7月

15

膿の観察

社会の膿がポロポロと出てくるようになった。
それらをよく観察しなければならない。
観察して、自分の心のどこにそれを許していた要素があるのか、気づかなければならない。
社会の膿がきれいになるのは、きっとそのあと。

6月

28

森の冷気

近所に小さな崖があり、その上にお寺と神社があり、森がある。
その崖の下を自転車で通った。
35度を越える暑さの中、森から降りてくる冷気が涼しかった。
森は偉大だ。

6月

27

エアコン

今日はもう気温が37℃になったようだ。
体温より気温が高くなったらエアコンにお世話になる。
35℃くらいまでは窓を開けて扇風機で涼しく感じるが、36℃になったらそうはいかない。
エアコンの有り難さをしみじみ感じる。
エアコンをつけたままだと28℃でも暑く感じるが、外に出て37℃を体験してから部屋に入ると、28℃はとてもありがたい。

6月

26

32℃

夕方に32℃になった。
36℃では外に出る気はしないが、32℃なら自転車で走るのにはいい。
半袖半ズボンに帽子をかぶって、夕焼けを眺めながらチャリンチャリン。

6月

25

盛夏

まだ6月なのに盛夏のようだ。
気温は36度になった。
半ズボンを履いて、バリシャツを着て、首には水を含ませるとひんやりするタオルを掛けて、窓を開け放って、風に吹かれている。
真空断熱タンブラーにアイスコーヒーを入れてちびちびと。
37度になったら仕方ないのでエアコンかな。
もう少し頑張ろうかな。
はっきりしない夏より、暑い夏のほうが好き。

6月

17

あらゆるものの肩に乗る

あらゆる存在が、何かの肩の上に立っている。
どんな音楽も、音階がないと生まれなかったように。
どんな言葉も、最初の原始的な言葉がなければ生まれなかったように。
どんな生命も、原初の単細胞がなければ生まれなかったように。
どんなアイデアも、言葉がなければ生まれなかったように。
誰もが、両親がいなければ産まれなかったように。
あらゆる存在が何かの存在のおかげで存在する。
肩に乗せてくれてありがとう。
そして、肩の上に乗ってもらえて嬉しい。

6月

9

ラリる

病気の治療として薬を飲んでいる。
もちろん医師に処方された薬だ。
しかし、それを飲むと血圧が下がってフラフラする。
朝飲まなければならないので、このフラフラ状態で「日刊 気持ちいいもの」を書くのはつらい。
だけど、この「日刊 気持ちいいもの」を再開した2011年3月11日、東日本大震災が起きた。
そのときに「気持ちいいもの」なんてどうやって書いたらいいんだと悩んだように、いままた薬でフラフラしながら書いていく。
そこに心地よさが生まれるのかも。w
モネが睡蓮を描き続けたように、新たな地平を見つけていこう。

6月

6

泣こうよ

このところ、50,60年台のマイルス・デイビスとか、ビル・エヴァンスとかばかり聞いている。
なんでだろう?と感じてみた。
悲しくないかい?
政治家はウソを吐き、相手側を攻撃ばかりして、自分の立場を正当化する。
自分の落ち度には目をつぶり、それだけならまだいいが、美しい物語に塗り替えてばらまいている。
それを信じないとやって行けない僕たちは、それを知らないこととして生きている。
その代償としての軍事侵攻やら、経済制裁やら、なんやらかんやら。
戦争中には派手で勢いのいい音楽が流行る。
戦後にその反動としてマイルスとか、ビル・エヴァンスの音楽が生まれた。
誰もそんなこと言いはしないけど、僕はそれで多くの人が戦時中の心の傷を癒していたように思う。
同じことをまたするの?
その前に、自分たちの愚かさ加減に泣こうよ。
戦争を放棄した兵士がいるそうだけど、僕は彼らを賞賛する。
怒る前に、泣こう。
殺すより、抱き合おう。

5月

30

Feelgood01 

ある日、単純なメロディーを思いついた。
11年前の5月の昼過ぎ。
12小節の短いメロディー。
どうしてもそれを演奏したくなって、クローゼットの奥にあった鍵盤を取り出し、コンピューターに繋いでDTMで演奏した。
それを演奏しながら、この世界がすべてつながっていることを思う。
だとしたら、なぜ人はそれらを好悪を持って見つめるのだろう?
あらゆるものが、何かのために生まれた。
あらゆるものが、何かのためになっている。
どんな存在も請われてここに来た。
https://soundcloud.com/tsunabuchi-yoji/feelgood01

5月

25

象が描いた絵

市原ぞうの国に行ったとき、象が描いた絵を一枚買ってきた。
それには一本の木が描かれている。
幹は茶色一色だが、葉には緑、黄色、赤と三色の色が使われ、青空には白い雲がある。
教えられていやいや描いたとは思えない。
その絵の前に立つと、頬が緩む。

5月

23

苦しむために来た

生命は宇宙の中でいろんなことを可能にする。
しかし、地球ではいろんな枷があって不自由だ。
地球で暮らす生命は、わざわざその「苦しみ」を体験しに来た。
そんな話しを聞いたことがある。
確かにそう思うと、少し気が楽になる。
早く枷を取り払って、元の状態に戻ろう。

