1月

15

全体を知る

新しいメディアがひとつできると、そのたびに僕たちはうれしくなる。
知らなかったことが知れるようになるから。
本ができることによってプロテスタントが生まれた。
同じ聖書をたくさんの人たちが手にできるようになったから。
雑誌や新聞が生まれて社会が変化するようになった。
昨日より今日が、今日より明日がよりよいものになるために何をすれば、何を考えればいいのか、多くの人が気づくようになったから。
ラジオができて大きなグループの感情が一方向に向くようになった。
リーダーの感情が声で伝達されるようになったから。
テレビができて比較的世界が平和になった。
言葉では伝えられない状況を目で見ることができるようになったから。
このようにして大雑把な理解の密度を人類は少しずつ上げてきた。
インターネットが生まれてさらに理解の密度を上げる可能性を手にする。
次に生まれるメディアが、前のメディアでは伝えられなかったことを伝えて行く。
僕たちはこうして、いつか宇宙の全体を知るようになるのだろうか?
それを知るために新しいパラダイムが、もうすぐやってくるのではないか?
その新しいパラダイムは、権力者にすべてが集中するようなものではないだろう。
そのことをテイヤール・ド・シャルダンは美しい言葉で表現している。

生命の樹の樹液全体を一本の枝だけのために集め、他の枝の死の犠牲の上に立つ民族主義者の理想は誤っているし、自然の理にそむいている。太陽にむかって伸びあがるためには、まさに木の枝全体の成長が必要なのである。世界の出口、未来の扉、超=人間への入口、これらは、いく人かの特権者やあらゆる民族のなかから選ばれた唯一の民族だけに開かれているのではない。それらは万人の圧力に対して、すなわち、全人類が地球の精神的革新において一致団結し、完成されるような方向に対してのみ道をあけるのである。

『現象としての人間』 ティヤール・ド・シャルダン著 美田稔訳 みすず書房刊

1月

9

太陽に照らされる

気温が低くても、日光が照っていると温かい。
上半身は作務衣一枚でも、快晴の日光のもとでは寒くない。
しばらくするとポカポカになる。
からだの内側にも遠赤外線が染み込み、疲れていた部分を癒してくれる。
心が曇っても、日の光が雲を吹き飛ばしてくれる。

1月

8

いいたいことを言う

日本の政治もアメリカの政治も、約束事を無視して暴走し始めたようだ。
このまま行くとたくさんの命が失われるのかもしれない。
その前にもし、言いたいことが言えなくなったのなら、その時点で僕たちの命は疎外されている。
疎外を受け入れるのではなく、いいたいことは言おう。

1月

6

勧善懲悪からの離脱

現実世界に「悪いだけ」の人はほとんどいない。
いたとしてもそれがどんな人なのか、あまり想像できない。
「悪い人」には悪い人になってしまった理由がある。
その理由を取り除いてあげられれば、悪い人になる必要はなかったのかもしれない。
悪人のはびこる社会は、その理由を取り除くことができない社会。
だとするならば、悪人ばかりが悪いと言い切れるのだろうか?
「善」とか「悪」とか、簡単なレッテルで判断していいのだろうか?
「善」が強調されればされるほど、「悪」が目立ってくる。

12月

30

時間をかけた説明

何かを一瞬にして悟ることがある。
「なるほど、こういうことか」
一瞬でそれを了解するが、何をどう了解したのか、説明に時間がかかることがある。
悟ったことが複雑で説明しにくいものであれば、時間がかかるだけではなく、説明をどうしたらいいのかを考えなければならない。
こういうとき、知覚の不思議さを思う。

12月

30

新たな認識

あることに対する新たな認識を得ると、かつての認識とは違うものに見えてくることがある。
よくあるのは「老婆の絵です」といわれてそれを見ると確かに老婆が見えるが、「少女の絵です」といわれてそれを見ると、確かに若い娘の絵に見えるという絵。
ネット上でも「少女と老婆の絵」でググると出てくる。
同様なことが実は僕たちのまわりにもよくある。
幼い頃に聞かされた怖い幽霊の話は、大人になって聞くと怖い話と言うよりは、悲しい話に聞こえたりする。
このような認識の変化は新しいメディアが生まれるたびに現れてくる。
1996年頃から活発になってきたインターネットによって作り出されてきた新たな認識が定着することによって、世界中でものの見方がひっくり返りそうだ。

12月

13

混沌

大きな愛に目覚める人たちがいる。
一方で、嘘いつわりで世の中を乗り切ろうとする人たちもいる。
世の中混沌としてきた。
目の覚めるような新しいものが生まれることを期待する。

10月

31

水泡

水に潜って、泡がプクプクと浮いていくのを見るのが楽しい。
空気中でもああいう泡がポコポコッと浮いていけばいいのにと思った。
気持ちいいものを想像していると、ときどき不思議なイメージを見る。

