12月

5

鳥の声

思いがけなく鳥の声を聞く。
この季節に?
ありがたいと思う。
自分の心もときどきふと
何かが動き出す。
鳥の声と同じ。
ふふっと思う。

11月

26

価値か無駄か

3700号以上この「日刊 気持ちいいもの」を書き続けてきた。
その価値は何かと考えた時、まったくの無駄だったとも言える。
大きな価値があったとも言える。
どちらが正しいか?
どちらかだけが正しいというなら、あの有名な質問をしよう。
パンと手を叩く。
鳴ったのは右手か左手か?

11月

7

仏典を読みなおす

かつて仏典には理解不能な文章が
たくさんあった。
書いてあることは判読できるが
それから生まれる実感が伴わない。
ふん、とか、うーむとか思っていた。
しばらくして書かれていることは
たいてい理解できるようになった。
最近では読み始めると没入する。
若い頃、
本を再読することはなかった。
いまは読みなおすことが愛おしい。

11月

6

時間のかかること

手間ひまかけてできたものには
何かいいようのない威厳が生まれる。
アートの鑑賞の半分は
それを感じているような気がする。
あとの半分はいろいろ。

8月

7

涼しい日

朝起きて窓を開けると
今日はひさしぶりに
涼しい日だと知る。
台風の接近によって雨が降り風が吹く。
風を運んでくれたという点において
今回の台風はありがたい。
でも、接近したとき
あまり悪さはして欲しくない。
干上がった土地に雨を降らせ、
水が過剰な土地にはこれ以上降らず、
みんなに感謝されるような台風に
なってください。

7月

3

前世と今

16年前に
『あなた自身のストーリーを書く』
という本を書いた。
そこに僕の前世について
少し書いたのだが、
いまでも、もしその前世が
本当に僕の前世だとしたら
今の僕が学ぶべきことは何か?
と自問自答する。
すると不思議なもので、
いろんな答えが見えてくる。
前世が本当かどうかは
きっといつまでも
わからないことだろうけど、
その前提を受け入れることで
腑に落ちることがある。

5月

30

視点の外側

毎朝起きて外を眺める。
いつもしている行動の中に
自分の思いや視点がある。
自分はその思いや視点に囚われるが
その思いや視点が
生まれた背景がある。
僕を育ててもらった歴史だとか、
なぜ今の社会になったのかだとか、
どうして人間は
人間になったのかだとか。
いつもの視点に囚われた自分と
その外側に立つ自分のあいだを
行ったり来たり。

5月

10

何にがんばっているのか

ときどき他人と
話が合わないことがある。
話せば話すほど
ポイントがずれていく。
そういうときは
自分と相手が
「何にがんばっているのか」
考えてみる。
がんばる先が違うと話が噛み合ない。
自分のことでがんばっているのか、
家族のためにがんばっているのか、
会社のことでがんばっているのか、
町や国のことでがんばっているのか、
地球のためにがんばっているのか。
そう考えてもうまくいかないときは
聞き役に徹すればいいのだろうけど、
つい熱くなってしまう。

5月

2

スカスカ

僕のサイトはリニューアルによって
現在中身がほとんどない。
気分爽快。
スカスカいいなと思う。
うちの書斎は本であふれている。
置き場所がなく本が積まれ、
書類が積まれ、
足の踏み場が狭くなり、息苦しい。
それにもかかわらず
本を廃棄するたびに悲しくなる。
この葛藤はいつまで続くのだろうか。
スカスカいいなと思うけど、
読み返したい本がたくさんある。

3月

19

不満たらたらで気持ちいいもの

生きていれば
いつもいい状態で
いられるわけではない。
困ったこともあれば、
悲しいこともあり、
イライラすることもある。
そういう状態で
気持ちいいものを書くのは難しい。
でも、書く。
するといろんなことに気づかされる。
そんなこと認めたくないなと
思うようなことにも直面する。
その結果、認めるつもりはなくても、
そういう解釈ができる
ということに気づく。
この世界には
いろんな解釈が生まれてくるが、
持ちたくない解釈も見えてくる。
それが気持ちいいのか?
僕個人としては気持ちよくない。
でも、きっと全体から見ると
そういう解釈ができることを
僕が知っていると言うことは
いいことなのだと思う。

