8月

17

ケルトの魂

『ケルトの魂』という本をいただいた。
鶴岡真弓の対談集。
20年以上も前にアイルランドに行った。
また行きたいなと思う。
キリスト教が入る前のアイルランドは多神教だった。
その影響がキリスト教が入っても残り続ける。
一神教というのは政治的にはいい宗教かもしれない。
人民を統一しやすいから。
でも、暮らしている人にとっては多神教のほうが暮らしやすいように思う。
いろんな視点が混在することが許されて、それでなんとか折り合いをつけていくから。
宗教学では多神教が進化して一神教になるというような説があるようだが、それがまた多神教に戻るのがいいように思う。
せめて戻らなくても、ケルトのように混在するとか。

6月

24

難しい本

難しいことが書かれている本が読みたい。
一度読んだだけでは理解できないような、再読が必要な難しい本。
だけど自分に興味がないとそういう本は読めない。
僕に興味があって難しい本。
そんな本はきっと売れないだろうな。
とは思うが、そういう本に飢えている読者に案外売れるかも。

5月

28

アネーカーンタヴァーダ

ジャイナ教に「アネーカーンタヴァーダ」という考え方がある。
一言でいうと多元論と価値の多様性の原理。
三冊の本を読み比べて、どういうことかを探ってみた。
しかし、不明なことがまだ多い。
アネーカーンタヴァーダを比較的きちんと説明しているのはなんとウィキペディアだった。
インターネット万歳。
多次元リフレーミングの内容が濃くなった。

5月

27

菩薩行を生きる

2010年頃に『チベット仏教・菩薩行を生きる』という本を読んだ。
いい本だった。
『入菩薩行論』という仏典の翻訳だ。
2016年にダライ・ラマ法王が日本でその説教をした。
そのときの録画がこちらにある。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p4367/
ひさしぶりにその本を取り出し読み、なるほどなぁと思う。

5月

22

わが世の旅をうるはしと思ふ

耆那教聖典のことを五月九日に書いたが、その本の最後に「故鈴木重信君を憶う」という文があり、それが16ページにもわたっているので読んでみた。
耆那教聖典には「瑜伽論(ヨーガ・シャストラ)」「入諦義経(タットヷ−ルター・ディガマ・スートラ)」「聖行経(カルパ・スートラ)」の三典が入り、付録として三典の注釈と「耆那経論」が入っているが、目次にはその文、つまり「故鈴木重信君を憶う」のことは書かれていない。
本の扉を開き、1ページ目に「耆那経聖典」と、きれいな枠囲いに書かれていて、次のページにただ一行「訳者 鈴木重信」とある。
凡例にこのようなことが書かれていた。

耆那教の所謂聖典は、前顕の三典のみならず、尚ほ別に多くを存す。訳者鈴木重信氏は、昨夏本会の嘱に応ずるや、同教の根本的信仰と行事とを伝ふるものとして、行支経(アーチヤーランガ・スートラ)、優婆塞十経(ウヷーサガ・ダサーオ)の二典、大優の伝記を語る聖行経(カルパ・スートラ)、同教倫理の要諦を説ける瑜伽論(ヨーガ・シャーストラ)、同教の哲学的作品たる入諦義経(タットヷ−ルター・アディガマ・スートラ)の三典、合して五典を翻訳するの胸案を抱けり。而かも訳者は、その時既に業に不治の難症に悩み、瑜伽論、入諦義経の二典を訳了し、漸く僅に聖行経の初三四葉に筆を染めたるのみにて、流星の虚を逸するが如くにして逝けり。訳者は文才煥発、学会稀に見るの秀才たるに加え、刻苦精励倦むを知らざるの士なりき。今や亡し、痛恨何ぞ勝えん。

鈴木重信氏は31歳で亡くなったそうだ。
16ページにわたる「故鈴木重信君を憶う」には、鈴木氏がいかなる人だったかが書かれ、最後に三典を訳出したノートに書かれていた和歌が紹介されていた。

月一つ古城の雨の夜半に晴れて
     わが世の旅をうるはしと思ふ

5月

21

大乗起信論

ひさしぶりに「大乗起信論」の現代語訳を読む。
以前はよくわからない部分があったが、いまではすっきり理解できる。
何度も読んだし、解釈するためにいろいろと考えた。
ヒーリング・ライティングにその考えが反映されている。
お世話になりました。

5月

9

耆那教聖典

埴谷雄高が「死霊」を書いたきっかけとなったという「耆那教聖典」を手に入れた。
世界聖典全集の前輯第七巻。
大正九年に出版され、十四年に四版となったものだ。
ジャイナ教の本としては日本ではじめてのもの。
折口信夫もこの全集の刊行に関わっていた。
94年も前の本だから、どんなに古いものが届くかと心配だったが、案外きれいな本だった。
きっと凄く高いだろうと思ったが、普通の書籍とかわらない値段で安心した。
表紙も裏表紙も凝っていて素敵。
読むのが楽しみ。

