7月

8

亡くなった方を思い出す

時々、亡くなった方を思い出す。
何かのきっかけで思い出したり、ぼうっとしていたら思い浮かんだり。
それを「気持ちいい」というのは少々抵抗があるが、しみじみとしてよかったり、うるっとしたりする。
「あんなことしなければ死なずにすんだのに」とか「一緒にあれをすればよかった」とか、文句や悔いも思いつつ、最後に「出会えてよかった」と思う。

7月

2

香港ペニンシュラの弦楽合奏

ニュースを見ていて大学生の頃の中国旅行を思い出した。
ビザを安く買うためにまず香港に行った。
そこで、当時世界で一番いいといわれていたペニンシュラ・ホテルに行ってお茶をした。
一階のカフェでお茶をしていると、二階のバルコニーから生演奏の弦楽合奏が聞こえてきた。
いつか平和になったらまたペニンシュラで会おう。

7月

1

不快の区別

気持ちいいものについて4184もの区別を付けてきた。
そうしていると不思議なことが起きてくる。
「不快」のなかに気持ちよさを見つけるようになる。
または、「不快」と思い込んでいた感覚に、別の解釈を許すようになる。
それはいったいどういうことなのか、説明しようとしてもうまく説明できない。
あえて説明するなら、子供の頃に嫌いだった食べ物を大人になって好きになってしまうような感覚とでも言おうか。
「気持ちいいもの」について区別を与えれば与えるほど、「不快なもの」にも区別を与えていたのかもしれない。
それは自分が意図せずにも、心のどこかでそういう自動的な作業が発動していたのかも。
たとえば、気持ちいいものを表現すればするほど、太極図のようにどこかに不快な感覚がついてきて、そこに意図せぬ区別をつけていたのかも。
気持ちいいものを書き続けると、ときどきその作業が嫌になることがある。
それが陰の極まったとき。
それを過ぎて陽が現れるのをじっと待つ。
「気持ちいいもの」を書くように「不快なもの」も書ける気がする。
「不快なもの」を書き続けると、きっと「気持ちいいもの」にたどり着くのだろう。

6月

30

自分の区別

ジャイナ教の認識論について学んでいくとなるほどと思うことがある。
そのひとつ。
何かについて学ぼうとしている人と、学ぼうとはしていない人のあいだの認識は違うということ。
当時のインド哲学でこのようなことをいうのはジャイナ教だけだったそうだ。
だからジャイナ教にはその認識の違いを表す言葉が存在する。
その認識の違いは「ある」といえばあるし、「ない」といえばないような程度のものだと、かつての僕なら考えたと思うが、『日刊 気持ちいいもの』を書き続けたおかげで、たしかにそれはあるなと思うようになった。
意味的にその違いが存在することは明確だが、「学ぼうとする」ことによって「あることに対する興味の時間的継続」が生まれ、それが感情に絡まり、認識が異なるものになるのだ。
これを知ることによって心という曖昧なものが受ける影響について考える足がかりがまたひとつ増えた。

6月

29

することとしないこと

何かをすると、その影響が僕のまわりに生まれる。
たとえば「あの本読んだよ」といえば、その本を読みたい人が現れたり、また逆に「そんな本読むものか」という人が現れる。
そういう人たちがまた別の人に影響を与える。
同様に「しない」と決めたことにも影響が現れる。
そういう影響は多くの場合本人にはあまり感じられない。
でも確実にある。
それを知ると行動には喜びと慎重さが生まれる。

6月

28

嫌なことを体験すること

嫌なことを体験することが「気持ちいい」なんてとても言えない。
だけど、考え方を少し変えると、「気持ちいいかも」と思える。
僕たちは普段「個人」としてしか生きていない。
もしそうであれば「嫌なこと」は嫌なだけだ。
だけど「人類」という集団の一部であると考えると「嫌なこと」は改善すべき問題点に見えてくる。
「人類全体」が心地よい状態であるためには、僕が体験した「嫌なこと」は、改善すべき点となり、僕には改善する可能性が与えられたことになる。
その改善のためには多大な努力と時間と、計り知れないトライ&エラーが必要となるかもしれない。
でも、「人類全体」が心地よい状態になるためのお手伝いができるとしたら、ラッキーなことかもしれない。
その可能性を実現するか無視するかは、自己裁量である。

