1月

26

インターネットが使えない

一昨日「インターネットが使える」と書いたが、いまだに回線が不安定でときどき落ちる。
落ちたときにメールを送ろうとしていると頭に血が昇る。
「このやろう」という怒りとともにやり場のない鼻息が書斎にあふれる。
大坂なおみのように後ろを向いて深呼吸。
スーハー。

1月

24

インターネットが使える

このところインターネット回線が不安定で思うように使えなかった。
いまもまだ完全に復旧したという訳ではなく、たまたま使えるときにメールを流すという感じ。
ケーブルテレビの回線を利用してインターネットを使っているので、昨日はテレビもつながったり切れたりしていた。
不自由な思いをしてはじめて思い出す、普段のありがたさ。

1月

11

サーキットを走る

かつてサーキットを走ったことがある。
いつもは速度制限があり、安全運転をするのが当然とされているが、いざどれだけ速く走ってもいいとなると、速度の上限は恐怖心との戦いになる。
速度を超過するとカーブが曲がれない。
タイヤをキュルキュルと軋ませながら、タイヤのこげる匂いを嗅ぎながら走る。

1月

10

布団

布団でグースカ眠る。
これに勝るものなし。

1月

9

給湯器

朝、ご飯を炊くのに冷水でお米を研ぐ。
冷たくて手がしびれる。
あまりにも冷たくなったらお湯を出して温める。
お湯がすぐに出るってありがたい。

1月

7

チュルチュルを思い出す

ふとしたときにチュルチュルを思い出した。
チュルチュルとは、麺類を総称した幼児語で、母がよく幼い僕に「チュルチュル食べましょうね」というふうに使っていた。
先日そばを食べていてそのことを思い出す。
そのときに一緒に思い出したのは、うまく言葉にできない感情だ。
それはずっとチュルチュルだと思っていた幼い僕が、チュルチュルに区別があることを知り、「このチュルチュルはおそば、このチュルチュルはうどん、このチュルチュルはラーメン、このチュルチュルはそうめん」と区別したときのなんとも言えない感情。
このチュルチュルはおそばであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
このチュルチュルはうどんであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
このチュルチュルはラーメンであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
このチュルチュルはそうめんであり、多くの人たちにとってチュルチュルではない。
でも、僕と母さんのあいだにはチュルチュルに関してのたくさんの思い出がある。
しかも、当時の僕はこれほどはっきりした区別が持てず、何だかよくわからないけど何かに引っかかっている感情を感じ、どうしようもないのでどうにもできなかった。
この当時の僕にとっては複雑な思い。
そんな感情を大人になって味わいなおす。
言語化して区別できると「なんだかなぁ」という感情が生まれるが、きっと幼い頃の感情とは少し違うものなのだろう。

12月

31

平成30年最後の太陽

平成30年最後の太陽がさきほど沈みました。
明日になれば平成31年であり、平成最後の年となります。
5月になれば三つの元号をまたいだ男になります。
昔、明治大正昭和を生きた男というと、なにやら凄い威厳があったように感じるのですが、昭和平成??と生きる男はどうでしょう?
何はともあれ、よい年をお迎えください。
本年もお読みいただき、ありがとうございました。

12月

15

太く書く

太いペンで、太い鉛筆で、太い筆で、太く書く。
普段は小さな手帳にチマチマ字を書いているので大きな紙に太い字を大きく書くのがうれしい。
ムハハ。

12月

14

洗濯物を干す

朝起きて洗濯をして物干に干す。
今日のように晴れ渡っていると洗濯物がきれいに乾いていい。
キラキラの朝日が洗濯物を輝かす。
充電量の落ちたソーラー時計も一緒に日にさらしておこう。
ミーアキャットが朝日に向かって立つ気持ちがわかる気がする。
干したシーツで母さんとかくれんぼしたな。
子象がミルク飲むのに物干に干した大きな毛布の影からしか飲まなかったことを思い出す。
大きな毛布を母親象と思うそうだ。

