7月

3

埴谷雄高の『虚空』

大学生の頃、古本屋に行くと必ず目にする本があった。
それは埴谷雄高の『死霊』。
当時は名前の読み方すら知らず、いったいどんな本なのか極めて謎だったので、読むだけ読んでみようと買ってみた。
当時の『死霊』は五章までしかなかった。
その時点ではまだ未完であることも知らなかった。
とにかく読んだが、何が何だかよくわからない。
この作品の何が面白いのか?
何十年も本棚に飾られた状態だった。
それを再び読む気になった。
安藤礼二の『光の曼陀羅』のおかげ。
九章で絶筆になり、全三巻の文庫が出ている。
埴谷雄高はいくつかの短編と『死霊』くらいしか作品がないと言われている。
まずは短編集『虚空』を読んでいる。

6月

30

自分の区別

ジャイナ教の認識論について学んでいくとなるほどと思うことがある。
そのひとつ。
何かについて学ぼうとしている人と、学ぼうとはしていない人のあいだの認識は違うということ。
当時のインド哲学でこのようなことをいうのはジャイナ教だけだったそうだ。
だからジャイナ教にはその認識の違いを表す言葉が存在する。
その認識の違いは「ある」といえばあるし、「ない」といえばないような程度のものだと、かつての僕なら考えたと思うが、『日刊 気持ちいいもの』を書き続けたおかげで、たしかにそれはあるなと思うようになった。
意味的にその違いが存在することは明確だが、「学ぼうとする」ことによって「あることに対する興味の時間的継続」が生まれ、それが感情に絡まり、認識が異なるものになるのだ。
これを知ることによって心という曖昧なものが受ける影響について考える足がかりがまたひとつ増えた。

6月

24

進化の意外な順序

アントニオ・ダマシオの著書、『進化の意外な順序』を読んでいる。
とても面白い。
『日刊 気持ちいいもの』で、表現のしようのない感覚について何度か書いたけど、その説明になるような話が「第7章アフェクト」に登場する。
そうだよそうだよ、と思いながら読んだ。
『日刊 気持ちいいもの』に出てくる理屈っぽい部分が好きな人は読むと面白いかも。

5月

15

次代の天皇

現在の天皇は「国民の象徴」ということになっているが、自民党の憲法改正案では「元首」とするとなっている。
明治維新以降天皇は君主として統治していた。
「元首」と「君主」は何が違うのだろう?
古事記や大嘗祭を研究した工藤隆博士がその著書『古事記誕生』でこんなことを書いている。
短くまとめるので概念の大切な部分が抜け落ちるが、気になる方は中公新書の『古事記誕生』を読んで下さい。

日本は戦前、誇大妄想の神国日本像へとのめりこまされた。
敗戦後は逆に日本人のアイデンティティーを考えなくなり、心的空洞をもたらした。
日本の島国文化・ムラ社会には助け合い精神・忍耐力・自己抑制力などプラス面があるが、同時にムラの内側の論理がすべてにおいて優先されるので、外側からの視点を正確に把握できなくなることがある。
よって、文化人類学、考古学、古代史学、言語学、民族学ほか、さまざまな学問から得られた要素をインプットして、縄文・弥生期をホログラフィー的手法で立体的に浮かび上がらせることで古事記を研究することが大切だ。
そうしてはじめて日本は自分のオリジナリティーがどのようなものか知ることができるだろう。

このような考察を経てから、次代の天皇像を考える必要があるように思う。
政治家が利用するための天皇はいらない。

5月

13

世界文学全集

昔、うちには何種類かの世界文学全集があり、中央公論の「日本の文学」全集があった。
引っ越すときにほとんど売ってしまったが、手元に何冊か残っているものがある。
多くは仏教と哲学の本。
うまくまとまっていて案外と役に立つ。