5月

4

江戸川乱歩全集の横尾忠則の挿絵

昭和44年に刊行が始まった講談社発行の「江戸川乱歩全集」の1、4、7、10巻に横尾忠則の挿絵が入っている。
僕が小学生の頃、父が買ってくれた。
「少年探偵団」とか「怪人二十面相」とか、そういうのが来るのだとばかり思っていたら、大人向けの濃厚な、エログロと言ってもいいような作品が15巻もやってきた。
小学生にこんなの読ませていいのだろうか?と思うような作品たち。
それを少しずつ読んでいった。
小学生には理解不能な作品が多かった。
それでも僕は『二銭銅貨』という比較的穏やかな作品を漫画に描いたりしていた。
その第一巻の横尾忠則の挿絵がとても怖かった。
「白昼夢」の挿絵も怖かったが、一番ぞっとしたのは「屋根裏の散歩者」の挿絵だった。
屋根裏にいる男が描かれているのだが、それがなんとも妖しい。
それがどのように妖しいのか、僕にはうまく書けない。
主人公らしい男の、目が少し寄っていて、口元の歯の間からよだれが垂れている。
だけど、その絵の奇怪さはそれに因ったものではない。
横尾忠則独特の色の濃くてのっぺりとした絵と、絵の上部にある花の写真のコラージュ、そのアンバランスから来るのかもしれない。
そのなんとも形容しがたい気味悪さに、何度も絵を凝視した。

3月

6

世界宗教史

ちくま学芸文庫ミルチア・エリアーデ著の『世界宗教史』を再読している。
いま四巻まで読んだ。
全八巻なのであと四巻。
一度読んだだけではスルーしていたことがやっとはっきり理解できるようになった。
きっと読めば読むほど発見があるだろう。
これら八巻を読んでわかったことは、宗教は急には発達しないと言うこと。
ある宗教が台頭したとき、そのすぐ前にはその宗教のベースとなる考えがすでにあり、それが何かのきっかけで広まると言うこと。
新興宗教が広まるということは、その直前に何かその宗教のベースとなる考えが、または、その宗教が必要とされる状況が、すでに暗々裡に広がっているということ。
聖人が急に出てきて人々に影響を与えるだけではないということ。

3月

4

知ってはいけない2

矢部宏治氏の著書『知ってはいけない』の続編。
非常に面白かった。
しかし、内容を理解すると、たとえば辺野古の工事が官邸によって中止にはできないだろうと予測できるようになってしまう。
そんな予測は許したくはないが、『知ってはいけない2』を読むとそういうことかと理屈を知って諦めを受け容れそうになってしまう。
ウラの事情を知るのはいいことだが、それに納得してはならない。
日本とアメリカの関係をどう変えるのかを考えるのが大事。

2月

26

憂国

三島由紀夫の小説はいままでに何冊か読んで来たが、『憂国』は心に刺さる作品だ。
高校生から大学生の頃に『仮面の告白』『愛の渇き』『美徳のよろめき』『午後の曳航』『音楽』などを読んだが、学生の僕にはあまりピンと来なかった。
数年前に『美しい星』を読んで、三島の作品としてははじめて面白いと思った。
若い頃、『憂国』だけは読みたくなかった。
危険な小説に思えた。
いまが読むべきときだと思い読んだ。
面白いというよりは、凄いという感じだ。
生々しい。
いたるところで匂いを感じた。
同じ本に『英霊の聲』と『十日の菊』が入っているが、『英霊の聲』も凄かった。
『十日の菊』は少し休んでから読もうと思う。
現代ではあまり使われない言葉が文章の密度を高くしていた。
特に『憂国』では軍隊にいるというのは、こういう人とのつながりかたになるんだろうなと思う。
戦って仲間を殺すくらいなら、切腹して果てるという連帯感。
僕にはとてもできない。
というか、そのように追いつめられた状況をいまの世の中に生み出すべきではないと思う。
三島が切腹した一週間ほどあとで、市ヶ谷駐屯地前を家族みんなが乗った車で通った。
父がそのとき何か言ったが、あまりにも強烈だったので「強烈であった」ということ以外忘れてしまった。
それから何年もあと、フォーカスの創刊号に三島の頭が掲載されていた。
この話のどこが気持ちいいのかと聞かれそうだが、『憂国』が見事だった。

