1月

19

瞑想

僕がはじめて瞑想をしたのは、1987年頃だった。
最初はなんだかよくわからないものだった。
頭の中でビジョンを描けといわれても、一切できなかった。
だけど続けるうちにいろいろと面白い体験をするようになった。
1997年に始めたヒーリング・ライティングに瞑想を取り入れた。
しばらくして瞑想の指導もするようになった。
瞑想でいいなと思うのは、解決すべき答えがあるときパッと閃くこと。
どうしてそんな閃きが来るのか謎だが、それが見事にいい答えなのだ。
なぜそんなことが起こるのか、そのメカニズムを探求中。

1月

17

歳を取る

歳を取ると思ったように体が動かないとか、簡単な固有名詞が思い出せないとか、不便なことが増えるけど、一方でとてもいいこともある。
かつて読んで理解できなかった本が理解できるようになるということ。
本は読めばおおよその内容は理解できる。
だけど読み終わっても、何か大切な部分がまだつかめてないと思うことがある。
そういう本はしばらく寝かせておく。
何年かたって、中には何十年かたって、この本はそろそろ理解できるなと思って読むと、確かに理解できるようになっている。
歳を取ってうれしいのはこういうとき。

12月

30

時間をかけた説明

何かを一瞬にして悟ることがある。
「なるほど、こういうことか」
一瞬でそれを了解するが、何をどう了解したのか、説明に時間がかかることがある。
悟ったことが複雑で説明しにくいものであれば、時間がかかるだけではなく、説明をどうしたらいいのかを考えなければならない。
こういうとき、知覚の不思議さを思う。

12月

23

知覚の扉

臼田夜半さんのお宅で「命に帰る〜生と死についての対話」をした。
対話と言うよりは僕が質問をして、臼田さんの話を聞いた。
そのなかでトマス・アクィナスの話が出てきた。
アクィナスは生涯の終わりに三昧の体験をした。
その結果、それまでに読了したことのすべて、論じたことのすべて、書き記したことすべてが、もみがらか藁くずに過ぎないものになったという。
うちに帰ってたまたま開いた本の最後にその話が出てきた。
オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』に。

12月

17

規則を作る

規則を作ることが楽しいと感じる人はどのくらいいるのだろうか?
大人になるとたいてい規則を作ると文句を言われる。
「それは公平じゃない」
「それはあなたの勝手だ」
「そんな規則面倒なだけだ」
などなど。
だけど子供の頃、規則を作るのは楽しいことだった。
どんな遊びにも約束事がある。
たとえば鬼ごっこ。
鬼が触ると触られた人が鬼になる。
みんなが楽しく遊ぶためには「おみそ」というのを作った。
遊んでいるグループのメンバーより、幼い子どもに「おみそ」という特別な権利を与えるのだ。
そのことで遊びに新たなバランスが生まれ、遊び自体が楽しくなる。
たとえば「おみそ」は鬼にはならないとか、三度触れられないと鬼にならないとか、鬼になったら味方をもう一人指定できるとか。
そうやって遊んでいる人全員の利益を生み出すのが「規則を作る」ということだった。
大人になると「全員の利益を生み出す」という前提はあるかのように振る舞うが、その実みんな自分の利益だけを高めようとして争う。
そしてそのことに関して誰も触れようとはしない。
だから規則を作るのは面倒になる。
そういう可能性は知った上で、参加者全員が楽しくなれるような規則を作るのは、本当は楽しいはずだ。

