12月

4

全集がそろう

ずっと以前に出版された全集物を集めるのに、全巻一度にそろうといいのだが、それができないとき、古本を一冊ずつ買いそろえる。
今回、エリアーデ著作集が全巻そろったのだが、第11巻だけ箱がない。
なんか残念。w

11月

26

ノーマン

本棚の奥から「ノーマン」という漫画が出てきた。
手塚治虫が1968年に描いた作品。
読んで驚いたのは、「スターウォーズ」と似たシーンがいくつか出てくること。
デススターとそっくりな建造中の人工星が出てくるし、その中にはデススターの中とそっくりな柱状のコンピューターがある。
フォースのような超能力も出てくるし、話も五億年前の宇宙戦争について。
「スターウォーズ」がパクったのではないかと思えるほど。
もしこれが偶然の一致だとしたら、人間の深層心理にこういう元型のようなモノがあるのかもしれない。

11月

22

マルチスピーシーズ人類学

『モア・ザン・ヒューマン』というマルチスピーシーズ人類学についての本を読んでいる。
人間は環境がないと生きていけない。
それは、どんな動物にも当てはまること。
しかし人間はそれをおろそかにしてきた。
環境を大事にするとはどういうことか?
それは、そこに生きている生命をすべて大事にすることかもしれない。
だとすると、そこに生きている動物すべてに、人間と同じような権利を認めることが必要かも。
そのようなことを探るためのマルチスピーシーズ人類学。
人間だけをどんなに大切にしても、環境が大切にされなければ、結果として人間も大切にされてない状態が生まれる。

11月

15

言語存在論

言語存在論を読み終えた。
意味は少しずつ変化する。
意味は、言葉を使う人によって少しずつ違う。
『ヒーリング・ライティング』や『あなた自身のストーリーを書く』に書いておいたことが、言語学者から説明された。
言語学を専門に学んだわけではないので、これでお墨付きを得た感じがする。

11月

10

愛による、個人の全体化

個性を伸ばしていくと、個性同士がぶつかり合って、なかなか合意に至れないと考えがちである。
しかし、テイヤール・ド・シャルダンは、その背景にキリスト的な愛がありさえすれば、互いに認め合うことが可能であるとし、それが人類を統合するための鍵だとした。
みんなが同じ考えを持つべきと考えるのではなく、みんな違ってみんないい状態を、愛を通して生み出すことができるという。
それがいったいどういうことなのか、僕たちはまだ知らない。

11月

10

人間のエネルギー

テイヤール・ド・シャルダンが1937年に、船旅のさなかに書いた「人間のエネルギー」という短い文章がある。
「現象としての人間」を書くにあたっての準備のような文だと思う。
それはテイヤール・ド・シャルダン著作集の第二巻に入っている。
現在の世界を知ると何かモヤモヤした考えに覆われてしまう。
それを吹き払うのにいい。

11月

10

細野晴臣と彼らの時代

たくさんの好きだった曲の間に、いろんな人のいろんな思いがあったことに気づかされる本。
おかげで少し元気になった。

11月

5

ホワイト・フラジリティ

『ホワイト・フラジリティ〜私たちはなぜレイシズムに向き合えないのか?」という本を読んだ。
白人がなぜ黒人差別をしてしまうのかについての本である。
BLMが社会問題として浮上したアメリカで、ベストセラーになったとのこと。
白人はレイシズムがいけないということを知っている。
だから、みんな自分はそんなことはしないという証拠をあげつらう。
しかし、そのような行動すら、黒人にとっては不快な行動に思えてしまう。
では、どうすればいいのか?
それが理解できるように書かれているが、微妙な話なのですべての人がこれで理解できるかどうかは疑問だ。
僕自身理解したのだろうか?
この本には白人が否応なくしてしまう黒人への差別について書かれているが、敷延することで、日本人が直面する社会問題のヒントにもなると思う。

10月

17

本棚の整理

本棚は空いた部分がなければならない。
もしそれがないと、新しい本を入れられない。
新しい本が入らないと、足元や壁際に積むことになる。
たくさんの本が積まれていた。
そこで、もう一生読まないと思われる本を古本屋に売ることにした。
ひさしぶりに本棚に空きができた。