5月

7

ノヴァセン

ガイア理論を提唱したジェームズ・ラヴロックが99歳にして『ノヴァセン』という本を出版した。
簡単に書くと、人間も自然の一部なので、人間が作り出すAIも自然の一部であり、そうだとするといままでの生物が従ってきた法則に則るはずであり、人間の勢いがたとえ衰えても、AIが次世代を担うだろうという、明るいのか暗いのか判断が難しい未来について書いた。
人間が生き延びるかどうかについては、多分生き残るけど、覇権を握るのはAIになるだろうという。
僕もそうだろうなと思うし、まわりの友人たちにはその話をずっとしてきた。
いろいろと批判もされるが、なぜそうなのかという説明をしだすと長くなる。
ラヴロックはその説明の大部分をはしょっている。
賛成派と反対派に分かれるだろうなと思うけど、賛成しようが反対しようが、そうなるときはいつか来る。

4月

29

ブックカバーチャレンジ

FBでブックカバーチャレンジというのが回ってきた。
一日一冊、いい本を紹介しろという。
いい本はたくさんあるので迷う。
迷うのが楽しい。

3月

1

テレワーク

相方がテレワークを始めた。
ダイニングでパチパチとキーボードを叩いている。
コーヒーなど淹れにいくと「飲む?」と聞いて一緒に淹れてあげる。
普段とは違う生活になった人が多いだろう。
飲食店は集客が心配だと思う。
アート関係ではイベントが中止になりお手上げの人もいるだろう。
こんなときこそいままでにない楽しみを見つけるべき。
僕は何かの参考になるかと思い『デカメロン』を読み出した。
出だしはペストの流行から始まる。
死に直面した10人の男女が、それまでの常識から逸脱して語り合う生の現実。
僕たちもなにがしかの覚悟が必要かも。
願わくば、ここしばらくの窮屈な感覚を吹き飛ばすような何かをしたい。

1月

29

三本の矢

「ファシズム」の語源はラテン語の「fascis」で、「棒の束」を意味するのだそうだ。
『21 Lessons』でユヴァル・ノア・ハラリは「それには深く不気味な意味がある」と書いている。

棒は一本だととても弱く、たやすく真っ二つに折れる。
ところが、何本も束ねて「fascis」にすると、折るのはほぼ不可能になる。
これは、個人は取るに足りないものの、共同体は結束しているかぎり、とても強力であることを意味している。
したがって、ファシストは誰であれ個人の権益よりも共同体の権益を優先することが正しいと信じており、どの棒にも、けっして束のまとまりを損なわないことを求める。
『21 Lessons』ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 河出書房新社刊 p.378-379

毛利元就の三本の矢を思い出す。
共同体にいる人にとってはいい話かもしれないが、共同体の外部から見ると「深く不気味な意味」を孕む。
でも最近では、多様性がないとうまくいかないという話があるので、共同体にとっても必ずしもいい話ではなくなっているかも。

1月

27

自分から逃げること

『自由からの逃走』というフロムの本がある。
内容を端的に表現すると、人間は自由を与えられると何をするか考えるのが面倒になってたやすく手に入れられる答えに身を投じるというもの。
その逃避先が権威主義であったり、破壊性であったり、機械的画一性であったりして、その結果としてナチズムを生んだのではないかとしている。
1941年の著作だからそれからもう80年近くがたつ。
科学が、心理学が発達し、僕たちはなんでも明らかにしてきた。
だから、どんな時代に生きていようと、自分がどのように考えるかで様々な可能性があることを理解するようになった。
一方で、様々な可能性を考えられる思考は、時代が与えてくれたものであることも理解できる。
自分の環境が良ければ考えられることも、もし悪ければ考えられない。
そうだとすると、自分の思考とはいったいどういうものなのか?
本当の謎は、自分自身であるかもしれない。
逃げようのない自分の思考から、どのように距離を置くべきなのだろうか?

1月

27

新しい音楽通論

中学生の頃に吹奏楽の編曲をしようと思い、『新しい音楽通論』という本を買った。
音大生用のテキストとして作られたそうだが、難しくて理解できないところがいくつかあった。
そのひとつが対位法。
ひさしぶりに出して読んだが、やはり対位法がわからない。
このまま理解できずに一生を終えそうだ。

