10月

19

単純化

「日本人はこういう人間」とまとめる本がたくさんある。
縄文文化の影響でとか、平安時代の何かにちなみとか、江戸時代の風習によってとか、いろんな理由でまるっとまとめられる。
そのおかげで好き勝手なことを言えるが、実際にはいろんな人がいる。
単純化することで表現の楽しみが生まれるが、複雑なものを複雑なまま受け入れようとすると、難しくなって手に負えない。

9月

29

真実を味わう

真実はプリズムのようにいろんな光を放つ。
たったひとつの真実なんて、きっとどこにもない。
いろんなものに見える真実を、真実だと認めたら、それを表現する言葉はきっといろんなものに見える。
他人に理解してもらうためには、大雑把に括らなければならない。
それを真実だと信じるのは、その人のセンスによる。

9月

6

矛盾に共感

人の話を聞いていて、ときどき「そこ矛盾しているな」と感じるときがある。
ところが、矛盾しているのにそこが魅力だったりする。
それっていったいなんだろう?

9月

3

無意味と無意識

ある時点では自分にとってまったく気にしていない何かについて、あとで意味が現れてくることがある。
あるときに聴いた音楽が、タイトルも演者もわからなかったのにどこかでもう一度その同じ曲を聴いたとき心が動かされるとか、ふと聞いた言葉があるとき思い出されて強く興味を持つとか。
そういう体験はありふれているかもしれないが、大切なことだと思う。

8月

24

ワクワクするエネルギー

何かにワクワクすることはいいことだ。
ワクワクしているといろんなアイデアが浮かびやすくなる。
だからワクワクするために何かを準備しておくことは大切なこと。
たとえばこの「日刊 気持ちいいもの」は、僕にとってワクワクのための準備であり考察であり、体験の反芻場所だ。
ワクワクのエネルギーが枯渇すると、かつて書いた文章を読む。
するとワクワクの種が復活してくる。
だけど、そうは行かないこともある。
まさにそのとき、大切な内的探求が始まる。

8月

23

気持ちいいもののレベル その3

気持ちいいもののレベル その2 の続き

「そういう気持ちよさは単なる思い込みではないか」という人もいるだろう。
もちろんそういう表現はできるし、その言い分に反対するつもりはない。
しかし、そもそも気持ちいいものは、自分の感情であり、そのなかに一抹の思い込みも含まれる。
「思い込みはすべて否定する」という考えのもとでは、「気持ちいいもの」の存在は危うい。
「気持ちいいもの」の存在は、自分がそれを許すかどうかに大きく依存している。
この話はいつかきちんと本となるような分量の文章にまとめたい。

8月

22

気持ちいいもののレベル その2

気持ちいいもののレベル その1 の続き

さらに、自分の内側に生まれるレベルのほかにも、外側に作り出す気持ちよさもある。
たとえば映画を見ているとき。
映画の主人公が気持ちよさを感じるのに共感して、気持ちいいと感じることがある。
その気持ちよさは明らかに自分の外側に生まれた気持ちよさを自分の内側に取り込んでいる。
そういう気持ちよさが僕たちにはある。
それが理解でき、また感じることができるのであれば、自分の内側から生まれる気持ちよさだけではなく、外側にできたある状況に共感して感じる気持ちよさがあることを理解することができる。
それは何も外側にいる人物に対してだけ向けられるものではなく、動物や植物、あるいは物に対しても向けられることがある。
人形を撫でながら気持ちよさそうにしている女の子はその状態にいると言える。
人形を撫でることで人形という物に生まれるであろう気持ちよさを自分が取り込んでいる。
このような外部にある物に生まれるであろう気持ちよさの取り込みは、どんな物にもそこに付与する物語によって生み出すことができる。
だから極言すれば「地球の気持ちよさ」も「宇宙の気持ちよさ」も、「原子や分子の気持ちよさ」も、作ろうと思えば作ることができる。

