2月

8

世の中はあふれている

いい情報も悪い情報もゴッチャになって流れている。
その整理をつけるのがきっと人間の仕事だろう。
にもかかわらず本の読めない人が増えていると言う。
長い文章があると理解ができない人。
そういう人は短い文章から理解していけばいい。
文章はそもそも面倒なものだ。
一瞬で理解できることも、文章にするとどうしても時間がかかる。
でも、時間をかけたおかげで理解できることもある。
「一瞬で理解できる」というのは魔物だ。
「一瞬で理解できる」ことの深さを問わなければならないが、その深さは往々にして長い時間をかけて言語化をしてはじめて表に現れてくる。
その深さは人によって全く違うものだから、その深さについて論議することはとても時間のかかる仕事になる。
わかった気になって放置しておくと、些細な差があとで大きな差になってくる。
だから、繊細な人ほど文章が理解できないと思い込むのではないか?
同じ文章の解釈は丁寧に考えていくと百人百様。
表面上は同じ意味だが、その行間に分け入っていくと、読む人によって見ているものが異なってくる。
だから、わかるわからないなんかあまり気にせず、とにかく読んでみること。
僕が小学生の頃、親父が「ようじは江戸川乱歩が好きか?」というから、「好きだ」と答えた。
怪人二十面相などの子供向けの推理小説を読んでいた。
ところが、それから数日後に、大人向けの江戸川乱歩の全集が届いた。
小学生にはどうかじりついても読めない。
人間椅子になって女性に座られる喜びなんて、小学生には理解不能だ。
笑うしかない。
だけど少しずつ読んでいった。
小学生にこんな教育してもいいのかと思いながら、「こんなの読ませるなんて、変な親父」と思いながら読んでいった。
でも、そのおかげで、理解できないものを読んでも、いつか理解できる時が来ることへの信頼が僕のなかに生まれた。
いまだによく理解できない文章に出会う。
でもそれは、いつか理解されることを待っているのだ。
さあ、世の中にあふれている意味の渦に飛び込もう。

2月

5

乱気流

このところ世の中は乱気流できりもみ状態。
いいなと思った次の瞬間に、どうしようもない流れがやってくる。
そのなかで飛行体制を整えていくのは骨が折れる。
でも、難しいことをしているという喜びが生まれる。

1月

9

給湯器

朝、ご飯を炊くのに冷水でお米を研ぐ。
冷たくて手がしびれる。
あまりにも冷たくなったらお湯を出して温める。
お湯がすぐに出るってありがたい。

12月

26

水滴の音

水道から水が滴り、コップに落ちる。
その音に聞き入りながら水琴窟を思いだす。
一粒の水滴が空洞に豊かに響く。
水琴窟の水滴にはたくさんの生命が宿っている。
生命の歌が響く。
地球に満ちあふれた人類。
人類の歌も水滴に宿る命に伝えよう。
名のない命もともに繁栄するように。
形が違うだけの、遺伝子という名の複製子に支えられた仲間達。

12月

25

怒る

中国で医者を相手に暴力を振るう患者のことをニュースショーで見た。
なぜあれほど怒るのか子細はわからぬが、確かに医者相手に怒りたいことがときどきある。
そういうときも僕は怒らずに「はい」ということを聞く。
怒ると余計な時間を使うことになるだろうし面倒だからだ。
簡単に怒れたら気持ちいいだろうなとは思う。
最近の社会では怒ることは厳に慎むものであるということになっている。
ときには怒ったっていいよと僕は思う。
実際には怒らないけど。
怒ることを空想して別の道を歩む。

12月

13

ジョギング

ジョギングは習慣になるとせずにはいられなくなる。
はじめのうちはダイエットとか、健康のためにとかいって始めるが、次第にからだが慣れてくると、走りたいから走るようになってくる。
もしダイエットが理由なら、体重が減少して目標値に達すればしなくてもいいことになる。
だけど、目標に達しても、僕の場合はジョギングを続けた。
なぜかと問われれば、走ることが気持ちがよかったからだ。
ここまで書いて思考は飛躍する。
仕事も気持ちいいからするようになれるといい。
仕事は義務だから嫌々するものと思い込んでいる人がいる。
それは「嫌々でもさせたいことがある人」が考えることで、自発的にそう考える必要はまったくない。
「嫌々でもさせたいことがある人」の洗脳によって、多くの人がそういうものだと考えるようになってしまったようだ。
したい人がジョギングするのと同じで、したい人がしたい仕事をすればいいと思う。
その人が自分の技術を高めようと考えれば、他の人がしたいとも思わないこともするようになっていく。
たとえば僕の場合は、ジョギングを続けることでマラソンを走りたいと思うようになった。
それで42.195kmを走れるようにいろんな工夫をする。
嫌々そんなことをさせられたら、僕にはマラソンは無理だっただろう。
働くことも、もし気持ちよければ自発的な工夫がたくさんできる。
それが自然なことだと思う。