1月

21

拙著

かつて書いた本が何冊かあるが、ひさしぶりに取り出して読むと面白い。
そんなこと考えていたのかということに出会う。
古本が高い価格で取引されているとうれしい。

1月

18

グレタのねがい

『グレタのねがい』という本をご献本いただいた。
17歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリの話が書かれている。
児童向けの本なのでサラッと読める。
僕が一番面白く感じたのは、グレタの両親が何をしたのかという部分。
もし自分の子どもが学校に行くのをボイコットして、国会前で「気候のための学校ストライキ」なんてプラカードを掲げたらどうするでしょう?
たいていの親なら怒って子どもを引きずってでも家に帰らせたりするでしょう。
ところがグレタの親はそうしませんでした。
なぜでしょう?
グレタが行動を起こす前に親はすっかりグレタに説得されていたのです。
グレタが外で活動する前に、親とグレタは十分なやりとりをしていたのです。
それでも親は学校ボイコットには反対していました。
その間のやりとりが面白かった。
大人向けではないのであまり詳しくは書かれてないのですけど。
もし大人向けの本が出るのであれば、このあたりを詳しく知りたい。
子どもがこの本を読んで、もし親が新しいパラダイムを受け入れる準備ができていれば、親子で考えるようになり、世の中はどんどんと変わるんだろうなと思います。
グレタの主張は子どもっぽくて聞くに耐えないというようなことをいう人もいますし、人によっては大人が背後にいてあれは陰謀だなんて方もいます。
僕はその背景までは詳しくは知らないので陰謀だということについては何も言えませんけど、グレタの話は穏当なものだと思います。
いままで大人は、環境危機についてあまりにも無視し続けてきたからです。
どのように無視してきたかについて詳しくていい本があります。『人新世とは何か』という本です。
地質時代はたいてい数十億年から数百万年という単位で変化してきましたが、人が現れ産業革命に突入することでたった250年程度で新しい地質時代を定義すべきかどうか論議になっています。
その新しい地質時代が「アントロポセン(人新世)」なのです。
この本を読むと、グレタの主張はおおげさなものではないなと感じます。

1月

17

歳を取る

歳を取ると思ったように体が動かないとか、簡単な固有名詞が思い出せないとか、不便なことが増えるけど、一方でとてもいいこともある。
かつて読んで理解できなかった本が理解できるようになるということ。
本は読めばおおよその内容は理解できる。
だけど読み終わっても、何か大切な部分がまだつかめてないと思うことがある。
そういう本はしばらく寝かせておく。
何年かたって、中には何十年かたって、この本はそろそろ理解できるなと思って読むと、確かに理解できるようになっている。
歳を取ってうれしいのはこういうとき。

12月

28

ホログラフィック・ユニバース

マイケル・タルボットの著作。
タルボットはこれを書いたあと、38歳で亡くなった。
とても不思議な本。
この世界を別の見方で見る話。
華厳経に出てくる、この世界はすべて水晶のように互いに影響を受けているという話に通じるもの。
そして、さらに深くそれについて考えられている。
それが事実かどうかはさて置き、そういう考え方で世の中を見てみると何が見えてくるのか、それが大切。
25年前に読んだが、ひさしぶりに読み返そうと思う。

12月

24

多次元に生きる

臼田夜半さんとお話しをしたとき、地湧社の社長だった増田圭一郎さんが同席していた。
何かの話がきっかけで、増田さんが片桐ユズルさんの話をした。
オルダス・ハクスリーの翻訳をしたかただという。
調べると何冊かのハクスリーの著作とアレクサンダー・テクニークに関する本の翻訳をなさっている。
そのなかから『多次元に生きる』を読んだ。
とてもいい本だ。
特に「両生類の教育」という章に興味を持った。
僕たちは言語の世界と非言語の世界の両方に生きている。
その二つの世界に同時に生きているから両生類。
そこにこんなことが書かれていた。

ほんとうの『道』に好悪はない。愛憎から離れてはじめて道の本来の姿が見えて来る。好きなものを嫌いなものに対立させること、それこそ心の病いである。

神を何か特別なものと思ったり、神を何かよりも貴いと思ったりしているうちは、そのひとは未開の地に住む野蛮人であり、子供であるのだ。その人にとって神がすべてと同じになってはじめて一人前になったといえるのだ。