3月

15

気持ちいいものを探さない

本当に気持ちいい状態にいたら
きっと気持ちいいものなど
探していない。
でも、ずっとそういう状態にいると、
たまたま気持ちよくない状態に陥ったとき、
不快感を強く感じるだろう。
生きていれば必ず、
不快に思うことが現れてくる。
そのときに不快を手放すことを
学ばなければならない。
それができるかどうか。
わざわざ気持ちいいものを探すのは
普段意識していない
気持ちいいものに、
気づくための練習。
毎日座っている椅子は
当たり前に座っている椅子だから
気持ちいいなんて感じることはあまりない。
でも、あえてそれに気づいてみる。
その上で、それを忘れてみる。
たまたま気づいた不快を、
意図的に手放すことの練習。
時間の無駄?
もしかしたらそうかもしれない。
でも、もしかしたら違うかもしれない。
きっと自分が
どう考えているのかによる。

3月

12

立場による考え方の違い

立場によって考え方は異なる。
ある立場から見れば正しいことが、
別の立場から見ると
正しくないような問題。
それらが第三者にとって
理解できる状態であることが
望ましいこと。
だが第三者にとっても
判断が難しいことがある。
どちらが正しいと、
一概には言えないようなこと。
それらをきちんと理解した上で、
協議することが大切だが、
大人の顔した心が成熟してない人は
どちらか一方の立場に固執する。
それに気づけるように
話ができると成果が生まれる。
もしこういうふうに話ができれば、
戦争はしなくても
いいのではないか?
そのためには、
自分の中に
一方の立場に固執する心が
あるかどうか
考えてみなければならない。

2月

28

からだのおとろえ

からだのおとろえを感じる歳になった。
ちょっとした動きにそれを感じる。
それに抗うために運動をする。
定期的に運動すると少しだけ
かつてできなかったことが
できるようになってくる。
それでも間に合わないときは仕方ないが、
間に合う分は取り戻したい。
からだのおとろえを感じるのは
それに気づくきっかけ。

2月

26

しなければならないこと

仕事のように
「しなければならないこと」が
あるのは、いいことだと思う。
僕の一生の間に
「しなければならない」を
まだやっていない。
だからなんとかできるように
がんばっている。
だけど難しい。
生きている間にできるように
今日もせっせと。

2月

14

センス・オブ・ワンダー

朝、駅までの道を歩いていると
ポールでできたガードレールを
小学生の男の子ふたりが
一生懸命蹴っていた。
何をしているのだろう
と思って近づくと、
外枠の太いポールを押さえる
細いポールに、
鉄製の輪が括り付けてあり、
ガードレールを蹴ると
その輪が振動して、
ビョーンという不思議な音を
発していた。
公共物を蹴って遊ぶとは何事だ、
と思ったが、
ビョーンという音に対する
センス・オブ・ワンダー。
黙って通り過ぎた。

1月

30

個性ってなに?

AIが仕事に導入されるようになると、
人間の仕事は個性的なものになるという。
そこで、自分の個性とは何か?を考える。
あるようなないような。
やって来たことを振り返ると
ある偏向があることは確か。
まあそれが個性かな。

1月

27

わからないことを知る

「このことがわからないのか」と
思うことがある。
それを発見しても、それはたいてい
知りにくいこと。
わからないことがわかっても、
わからないことを理解するまでは
意味がないと思いがちだが、
「わからないことを知る」だけで
なるほどと思うようになった。
わからないから知ってみようと
思えるようになるから。

1月

22

雪が積もる

子供の頃、雪が積もるとなると
それだけでそわそわした。
早く降ってくれないかな、
積もってくれないかなと。
もし雪が積もれば雪合戦をしたし、
雪だるまを作ったり、
雪の上を滑って遊んだ。
大人になると
そんなことはしなくなったが、
心の片隅に
「したいやりたい」という
ウキウキした気分が残っており、
雪の日には
何かやらかしてしまいたくなる。

1月

17

年賀状の返事

最近になって返ってくる
年賀状の返事が素敵。
そもそも松の内に
年賀状のやりとりは終わるものだが、
それを知っていてもこの時期に
わざわざ返事をしてくるのは
何か伝えたい思いがあってのこと。
こんなに一通一通丁寧に書いていたら
大変だろうなと思いながら読む。
その人の人柄がわかる。