7月

20

全体性に触れる

書くのは簡単だが、実行は難しい。
そもそも全体性とは何か?
人間にとっての全体性とは、宇宙のことであり、地球のことであり、国家のことであり、地方社会のことであり、家族のことであり、個人のことであり、それらの総合でもある。
それぞれに支配している理屈は異なり、自分がどの観点からモノを見るかによって現れてくる思いや感想は異なり、その違いに惑わされていると即断即決はできなくなるため、多くの人はそれらの違いについてあまり深くは考えないのだろう。
しかし、長い人生について考えるとき、これらについてじっくりと考える必要がある。
いま僕たちが混乱の中にいるとしたら、この全体性に触れる機会なのではないか?
この答えも簡単に出すべきものではないだろう。

7月

12

虹を見る

昨日の土砂降りの時、外出先の建物の中で気がつかなかったが、停電して知った。
外に出ると雨は止んでいた。
うちに帰って空を見上げるとひさしぶりに虹を見た。
If you want the rainbow, you gotta put up with the rain.

7月

11

執着はいいものであり、悪いもの

「気持ちいいもの」は執着でもある。
ここに書けば書くほど、その執着は明確になる。
「執着はいいものであり、悪いもの」と知っているから「わざわざそれを書くなんて無駄なことだ」と考えることは簡単だ。
でも実際にやってみると、簡単なことだけではないことが理解できるし、体験できる。
それを「体験してない頃の僕」に説明するのは難しい。

6月

24

堕天使

「堕天使」という言葉があります。
天使だったのに、悪魔になってしまった存在。
悪魔を演じるしかしようがない存在。
堕天使のみなさん、自分が天使であることを思い出してください。
あなたの力は強大です。
あなたの力で多くの人が救われます。

6月

4

どこにあるのか

気持ちいいものは、いったいどこにあるのか?
ときどき、考える、感じてみる。
「いまここ」なんて簡単なものではない。
他人に伝えるのにそれしかいいようがないから「いまここ」という。
「いまここ」であり、「永遠の彼方」であり、「宇宙大の広がり」であり、「妄想」であり、「意味のないもの」でもある。
それを知るとはどういうことか。
語り尽くせぬ言葉が溢れる一方で、沈黙が訪れる。

6月

2

ユニコーンはノアの箱舟から追い出される

錬金術の話にユニコーンがよく出てくる。
ユニコーンは想像上の動物だとされているが、面白いのは東欧の民話。
ノアが箱船を作ったとき、ユニコーンも乗せたが、あまりにも暴れるので箱船から水の中へ放り投げたそうだ。
だから今ではユニコーンはいないという。
ユニコーンが陽の象徴だとすると、その意味がよくわかる。

5月

16

信じて待つこと

世の中では、信じられないことがたくさん起きている。
だからこそ、信じて待つことの価値が高まる。
信じて待っている人にはきちんと答えよう。

4月

22

賢者の石

賢者の石について、理系出身の僕は「馬鹿なことを考えていたな」くらいにしか思っていなかったが、ユングの『心理学と錬金術』を読んで唸ってしまった。
心の目で見ると現実は変わる。

4月

7

渝わる

「渝」
こんな字、見たことなかった。
ある本を読んでいたところ「渝わる」と出てきた。
「なにわるだ?」
「字統」を調べる。
載ってない。

PCで漢字を調べてインターネットで意味を引く。
読み方は「かわる」。
意味は「かわる」「かえる」「改まる」「あふれる」。

学研の「漢和大字典」によると「中身が抜けて入れ替わる」「水があふれでる」様をいうとのこと。
ニュアンスに凝るといろんな字が使われるようになるんだろうな。

3月

31

往還という言葉

ある日、「往還」という言葉を見かけた。
あまり見慣れない言葉だ。
調べると「道を行き来すること」とある。
または「行き来するための道」。
文章の前後関係から読み解くと「あの世とこの世を行ったり来たりすること」とか「ある意識から別の意識へ行ったり来たりすること」と読み取れる。
そういう意味でこの言葉を使うのか、と思っていたら、あちこちで似た意味で使われているのを見つける。
資本主義と次の社会、通常の意識と変性意識、コロナ前とコロナ後、あちこちで往還している。

