、ひょっとしてそこに真実があるのでは?と思わされる。
人間社会にはどこまでいっても秘密の部分が生まれてしまうだろうから、それは仕方ないとして、明かされるべきことはどんどん明らかになっていってほしい。
きっと陰謀論という言葉が必要なくなったとき、世界のパラダイムが変わるんだろう。