気持ちいいものばかりを抽出していると、どうしてもときどき気持ちよくないものに直面する。
気持ちいいものと一緒にいるとき、実は気持ちよくないものとも一緒であることがよくわかる。
気持ちいいものを感じるとき、気持ちよくないものも一緒に居させてあげる。
今日はクリスマスイブ。
クリスマスキャロルを思い出すと悲しい感じがする。
もちろん楽しいものだという側面もあるのです。
でも悲しくも感じる。
言語の世界ではどちらか片方だけを取り上げますが、非言語の世界には両方存在するのです。
愛する家族ほど、実は憎たらしかったりするのです。
それを表現してもいいし、表現しなくてもいい。
僕たちは両生類だから。

12月

23

知覚の扉

臼田夜半さんのお宅で「命に帰る〜生と死についての対話」をした。
対話と言うよりは僕が質問をして、臼田さんの話を聞いた。
そのなかでトマス・アクィナスの話が出てきた。
アクィナスは生涯の終わりに三昧の体験をした。
その結果、それまでに読了したことのすべて、論じたことのすべて、書き記したことすべてが、もみがらか藁くずに過ぎないものになったという。
うちに帰ってたまたま開いた本の最後にその話が出てきた。
オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』に。

12月

8

目覚めよ、愛に生きるために

11月末に『目覚めよ、愛に生きるために』というタイトルの本が出版された。
著者は本郷綜海。
スチャダラパーを世に出し、有名ラッパーに育て上げると手を引き、今度は自分がヒーラーや歌手になると言ってアメリカに渡ってしまった。
その直前に知り合い、何度か会ったのち、本郷さんはバーバラ・アン ブレナンのもとで学ぶようになる。
何年かのちに帰国して、最初のライブに行った。
ライブが始まると、本郷さんはとても長く唸る。
一分以上ただ「うー」と唸っていた。
ところが、その唸りが凄い声だった。
ピュアとか透明とか、そんなもんではない、魂の奥に隠していた何かを揺さぶり起こすようなそんな声。
聞いているうちに鳥肌がたった。
心の鎧が解けていくような感覚と、それに逆らおうとする、自分の土台を突き崩されてはならないという恐怖の感覚。
その長い唸りのあと、その歌声は「月の砂漠」を歌いだす。
長い緊張のあとでポッと懐かしい歌が始まったので心の壁が決壊した。
涙が出た。
そのあと、「月の砂漠」のはずが、どんどんとアドリブで違うものになっていく。
大笑いしてしまった。
それがどういう体験だったのか、丁寧に説明してもあまり伝わらないだろう。
彼女の「素」に触れたという体験だった。
アメリカで大変なことを学んだなということがよくわかった。
今ではヒーラーとして有名になり、歌手としても地歩を固めている。
前回のライブにはスチャダラパーが参加したと聞いた。
その本郷さんが二冊目の本を出したのだ。
タイトルがとても直球で、ちょっと読むのは気恥ずかしい。(笑)
でも、ズイズイと読んでいった。
大きな愛の話をしている。
本郷さん自身が愛だと思っていた幻想をどのように手放し、どのように大きな愛へと転換していったのかが書かれている。
とても素敵でわかりやすく。
読んでいるとときどき「イラッ」とする。
とてもわかりやすいから、「大きな愛は簡単ではない」という僕の思い込みが発動する。
本郷さんが「素」だから、こっちも負けじと自分の「素」が反応してしまう。
鏡に映った自分自身にムカムカしたくない人は、読まないほうがいいな。
自分の幼さや邪悪さが見えてしまうよ。
大きな愛に身を投じる覚悟のある人だけ読むといい。

12月

5

貝がらの森

箱の表表紙と裏表紙が草の絵だけの本を買った。
タイトルさえも書かれていない。
よく見ると、表表紙に一匹だけ、草に埋もれるようにして、ワンピースを着た狐が描かれている。
なかひらまいさんの「貝がらの森」という本。
普通に出版するためには、表紙にタイトルがなくてはならない。
それを廃した。
普通に出版するためには、版権を一部出版社に渡さなければならない。
それが嫌で自社で出版した。
普通に出版するためには、出版社のアドバイスを聞かなければならない。
自分の感性にこだわるために表紙、ページ、流通法まで全部デザインした。
内容は毎日新聞大阪本社版で2013年11月に連載したもの。
はじめて読むが、どこか懐かしい。
この本を昨日、2019『貝がらの森』原画展で入手した。
高円寺駅から歩いて三、四分のギャラリー「たまごの工房」でおこなわれている。
行くとなかひらさんが待っていた。
原画を見ながらお話した。
巻末に、なぜこの物語を懐かしく感じるのか、ユング心理学研究会の白田信重氏が説明していた。