6月

27

子供と暮らす

幸せについて考えるとき、自分に子供がいないことが問題として現れることがある。
子供がいる人の幸せを理解できないのではないかと。
それは幸せにとってとても大きな要素のように思える。
赤ん坊のときその親は苦労する。
夜泣きしたり、理解できない行動をしたり、思わぬ事故にあったりする。
親はそれらに対処しなければ育てられない。
そのことを通してはじめて、「自分もそれをしてもらっていた」ことに気づく。
それは理性的に「気づく」だけではなく、感情的にも気づいていく。
「感情的に気づく」ということを説明することが難しいが、簡単に言えば、「理屈はさておき、大切にしたいから大切にする」という、損得もなければ、計算もなく、なんだかわからないけどただただ赤ん坊のためだけになることをしてしまう自分に気づくことだ。
それは言語的、理知的人間存在からは説明できないことで、生命がたどってきたすべての歴史を引きずってきている「心臓の鼓動」や「腸の蠕動運動」のように、それを感じて言語化しようとしてもしようがない、本能から引きずりだされる情動のようなものがそうさせる。
その情動にしたがって子供を育てることで、どんなに苦労してもあとで「よかった」と思える感情を親は手にする。
それはいろんな説明が付くかもしれないが、どんな説明も実は説明でしかなく、そのように感じるように生命は構築されてきたのではないだろうか。
子供と暮らすとき、その子が何歳であろうと、親は過去の自分と親の関係をそこに見出す。
その発見がどのようなものであろうと、親はそれを受け入れることで、幸福感に包まれるのではないだろうか?

6月

26

幸せになるということ

「幸せになる」というのはどういうことか考えてみた。
とても個人的で、一般の人には当てはまらない答えだったが、それこそが大切なのだと思うようになった。
それは、幼い頃からの体験に大きな根元がある。
うちには古本屋を開くことができるほど本があった。
木造家屋にただ本棚を置くと、その本棚があまりにも重くなってしまって、ついには床が抜けたりするので、本棚を新しく作るときには土台から作らなければならなかった。
そんな特殊な家に住んでいた。
幼い頃から家中にある本の背表紙を見ながら暮らした。
変な本がたくさんあった。
拷問の仕方とか、即身仏になる方法とか、売笑についてとか、普通の家庭にはこんな本ないよなと思う本であふれていた。
ある日そういう本の中から一冊を手に取る。
幼い頃にはまったく理解できなかった本が、理解できるようになっていく。
それが僕にとっての幸せだった。
そういう幸せに触れ続けるために本を読み、本を書く。

6月

18

たくさんの意味

僕たちは言葉を持つことで何かにフォーカスすることができるようになった。
あれがしたいとか、これをしたいということを群れで共有できるようになった。
もちろん群れで何かの意図や目的を共有する動物はたくさんいる。
しかし、以前からある意味や行動以外の、新しい概念を共有することは難しい。
そのために言葉が役に立った。
ところが、あまりにもそれが発達したおかげで、「何かにフォーカスすること」以外の価値が見えにくくなってしまった。
たとえば「電話」という言葉。
僕が幼い頃は電話といえば二種類しかなかった。
黒電話か赤電話。
黒電話は家にある電話。
赤電話は公衆電話のこと。
しばらくすると公衆電話にもたくさんの種類が生まれ、黄色電話、ピンク電話、青電話、緑電話といろんな色が採用されて行った。
色が多様になるのと同時に、それぞれの色に象徴される電話の意味も生まれたはずだ。
だから、「電話」一言では、今の人たちはそれがどんな形状のものを指しているのか正確にはわからない。
ファックス付き電話かもしれず、グループ電話かもしれず、携帯電話かもしれず、スマートフォンかもしれない。スマートフォンの区別も考えると、いったい何種類の電話があるのか見当もつかない。
だけど、言葉上は「電話」でわかった気になる。
同じようなことがいろんな言葉で起きている。
「愛しているよ」という言葉の「愛」がどんな意味であるのか、よく聞いてみないとわからない。
ところが、自分が一番理解しやすいか受け取りやすいか、その微妙なところは人によってよくはわからないけど、たいてい人はどこかの意味に落ち着いている。
その意味の体系を組み直したり、壊してくれるのが文学的体験ということだろう。
他人と話しているとときどき自分の意味体系が壊れる。
「壊れる」と感じていることが、いかに自分の意味を強固に持ち続けているかを表している。
この世界にはたくさんの意味がある。
意味は次から次へと生まれてくる。
そのなかで、どうして自分の意味だけを大切にし続けるのか、よく考えなければならない。
言い方を変えると、なぜ自分の意味にだけしがみついているのか、ということになる。
自分を守るのと同様に、自分の意味も守らなければならない。
そう思い込んでいる結果、しなやかさを失っていることがあるかもしれない。

6月

17

粗大ゴミを捨てる

区の粗大ゴミ受付センターに連絡して、粗大ゴミシールを貼って、粗大ゴミを捨てた。
ひとつはラジカセ。
スピーカーが大きくて低い音のしっかり出るいいラジカセだった。
ひとつはファックス。
15年くらい使って来たかな。
気持ちいいかどうかは微妙だな。
愛用していたものを手放すって微妙だ。
気持ちいい部分と、そうではない部分がある。