12月

10

写真の合成

初夢について語り合うイベントのビジュアルを作るのに、6枚の写真を渡された。
フォトショップでコラージュを合成する。
見たことのない異世界が生まれた。

12月

9

あふれる言葉

中村哲医師が殺され、SNSでは中村医師を賛美し悼む声が鳴り響いている。
二ヶ月ほど前、中村医師がアフガニスタンから名誉国民として市民証を授与されたニュースが入った。
そのニュースはあまり話題にはならなかった。
なぜだろう?
陰謀論の好きな人はきっとこういうだろう。
「喜びや賞讃されるような話はマスメディアは流さないんだよ」
確かにそういう部分はあるかもしれない。
でも「いいものはいい」と伝えてくれる人もいる。
「搾取するためには人民を困った状態に置かなければならないのに、ヒーローが助けるような話が一般化したら搾取できなくなるから、権力者は人民が困っているという情報だけしか流したくないんだ」
そうなのかな? そうかもしれないがそれを肯定する材料がないからなんともいえない。
こういう人もいる。
「一般の人が嫉妬したりうらやむような話はあまり流れないんだよ」
視聴率が上がらないとマスメディアには流しにくいからね。
それはあるかもしれない。
だとしたら、一般の人が嫉妬したり、うらやんだりしないようにならない限り、いまの状況は続くことになる。
でも、そのことだけに話を収束すると、それは正しくないような気がする。
現代の僕たちにとって、単純な言葉は罠だ。
社会は複雑に絡み合い、個人の感情もネットワーク社会によって生まれてきた算出しようもない果てしない関係で形作られる。
誰か一人が何かを乗り越えたところで何も変わらない。
その絶望感が世界を覆う。
でも、考え方をちょっと変えると希望も見える。
みんなで考え方を改めると、それはもの凄いパワーを生み出すということ。
そのきっかけとなる言葉が、ネットにあふれている。
新たな複製子が生まれるとき、そこには必ず解き明かせない混沌がある。

11月

27

鞄帰る

修理に出していた一澤信三郎帆布の鞄が帰って来た。
ところどころ縒れたり、色が抜けたりしているけど、一緒にいろんなところに行った相棒だ。
20年使っても修理してまだ使えるというのがありがたい。
肩かけバンドがボロボロになったので、交換してもらった。
交換する前に中国製の鞄を買ったが、数ヶ月で壊れてしまった。
壊れた部分を二回自分で修理したが、それでも壊れる。
力がかかる部分がうまく処理されてないために何度補強の縫い直してもまた壊れる。
20年使える鞄の凄さを思い知った。

11月

26

フランシスコ教皇の言葉

ローマ教皇が来日し、長崎、広島、東京と訪れた。
各地でミサを行い、言葉を残している。
核廃絶を訴え、戦争を撲滅し真の平和を希求した。
特に「生産性と消費への熱狂的な追求」についても批判した。
ありがたいことだ。
金銭を生み出さない「命の営み」に眼差しを向けるときが来た。

11月

21

香港ペニンシュラホテル

40年ほど前に香港を旅行した。
当時は香港のペニンシュラホテルが世界最高のホテルだと言われていた。
学生だった僕たちは、そういう高級ホテルに恐る恐る近づき、一階のカフェでお茶をした。
階上のバルコニーで弦楽四重奏が演奏されていた。
当時は香港がまだ英国領で、何年か後には中国に返還されるといわれていた。
香港の人たちは香港に留まるか、国外に行くか、考えていた。
そんな香港の中で、最高に贅沢な、そして国際的な場所だったペニンシュラホテル。
いまはどのようになっているのか?
ホームページには警告文が掲載されている。

11月

15

一橋大学のキャンパス

授業を聴きに、一橋大学に行ってきた。
一橋大学には行ったことがなかったので、ちょっとワクワク。
国立駅に降りると、一橋大学までの大通りの名前が大学通り。
車道と歩道が分かれていて、その境には並木が植えてある。
若い人たちが行き来し、活気がある。
構内に入ると部外者だからまずは守衛さんにご挨拶。
教室の場所を確かめて中に入っていく。
時計台の前には池があり、日時計が置かれていた。
その日の授業は一橋大学の卒業生で、NHK福岡に勤務し、水俣病のドキュメンタリーを撮りつづけてきた吉崎健さん。
「30年ぶりに戻ってきました」と言っていたが、僕も自分の大学には卒業以来行ってない。
卒業した大学で授業ができるって、うれしいだろうな。

11月

12

布の鞄

一澤信三郎帆布の鞄を愛用している。
20年以上は使っている。
肩掛けのバンドがぼろぼろになってしまったので、京都に行ったついでに修理に出した。
一ヶ月ほどかかるといわれた。
肩掛けバンドとそれを固定している部分の二カ所を直してもらって3,500円。
これでまた20年くらい使える。
ありがたい。
次に直すときまで僕の寿命が持つのか心配。

11月

8

赤い部屋

目が覚めると部屋が真っ赤になっていた。
日が昇るのが遅くなり、朝焼けの時間に起きたから。
「部屋が赤いなぁ」と思いながら。いま見ていた夢を思い出す。
中東の人たちになぜか、僕の部屋の本を半分ほどと、机や椅子やPCを盗まれていた。
「なんでこんなものを盗んでいくんだろう?」と思いながら、日本の呪術で呪われると大変だよと思っていた。