10月

24

終えること

懸案だったことに終止符を打ち、次の仕事に向かうとき、エネルギーが湧いてくる。
だから終わりを宣言するのは大切なこと。
一段落つけたら、些細な儀式をおこなう。
美味しいものを食べるのでも、酒を飲むのでも、ガッツポーズをするのでもいい。

10月

23

真実を語ること

現代は真実を語りにくくなってしまった。
マスメディアは政府に忖度する。
ネットもシレっと規制される。
何が秘密か知らされないのに、秘密を暴露すると処罰されるという。
変な世の中だ。
それでも真実を語ろう。
語らないとさらに語れなくなる。

10月

20

別人になる

「気持ちいいもの」がなかなか思い浮かばないとき、いままで書いた「気持ちいいもの」を読みなおすことがある。
そして気付く。
書いたときには気持ちよかったことが、いまはちっとも気持ちよくないことを。
読みなおすことでそのときの感覚を思い出すが、なかには思い出せないものもある。
いったいどうしたことだろう?
きっと僕のなかにはたくさんの別人がいるのだろう。

10月

8

苦痛について

苦痛が気持ちいいことになる訳ではないけど、少しやわらぐ方法を見つけた。
苦痛を味わったあとでこう思う。
「この苦痛は死んだらもう感じられないな」
苦痛は何かの警告である。
警告よ、ありがとう。

10月

4

サクサクッとできること

手間ひまかけていたことが、サクサクッとできるのはうれしい。
時間を得した感じ。
なんでもそういけばいいのだが、そうはいかないところが味噌。
面倒な感覚がもしなければ、サクサクッとできてもたいしてうれしくない。

9月

28

僕のビー玉

どこに行ったのだろう、僕のビー玉。
ラムネのビンと同じ色をした、少し歪んだビー玉。
覗き込むと空気の泡がキラキラ輝き、まるで星空のようだった。
少し歪んだその歪み具合が好きだった。
ビー玉を覗いていると、そこにはほかのどこにもない宇宙が存在していた。
普通に見ると、ただのビー玉。
どこにでもある、ひとつのビー玉。
僕が失ったものは、ただのビー玉ではない。
説明できない深宇宙。

9月

25

アリンコを殺して学ぶこと

子供の頃、アリンコをたくさんつかまえてきてバケツに入れて、そこに水を入れた。
バケツから逃げるアリンコもいたけど、溺れるアリンコもいた。
いま考えるとよくあんな残酷なことしたなと思えるが、子供の頃の僕はそれが面白かった。
アリンコは、みんな一緒だった。
つまり個体識別できていない。
名前なんかない無名のモノたち。
いくら殺しても何も言わない。
だからいくら殺しても問題ない。
なんどかやって、もうそういう遊びはしなくなった。
大人になって会社に入り、大きなビルの高いところから、下を歩いている人たちを見た。
アリンコのようだった。
そして、そのアリンコのような人のひとりが僕だと思った。
簡単に殺されてはかなわない。
そう思っている人みんなで社会を作っている。

9月

6

自分のテンポで

人間は喜びや楽しみを基として生きるのがいい。
かつて他人を働かせてなんとかしたいと思った王たちは、自分の欲望を満たすために制度を作り、人を縛った。
生命にも成長のステップがあるように、社会にもステップがあるだろう。
そのステップをそろそろひとつ上がったほうがいいと思う。
人は節度ある教育を受けて、この社会の役に立つことが人生での楽しみであると理解できれば、あとはある程度自由にできるようにすればいいのではないか?
生産性は落ちるかもしれない。
でも、それで困るのは、困るような社会にしているからではないか?
過度な競争は戦争を生む。
話し合いで互いを高められるように社会を少しずつ変質させていこう。
「競争しなければならない」と考えるのは手放してもいいのではないか?

9月

4

本当に願っていることは何か

人は多くの矛盾に挟まれる。
個人としてはこう言いたいが、会社員としてはこういうしかなく、親としてはこう言わざるを得ないのに、たくさんの想いを抱えているのにも関わらず、どれかひとつしか表明できない。
なぜどれかひとつしか表明できないのか?
そういうものだと自分が思っているからではないか?
個人としてはこう言いたいが、会社員としてはこう言うしかなく、親としてはこう言わざるを得ないということを、全部言ってみたらどうだ?
「それは矛盾だ」と誰かに言われたら、「立場が違えば言うべきことが変わるのは当たり前でしょう」と言えばいい。
そうやって多面的な本当のことを言い合うことができれば、いままでにはなかったような鮮やかな答えが得られるかも。