12月

11

朝の足音

寒い空気の中、駅へと急ぐ足音。
車の走る音。
クラクション。
エンジンを吹かす音。
地下鉄の入口から階段を降りていく。
毎朝繰り返される重い足音。
気分を明るくするために聞く音楽が耳の中で鳴っている。
朝の足音をかき消すために。
何度も繰り返される朝の足音を
重く感じるようになったのはいつの頃からだろう。
入試を通過して始めて学校に行く朝、
足音は軽かったはず。
まわりの重い足音が可笑しかったはず。
いま僕は重い足音の群れのひとつ。
軽やかな足音を夢見ながら。
通った学校での心ときめく出会い。
知らないことを知る喜び。
一緒にバカをする仲間。
朝の足音を変えよう。
ピカソのように。

12月

7

空想の翼を広げる

小説を書いているととときどき
筆が止まることがある。
なぜかその先が書けなくなる。
精神的障壁が立ち上がる時。
その障壁は姿が見えない。
そんなとき、空想の翼を広げる。
普通にはあり得ないことを考えてみる。
この世界は謎に満ちている。
この小さな頭で考える程度の空想では
とても収まり切らない。
だから安心して大風呂敷を広げる。
いや大風呂敷じゃ収まらない、
無限平面を広げよう。

12月

5

鳥の声

思いがけなく鳥の声を聞く。
この季節に?
ありがたいと思う。
自分の心もときどきふと
何かが動き出す。
鳥の声と同じ。
ふふっと思う。

11月

26

価値か無駄か

3700号以上この「日刊 気持ちいいもの」を書き続けてきた。
その価値は何かと考えた時、まったくの無駄だったとも言える。
大きな価値があったとも言える。
どちらが正しいか?
どちらかだけが正しいというなら、あの有名な質問をしよう。
パンと手を叩く。
鳴ったのは右手か左手か?

11月

7

仏典を読みなおす

かつて仏典には理解不能な文章が
たくさんあった。
書いてあることは判読できるが
それから生まれる実感が伴わない。
ふん、とか、うーむとか思っていた。
しばらくして書かれていることは
たいてい理解できるようになった。
最近では読み始めると没入する。
若い頃、
本を再読することはなかった。
いまは読みなおすことが愛おしい。

11月

6

時間のかかること

手間ひまかけてできたものには
何かいいようのない威厳が生まれる。
アートの鑑賞の半分は
それを感じているような気がする。
あとの半分はいろいろ。

8月

7

涼しい日

朝起きて窓を開けると
今日はひさしぶりに
涼しい日だと知る。
台風の接近によって雨が降り風が吹く。
風を運んでくれたという点において
今回の台風はありがたい。
でも、接近したとき
あまり悪さはして欲しくない。
干上がった土地に雨を降らせ、
水が過剰な土地にはこれ以上降らず、
みんなに感謝されるような台風に
なってください。

7月

3

前世と今

16年前に
『あなた自身のストーリーを書く』
という本を書いた。
そこに僕の前世について
少し書いたのだが、
いまでも、もしその前世が
本当に僕の前世だとしたら
今の僕が学ぶべきことは何か?
と自問自答する。
すると不思議なもので、
いろんな答えが見えてくる。
前世が本当かどうかは
きっといつまでも
わからないことだろうけど、
その前提を受け入れることで
腑に落ちることがある。

5月

30

視点の外側

毎朝起きて外を眺める。
いつもしている行動の中に
自分の思いや視点がある。
自分はその思いや視点に囚われるが
その思いや視点が
生まれた背景がある。
僕を育ててもらった歴史だとか、
なぜ今の社会になったのかだとか、
どうして人間は
人間になったのかだとか。
いつもの視点に囚われた自分と
その外側に立つ自分のあいだを
行ったり来たり。

5月

10

何にがんばっているのか

ときどき他人と
話が合わないことがある。
話せば話すほど
ポイントがずれていく。
そういうときは
自分と相手が
「何にがんばっているのか」
考えてみる。
がんばる先が違うと話が噛み合ない。
自分のことでがんばっているのか、
家族のためにがんばっているのか、
会社のことでがんばっているのか、
町や国のことでがんばっているのか、
地球のためにがんばっているのか。
そう考えてもうまくいかないときは
聞き役に徹すればいいのだろうけど、
つい熱くなってしまう。