1月

30

冬の冷え切った青い空

風が吹くと震え上がる、
厚着をしないと凍えてしまう、
そういう冬の冷え切った青い空の下、
手袋をして歩いて行こう。
人出の少ない砂浜や、
いまでは小さくなった畑の道を、
てくてくてくてく。
最後にコークスの焚かれたストーブのある、
木造のうちでコーヒーをすすろう。
それだけでひとは、幸せになれる。

1月

25

矛盾だらけの話

自分には矛盾がある。
話す相手によって違うことを言うことがある。
それはある程度仕方ないことだと思っている。
相手のことを思ってそう言って上げるのであれば、それは仕方ないことと言えるだろう。
では、自分の都合を優先するために話を変えることはどうだろうか?
自分の都合というのが具体的にどういうものかによって変わるだろう。
たとえば、こんなふうに考えることができる。
視点が自分の内側にあるか、外側にあるかで、判断が変わる。
常識では多くの場合、視点は自分の内側にあるものだ。
だけど政治家のような人間は、社会の視点という自分の外側に視点を持って行かざるを得ないことがある。
そういうとき、狡猾な人は外と内を混同して、話を曖昧にしてしまうことがある。
どういうときに内側に置き、どういうときに外側に置くべきかは、きっと「共感」という、いまの僕たちには少し曖昧な判断基準によって決められる。
それを厳格にできるものなのか、いまの僕にはよくわからない。
それはただ、各個人の心によるものと考える人が多数派だろう。

1月

2

新年明けましておめでとうございます

節目を付けるというのはいいこと。
日本はそのおかげで繁栄しているのだと思う。
混沌の中に節目を。
今年はそれがさらに求められるのだろうと思う。
内にも、外にも。

12月

16

InDesign2021

最新版のInDesignを手に入れて作業している。
初代InDesignにはものすごくお世話になった。
それは書籍用の編集ソフトだった。
それを使って何冊か本を編集した。
しばらく使ってないうちに、InDesignは進化し、電子書籍も編集できるようになった。
初代InDesignから20年も経ったのだ。
初代とは全く違うので小さなことにいちいちつまずく。
そもそも書式の設定はどうするかとか、ページ番号はどう付けるのかとか、縦中横をどう指示するかとか、ルビはどうふるかとか、その度に時間がかかる。
やっと目鼻を付けてスマホで見たら、なぜか表紙が二分割されている。
カーッ!
使いこなせるようになるのが楽しみ、と負け惜しみのようにつぶやく。

12月

9

日刊 気持ちいいもの No.00001〜No.01700

『日刊 気持ちいいもの』の最初の1700本をpdfにまとめたものをざっと読み直した。
忘れていたたくさんの気持ちいいものに出会えて良かった。
僕が書いたのだから、どれを読んでも気持ちいい感覚がよみがえる。
気持ちがブルーになったとき読むといい。
『日刊 気持ちいいもの』サイトのトップに置いてある。
読者登録した人はログインすれば読めます。

11月

5

豊さとはたくさんの意味に気づいていること

アメリカの大統領選は混沌としてきた。
いろんな人がいろんな意見を言うだろう。
そして、どの意見が本当は正しいのか、よくわからなくなっていく。
アメリカにはすでにたくさんの謎が存在する。
なぜケネディ大統領が暗殺されたのか。
911の本当の主犯は誰なのか。
なぜ大量破壊兵器のないイラクが攻撃されたのか。
挙げていけばキリがない。
そして、そのような政治の在り方は、世界全体を包んでしまっている。
残念というしかないが、そのことをきちんと知っておく必要がある。
たった一つの真理を求めていくと、解釈や立場、見方の違いによる意見の相違を許容することができなくなっていく。
どちらが正しいか、戦わざるを得なくなる。
解釈や立場の違いによって見方の相違が生まれてくることは仕方のないことだ。
それを許容できないと暴力が行使されてしまう。
立場が違えば意味や解釈が違うことを許容し、その違いを越えて共同するためには時間がかかるだろう。
しかし、その時間を取ることで、豊かな結果を得られるよう努力していかないと、地球環境は荒れ、人々は無意味に殺され、荒涼とした世界に直面しなければならないだろう。
どんな出来事にもいろんな意味が生まれてしまう。
そのことに深く気づかない限り、無意味な争いが続くだけだ。