5月

21

雨音

外では雨が降っている。
激しい雨のようで、ザーッという音が聞こえる。
いろんな雨音がある。
僕が好きなのはサーッという雨音。
森に降る心地よい雨。
雨粒が落ちる葉によって音色が変わる。
薄い葉、厚い葉、小さい葉、大きい葉、虫食いの葉、虫の卵がついた葉、鳥が雨宿りしている葉。
葉によって奏でる音が異なる。
それらが一斉に、壮大なシンフォニーを奏でる。
風が吹き、雨量が変わり、温度が変わると音も変わる。
何度聞いても飽きない音のタペストリー。

5月

10

ふふふ

京都錦市場にお麩の専門店がある。
そこののれんにひらがなで「ふ」と書かれていて、それがいくつも連なっていて「ふふふ」と読めるようになっていた。
「ふ」というひらがなはいくつか並ぶと不思議な力を発する。
大きな「ふふふ」、いつかご覧ください。

4月

24

目の前のこと

僕は目の前のことしかできない。
だから、やると決めたことは丁寧にやる。
それだけだ。

4月

16

瞳のシャッター

青空を背景に八重桜がきれいに咲いていた。
写真を撮ろうと鞄を開けたら、スマホがない。
うちに忘れてきたようだ。
仕方ないので目に焼き付けた。
瞳のシャッター、パシャリ。
でも、きっと忘れるんだろうな。

4月

5

桜吹雪

桜を見ながら桜吹雪に吹かれた。
はらはらと流れる。
空間が流れるかのようなその感覚。
川面には花筏。
いのちの営み。

3月

28

控えめな満開

昨日、東京では桜が満開になったという。
近所に桜の名所があるので、毎年のように桜を見る。
今年の桜は控えめかもしれない。
年によってぶぁっと咲く年と控えめな年がある。
今年は少し控えめな気がする。
これからぶぁっと咲いたらそれはそれでいいのだけれど、控えめの桜でもなんかいい気がする。
桜もウクライナの状況を悲しんでいる。

3月

23

聖なる世界

僕たちは貴重な存在に取り囲まれている。
あまりにも当たり前になってしまったため、見えなくなってしまったその尊さ。
とても高い価値を持ったものしか残らない世界。
そんな世界の中で生かしてもらっている。
「当たり前」と思うか「尊い」と思うか。
それは自分に委ねられている。

3月

17

豊富にあること

すでに豊富にある。
無理に手に入れなくてもいい。
奪い合わなくてもいい。
ちょっと待てば手に入る。
競う必要はない。
ゆったり味わおう。

3月

12

味わい直す

気持ちいいものを文章にするというのはどういうことかというと、そのひとつは「味わい直し」なのだ思う。
人は、いろんな状況でいろんな体験をする。
たとえば、失恋のあとにどんなにおいしいものを食べても、おいしくは感じられなかったりするだろう。
だけどもし、失恋の感情から解放されて、気分のいいときに同じものを食べたら、とてもおいしく感じるかもしれない。
それに似ている。
気持ちいいものを書くことで、気持ちいいものの再体験をする。
ただ文章を書くだけだと再体験にはならないが、文章を書きながら、その体験をまざまざと思い出していくと、新たな体験となる。
すると、かつてした体験がみずみずしくよみがえる。
ことによっては、気持ちいいと感じなかったものも、そう感じるようになる。
それを通して何を見つけるか。
それが大切なんだなと、理解できるようになった。

3月

11

11年

11年前の今日、311が起きた。
11年前の今日、『日刊 気持ちいいもの』を再開させた。
この11年はいろんな感情をもたらす。
きっとどの11年でも、いろんな感情をもたらすだろう。
でも、僕のこの11年は、ほかの11年と比べると、特別な11年になった。
どの11年を取っても特別ではあるが、この11年の特別さとは異なる。
優劣ではない。
異なるということが大切だと思う。

3月

8

理解し得ないもの

理解し得ないもの、それが「いのち」。
どんなに単純な構造をした「いのち」でも、誰もその全貌を理解し得ない。
理解すれば理解するほど謎が増える。
掘れば掘るほど掘るべき先が現れてくる。
いつまでも永遠に絶えることなく掘ることを楽しめそうだ。

3月

3

もうすでにある

遠くの人とも自由に会話できる。
知りたいことはほとんどなんでも知ることができる。
食べたいときに食べたいものを食べようとすれば食べられる。
いま欲しい物といったら、ほぼなんでも手に入っていて、特に必要でもないものを贅沢品として追いかけている。
そんな幸せな世界になってきた。
このことに目を覚まさなければならない。
いま体験している現実がもったいない。
それを知った上で、社会的に起きている事件を眺めると、もっとどうにかなるだろうとしか思えない。
「どうにもならない」と思わされているように感じる。
答えはすでにあるのに、目隠しをされているようだ。

2月

28

人がひとりいなくなると

人が誰かひとりいなくなると、その人のことを知っている多くの人が悲しむ。
戦争なんかが始まると、その悲しみは幾何級数的に膨れ上がる。
だから、争いが始まる前によく話し合いましょう。
目の前のことにだけに固執することはない。
新たな地平を創作しましょう。
人の内側にある、大きな存在を尊重しましょう。

2月

13

泣くほどの感動

瞑想を習うまでは、絶対泣かない人だった。
それが瞑想を習うようになり、ヒーリング・ライティングというワークショップを主催するようになり、涙もろくなった。
もしかしたら歳のせいかもしれない。
一方で、自分の感情に正直になったのだとも思う。