6月

15

膿を出す

アメリカでは大きな混乱が起きている。
日本でも政治では大きな問題がたくさん未解決のままに置かれている。
これから、もし本当にAIの時代が来たら、これらの膿がそのままではならない。
膿を出し切らないとそれは大きな問題として降りかかる。
だから膿を出しましょう。
ちょっと痛いかもしれないけど。

6月

12

スマッジを焚く

ひさしぶりにスマッジを焚いた。
気分一新、気持ちが軽くなる。
ここのところ世相は暗いことばかり。
膿を出し切って気持ちよい世界の到来を期待したい。

6月

8

ピアノを動かす

十数年ぶりにピアノを動かした。
引っ越して以来はじめて。
50cmほど動かしたが、それで体中痛い。
引っ越して来た頃はピアノを少し動かしてもたいしたことはなかったが、十数年の歳月は僕のからだを老化させてくれた。
きっと若い頃より、死ぬのが楽なからだになっているんだろうな。

6月

4

揺れる

昨日までは作務衣がよかった。
着ていて心地よかった。
今朝起きたら、なんとなく半ズボンかなと思う。
半ズボンをはいて窓を開けたら涼しい風が入って来て、やっぱり作務衣かなと思い始めている。
揺れるのが気持ちいい。
というか、揺れてもいいというのが気持ちいい、かな。
マスクも、してもいいし、しなくてもいいというのがいいよね。

5月

30

過去と未来

過去も未来もどこにもない。
ただ「いま」があるだけ。
過去は「いま」思い出したこと。
未来は「いま」空想したこと。
美しい過去も悲惨な過去も「いま」それを作っているだけ。
美しい未来も悲惨な未来も「いま」それを作っているだけ。
どんな過去や未来を作るのか?

5月

26

観の目と見の目

僕が幼稚園に通っていた頃、母が不思議なことを言いだした。
道路を渡るとき、こんな話をしてくれた。
「ようちゃん、横断歩道を渡るときどうする?」
「右見て、左見て、もう一度右見てから渡る」
「そうね、そう教わったよね。でもね、ようちゃんはこうしてご覧なさい。まず横断歩道の前に立ったら耳を澄ますの。そしたらまわりで走っている車は一度に全部わかる。それで左右を見るのはその確認。それから渡りなさい」
以来そうして渡った。
あとで気づくのだが、そうしていると横断歩道を渡るとき以外にも気配に敏感になる。
大人になって宮本武蔵の『五輪書』を読んだ。
母が言ってたことを宮本武蔵が別の言葉で書いていた。

目の付けやうは、大きに広く付くる目也。観見(かんけん)二つの事、観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。敵の太刀をしり、聊(いささ)かも敵の太刀を見ずという事、兵法の大事なり。

5月

22

幸せな感覚

静かに座って、心を遊ばせる。
思い出の場所、うきうきした感覚、一緒にいた人、空気の感触、過去の出来事。
未来について思い描く。
見たことのない景色、見たことのない現象、はじめての感覚、聞こえてくる音楽。
いま、ここにいて幸せ。

5月

17

非二元意識

一時期スピリチュアルな人たちの間でも「ノンデュアル」として話題になっていた。
僕がその存在を知ったのは二十年以上前、ケン・ウィルバーの『意識のスペクトル』にその言葉が出て来たから。
その本の中で何度も「非二元的な知の様式」などという言葉で登場する。
はじめて読んだときはフロムの「生きるということ」に出てくる「あるということ」のように、意味がわかったようなわからないような状態だった。
書いてあることは理解できるが、言っている本当のところが、僕の想像しているものと同一のものかどうか自信が持てなかった。
ところが、「非二元的」なことが、いろんな本のあちこちに登場していることが、これ以降少しずつ理解できるようになった。
あれから二十数年、いまではすっかり「非二元」の追っかけフリークのようになってしまった。
ヒーリング・ライティングを通して、それをかいま見るにはどうしたらいいのか、伝えられるようになりたい。
でも、そのまま伝えられるものではなく、だからこそ秘教と言われている分野に登場するので、本にしたところで正しく伝えられるものではないことは知っている。
それでも、それを求める冒険の入口に立てるような本にしたい。

5月

8

競争を手放す

別に無理に手放すことはない。
まわりがみんな競争していたら、それに乗るしかないかもしれない。
でも、立ち止まってよく考えてほしい。
何のために競争をしているのだろう?
豊かになるための競争ならいい。
でも、どうも豊かになるためというよりは、誰かを踏みつけて上にあがりたいというふうに見えてしまう。
誰かより少しでも早く何かをするとか、効率的に何かを得るとか。
そういう人をまったくなくそうとは思わないけど、そういう人ばかりというのはなんか違うような気がする。
ほかの人にはない、オリジナルな自分を求めていきたい。