11月

5

朝日を浴びて本を読む

朝日が射すベランダで本を読む。
ちょっと薄着がいい。
日光が布地を通って肌に届く。
顔は照らされてチリチリする。

11月

1

耳鳴り

静かな部屋にひとりでいると耳鳴りが聞こえる。
とても高いチーという音。
家電製品の待機音とか、PCの冷却ファンの音も多少混ざっている。
それを聞きながら森の中を想像する。
風の音、葉のこすれる音、鳥の声、そんなことを想像していると、近くで実際に鳥が鳴きはじめた。
ありがとう。

10月

29

網戸の掃除

もう今年は網戸をほとんど使わないだろうと思い掃除した。
ほこりがたっぷり詰まっていた。
1年でこんなに詰まるんだ。
でも、窓によって詰まる窓とそうでない窓がある。
違いは何か?
これで来年も気持ちよく使える。

10月

26

犬を飼う

ほんの数ヶ月だけ犬を飼っていたことがある。
しかし、その犬は数ヶ月後に死んでしまった。
その悲しみたるや、筆舌に尽くし難く。
以来、犬を飼うことを一切考えなくなった。
いま思えば、飼っていた時は楽しかったのだ。
失った悲しみが目を曇らせている。

10月

25

宅配のお兄さん

週に一度、宅配のお兄さんが荷物を持ってやってくる。
今日は、この土砂降りのなかやってきてくれた。
カッパを着込んでフードをかぶり、びしょびしょになりながら。
荷物をおろして「ありがとうございました」と言って帰ろうとするところ、うちにあったキャラメルを一粒、「もしよかったら」と言って上げた。
たった一粒のキャラメルだ。
土砂降りのなか、荷物を持ってやってくる苦労にはまったく見合ってないので恥ずかしいなと思ったが、うちにはそんなものしかなかった。
するとその青年は「ありがとうございます」と、元気な明るい声でお礼を言ってくれた。

10月

24

終えること

懸案だったことに終止符を打ち、次の仕事に向かうとき、エネルギーが湧いてくる。
だから終わりを宣言するのは大切なこと。
一段落つけたら、些細な儀式をおこなう。
美味しいものを食べるのでも、酒を飲むのでも、ガッツポーズをするのでもいい。

10月

15

非力であること

友人や親戚が亡くなっていくことに自分は何もできない。
災害がやってきても、防ぐこともできないし、たいした助けもできない。
できるのは、些細なことばかり。
だからこそ、些細なことを積み重ねる。

10月

5

丁寧にやる

サクサクとやるのも気持ちいいが、時間をかけて丁寧にやることも気持ちがいい。
いったいどっちだ? という人もいるだろうけど、両方なのだ。
どちらかが正しくて、どちらかが間違いという考え方は手放そう。
どっちにしてもいいものはいい。

9月

19

PCのお掃除

故あって友人からPCを借りた。
キーボードが汚れていたので、アルコールが配合されたウェットティシューで掃除する。
これで気持ちよく使えるね。

9月

13

実際にその場に行くこと

いろんな映像がネットに溢れている。
だから、現実にその場に行かなくても、かなりのことはネットでわかるようになってきた。
これからもその度合いは進むだろう。
それでも、どんなに詳しくネットでわかるようになっても、まだしばらくはその場に実際に行くことにはかなわない。
行くまでの過程や、その場の雰囲気は、きっとバーチャルでどんなに情報量が増えても、補えない何かが残る。
それを感じにその場に行く。

9月

12

エコなコテージ

昔、エコなコテージに泊まった。
建物の骨格が木造で、壁がテント地でできていて、明かりに裸電球がひとつだけ。
天井に大きな扇風機。
窓は、テント地に縫い付けられたファスナーを開けると網戸になっていた。
シャワーは屋根の上に水がたまる仕組みになっていて、日中に太陽の光で温める。
シャワーを出すときは天井から垂れていたヒモを引っ張るので片手が使えない。
片手でからだを洗うのは難しいのでヒモを付け足して足で操作できるようにした。
足の指にヒモを括り付け、足を床につけるとお湯が出る。
お湯を止めるときにはその足を上げる。
お湯がもったいないので片足になってふらふらしながらからだを洗った。
お湯は昼間ピーカンだと熱いくらいになるのだが、ある量を使うと水になる。
トイレは、うわべは水洗だが、肥料にするため紙以外は流すなと言われる。
そのときは覚悟して行ったから楽しかった。
不便を喜べた。

8月

27

窓を開ける

エアコンはつけずに窓を開け、足下に扇風機を置くようになった。
昔の夏は真夏でもこのくらいの日があった。
30度を超えずに過ごせる日。
窓が開いているから蝉の鳴き声がよく聴こえる。
ベランダに一匹来て鳴いていった。