6月

10

人口百億

人口が百億を超えると人類は滅亡するなんて話しがあるけど、それは微妙だ。
百億を超えないように頑張ろうとしているいまの状況の方が不自然だと思う。
百億を超えたら、人類はいままで通りには生きていけなくなるだろう。
それがチャンスだ。
生命が海から陸に上がったように、地面を這う生命が空を飛んだように、共通概念を持ちようがなかった生命が言葉を獲得したように、いまの僕たちには想像できない飛躍をするだろう。
それが生命だから。
人智が及ぶ範囲で何かしようと考えるのは「無知の知」を認めてない。
人類が別次元に飛躍したときの生命を人間と呼ぶかどうかはまた別の問題。

6月

10

行き詰まる

物事が行き詰まるとたいてい不快になる。
でも、行き詰まった結果、違う次元に飛び立つしかなくなるので、そういう機会が来たと思うと、なぜかうれしい。

5月

24

目を覚ます

毎日寝て、毎朝目を覚ます。
当たり前の習慣。
そのほかにも毎日のように僕は目を覚ます。
社会生活の微睡(まどろみ)の中から。
十年に一度の大災害とか、いま降りかかっているコロナ禍とか、そういうアラームのおかげで。

5月

11

集合無意識

今の日本はいろんなところで抑圧されていて、その結果何が生み出されるのか心配でもあり、楽しみでもある。
集合無意識が、いろんなところで形になる。
アートや哲学、エンターテイメントへの影響が楽しみ。

1月

2

新年明けましておめでとうございます

節目を付けるというのはいいこと。
日本はそのおかげで繁栄しているのだと思う。
混沌の中に節目を。
今年はそれがさらに求められるのだろうと思う。
内にも、外にも。

12月

9

日刊 気持ちいいもの No.00001〜No.01700

『日刊 気持ちいいもの』の最初の1700本をpdfにまとめたものをざっと読み直した。
忘れていたたくさんの気持ちいいものに出会えて良かった。
僕が書いたのだから、どれを読んでも気持ちいい感覚がよみがえる。
気持ちがブルーになったとき読むといい。
『日刊 気持ちいいもの』サイトのトップに置いてある。
読者登録した人はログインすれば読めます。

11月

4

全体性を見つめる

全体性を見つめると、悪は善に勝てない。
堕天使は天使に勝てない。
闇は光に勝てない、
だから光は闇の存在をただ愛してあげれば良い。
共感しつつ、その境界線を認識していればいい。
愛とは、関わり合う全ての存在をありのままにしてその力を引き出すような、高度な組織化を助ける力だから。

10月

23

意味をたくさん持つ

毎日気持ちいいものを書くことは気持ちいい。
毎日気持ちいいものを書くことは面倒だ。
毎日気持ちいいものを書くことは勉強になる。
毎日気持ちいいものを書くことは無駄なことだ。
毎日気持ちいいものを書くことは価値のあることだ。
毎日気持ちいいものを書くことは暇な人がすることだ。
毎日気持ちいいものを書くことは心の修養になる。
毎日気持ちいいものを書くことは意味がない。
毎日気持ちいいものを書くことは光を灯すことだ。
毎日気持ちいいものを書くことは闇を見つけることだ。
・・・
こうやって毎日いろんな意味を見つけ続けられることがとてもありがたいこと。
このような状況を生み出してくれた一切の存在、状況、宇宙に、深い感謝を捧げる。

8月

24

考えを反芻する

毎朝この『日刊 気持ちいいもの』を書くために、瞑想したり、考えを反芻したりする。
いろんな思いや考えが現れては消えていく。
反芻した考えを理解するためにはその前提となることも理解しないとならない。
毎日少しずつ考えることは、実は物凄い価値を生む。
その大きな価値は、毎日少しずつ考え続けた人が得る。

7月

22

ものの見方

仕事を恵みと捉えるか呪詛と捉えるか。
家族を恵みと捉えるか呪詛と捉えるか。
友達を恵みと捉えるか呪詛と捉えるか。
社会を恵みと捉えるか呪詛と捉えるか。
生まれてきたことを恵みと捉えるか呪詛と捉えるか。
どちらにとっても罰せられることはない。
こんなに自由なのにそれでもいろんなことに文句をいう。
自由だから。

6月

28

嫌なことを体験すること

嫌なことを体験することが「気持ちいい」なんてとても言えない。
だけど、考え方を少し変えると、「気持ちいいかも」と思える。
僕たちは普段「個人」としてしか生きていない。
もしそうであれば「嫌なこと」は嫌なだけだ。
だけど「人類」という集団の一部であると考えると「嫌なこと」は改善すべき問題点に見えてくる。
「人類全体」が心地よい状態であるためには、僕が体験した「嫌なこと」は、改善すべき点となり、僕には改善する可能性が与えられたことになる。
その改善のためには多大な努力と時間と、計り知れないトライ&エラーが必要となるかもしれない。
でも、「人類全体」が心地よい状態になるためのお手伝いができるとしたら、ラッキーなことかもしれない。
その可能性を実現するか無視するかは、自己裁量である。