4月

27

あきらめる

「あきらめる」というと、普通には「諦める」ことをいうが、理由をあきらかにする「明らめる」という言葉があり、同時に心を明るくするという意味での「明らめる」という言葉もあった。
つまり、「諦める」ためには「明らめる」ことが必要だということ。
「諦める」というと何かよくないことを表現しているように感じるが、本当はもっと奥深い意味を持っていたのかもしれない。
日本語ではそのことを昔から伝えてきたのだろう。
すべてを知り尽くす、つまり「明らめる」ことで自然と「諦める」境地になる。
前にジャイナ教の「ケーバラ・ジュニャーナ」について書いた。
それを知ることで「人間の知りようのない智慧」について考えた。
そこを通って僕は「諦める」。
でも、伝えるべきことはたくさんできた。
アフター・コロナでは多くの人がこの境地に達するのだろう。
言葉の不思議さを思う。

4月

22

陰謀論

大学生の頃、フリーメイソンの本を読んでいたら「それは架空の話で陰謀論だ」と言われた。
ヨーロッパにはかつてあったかもしれないが、日本には関係ないと。
しかし、実際にはきちんとあったことが後年わかる。
いまではあっただけではなく、かなりの数の人がそこに属していることも知られるようになった。
なぜかつてはあれほど隠されて、ないことにされていたのか?
そしてなぜ近年それが明かされるようになったのか?
他にも通貨発行権の話だとか、911の原因についてなど、陰謀論と言われるけど、いわれればいわれるほど、ひょっとしてそこに真実があるのでは?と思わされる。
人間社会にはどこまでいっても秘密の部分が生まれてしまうだろうから、それは仕方ないとして、明かされるべきことはどんどん明らかになっていってほしい。
きっと陰謀論という言葉が必要なくなったとき、世界のパラダイムが変わるんだろう。

4月

22

人生も楽しむためにある

「人生は競争だ」と教え込まれてきたように思う。
いい成績を取り、いい学校に行く。
運動会では勝たなくてはならない。
ゲームは勝たなければ意味がない。
勝つためには努力を惜しまない。
それらすべてを楽しみであると捉えられる人はそれでいい。
負けてばかりの人は人生を楽しめないと思い込まされる。
だけど、そうでもない。
些細なことに楽しみを見つければよい。
新型コロナのおかげで、静かに考える時間が多くなった。
些細な楽しみもしみじみ湧いてくる。

4月

14

街に行きたい

このところ、新宿も渋谷も池袋も、人出が多くて辟易していた。
それが、新型コロナウィルスのおかげで、街に人がいなくなったという。
人のいない街に出てみたい。
人ごみで先が見えなかった街の、見渡せる心地よさを体験したい。
コロナウィルス感染の危険を冒しても、行くか?
行かない。w
行くならカメラを持っていこう。

4月

8

崖っぷちを歩く

生命はいつも崖っぷちを歩く。
安定していたいなら固形物になれば良い。
細胞の膜はぷよぷよで、悪いものがあればすぐに影響されてしまう。
そういう生命だから固形物にはできないことができる。
崖っぷちを歩きたくないなら簡単だ。
死んで固形物になれば良い。

4月

7

寛容であることを学ぶ

これから新型コロナウィルスの検査数を上げていくと、感染者数が増えていくでしょう。
そのとき、感染者を批難するのは間違っています。

慶応大学病院で研修医が集団感染したというニュースがありました。
それに関して批難の言葉が寄せられているようです。
慶応大学が謝罪の言葉を発表するのは当然のことと思いますが、それを他人が批難するのは疑問に思います。

医療従事者はみな、感染の可能性を知りながら、困難に立ち向かっています。

ダイヤモンド・プリンセスから乗客を降ろした時点で、日本国内には新型コロナウィルスが蔓延し始めています。
積極的に検査しなかったため、どこの誰が感染し、どこにウィルスが付着しているのか、正確には知りようがありません。
だから、日本人は誰でも感染の可能性があるのです。
交通機関を使っただけでも感染の可能性があるのですから。
それを知った上で、感染者を批難するのはやめましょう。
感染者はいわば被害者です。
さらにいえば、感染者は抗体を作る可能性を持った人です。
抗体をたくさんの人が持つことができれば、そのとき集団免疫が生まれます。
つまり、感染した人こそが、この状態に対する救世主になりうるのです。
ただし、感染して免疫を得る前は、ウィルスを拡散してしまうので、そのあいだは自宅で静かにしてもらうことが大切です。
感染者に対して寛容でいましょう。
大切なのは、ウィルスをまき散らさないこと。
医療従事者は難しい立場に立たされています。
批難ではなく、応援を。
感染した人には一時も早い回復を祈りましょう。