12月

11

朝の足音

寒い空気の中、駅へと急ぐ足音。
車の走る音。
クラクション。
エンジンを吹かす音。
地下鉄の入口から階段を降りていく。
毎朝繰り返される重い足音。
気分を明るくするために聞く音楽が耳の中で鳴っている。
朝の足音をかき消すために。
何度も繰り返される朝の足音を
重く感じるようになったのはいつの頃からだろう。
入試を通過して始めて学校に行く朝、
足音は軽かったはず。
まわりの重い足音が可笑しかったはず。
いま僕は重い足音の群れのひとつ。
軽やかな足音を夢見ながら。
通った学校での心ときめく出会い。
知らないことを知る喜び。
一緒にバカをする仲間。
朝の足音を変えよう。
ピカソのように。

12月

8

読書

いったい何冊の本を僕は読んできたのだろう?
それらの蓄積で部屋は一杯。
もう一度読みたいと思う本しか残してないが、
それでももう部屋はパンパン。
若い頃、本は一度しか読まないものだった。
大人になってから再読の楽しみを知る。
書斎の本を一度に全部読みたいが、
時間をかけて読むのが楽しみ。
思い出しては一瞬で味わうのもいいけどね。

12月

7

空想の翼を広げる

小説を書いているととときどき
筆が止まることがある。
なぜかその先が書けなくなる。
精神的障壁が立ち上がる時。
その障壁は姿が見えない。
そんなとき、空想の翼を広げる。
普通にはあり得ないことを考えてみる。
この世界は謎に満ちている。
この小さな頭で考える程度の空想では
とても収まり切らない。
だから安心して大風呂敷を広げる。
いや大風呂敷じゃ収まらない、
無限平面を広げよう。

12月

5

鳥の声

思いがけなく鳥の声を聞く。
この季節に?
ありがたいと思う。
自分の心もときどきふと
何かが動き出す。
鳥の声と同じ。
ふふっと思う。

11月

14

太る

四日市に行った時、
おいしそうなものは何でも食べてしまえと
欲望に従っていろんなものを食べた。
翌日体重を計ると三キロ太っていた。
たまには太るのもいいよと思う。

11月

2

ブサキ寺院での礼拝

バリ島のブサキ寺院は
いくつかのお寺が
集まってできている。
その中心にあるのが
プナタラ・アグン・ブサキ寺院。
ここに三大神である
ブラフマ・ヴィシュヌ・シヴァを
祀っている場所があり、
そこで礼拝する。
この三神をまとめて
トゥリ・ムルティと呼ぶが、
その三神のための椅子が
その礼拝所には用意されている。
礼拝所に座り、
アグン山の方向に目をやると
高い場所に
その三つの聖なる椅子が目に入る。
神様は目に見えるものではない。
その見えない神を
そこに降ろすことをイメージした。
そしてその場所と
自分の祖先や親族と
大宇宙に感謝することを促される。
すると、その三つが、実はすべて
つながっているものであることが
イメージでき、そのことに震えた。

10月

31

多次元的認識

相方と喧嘩をする。
自分の主張を思いっきりする。
一方で、相手の立場にも立ってみる。
怒りたくなる気がわかる。
そして自分の立場に戻ってくる。
僕も怒りたいが、
相手の怒りたい気持ちがわかると
ただ怒ってもしかたないので
どうしたらいいのかと悩む。

仕事で理不尽な要求をされる。
それは無理と思うが、
相手の立場に立つと
無理だと言ってはねつけるのも
どうかなと思う。
その要求に
答えるか答えないかだけではなく
別の提案ができないか考える。

世界ではいろんなところに
対立がある。
それらを感じて
どちらが正しいかを
考えるだけではなく、
第三、第四の道を考える。

目の前の「右か左か」や
「善か悪か」や「私かあなた」
だけを考えるのではなく、
そこにはまだ見えていない可能性を
創ってみる。

それをするために与えられた
僕たちの想像力。

いま外で鳥が鳴いたら、
それも目の前の問題と
関係があるのかもしれない。
ないのかもしれないのはもちろん。
もしないとしても
僕たちの想像力はそれを作れる。

10月

30

朝散歩しながら朝ご飯を考える

早朝に散歩しながら
朝ご飯を何にしようか考える。
今日の調子ならあれがいいかな?
それともこれにしようかな?
もしあれにするとすれば
材料が足りないからどうしよう?
あそこまで買いに行くか?
それとも別の物にするか?
代用できるもの何かあったかな?