6月

18

たくさんの意味

僕たちは言葉を持つことで何かにフォーカスすることができるようになった。
あれがしたいとか、これをしたいということを群れで共有できるようになった。
もちろん群れで何かの意図や目的を共有する動物はたくさんいる。
しかし、以前からある意味や行動以外の、新しい概念を共有することは難しい。
そのために言葉が役に立った。
ところが、あまりにもそれが発達したおかげで、「何かにフォーカスすること」以外の価値が見えにくくなってしまった。
たとえば「電話」という言葉。
僕が幼い頃は電話といえば二種類しかなかった。
黒電話か赤電話。
黒電話は家にある電話。
赤電話は公衆電話のこと。
しばらくすると公衆電話にもたくさんの種類が生まれ、黄色電話、ピンク電話、青電話、緑電話といろんな色が採用されて行った。
色が多様になるのと同時に、それぞれの色に象徴される電話の意味も生まれたはずだ。
だから、「電話」一言では、今の人たちはそれがどんな形状のものを指しているのか正確にはわからない。
ファックス付き電話かもしれず、グループ電話かもしれず、携帯電話かもしれず、スマートフォンかもしれない。スマートフォンの区別も考えると、いったい何種類の電話があるのか見当もつかない。
だけど、言葉上は「電話」でわかった気になる。
同じようなことがいろんな言葉で起きている。
「愛しているよ」という言葉の「愛」がどんな意味であるのか、よく聞いてみないとわからない。
ところが、自分が一番理解しやすいか受け取りやすいか、その微妙なところは人によってよくはわからないけど、たいてい人はどこかの意味に落ち着いている。
その意味の体系を組み直したり、壊してくれるのが文学的体験ということだろう。
他人と話しているとときどき自分の意味体系が壊れる。
「壊れる」と感じていることが、いかに自分の意味を強固に持ち続けているかを表している。
この世界にはたくさんの意味がある。
意味は次から次へと生まれてくる。
そのなかで、どうして自分の意味だけを大切にし続けるのか、よく考えなければならない。
言い方を変えると、なぜ自分の意味にだけしがみついているのか、ということになる。
自分を守るのと同様に、自分の意味も守らなければならない。
そう思い込んでいる結果、しなやかさを失っていることがあるかもしれない。

4月

27

あきらめる

「あきらめる」というと、普通には「諦める」ことをいうが、理由をあきらかにする「明らめる」という言葉があり、同時に心を明るくするという意味での「明らめる」という言葉もあった。
つまり、「諦める」ためには「明らめる」ことが必要だということ。
「諦める」というと何かよくないことを表現しているように感じるが、本当はもっと奥深い意味を持っていたのかもしれない。
日本語ではそのことを昔から伝えてきたのだろう。
すべてを知り尽くす、つまり「明らめる」ことで自然と「諦める」境地になる。
前にジャイナ教の「ケーバラ・ジュニャーナ」について書いた。
それを知ることで「人間の知りようのない智慧」について考えた。
そこを通って僕は「諦める」。
でも、伝えるべきことはたくさんできた。
アフター・コロナでは多くの人がこの境地に達するのだろう。
言葉の不思議さを思う。

9月

20

まぼろし

快楽はまぼろしであるが、苦痛もまぼろしである。
気持ちいいときに気持ちよくなり、苦しいときに苦しめばいい。

9月

4

本当に願っていることは何か

人は多くの矛盾に挟まれる。
個人としてはこう言いたいが、会社員としてはこういうしかなく、親としてはこう言わざるを得ないのに、たくさんの想いを抱えているのにも関わらず、どれかひとつしか表明できない。
なぜどれかひとつしか表明できないのか?
そういうものだと自分が思っているからではないか?
個人としてはこう言いたいが、会社員としてはこう言うしかなく、親としてはこう言わざるを得ないということを、全部言ってみたらどうだ?
「それは矛盾だ」と誰かに言われたら、「立場が違えば言うべきことが変わるのは当たり前でしょう」と言えばいい。
そうやって多面的な本当のことを言い合うことができれば、いままでにはなかったような鮮やかな答えが得られるかも。