2月

21

ホセ・マリア・アルゲダス

笹久保伸さんが研究したというペルーの国民的作家。
読んでいくとときどき意味のわからないところがある。
きっとペルーの文化がわからないと理解できないのだろう。
こういうことかなと想像で埋めて先を読む。
音楽を演奏するシーンがよくでてくる。
ペルーの人たちの体臭が香る。

2月

11

A3

紙の大きさではない。
森達也さんのオウム真理教に関するノンフィクションだ。
「A」と「A2」というオウムに関するドキュメンタリー映画を撮影した森さんだが、「A3」を途中まで撮影してやめ、ノンフィクションを月刊プレイボーイに連載した。
それが出版され、講談社ノンフィクション賞を受賞し、その作品を出版から十年以上過ぎてここで無料公開し始めた。
https://note.mu/morit2y/n/nde972b9f0eac
よっぽど伝えたいことがあるようなので、文庫の上下巻を買って読んでみた。
面白かった。
断片的に知っていることがまとめられているから読んでいて興奮する。
なぜ裁判を「どうしてサリンを撒いたのか」など、わからないことをたくさん残しながら、松本智津夫(麻原彰晃)の精神状態が明らかに裁判を続行できる状態ではないのに、無理矢理続行して終わらせてしまったのか。
なぜそのことについてマスメディアはほぼ沈黙してしまったのか。
謎に対する答えがある訳ではない。
ただ、はっきりとした視点を得ることになる。
オウム真理教の教団内では松本に対する忖度が行なわれていたようだが、その状況を丁寧に読んでいくと、現在の日本の状況に似ているのではないかとぞっとする。
オウムの残した歪みがフラクタルのように社会に広がっているのではないか?
窮屈な現在の状況から目を覚ましたい人は読むべき。

2月

8

世の中はあふれている

いい情報も悪い情報もゴッチャになって流れている。
その整理をつけるのがきっと人間の仕事だろう。
にもかかわらず本の読めない人が増えていると言う。
長い文章があると理解ができない人。
そういう人は短い文章から理解していけばいい。
文章はそもそも面倒なものだ。
一瞬で理解できることも、文章にするとどうしても時間がかかる。
でも、時間をかけたおかげで理解できることもある。
「一瞬で理解できる」というのは魔物だ。
「一瞬で理解できる」ことの深さを問わなければならないが、その深さは往々にして長い時間をかけて言語化をしてはじめて表に現れてくる。
その深さは人によって全く違うものだから、その深さについて論議することはとても時間のかかる仕事になる。
わかった気になって放置しておくと、些細な差があとで大きな差になってくる。
だから、繊細な人ほど文章が理解できないと思い込むのではないか?
同じ文章の解釈は丁寧に考えていくと百人百様。
表面上は同じ意味だが、その行間に分け入っていくと、読む人によって見ているものが異なってくる。
だから、わかるわからないなんかあまり気にせず、とにかく読んでみること。
僕が小学生の頃、親父が「ようじは江戸川乱歩が好きか?」というから、「好きだ」と答えた。
怪人二十面相などの子供向けの推理小説を読んでいた。
ところが、それから数日後に、大人向けの江戸川乱歩の全集が届いた。
小学生にはどうかじりついても読めない。
人間椅子になって女性に座られる喜びなんて、小学生には理解不能だ。
笑うしかない。
だけど少しずつ読んでいった。
小学生にこんな教育してもいいのかと思いながら、「こんなの読ませるなんて、変な親父」と思いながら読んでいった。
でも、そのおかげで、理解できないものを読んでも、いつか理解できる時が来ることへの信頼が僕のなかに生まれた。
いまだによく理解できない文章に出会う。
でもそれは、いつか理解されることを待っているのだ。
さあ、世の中にあふれている意味の渦に飛び込もう。

1月

20

よりよき世界へ

ジャコモ・コルネオの『よりよき世界へ』を読み出した。
父親と娘の対話でどんな経済システムが理想かを考えていく。
現在の資本主義に不満を持つ娘。
浪費がおこなわれ、不公正であり、疎外が生まれる資本主義に愛想をつかしている娘に、経済システムについて詳しい父親が、経済学の歴史から代替システムのモデルまで語っていく。
親娘両者が満足のいく答えは見つかるのか?

1月

17

誰が世界を支配しているのか?

