9月

25

裁縫

裁縫屋さんに行って以来、ときどき自分で裁縫する。
ときどき料理もするし、掃除や洗濯もする。
一人暮らしをしていたおかげで女子力がついた。
でも、これらのことを女子力と呼ぶことは、いまは正しくないのだろう。
男子も女子も平等だから。
いまは家事を男性もする時代。
裁縫のよろこびを感じてもいい。

9月

12

暑い中の散歩

熱中症に注意と言われながらも、暑い日に散歩するのは案外気持ちいい。
36度を超えるような暑さではやめた方がいいだろうけど、30度前後ならきちんと水分をとって、無理をしないようにして散歩する。
汗をかくのは体にもいい。
気持ちいいものも見つかるかも。

9月

6

無事を祈る

勢力の非常に強い台風が接近している。
とても危険だ。
一人の人間ができることは限られている。
できることはした上で、あとは祈るのみ。
気持ちいいわけではないが、せざるを得ない。
無事に過ぎて行きますように。

9月

6

ベランダのパクチー

なかなか芽を出さなかったベランダのパクチーが、やっと育った。
少し摘んで料理に使う。
香り高いパクチーになった。
相方の苦労が報われた。

9月

3

介護施設とテレビ電話

相方の母が介護施設に入っている。
体調を崩して病院からそちらに移った。
新型コロナのおかげで面会ができない。
二週間に一度くらい、相方とその姉が母と facetime を使って会話する。
はたで見ていてもとても楽しそう。
直接会えたほうがもっと楽しいかもしれないけど。

9月

2

呼吸

吸ったら吐く。
吐いたら吸う。
当たり前のこと。
つらい思いを抱えたら手放す。
手放したら、新たなつらい思いを抱えることができるかもしれない。
吸ってばかりじゃ窒息する。
呼吸しましょう。

8月

31

トマトを切る

切れ味の良い包丁でトマトを切る。
スパッと切れて嬉しい。
輪切りもできる。

8月

28

クロアゲハ

とても大きなクロアゲハが、僕の周りを舞ってくれた。
「おー」と思って見上げながら、一緒にくるくると回ったら、すぐそばに止まったので写真を撮る。
その話を相方にしたら、「去年山椒の葉が蝶の幼虫に食い尽くされてたから、その御礼に来たんじゃない」というので笑った。
「そんなことあるわけないじゃないか」と思いつつ、念のためにクロアゲハの幼虫がどんなものを食べるのかを調べると柑橘系の葉っぱだという。
山椒はミカン科の植物なのだ。

8月

27

カーテンを開く

厚いカーテンを開く。
朝日が部屋に差し込む。
今日もいい日だ。

8月

20

新月瞑想

久しぶりに新月に瞑想をした。
新月瞑想会をZOOM上で主催したが、平日の昼間だったせいか、一人も参加しなかった。
なので、僕一人でやった。
おかげさまで気持ちよかった。
これからも続けよう。

8月

20

多次元な視点

多次元な視点について考え続けている。
日本のマスメディアは比較的一つの正解を追い求める。
しかし、これからの社会では、一つの正解よりも、多次元なそれぞれの正解を求めるようになるであろう。
僕の正解と、あなたの正解とでは違いがあっていい。
なぜなら、僕とあなたは立場が違うし、環境が違う。
あるイベントの案内にこんなことを書いた。

新型コロナウィルスへの対処___

いま僕たちは新型コロナウィルスの影響によって混乱の中にいます。
どの話が正しいのか、どの情報を基準にして考えなければならないのか、いろんな判断が可能だと思います。
波をモデルに考えると、いくつかの波長の違う波が同時に起きて、いろんな方向に揺らされているということでしょう。
それに適合するためには自分の立ち位置が明確でないとならないと思います。

年齢はどうか。
重症化しやすい疾患にかかっているかどうか。
同居している人たちとの関係はどうか。
仕事との関係はどうなっているか。
自らの社会的立場から、何を主張したいのか。
 
これらが複雑に絡み合い、新型コロナウィルスに対してはどう対処すべきなのか、一つの答えが生まれるような状況ではありません。
そこで当イベントは、もし社会的な状況が許すのであれば、(ロックダウンがなされてない、美術館やレストランが営業されているなど)このイベントを実行しようと思います。
その際の参加・不参加の判断は、ぜひみなさん個人で考えてください。
もし当イベントの主催者が一つの答えを責任を持って出すとしたら
「危険性があるからこのイベントはしない方がいい」となるでしょう。
しかし、もしこのまま自粛が続けば、社会全体に経済的ダメージが大きくなっていくのも明らかです。
「自粛さえしていればいい」という答えも出しにくい状況だと思います。
そこで、当イベントでは、マスクや手洗い、直接のコンタクトはしないなどの対応を考えた上で、実行する予定です。
もし何かイベントを中止せざるを得ない状況が生まれましたら、ご連絡いたします。
みなさんの判断も時期によって変わるかもしれません。
参加しようと思ったが、やはりしないという連絡も、いつもと同様受け入れます。
早く新型コロナウィルスを気にせず、いろんな活動ができる世の中になってほしいですね。
「もう以前のようには決してならない」というようなことを言う人もいますが、今までも何度も人類は新しいウィルスを乗り越えてきました。
それを思えば、なぜ今回だけ無理だと言うのか、不思議に思います。
難しい状況にも対応し、楽しく生き延びていきましょう。
お申し込みをお待ちしております。
___

そう、それぞれに違う判断をすることを肯定的にとらえた。
マスメディアでは一つの正解を追い求める。
それはメディアの性質上仕方ないのかもしれない。
それはそれとして、僕たちは他人の視点も理解した上で、自分の選択をしなければならない。
このとき、多次元な視点が必要となる。