8月

22

水滴の音

世界は一滴の水の音とともに始まった。
一滴の水の音が世界を変えた。
それ以上でもそれ以下でもない。
一滴の水の音とともに人は笑い、人は歌い、鳥は飛び、魚は群れをなす。
僕がそれを認識していなかっただけ。
一滴の水の音とともに宇宙は存在し、銀河は巡り、彗星は流れ、太陽は輝く。
一滴の水の音とともにあらゆることが起き、あらゆることが変化し、あらゆることが流れていく。
僕はその状況の中に浮かんで流されるだけ。
一滴の水。

8月

2

肩や首が凝ること

泳いでいるとときどき、肩や首が凝っていると感じることがある。
そういうときは体を緩める。
ついでに気持ちも緩める。
一日中PCに向かったりしていると、知らないうちに無理をしている。
そういう年になってしまった。
泳ぎながらからだと気持ちをほぐす。
肩や首のコリはいい合図。

7月

17

せめぎ合い

頭の中ではあーでもないこーでもないとせめぎ合い、
人と人の間でもあーでもないこーでもないとせめぎ合い、
国と国の間でもあーでもないこーでもないとせめぎ合う。
せめぎ合いがないといいものはできない。
せめぎあえる相手がいることを喜ぶ。

7月

14

日常を冒険として見る

普段の生活はほぼ退屈なことの繰り返し。
学生時代であれば、覚えてももう一生使わないような難しいことを学んだり、会社員になれば会社や社会に貢献することで自分をすり減らす。
定年まで過ごして年金をもらうが、その頃にはそのお金をどう使っていいものかわからない。
そんな生活を一新するものの見方。
「日常を冒険として見る」
退屈だと思っていたことを冒険の入口とすると、そこから何が表れてくるのか。
どのようにして一生使わないような知恵を冒険のための道具に変え、会社員と言う立場を冒険への参加のための訓練や儀礼と見るか。
冒険には仲間がいた方がいい。
本当の仲間はどこにいるのか?
冒険のためには体力がいる。
どのように体力をつけていくのか?
冒険のための移動手段はどのように調達するのか?
そのすべてが自分の知力と胆力にかかっている。

7月

9

メディアの発達

メディアが発達したことで、世界中の人たちと近くなれた。
海外旅行にも気軽に行けるようになった。
字幕付きの映画をケーブルテレビでいくらでも見られるようになって、英語が少しうまくなった気がする。
メールアドレスやSNSのIDさえわかれば、誰とでも対話ができるので、誰とでも仲良くすることを無意識にも心がけるようになったように思う。
こうやって、人と人との距離が近づくと、喧嘩も起こりやすくなる。
インターネットができたばかりの頃、いろんな人がいろんなところでバトルしていた。
いまでもあるが、かつてのような感情むき出しのバトルは少なくなったように思う。
炎上しても、少しは礼儀作法がある。
まぁ、人にもよるのだろうけど。
メディアが発達したら、自分の心もそれ相応に発達させないとね。
適切な教育があれば、昔の人より容易に成熟した大人になれるような気がするが、一方で、命のやりとりをするような場面が減ったせいか、苦みばしった価値観の深い大人は減ったような気がする。
社会全体が幼形成熟(ネオテニー)しているのかな?

7月

2

意味の深化

言葉を使う動物がいる。
しかし、現在のところ、それらは単語を使うだけだと考えられている。
人間のように文法を駆使して単語に深い意味を与える動物はほかにはいないと思われている。
文法があるおかげで人間は複雑な意味を共有できるようになった。
単語だけしかやりとりのできない動物から見れば、想像できないことだ。
同様に人間は、文法の次を作り出そうとしている。
それは文法だけで言葉を理解しようとしている人間には理解のできないこと。
言葉だけで表現しようとしている人には、表しようのないこと。
果たしてそれが「意味」という言葉の範疇に入るかどうかもわかりようのないこと。

6月

25

自分に響くことを書く

この「日刊 気持ちいいもの」では、自分が気持ちいいと思うことを書いてきた。
まったく利己的である。
他人がどう思うかはさておく。
自分にとって響くことだけを書こうとしてきた。
そして、毎日成功したり、失敗したりしている。
そうやってきてしばらくするとあることに気づいた。
誰かに読んでもらわなくてもいい文章を読んでもらうとはどういうことか。
これはいろんなことを考えることになる。
そして、その考えたいろんなことが、一見すると矛盾している。
その矛盾の中に、というか、その矛盾自体が真実の一端だと理解した。

6月

7

声が出せる

三日ほど前、寝る前に喉がイガイガしていた。
うがいをして寝たが、それから三日の間にガラガラ声になってしまった。
「あー」と声を出すと、三種類の音が聞こえる。
出したい声と勝手に出てしまう別の音と、ガラガラと鳴るもうひとつの音。
こんなのははじめてた。
普通に声が出せるって、ありがたいことだったんだな。