1月

10

永遠との接続

生命は38億年ほど前に誕生したのだとか。
だとすると、僕の命は世代交代しながら38億年続いているはず。
38億年も続いてきた命。
ほぼ永遠と言ってもいい年月。
それを想像すると気持ちいいか?
めまいがする。

1月

8

忘れたこと

世の中は素晴らしいものにあふれている。
年をとるとそのことを忘れてしまう。
なんでも「当たり前」と見てしまう。

1月

2

万象具徳

多様性を活かすとはどのようなことか、わかっているようでわからないことだが、きっと日本では二宮尊徳が伝えた万象具徳という考え方がわかりやすい例えとなっているのだろう。
ただ、価値観が複雑になった現代では、微妙にずれた解釈が生まれるかもしれない。

12月

30

無限との対峙

ホロンについて考えていると、永遠とか、無限と対峙することになる。
言葉を失う。
目の前のことに対処しようと思う。
それしかできない。

12月

15

芯から暖まる

このところ寒くなってきた。
暖房器具によって暖かさの感じ方が違うのはなぜだろうか?
体が芯から暖まるとそでや首が少し出ているくらいはなんともないが、表面だけ暑いだけだとすぐに寒くなる。
いつも芯から温まっていたい。

12月

9

性善説と性悪説

そもそも人間は善か悪か?
どっちか片方と考えるのが無理なのでは?

12月

7

多次元で考える

二次元で答えの出ないものは三次元で考える。
三次元で答えの出ないものは四次元で考える。
そうすると、低い次元で出なかった答えが出ることがある。
押しなべて考えれば、n次元で出なかった答えは(n+1)次元で答えが出るかもしれない。
n次元で答えが見つけられず、(n+1)次元で答えを探そうと挑むのはなぜか?
そこに愛が存在するのだと僕は思う。

11月

29

区切りをつける

はじめがあったことはすべて、終わりがある。
どんな動物も種の滅亡の時が来る。
唯一終わらないのは、環境に合わせて変化していくもの。
だから、どんなことも変化しない限り終わるものは終わる。
終わるなら、感謝とともに区切りを付けてさっぱりしたほうがいい。

11月

8

お賽銭の音

神社でお賽銭箱にお賽銭を投げ入れる。
木の枠に何度かぶつかり、カランコロンと音を立てる。
一番下に落ちるとき、ゴトッという低い音になる。
投げ入れる度にいい音だなと思う。

10月

31

朝日を浴びる

ひさしぶりに朝日を浴びた。
作務衣一枚着ただけで寒くない。
太陽の光が熱をもたらす。
しばらく浴びていると、のぼせてしまうほど。
いままで浴びなかったのがもったいないと感じる。

10月

30

危ない場所

人は多少の危ない場所を必要とするようだ。
スリルを感じるためか、創作能力を高めるためか、危機的感覚に飢えているためか。
理由はよくわからないが、多少の危なさが喜びを生むのかもしれない。
限度を超えないように注意するしかない。

10月

27

ご招待

この世界が多様性にあふれる世界になるためには、それぞれの人がその人にとって心地よいこと、楽しいことをするべきでしょう。
そのためには、「ああしなければならない」「こうしなければならない」という話が少なくなるはず。
どんなに自分がいいと思うことも押しつけない。
することは「ご招待」です。
招待されてうれしい人だけが集まればいいのです。
押しつけはもうすぐなくなっていくでしょう。
教育もきっと、したい勉強だけできればいいようになっていくでしょう。
そして、さらに学ぶためにかつてしたくなかった勉強もするようになる人が増えていくのです。
だから、学ぶ順番も人によって変わっていくでしょうね。
たとえば、絵を描く人が、絵を描き続けることによって色彩について詳しく知りたいと思うようになると、光の波長を学ぶようになり、波動とはどういうものかを学ぶことで物理的感覚を研ぎ澄ませ、その結果、描く絵も独特なものになっていくでしょう。
こんなことが各分野で起きてくるのです。
このような世界になるか、とんでもなく生きづらい世界になるか、その分岐点がもうすぐ来そうですね。
僕はあなたを、心地いい世界にご招待したい。
でも、押しつけません。

10月

26

流れの変化

流されていればいいと思い込まされてきた。
それが違うことが発覚しつつある。
自分の立場で正しいこととは何か?
考えない者は渦に巻き込まれ、飲まれてしまう。
ものは考えよう。
サーフィンと同じだ。
乗りこなせばいい。