10月

23

電車で居眠り

仕事帰り、疲れて電車で居眠り。
ぐっすり。
目が覚めるとちょっとふらふら。
少し生き返る。

10月

18

水のきらめき

水面がゆらゆらと揺れ、
太陽の光がそれに反射する。
その光のさまがとても好き。
その反射が壁に当たると
光の縞の踊りが見られる。
プールの底にも光のダンス。

9月

22

海におしっこ

広告会社に勤務していたとき、久米島へポスターの撮影に行った。
美人でキュートなキャンペーン・ガールがモデル。
スポンサーとカメラマンとその助手と衣装担当とヘアメークとコーディネーターと一緒に久米島から三十分ほど船で行った小さな島で撮影した。
海は驚くほど透明で、走るボートから10mほど下の岩がそのまま見れる。
ほかの船が通りかかると、海の底と船が一緒に見えて、まるで空中に浮いているかのようだ。
着いた島は木が一本も生えてなく、細長い楕円形。
真ん中が少し高くなっていて、そこに立つと島がすべて見渡せた。
周囲を歩くと数分で元の場所に戻れるような小さな島。
島の真ん中にビーチパラソルを立て、モデルさんの衣装やメークを整えた。
その島で撮影すべき衣装が何着かあった。
それらがすべて終わる前に曇ってしまった。
太陽が出てくるのを待つことになった。
スポンサーと僕は海に入った。
その島に行くのにみんな水着で行くことになっていた。
こんなことなら水中マスクも持ってくればよかった。
海に入ってもマスクがないので魚は見にくい。
すぐに飽きて海から出た。
島の真ん中でしばらく待ったがなかなか太陽が出てこない。
用を足したくなりコーディネーターにどうすればいいか聞いた。
「海でするしかないですね」
仕方ないので海辺に降りた。
島の真ん中の小高いところからキャンペーン・ガールがなんとはなしにこちらを見ている。
立ちションすると丸見えだ。
仕方ないので海に入っておしっこする。
しかし、普段と環境が違うせいかなかなか出てこない。
やっとなんとか出して、知らん顔で小高いところに戻った。
そこからおしっこしたところを見ると心臓が縮み上がった。
きらきらと輝いている海の表面が、おしっこしたところから沖へと向かって乱れた帯のようにゆらゆらと、わずかに輝きを変えている。
おしっこしたのがバレバレだ。
でも、注意して見なければただの海の表面にしか見えない。
あんなに遠くまで帯が届くとは思わなかった。
気づいたかなと思ってドキドキしていると、キャンペーン・ガールがすっと立ち「私も」と言い残して浜に降りていった。
しばらくして、乱れた帯の二本目が、沖に向かって流れて行った。

9月

20

スニーカーを洗う

黒い油が付いて汚れてしまった
白いスニーカーを洗った。
靴用の洗剤に漬け込む。
漂白剤が効いて白くなった。
何度か水ですすいで乾かしている。
履くのが楽しみ。
幼い頃、母が運動靴を
洗ってくれたことを思い出す。

7月

24

洗濯する

暑い日が続くと、
洗濯がしやすくていい。
洗濯機を回して、外に干す。
湿度が高いので期待したほどには
早く乾かないけど、
一日干せば完璧。
洗濯カゴに残っているものがない。

7月

23

暑い日に歩く

暑い日に外を歩くと、
かなりつらいのではないかと思うが、
実際に歩くとなかなか心地よい。
汗をかいて水を飲んでスキッとする。
帰って水のシャワーを浴びる。

6月

23

元気な言葉

元気な言葉は癖になる。
一度聞いて元気になると
もう一度聞きたくなる。
二度聞いて元気になれると
三度目も聞きたくなる。
でもそれって、
言葉じゃないんだよな。
それを発する
人の雰囲気だったりする。
こうして人は恋に落ちる。

6月

7

繰り返すことを楽しむ

同じことを何度も繰り返すと
たいてい飽きる。
ところが何度やっても
飽きないことがある。
それが「商い」になると
商売をしている人はよくいう。
でも、商売以外でも飽きないことは
たくさんあって、
人はそれをしていけば
いいんだろうなと思う。
同じことを何度もしてているうちに
工夫が生まれ、
工夫がいくつか積み重なって
発明や発見になり、
その人にしかできない
何かが生まれる。