5月

2

スカスカ

僕のサイトはリニューアルによって
現在中身がほとんどない。
気分爽快。
スカスカいいなと思う。
うちの書斎は本であふれている。
置き場所がなく本が積まれ、
書類が積まれ、
足の踏み場が狭くなり、息苦しい。
それにもかかわらず
本を廃棄するたびに悲しくなる。
この葛藤はいつまで続くのだろうか。
スカスカいいなと思うけど、
読み返したい本がたくさんある。

3月

19

不満たらたらで気持ちいいもの

生きていれば
いつもいい状態で
いられるわけではない。
困ったこともあれば、
悲しいこともあり、
イライラすることもある。
そういう状態で
気持ちいいものを書くのは難しい。
でも、書く。
するといろんなことに気づかされる。
そんなこと認めたくないなと
思うようなことにも直面する。
その結果、認めるつもりはなくても、
そういう解釈ができる
ということに気づく。
この世界には
いろんな解釈が生まれてくるが、
持ちたくない解釈も見えてくる。
それが気持ちいいのか?
僕個人としては気持ちよくない。
でも、きっと全体から見ると
そういう解釈ができることを
僕が知っていると言うことは
いいことなのだと思う。

3月

15

気持ちいいものを探さない

本当に気持ちいい状態にいたら
きっと気持ちいいものなど
探していない。
でも、ずっとそういう状態にいると、
たまたま気持ちよくない状態に陥ったとき、
不快感を強く感じるだろう。
生きていれば必ず、
不快に思うことが現れてくる。
そのときに不快を手放すことを
学ばなければならない。
それができるかどうか。
わざわざ気持ちいいものを探すのは
普段意識していない
気持ちいいものに、
気づくための練習。
毎日座っている椅子は
当たり前に座っている椅子だから
気持ちいいなんて感じることはあまりない。
でも、あえてそれに気づいてみる。
その上で、それを忘れてみる。
たまたま気づいた不快を、
意図的に手放すことの練習。
時間の無駄?
もしかしたらそうかもしれない。
でも、もしかしたら違うかもしれない。
きっと自分が
どう考えているのかによる。

3月

12

立場による考え方の違い

立場によって考え方は異なる。
ある立場から見れば正しいことが、
別の立場から見ると
正しくないような問題。
それらが第三者にとって
理解できる状態であることが
望ましいこと。
だが第三者にとっても
判断が難しいことがある。
どちらが正しいと、
一概には言えないようなこと。
それらをきちんと理解した上で、
協議することが大切だが、
大人の顔した心が成熟してない人は
どちらか一方の立場に固執する。
それに気づけるように
話ができると成果が生まれる。
もしこういうふうに話ができれば、
戦争はしなくても
いいのではないか?
そのためには、
自分の中に
一方の立場に固執する心が
あるかどうか
考えてみなければならない。

2月

28

からだのおとろえ

からだのおとろえを感じる歳になった。
ちょっとした動きにそれを感じる。
それに抗うために運動をする。
定期的に運動すると少しだけ
かつてできなかったことが
できるようになってくる。
それでも間に合わないときは仕方ないが、
間に合う分は取り戻したい。
からだのおとろえを感じるのは
それに気づくきっかけ。

2月

26

しなければならないこと

仕事のように
「しなければならないこと」が
あるのは、いいことだと思う。
僕の一生の間に
「しなければならない」を
まだやっていない。
だからなんとかできるように
がんばっている。
だけど難しい。
生きている間にできるように
今日もせっせと。

2月

14

センス・オブ・ワンダー

朝、駅までの道を歩いていると
ポールでできたガードレールを
小学生の男の子ふたりが
一生懸命蹴っていた。
何をしているのだろう
と思って近づくと、
外枠の太いポールを押さえる
細いポールに、
鉄製の輪が括り付けてあり、
ガードレールを蹴ると
その輪が振動して、
ビョーンという不思議な音を
発していた。
公共物を蹴って遊ぶとは何事だ、
と思ったが、
ビョーンという音に対する
センス・オブ・ワンダー。
黙って通り過ぎた。

1月

30

個性ってなに?

AIが仕事に導入されるようになると、
人間の仕事は個性的なものになるという。
そこで、自分の個性とは何か?を考える。
あるようなないような。
やって来たことを振り返ると
ある偏向があることは確か。
まあそれが個性かな。

1月

27

わからないことを知る

「このことがわからないのか」と
思うことがある。
それを発見しても、それはたいてい
知りにくいこと。
わからないことがわかっても、
わからないことを理解するまでは
意味がないと思いがちだが、
「わからないことを知る」だけで
なるほどと思うようになった。
わからないから知ってみようと
思えるようになるから。