10月

13

理屈っぽい話

理屈っぽい話嫌い。
でも本は理屈が通っているのが好き。
自分自身は非常に理屈っぽいらしい。
他人からよく指摘される。w

10月

2

魂を撮ろう

石井妙子著『魂を撮ろう』を読んだ。
よく書けていると思う。
週刊金曜日の取材で石川武志さんにお話しを聞いていたが、そのとき浮上した問題点が綺麗に書かれていた。
なぜユージンとアイリーンは離婚したのかとか、なぜ封印されていた写真が映画に登場するのかとか。
後者の問題は明確な理由は書かれていないが、状況をここまで書いてもらえばいろんな解釈が可能になり、読者がどう思うか預けてもらったという感じがして、もう充分だと思う。
石川さんからも状況は聞いていたが、雑誌の紙幅では誤解が生じると思い書かないでおいた。
映画「MINAMATA」の背景を知りたい人は読むといい。

9月

22

複雑性の科学

マシュー・サイドの『複雑性の科学』を読んだ。
わかりやすくていい本だ。
複雑性の価値が明確に理解できる。
政治も、数に物を言わせるのではなく、丁寧な議論を通して、複雑性の価値を利用できるようにして欲しい。

9月

6

ベルクソンの『笑い』

確か大学生の頃、ベルクソンの『笑い』を読んだ。
当時の僕にはつまらない本だった。
だけど何かがひっかかった。
後日、うちの書庫にあった「世界の名著」のベルクソンの巻を手に取った。
理解できないのに何かに惹かれる。
何に惹かれたのかよくわからない。
その何かよくわからないことが次第に明確になってきた。
でも、それを言葉で説明するのは難しい。
僕自身が理解できるように書き残しておくと、複雑系における「エラン・ヴィタール(生の飛躍)」と非二元的知覚による選択とは似ているのではないかと言うこと。
このように言語化しておくと、いろんな誤解が生まれるであろうことは予想できる。
後日、自分で読んでも誤解するかもしれない。

9月

6

マンガ

マンガは子供が読むものではなくなったと言われて久しい。
文学にも映画にも影響を与えている。
昔テレビドラマで実写の「バットマン」をやっていたとき、コミックに描かれる擬音がテレビ画面に出てきて驚いた。
「Splash」とか「Bang」とか。
マンガが本格的に電子書籍になったら、もっと変わったことが始まるのかな。

9月

1

言語学のやり直し

野間秀樹著『言語存在論』を読んでいる。
ずっと昔にソシュールの本を読んでいたので、内容にびっくり。
丁寧に説明されると確かにそうだなと思うが、いままで積み上げてきた言語学はどうなってしまうのだろう?
ニュートン力学とは別にアインシュタインの相対性理論が成り立ったように、並行して考えられるようになるのか、それとも言語学はこれからすべて作り直されるのか?

8月

30

ハワイのペトログリフ

ビショップ博物館でペトログリフの本を買い、ハワイの地に点在するいくつかのペトログリフを見て回った。
その本にはどこにペトログリフがあるのか詳細な地図が載っていて、探していくと実際にペトログリフが見つかった。
熔岩の流れたあとに刻まれていたり、砂岩の上に刻まれていたり、公園のようなところに集められていたりした。
ペトログリフで描かれた人の絵はその多くが、股を開いた形になっていて、古式フラの格好に似ていた。
相方と一緒に古式フラやペトログリフの格好を真似て写真を撮った。

7月

25

写真集『水俣』

W.ユージン・スミスとアイリーン・M・スミスの写真集『水俣』を読んだ。
写真集だから普通は「見る」とか「鑑賞する」とかだろうが、この写真集は明らかに読む写真集だ。
記述が深い。
日本では入手困難だが、読む価値がある。
これを読んでから映画「MINAMATA」を見ると、最初の数分で心をつかまれる。

6月

8

乱読

僕の読書スタイルは乱読。
ジャンルがめちゃくちゃなのはもちろんのこと、一冊の本を読んでいる途中で別の本を読み出したりする。
元の本を読まなくなることは滅多にない。
別の本を読み終わったらたいてい戻ってくる。
だけど、戻ってこないこともある。
別の本を何冊も読んでから、やっと元の本にたどり着く。
そうやって世界を巡ってから、出会う元の本は、もうかつて思っていた元の本ではない。
September Mornという歌を思い出す。
歌詞にこうあった。
We’ve travelled half way around the world to find ourselves again.