10月

29

真如

「大乗起信論」に真如という言葉が出てくる。
わかったようでわからない言葉。
その人の立場や精神的段階によって意味が微妙に異なる言葉。
言葉とはいったいどんなものかが炙り出される言葉。

10月

23

意味をたくさん持つ

毎日気持ちいいものを書くことは気持ちいい。
毎日気持ちいいものを書くことは面倒だ。
毎日気持ちいいものを書くことは勉強になる。
毎日気持ちいいものを書くことは無駄なことだ。
毎日気持ちいいものを書くことは価値のあることだ。
毎日気持ちいいものを書くことは暇な人がすることだ。
毎日気持ちいいものを書くことは心の修養になる。
毎日気持ちいいものを書くことは意味がない。
毎日気持ちいいものを書くことは光を灯すことだ。
毎日気持ちいいものを書くことは闇を見つけることだ。
・・・
こうやって毎日いろんな意味を見つけ続けられることがとてもありがたいこと。
このような状況を生み出してくれた一切の存在、状況、宇宙に、深い感謝を捧げる。

8月

26

環境が変わるという意味

環境が変わると言葉の意味が変わる。
リフレーミングを学ぶとき、そのことを深く考えないとならない。
同じ言葉を見て、読んで、聞いて、全く同じ意味を引き寄せることができるとは思わない方がいい。
環境が違うと言葉の意味(シニフィエ)は変わる。
かつてイスラエルとパレスチナのこどもたちを呼んでサッカー大会をしたとき、パレスチナのこどもが海をはじめて見て口をぽっかり開けて感動していた。
「海」という言葉は知っていたが、実際に見たことはなかった。
彼は日本に来て「海」の意味するところを少し知った。
しかし、海面下で泳ぐ魚がどのようかとか、漁はどうやってするのかとか、知らないことはまだたくさんあったはず。
それらを知ることで「海」の意味するところがどんどん変わっていっただろう。

8月

25

謎は、ある程度理解できないと、謎として現れない。
全く理解不能なことは、謎だとも思えない。
知ることのできる謎は、すでにたいした謎ではないのかもしれない。

8月

20

なぜ文章を書くのか

文章を書く効用は色々とあるが、現時点でとても大切なことだろうと思うことを書く。
それは、自分の分裂した視点を全て抱えるためだ。
人間が考えることには限界がある。
一度にたくさんのことを吟味するのは難しい。
ところが、文章を書くことができると、並列してたくさんのことを考えることができる。
ある立場に立ったとき、自分はどう考えかるのか。
別の立場に立ったとき、どうなるのか。
そのようなことを積み重ねると、三つや四つくらいまでは頭の中で考えることができるかもしれないが、たくさんの立場について考えていくと、いつか区別が曖昧になる。
一つ一つの立場を書いておけば、いくつあってもあとでちゃんと思い出し、考えることができる。

8月

20

多次元な視点

多次元な視点について考え続けている。
日本のマスメディアは比較的一つの正解を追い求める。
しかし、これからの社会では、一つの正解よりも、多次元なそれぞれの正解を求めるようになるであろう。
僕の正解と、あなたの正解とでは違いがあっていい。
なぜなら、僕とあなたは立場が違うし、環境が違う。
あるイベントの案内にこんなことを書いた。

新型コロナウィルスへの対処___

いま僕たちは新型コロナウィルスの影響によって混乱の中にいます。
どの話が正しいのか、どの情報を基準にして考えなければならないのか、いろんな判断が可能だと思います。
波をモデルに考えると、いくつかの波長の違う波が同時に起きて、いろんな方向に揺らされているということでしょう。
それに適合するためには自分の立ち位置が明確でないとならないと思います。