10月

23

正直化が進むと

現在不透明な問題は明確になる。
だけどその前に大きな混乱が来る。
切り抜けられると信じて行動しましょう。

10月

21

からだを響かせる

朝起きて、気が向くと、からだを響かせる。
小さな声を出して音程を変えていく。
ポルタメントのようにして少しずつ音程を上げていくと、声が出にくい音程がある。
その音程を見つけると、しばらくその音程で「あえいおう」と母音を変えていく。
すると、母音によっては楽に声が出たり、出にくくなったりするのがわかる。
ここから先は僕の与太話だと理解した上で読んで欲しい。
出しにくい音程は、僕の身体の細胞が、何かの理由でその音程を拒否しているのだと解釈する。
それで、その音程を丁寧に響かせていくと、ある時点で急にその音程が出しやすくなる。
体中の力を抜いてそれをしていると、ときどき身体の各部位が響いているのに気づく。
少し前までは入院して治療していた部位が特によく共鳴していた。
痛いというほどではないが、むずがゆい感じがしていた。
それが最近はなくなってきたので、治療が進んだからだろうと思う。

10月

19

ひとつひとつ考える

世の中には答えだけを知りたがる人がいるが、そのようにして生きていると、きっとうまくいかない。
古代、西洋の人たちは、音楽が神界の調和を表すものだと解釈していた。
完全五度はその調和を示すものだが、いくつか完全五度を重ねていくと、ひとつひとつは調和しているはずなのに、いつしか調和しない不協和音が含まれるようになっていく。
それが理解できず、人の生きている世界が不調和だから、このようなことが起きるのだと解釈した。
周波数と完全五度の関係をひとつひとつ計算していくと、その理由がわかるが、答えだけを鵜呑みにすると、生きているのが嫌になるかもしれない。

10月

6

祓え給い 清め給え

身体が不調だとどうも感覚に靄がかかっているようだ。
そんなとき「祓え給い 清め給え」と心の中で唱えると、すっきりする。

9月

28

切ない金木犀の香り

歩いていたらふと金木犀が香ってきた。
そういう季節になった。
なぜか金木犀の香りを嗅ぐと切なくなる。
楽しい思い出もあったのになぁ。
切なくする成分でも入っているのか?

9月

26

空腹

若い頃はおなかが減ると機嫌が悪くなった。
いまも多少はその傾向があるとは思うが、以前ほどではない。
バリ島のニュピに通うようになって、空腹があまり問題にならなくなった。
空腹は心地いいときがある。
でも、そうじゃないときも時々ある。
少しの進歩を喜ぼうと思う。

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「ヌースフィアってなに? 第2回意識化」をアップしました。
ぜひご覧ください。
以下のような話が聞けます。
・極端な人口削減は問題
・ヴェルナツキイのノースフェーラ
・ヌースフィアの概念はどのように練り上げられたのか
・ヌースフィアを知ることで開く知覚
・「WinWin」から「五方よし」へ
・限界を超えて
https://youtu.be/7Wji7vSae0Y

9月

13

歪んだ構造

歪んだ構造が是正されていく。
そのように期待する。
手を貸す。
自分の見える範囲で。

9月

7

失われて知る大切さ

当たり前と思っているものほど、失われたときにその大切さを痛烈に知る。
そういうことが何度もあった。
それでも、当たり前のものは当たり前に思ってしまう。
お馬鹿さん。

8月

24

文字を書く

漢字は書かないと忘れる。
キーボードで入力していると、漢字の細かい部分がわからなくなる。
そこで手書きでノートに書く。
カリグラフィーペンで書くと一層楽しい。

8月

17

対話

対話は基本的に気持ちいい。
気持ちよくならない対話は、対話している者同志またはどちらかが、優劣をつけようとするもの。
それは対話ではないことに気づく。
対話はすればするほど理解が進み楽しくなる。

8月

10

愛の根源は光

太陽がどのようにしてできたかは、未だに新説が生まれていてはっきりとはしてないようですが、太陽ができなかったら地球に生命が生まれなかったことだけははっきりとしているでしょう。
生命が生まれたのはもしかしたら海底の熱水からかもしれませんが、その生命が海に広がり、光合成の能力を得て進化し、広がっていくためには、太陽の光とそこから生まれる熱が欠かせませんでした。
おかげで生命が進化し、今の状態に地球が育ってきたのです。
その環境の中で人間が生まれ、言語を得ていまの状態を作りあげたとするなら、僕たちがやりとりする「愛」の根源が、実は光だと言っても、まったくの嘘だとは思えません。
電磁波は、いろんな情報を含むことができます。
光も電磁波です。
僕たちが理解できない情報が含まれていたとしても、不思議ではないように思います。

8月

7

揺れる

風に吹かれてカーテンが揺れる。
あなたの告白に心が揺れる。
朝日を反射した海面が波に揺れる。
耳元のささやき声に鼓膜が揺れる。
草原の草花が風に揺れる。
あまりのまばゆさに瞳が揺れる。
自然のままに揺れるものは美しい。