8月

22

気持ちいいもののレベル その1

気持ちいいものにはレベルがある。
どんなレベルかというと、感じる主体をどこに置くかだ。
「気持ちいいものの主体は『自分』に決まっているではないか」と多くの人は思うだろう。
ところが『自分』にはいろんなレベルがある。
たとえば『親としての自分』『子供としての自分』『職業上表現している自分』『友人といるときに表現している自分』など。
こういう区分けは人にもよるが、きっとたくさんあることだろう。
そして、それぞれの立場によって、気持ちいいものが変化することがある。
ある立場ではとても気持ちいいものが、別の立場では気持ちよくなかったりする。
自分というものは特定のもので、ひとつの立場しかないと思い込んでいる人はその変化に気づかないかも知れない。
だけどたとえば、自分の親に対して話すときと、自分の子供に対して話すとき、同じ話でも微妙なニュアンスの違いに気づく人は「ひとつの立場しかない」という思い込みから脱することができるだろう。
だから、気持ちいいものは、自分がどのレベルにいるかで変わってくる。

8月

20

言葉の使い方

言葉は普通、誰かに何かを伝えるものだと考えられている。
だけど、自分の中に生まれた「何か」を、自分自身で理解するためにも使える。
その「何か」は複雑で言語化できないこともあれば、単にいままで言葉になっていないから言語化できないものもある。
外国語を習うとそれがよくわかるようだ。
でも、母国語だけでも「何か」は生まれる。
「何か」を伝えるためには用意周到にしないと、誤解ばかりが広がっていく。
「言葉は誤解を伝えるもの」と割り切った方が楽かも。
「誤解」の深い意味が理解できれば。

8月

15

レッテル思考からの脱却

人間は言葉を持ったが故に、何かの答えとしてレッテルを貼るようなことをして安心することがある。
幼い頃からそれが身に付いていると、レッテルを貼って答えたつもりになる以外どうしたらいいのかわからなくなる。
言葉で答える限り、レッテル貼りと何が違うのかきちんと答えるのは難しい。
でも、人間にはそれができるんだよ。

8月

10

空の色

空の色はいつも違う。
このわずかな違いを表現できたら、
君に伝えたいことをきちんと伝えられるのかも。

7月

31

黙浴

スポーツジムのお風呂の入口にこう書いてあった。
「黙浴」
要するに黙ってお風呂に入れということ。
思わず笑ってしまった。

7月

20

全体性に触れる

書くのは簡単だが、実行は難しい。
そもそも全体性とは何か?
人間にとっての全体性とは、宇宙のことであり、地球のことであり、国家のことであり、地方社会のことであり、家族のことであり、個人のことであり、それらの総合でもある。
それぞれに支配している理屈は異なり、自分がどの観点からモノを見るかによって現れてくる思いや感想は異なり、その違いに惑わされていると即断即決はできなくなるため、多くの人はそれらの違いについてあまり深くは考えないのだろう。
しかし、長い人生について考えるとき、これらについてじっくりと考える必要がある。
いま僕たちが混乱の中にいるとしたら、この全体性に触れる機会なのではないか?
この答えも簡単に出すべきものではないだろう。

7月

12

虹を見る

昨日の土砂降りの時、外出先の建物の中で気がつかなかったが、停電して知った。
外に出ると雨は止んでいた。
うちに帰って空を見上げるとひさしぶりに虹を見た。
If you want the rainbow, you gotta put up with the rain.

7月

11

執着はいいものであり、悪いもの

「気持ちいいもの」は執着でもある。
ここに書けば書くほど、その執着は明確になる。
「執着はいいものであり、悪いもの」と知っているから「わざわざそれを書くなんて無駄なことだ」と考えることは簡単だ。
でも実際にやってみると、簡単なことだけではないことが理解できるし、体験できる。
それを「体験してない頃の僕」に説明するのは難しい。

6月

24

堕天使

「堕天使」という言葉があります。
天使だったのに、悪魔になってしまった存在。
悪魔を演じるしかしようがない存在。
堕天使のみなさん、自分が天使であることを思い出してください。
あなたの力は強大です。
あなたの力で多くの人が救われます。