年齢はどうか。
重症化しやすい疾患にかかっているかどうか。
同居している人たちとの関係はどうか。
仕事との関係はどうなっているか。
自らの社会的立場から、何を主張したいのか。
 
これらが複雑に絡み合い、新型コロナウィルスに対してはどう対処すべきなのか、一つの答えが生まれるような状況ではありません。
そこで当イベントは、もし社会的な状況が許すのであれば、(ロックダウンがなされてない、美術館やレストランが営業されているなど)このイベントを実行しようと思います。
その際の参加・不参加の判断は、ぜひみなさん個人で考えてください。
もし当イベントの主催者が一つの答えを責任を持って出すとしたら
「危険性があるからこのイベントはしない方がいい」となるでしょう。
しかし、もしこのまま自粛が続けば、社会全体に経済的ダメージが大きくなっていくのも明らかです。
「自粛さえしていればいい」という答えも出しにくい状況だと思います。
そこで、当イベントでは、マスクや手洗い、直接のコンタクトはしないなどの対応を考えた上で、実行する予定です。
もし何かイベントを中止せざるを得ない状況が生まれましたら、ご連絡いたします。
みなさんの判断も時期によって変わるかもしれません。
参加しようと思ったが、やはりしないという連絡も、いつもと同様受け入れます。
早く新型コロナウィルスを気にせず、いろんな活動ができる世の中になってほしいですね。
「もう以前のようには決してならない」というようなことを言う人もいますが、今までも何度も人類は新しいウィルスを乗り越えてきました。
それを思えば、なぜ今回だけ無理だと言うのか、不思議に思います。
難しい状況にも対応し、楽しく生き延びていきましょう。
お申し込みをお待ちしております。
___

そう、それぞれに違う判断をすることを肯定的にとらえた。
マスメディアでは一つの正解を追い求める。
それはメディアの性質上仕方ないのかもしれない。
それはそれとして、僕たちは他人の視点も理解した上で、自分の選択をしなければならない。
このとき、多次元な視点が必要となる。

8月

7

仮説を立てる

言葉が存在するおかげで、仮説を立てることができるようになりました。
もし言葉がないと、仮説は立てられません。
「本当か?」と思う方は、言葉なしで仮説を立ててみてください。
言葉がないと「仮説」という概念すら持ち得ません。
言葉と共に生きることができてよかったと思う。

8月

2

暗黙知の言語化

なんとなくわかってはいるけど、うまく言葉にできないことがある。
例えば、「家」という概念がなかった頃の人間がここにいたとしよう。
現在の家ほど立派なものではないが、動物の「巣」とは何かが違う場所に住んでいる。
「巣」にはたいてい屋根がない。
「屋根を付けた巣」だと表現してみる。
しかし、それもしっくりこない。
「巣」とは何が違うのか考えてみる。
そうだ、「巣」では何世代も同じところに住まないが、僕たちの住む場所は何世代も受け継ぐものだ。
だから「世代を超えた巣」とか言ってみる。
御先祖様がそこにいたし、きっと今もいるかもしれない。
そういう守るべき場所だ。
「屋根を付けた世代を超えた巣」という言葉は不便だ。
「寿限無寿限無」の落語のようになってしまう。
そこでは一緒に住んでいるものみんなが安寧に暮らせるように祈っている。
白川静先生の説によれば、その祈りのために犠牲を捧げ、それを表現したものが「家」という文字になった。
こんなふうにして、自然界に存在しなかった「家」という概念が生まれてきた。
似たようなことを人間は連綿と続け、いろんな概念と言葉を生み出してきた。
みんながなんとなくわかっていることをこうして言語化してきた。
これからも新しい言葉が生まれ続ける。

7月

22

ものの見方

仕事を恵みと捉えるか呪詛と捉えるか。
家族を恵みと捉えるか呪詛と捉えるか。
友達を恵みと捉えるか呪詛と捉えるか。
社会を恵みと捉えるか呪詛と捉えるか。
生まれてきたことを恵みと捉えるか呪詛と捉えるか。
どちらにとっても罰せられることはない。
こんなに自由なのにそれでもいろんなことに文句をいう。
自由だから。