一年ほど前に出たノーム・チョムスキーの日本語訳書を読んだ。
日本で流れているニュースでは知りようのないことがたくさん載っている。
きっとそういうことなのではないかということを、チョムスキーが実証付きで説明していく。
そんな文書があることを、アメリカではきちんと追っていけるんだ。
いいなあ。

12月

10

神の詩 バガヴァッド・ギーター

何年か前に読んだが
そのときはあまり意味が
わからなかった。
戦争の最中に悩む者と
至上者との対話。
悩む者は
「一家一族を全滅させたり
 親しい友人同志が殺しあうほどの
 過誤があったとは思えません」
と嘆くが、至上者は
「すべての生物は永遠不滅であり
 その実相は人智では測り難い
 破壊されうるのは物質体(肉体)
 だけである
 だから戦え」
という。
何度も問答を繰り返し、
ついに導かれるのは
宇宙普遍相の偉大な形相(姿)。
果たしてそこに何を見るのか。

真実も科学も高度になればなるほど
少しの歪みが大きな影響を与える。
神の詩も、少し間違えると
とんでもない考えに導かれるだろう。
仏教でいう「真如」とともに
これを読むことが求められる。

12月

9

異形化する身体

臼田夜半さんが目取真俊さんの作品について講演をしてくださった。
そのなかで「異形化する身体」という話が出てきた。
精神がからだを変形させるというのだ。
救われてない、赦されてないという思いがからだを変形させる。
これはまったく科学的な話ではない。
なぜなら定量化できないから。
これだけ思うとどれだけからだが変化すると決める訳には
いかないから。
だけど、精神がからだを変形させるということがあっても
不思議ではないような気がする。
もし生物の精神が
からだを変形させることができるとしたら、
現代の僕たちはどうからだを
変形させていくのか?
その結果がサイボーグ化なのかもしれない。
ただし、目取真俊の話は
無意識によって異形化するからだ、
サイボーグは意識的な構築、
という違いはあるが。
臼田夜半さんの講演内容はこちら。
http://www.houshouakira.com/resonance/?p=697

12月

8

読書

いったい何冊の本を僕は読んできたのだろう?
それらの蓄積で部屋は一杯。
もう一度読みたいと思う本しか残してないが、
それでももう部屋はパンパン。
若い頃、本は一度しか読まないものだった。
大人になってから再読の楽しみを知る。
書斎の本を一度に全部読みたいが、
時間をかけて読むのが楽しみ。
思い出しては一瞬で味わうのもいいけどね。

12月

6

おもろさうし

昔懐かしい歌詞の一部が
はじめて読む文章に
埋め込まれていると
それを読んだ途端に
感覚が懐かしい頃を思い出す。
そのことを思いながら
「おもろそさうし」を読むと、
沖縄のきらびやかな時代が
どのように編まれていたのかが
わかるような気がする。

11月

7

仏典を読みなおす

かつて仏典には理解不能な文章が
たくさんあった。
書いてあることは判読できるが
それから生まれる実感が伴わない。
ふん、とか、うーむとか思っていた。
しばらくして書かれていることは
たいてい理解できるようになった。
最近では読み始めると没入する。
若い頃、
本を再読することはなかった。
いまは読みなおすことが愛おしい。

10月

7

古本を探す

神保町で古本を買った。
いろんな本から今日買う本を探す。
あっ、探していた本があった。
五百円しかしないよ。
ラッキー。

10月

2

再読

少し難しい本を読む。
一度読んだだけでは理解が及ばない。
そういう本を再読する。
はじめて読んだときより理解が進む。
それで終わるときもあるけど,
もう一度読まなければと思う本がある。
三度目に読んで
やっと理解したりする。
それでも理解の及ばない箇所が
あることもしばしば。
読むことの喜びは
そういう本をきちんと理解したとき生まれる。

9月

25

ホモ・デウス

ユヴァル・ノア・ハラリの
『ホモ・デウス』を読んだ。
面白かった。
ただし、未来がかなり悲観的。
そこに書かれていたようなことを
20年以上考え続けてきた。
その内容の一部がここに。
http://www.houshouakira.com/resonance/?p=594
かなりはしょってあるので
理解しにくいかもしれませんけど、
いつかもっと丁寧に書きます。
で、この続きを10月10日に話します。
http://www.houshouakira.com/resonance/?p=672
『ホモ・デウス』で
疑問に残されたことに対して
僕なりの解答を出します。
ただ心配なのは、
説明する時間が足りるのかってこと。

8月

9

美しい星

三島由紀夫の小説。
ある一家が突然、
「自分たちは宇宙人だ」と悟る。
父は火星人、母は木星人、
兄は水星人、妹は金星人。
それぞれの星から来たから
みんな意見が違う。
通じているようで通じていない。
普通の家庭に起こることでも
宇宙人の目から見ると
ちょっと違って見える。
いろんな観点を持たされる
不思議な小説。
一家はみんな地球の平和を夢見るが
なかなかうまくいかない。
地球人が考えるとすると
違和感が生まれるが、
異星人だから人間のことを
どう思っていても不自然ではない。