8月

13

横須賀美術館

建物自体が作品のような美術館がいくつもあるが、横須賀美術館もいい。
展示作品は土地にゆかりの作者のものを中心に集めているので、この美術館独特の雰囲気がある。
撮影した写真を編集してスライドショーにしました。

8月

12

暗渠の上を散歩

近所にある暗渠上の緑道を散歩した。
区域によってデザインが違って面白い。
かつてそこにあった川の存在がほのかに感じられる。
https://www.tsunabuchi.com/hikawadai/200810-01/

8月

12

銀座三越のライオン像

用があって銀座に行った。
三越前を通ると、ライオン像がマスクをしていた。
ユーモアがあっていい。

8月

7

奇跡的なことを信じてみる

奇跡的な話というものを信じないように教え込まれている気がする。
「そうそう都合のいいことは起きない」と思い込まされている。
その思いがあるおかげで詐欺には引っかからない。
一方で、本当の奇跡に接したとき、そのことを素直に喜べなくなる。
よく話を聞いた上で、実際に体験することで、奇跡というものを信じると、何かとてもさっぱりとする。
例えば、清田益章さんに目の前でスプーンの柄を曲げて、ついにはポッキリと折ってもらったことがある。
疑いの目が見ているとモヤモヤするが「そういうものだ」と信じるとすっきりする。
自分の身の回りで起きることも同じ。
「そんなの信じられないよ」と思っている間はモヤモヤするが「そういうものか」と信じるとさっぱりとする。

8月

7

仮説を立てる

言葉が存在するおかげで、仮説を立てることができるようになりました。
もし言葉がないと、仮説は立てられません。
「本当か?」と思う方は、言葉なしで仮説を立ててみてください。
言葉がないと「仮説」という概念すら持ち得ません。
言葉と共に生きることができてよかったと思う。

8月

4

一澤だより

「一澤だより」が届いた。
一澤信三郎帆布のDMだ。
ここのカバンが大好きで、No.03664にその話を書いた。
そのカバン屋さんから創立115年を記念して「一澤だより」というDMが届いた。
「いいごえん(創立115年)」ということで、はじめて作るDMだそうだ。
手作り感満載の12ページ。
信三郎さんはどの写真も登場するのは後ろ姿だけ。
余程照れ臭いのだろうか。
届けてもらって嬉しいDMというのは珍しい。

8月

3

矛盾を受け入れる

毎日のように気持ちいいものを書いていると、自分の中で矛盾していることに気がつく。
そういうとき、かつては外界との関係を考えて正しいと思われるほうを選んでいた。
あるときから矛盾をしばらくそのままにするようにした。
すると居心地が悪かった。
今もときどき居心地が悪いことがある。
でも、それをそのままにしておく。
すると、個性化の扉が見えてきた。
その先はなんだろう?

7月

31

イルカのフィン

2000年頃、イルカとよく泳いだ。
年に一度は御蔵島に行っていた。
イルカと一緒に泳いで互いに見つめ合うような体験は胸が高鳴る。
そういうとき、イルカはゆっくり泳いでいるが、フィン(おびれ)の動きはとてもリズミカルだ。
指揮法を習ったとき「放物線を描くように」と言われ、速度は最下点が一番速く、上がるにしたがって遅くなるようにと言われた。
まさにそれと同じようにフィンが動く。
僕もイルカを真似してその要領で泳いでいる。

7月

31

サナト・クマーラ

30年くらい前、京都の鞍馬寺の奥の院で金星人が降り立った場所が記された碑を見た。
変わった碑があるものだと思っていたら、それからしばらくして知人がそこに行き、その金星人はサナート・クマラという名前だと言い出した。
どうやってそれを知ったのかは教えてもらえなかったが、印象に残った。
クマラという名が鞍馬寺の名の由来だとも言われた。
そんなことはすっかり忘れていたが、久しぶりに本の中にその名を見つけた。
中村元著『思想の自由とジャイナ教』に登場する。

ジュャイナ教哲学はサナトクマーラに帰せられる『マハーバーラタ』に言及されている。

と書かれていた。
しかし、その前後にサナトクマーラがどういう存在で、「サナトクマーラに帰せられる『マハーバーラタ』」という意味がわからないので検索してみた。
なんとサナト・クマーラのことがウィキペディアに書かれていた。
日本では「サナト・クマラ」「サナート・クマラ」とも表記されると書かれている。
しかし、「サナトクマーラに帰せられる『マハーバーラタ』」の意味はまだわからない。

7月

26

青空に赤いシャツ

このところずっと雨だったので洗濯をした。
久しぶりに顔をのぞかせた青空を背景に干した赤いシャツが風に揺れている。

7月

20

蜜の香り

梅雨の湿り気の中、林を歩いていると、蜜の香りがしてきた。
とても甘い香り。
林が生きている息遣い。

7月

15

静寂

静寂から言葉が生まれる。
どこから来たのかこの言葉。
内側に遍満する言葉がふとこぼれる。

7月

15

森の雫

昔、屋久島に行ったことがある。
そこにいる間ほとんど天気は雨。
カッパを着て山に入ると、清水か雨かわからない水が鬱蒼とした木々の間から降り注ぐ。
木漏れ日のように差し込む日差しが雫を輝かせる。
七色に輝く森の雫に囲まれて、縄文杉に向かって歩いた。

7月

7

騎手がチラッと見るように

昔、イェイツのお墓に行ったことがある。
スライゴーのドラムクリフ教会にある。
墓石に詩が彫られている。
とても印象的だった。
Cast a cold eye on life. on death.
Horseman pass by !