6月

5

ヒジュラ

石川武志氏の『ヒジュラ〜インド第三の性』を読んだ。
これが出版された1995年にも興味を持ったが、そのときには読まなかった。
それから20年以上して読んでみる。
読む機会が回ってきたと言ってもいい。
いろんな意味で凄い本だ。
宗教として捉える。
ジェンダー論として捉える。
隠喩として捉える。
文化として捉える。
消えゆく歴史として捉える。
人の生き様として捉える。
いろんな刺激を受ける。

5月

29

わかることとわからないこと

錬金術の本を読んでいて、何がわかって何がわからないのかわからなくなった。
錬金術の本には比喩のような象徴のような、隠喩のような話がずっと続く。
すると、僕はいったい何がわかっていて、何がわからないのかが曖昧になっていく。
わかったようなわからないことを、またはわからないけどわかったような気がすることを、「わかった」と宣言するか、「わからない」と宣言するか。
こういう曖昧な状態が面白い。

4月

22

賢者の石

賢者の石について、理系出身の僕は「馬鹿なことを考えていたな」くらいにしか思っていなかったが、ユングの『心理学と錬金術』を読んで唸ってしまった。
心の目で見ると現実は変わる。

4月

20

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか

最近、シュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』が話題に上がることが多く、読み直すことにした。
20年くらい前に読んでいたようだが、内容をよく覚えていない。
ページを開くと、あこちに蛍光ペンで線が引かれていた。
三分の二くらいまではあちこちに線が引かれていたけど、終わり三分の一には線がほとんど引かれていない。
きっと終わりの部分が理解できなかったんだな。

4月

13

一炊の夢

中学二年の時、国語担当の榊原先生が、担当した生徒全員と交換日記を始めた。
ひとクラスだいたい40名。
担当していたクラスは多分4クラスはあっただろう。
すると毎週160名と交換日記をしていたことになる。
凄く大変だっただろう。
その第一回の課題が「日記に名前を付けて、その理由を書け」というものだった。
僕は確かことわざ辞典のようなものを引いて、「一炊の夢」という言葉を見つけ、日記の名前を「一炊の夢記」とした。
そんなことはすっかり忘れ40年ほど経ってしまったが、ユングが解説を書いた「黄金の華の秘密」を読んでいたら、その本の訳者(湯浅泰雄)が書いた解説に「一炊の夢」を見つけた。
「黄金の華の秘密」の各章が「呂祖師曰く」で始まるのだが、「一炊の夢」はその「呂祖師」が邯鄲(かんたん)の村で盧生という青年に教えた話なんだそうだ。
だから別名「邯鄲の夢」ともいう。
さらにへぇと思ったのは、呂祖師のことを道教史上に残したのは全真教という教団なんだそうだが、そこの開祖は王重陽というひとだそうだ。
重陽の節句に生まれて「陽二」と名付けられた僕は「一炊の夢」から目覚めてしまいそうだ。

4月

10

曼陀羅瞑想

中村元博士の説によると、カトリックの儀式は仏教の儀式と起源が同じだそうだ。
神(キリスト・仏)を自分に受け入れるという儀式は仏教では徹底している。
日本では空海が恵果和尚から伝えられて持ってきた胎蔵界・金剛界の曼陀羅を利用した修行が知られているが、僕はその概要しか読んだことがない。
僕が詳しく読んだことのあるのは、理趣経をもっと濃くしたような秘密集会タントラの現代語訳と、それを利用した曼陀羅瞑想法。
知識として知っていることと、実践することとは違うことを前提にして言うが、これを全部丁寧にやるのは大変だろうなと思う。
だからこその功徳もあるのだろう。

4月

10

受け入れる

「やー」と言って両腕を広げ、抱き合うという不自然な行為を相方とときどきする。
そもそもの起こりは「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマだ。
そのなかで主人公の二人が、互いの恋愛感情をぎこちなく表現するために「やー」と言って両腕を広げ抱き合うシーンがあるのだ。
そのドラマが面白かったので、二人で真似している。w
先日、ユングの本を読んでいたら、そのポーズは何かを受け入れるための象徴だと書かれていた。
だからその同じポーズでキリストは十字架に磔にされたという。
キリストは人間が犯す罪をすべて受け入れてくれたということ。
そして、聖餐でキリストの肉と血(実際にはパンとワイン)を食べることで、その聖体を自らのものとする。