2019『貝がらの森』原画展
日付:2019年12月4日(水)〜8日(日)
時間:12:00〜19:30(最終入場時間/最終日の8日は18:00まで)
会場:東京・高円寺たまごの工房(東京都杉並区高円寺南3-60-6)

10月

17

あなたを選んでくれるもの

友人を偲ぶ会の準備をしていて、些細な問題が起きた。
同時に、相談事があってどう解決していいかわからない。
書かなければならない原稿が締切を過ぎてしまった。
煮詰まった。
何をどうすればいいのかよくわからない。
そこで、逃避をした。
ミランダ・ジュライの『あなたを選んでくれるもの』を読んだ。
少し前に買って、部屋の片隅に積んでおいた本の一冊。
なぜこの本を選んだのかはわからない。
これが良さそうという匂いがした。
昼食のあと、喫茶店で読んだ。
三時間ほどで読み切った。
何に引き込まれたのか、明確には書けない。
だけどとても引き込まれた。
この本一冊が逃避の話だった。
映画の脚本を書いていたミランダは、もうほぼ完成という段階で逃避をする。
はじめはネットをサーフィンして時間をつぶすが、あるときポストに入っていたフリーペーパーを読みだす。
そこには「こんなものを売ります」という広告が出ている。
そういう広告を出している人に連絡を付け、会ってインタビューを始める。
映画のネタ集めと称しての逃避。
ミランダが想像していなかったいろんな人と出会う。
何人かに会い、これでインタビューはもうやめようと思って会った最後の人。
その人に執筆していた映画へ出演してもらうことになる。
訳もわからず感動した。
喫茶店でウルウルするのを我慢した。
読み終わってウチに帰ると、問題と思っていたことはたいしたものではなくなっていた。

10月

7

レ・ミゼラブル

「レ・ミゼラブル」は、昔「ああ無情」というタイトルの子供向けの本を読んでいた。
だから、あんな大河小説だとは思ってなかった。
概要だけ読んでも面白そうに感じる。
いつか全部読んでみたいと思うが、こうやって読みたい本ばかりが増えていく。
「モンテ・クリスト伯」も読んでみたいしな。

8月

17

ケルトの魂

『ケルトの魂』という本をいただいた。
鶴岡真弓の対談集。
20年以上も前にアイルランドに行った。
また行きたいなと思う。
キリスト教が入る前のアイルランドは多神教だった。
その影響がキリスト教が入っても残り続ける。
一神教というのは政治的にはいい宗教かもしれない。
人民を統一しやすいから。
でも、暮らしている人にとっては多神教のほうが暮らしやすいように思う。
いろんな視点が混在することが許されて、それでなんとか折り合いをつけていくから。
宗教学では多神教が進化して一神教になるというような説があるようだが、それがまた多神教に戻るのがいいように思う。
せめて戻らなくても、ケルトのように混在するとか。

6月

24

難しい本

難しいことが書かれている本が読みたい。
一度読んだだけでは理解できないような、再読が必要な難しい本。
だけど自分に興味がないとそういう本は読めない。
僕に興味があって難しい本。
そんな本はきっと売れないだろうな。
とは思うが、そういう本に飢えている読者に案外売れるかも。

5月

28

アネーカーンタヴァーダ

ジャイナ教に「アネーカーンタヴァーダ」という考え方がある。
一言でいうと多元論と価値の多様性の原理。
三冊の本を読み比べて、どういうことかを探ってみた。
しかし、不明なことがまだ多い。
アネーカーンタヴァーダを比較的きちんと説明しているのはなんとウィキペディアだった。
インターネット万歳。
多次元リフレーミングの内容が濃くなった。

5月

27

菩薩行を生きる

2010年頃に『チベット仏教・菩薩行を生きる』という本を読んだ。
いい本だった。
『入菩薩行論』という仏典の翻訳だ。
2016年にダライ・ラマ法王が日本でその説教をした。
そのときの録画がこちらにある。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p4367/
ひさしぶりにその本を取り出し読み、なるほどなぁと思う。