6月

4

どこにあるのか

気持ちいいものは、いったいどこにあるのか?
ときどき、考える、感じてみる。
「いまここ」なんて簡単なものではない。
他人に伝えるのにそれしかいいようがないから「いまここ」という。
「いまここ」であり、「永遠の彼方」であり、「宇宙大の広がり」であり、「妄想」であり、「意味のないもの」でもある。
それを知るとはどういうことか。
語り尽くせぬ言葉が溢れる一方で、沈黙が訪れる。

6月

2

ユニコーンはノアの箱舟から追い出される

錬金術の話にユニコーンがよく出てくる。
ユニコーンは想像上の動物だとされているが、面白いのは東欧の民話。
ノアが箱船を作ったとき、ユニコーンも乗せたが、あまりにも暴れるので箱船から水の中へ放り投げたそうだ。
だから今ではユニコーンはいないという。
ユニコーンが陽の象徴だとすると、その意味がよくわかる。

5月

16

信じて待つこと

世の中では、信じられないことがたくさん起きている。
だからこそ、信じて待つことの価値が高まる。
信じて待っている人にはきちんと答えよう。

4月

22

賢者の石

賢者の石について、理系出身の僕は「馬鹿なことを考えていたな」くらいにしか思っていなかったが、ユングの『心理学と錬金術』を読んで唸ってしまった。
心の目で見ると現実は変わる。

4月

7

渝わる

「渝」
こんな字、見たことなかった。
ある本を読んでいたところ「渝わる」と出てきた。
「なにわるだ?」
「字統」を調べる。
載ってない。

PCで漢字を調べてインターネットで意味を引く。
読み方は「かわる」。
意味は「かわる」「かえる」「改まる」「あふれる」。

学研の「漢和大字典」によると「中身が抜けて入れ替わる」「水があふれでる」様をいうとのこと。
ニュアンスに凝るといろんな字が使われるようになるんだろうな。

3月

31

往還という言葉

ある日、「往還」という言葉を見かけた。
あまり見慣れない言葉だ。
調べると「道を行き来すること」とある。
または「行き来するための道」。
文章の前後関係から読み解くと「あの世とこの世を行ったり来たりすること」とか「ある意識から別の意識へ行ったり来たりすること」と読み取れる。
そういう意味でこの言葉を使うのか、と思っていたら、あちこちで似た意味で使われているのを見つける。
資本主義と次の社会、通常の意識と変性意識、コロナ前とコロナ後、あちこちで往還している。

1月

30

冬の冷え切った青い空

風が吹くと震え上がる、
厚着をしないと凍えてしまう、
そういう冬の冷え切った青い空の下、
手袋をして歩いて行こう。
人出の少ない砂浜や、
いまでは小さくなった畑の道を、
てくてくてくてく。
最後にコークスの焚かれたストーブのある、
木造のうちでコーヒーをすすろう。
それだけでひとは、幸せになれる。

1月

25

矛盾だらけの話

自分には矛盾がある。
話す相手によって違うことを言うことがある。
それはある程度仕方ないことだと思っている。
相手のことを思ってそう言って上げるのであれば、それは仕方ないことと言えるだろう。
では、自分の都合を優先するために話を変えることはどうだろうか?
自分の都合というのが具体的にどういうものかによって変わるだろう。
たとえば、こんなふうに考えることができる。
視点が自分の内側にあるか、外側にあるかで、判断が変わる。
常識では多くの場合、視点は自分の内側にあるものだ。
だけど政治家のような人間は、社会の視点という自分の外側に視点を持って行かざるを得ないことがある。
そういうとき、狡猾な人は外と内を混同して、話を曖昧にしてしまうことがある。
どういうときに内側に置き、どういうときに外側に置くべきかは、きっと「共感」という、いまの僕たちには少し曖昧な判断基準によって決められる。
それを厳格にできるものなのか、いまの僕にはよくわからない。
それはただ、各個人の心によるものと考える人が多数派だろう。

1月

2

新年明けましておめでとうございます

節目を付けるというのはいいこと。
日本はそのおかげで繁栄しているのだと思う。
混沌の中に節目を。
今年はそれがさらに求められるのだろうと思う。
内にも、外にも。