8月

22

水滴の音

世界は一滴の水の音とともに始まった。
一滴の水の音が世界を変えた。
それ以上でもそれ以下でもない。
一滴の水の音とともに人は笑い、人は歌い、鳥は飛び、魚は群れをなす。
僕がそれを認識していなかっただけ。
一滴の水の音とともに宇宙は存在し、銀河は巡り、彗星は流れ、太陽は輝く。
一滴の水の音とともにあらゆることが起き、あらゆることが変化し、あらゆることが流れていく。
僕はその状況の中に浮かんで流されるだけ。
一滴の水。

8月

1

流れに乗る

流れはいつも形を変える。
こういうときにはこういう流れが来ると思い込むと、まったく違う流れが来る。
常に思い込みを手放すこと。
最善の対応はいま生まれる。

6月

25

自分に響くことを書く

この「日刊 気持ちいいもの」では、自分が気持ちいいと思うことを書いてきた。
まったく利己的である。
他人がどう思うかはさておく。
自分にとって響くことだけを書こうとしてきた。
そして、毎日成功したり、失敗したりしている。
そうやってきてしばらくするとあることに気づいた。
誰かに読んでもらわなくてもいい文章を読んでもらうとはどういうことか。
これはいろんなことを考えることになる。
そして、その考えたいろんなことが、一見すると矛盾している。
その矛盾の中に、というか、その矛盾自体が真実の一端だと理解した。

5月

16

悟った

神通力が使える訳でもなく、世界のことがすべてわかる訳でもないけど、悟った。
悟りはとても繊細で、うっかりすると忘れてしまうようなものだが、その存在を認めることにした。
それは小さな命のようで、僕自身が食べ物や水を与えないとすぐにひからびてしまいそうだ。
だけど、それを育て続けることに決めた。
僕を包んでくれている一切の過去、環境、宇宙、人々に感謝します。

4月

13

言葉の山が花盛り

言葉にはいろんな働きがあります。
言葉のおかげで空想を空想としてあなたに伝えることができます。
言葉様々です。
言葉の山が花盛りになるまであと数ヶ月。
きっと素晴らしく麗しい山を愛でることができるでしょう。

4月

11

言祝ぐ

おめでとうございます。
この文章を読んでいるあなたは世界でたったひとりのあなた。
この世界であなたにしかできない経験を積んでいる。
その貴重な経験はあなたこそのもの。
だからこそ、おめでとうございます。
あなたが生きていることに万歳。

3月

15

エンジェルくみさん

二十数年前、はじめてお会いしたとき、変わった元気なおばさんだなとしか思わなかった。
手書きの天使の絵が書いてある名刺に「エンジェルくみ」と書かれていた。
それから二十年以上して再会した。
人の真の姿は一度や二度会った程度ではとてもわかるものではない。
でも、エンジェルくみさんは明らかに進化していた。
いま69歳だというが、下手な30代よりよっぽど元気だ。
いや、いまの10代の子もエンジェルくみさんの元気さにかなう人は少ないかもしれない。
そばにいる人をワクワクさせてくれる。
「私は地球に遊びに来たの」といって「遊びに来たの」という歌を歌う。
人生の苦楽を語って「いまを生きる」と歌う。
極めつけは「ミトコンドリア4G」という歌。
細胞内のミトコンドリアが活性化するという。
これを一緒に歌うと確かに大笑いして元気になれる。
どんな病気も治してしまいそうだ。
レゾナンスCafeでお話してくれた内容がこちらに。
http://www.houshouakira.com/resonance/?p=783

1月

4

あけましておめでとうございます

新年を言祝ぐ言葉。
言祝ぐは寿ぐであり、事祝ぐことでもある。
日本には祝う言葉があふれていた。
祝うは「いわ・う」であるため神社には大きな岩があることがある。
「細石も巌となりて」と君が代にあるが、実際に成長しつつあった細石が秩父今宮神社に奉納されている。
巌となりつつある細石が現実にあるとはつい数年前まで知りませんでした。
疑う方はご自分の目で確かめてみてください。
見ればなるほどと思うでしょう。

12月

26

水滴の音

水道から水が滴り、コップに落ちる。
その音に聞き入りながら水琴窟を思いだす。
一粒の水滴が空洞に豊かに響く。
水琴窟の水滴にはたくさんの生命が宿っている。
生命の歌が響く。
地球に満ちあふれた人類。
人類の歌も水滴に宿る命に伝えよう。
名のない命もともに繁栄するように。
形が違うだけの、遺伝子という名の複製子に支えられた仲間達。

12月

6

おもろさうし

昔懐かしい歌詞の一部が
はじめて読む文章に
埋め込まれていると
それを読んだ途端に
感覚が懐かしい頃を思い出す。
そのことを思いながら
「おもろそさうし」を読むと、
沖縄のきらびやかな時代が
どのように編まれていたのかが
わかるような気がする。