8月

23

気持ちいいもののレベル その3

気持ちいいもののレベル その2 の続き

「そういう気持ちよさは単なる思い込みではないか」という人もいるだろう。
もちろんそういう表現はできるし、その言い分に反対するつもりはない。
しかし、そもそも気持ちいいものは、自分の感情であり、そのなかに一抹の思い込みも含まれる。
「思い込みはすべて否定する」という考えのもとでは、「気持ちいいもの」の存在は危うい。
「気持ちいいもの」の存在は、自分がそれを許すかどうかに大きく依存している。
この話はいつかきちんと本となるような分量の文章にまとめたい。

8月

22

気持ちいいもののレベル その2

気持ちいいもののレベル その1 の続き

さらに、自分の内側に生まれるレベルのほかにも、外側に作り出す気持ちよさもある。
たとえば映画を見ているとき。
映画の主人公が気持ちよさを感じるのに共感して、気持ちいいと感じることがある。
その気持ちよさは明らかに自分の外側に生まれた気持ちよさを自分の内側に取り込んでいる。
そういう気持ちよさが僕たちにはある。
それが理解でき、また感じることができるのであれば、自分の内側から生まれる気持ちよさだけではなく、外側にできたある状況に共感して感じる気持ちよさがあることを理解することができる。
それは何も外側にいる人物に対してだけ向けられるものではなく、動物や植物、あるいは物に対しても向けられることがある。
人形を撫でながら気持ちよさそうにしている女の子はその状態にいると言える。
人形を撫でることで人形という物に生まれるであろう気持ちよさを自分が取り込んでいる。
このような外部にある物に生まれるであろう気持ちよさの取り込みは、どんな物にもそこに付与する物語によって生み出すことができる。
だから極言すれば「地球の気持ちよさ」も「宇宙の気持ちよさ」も、「原子や分子の気持ちよさ」も、作ろうと思えば作ることができる。

8月

22

気持ちいいもののレベル その1

気持ちいいものにはレベルがある。
どんなレベルかというと、感じる主体をどこに置くかだ。
「気持ちいいものの主体は『自分』に決まっているではないか」と多くの人は思うだろう。
ところが『自分』にはいろんなレベルがある。
たとえば『親としての自分』『子供としての自分』『職業上表現している自分』『友人といるときに表現している自分』など。
こういう区分けは人にもよるが、きっとたくさんあることだろう。
そして、それぞれの立場によって、気持ちいいものが変化することがある。
ある立場ではとても気持ちいいものが、別の立場では気持ちよくなかったりする。
自分というものは特定のもので、ひとつの立場しかないと思い込んでいる人はその変化に気づかないかも知れない。
だけどたとえば、自分の親に対して話すときと、自分の子供に対して話すとき、同じ話でも微妙なニュアンスの違いに気づく人は「ひとつの立場しかない」という思い込みから脱することができるだろう。
だから、気持ちいいものは、自分がどのレベルにいるかで変わってくる。

8月

20

言葉の使い方

言葉は普通、誰かに何かを伝えるものだと考えられている。
だけど、自分の中に生まれた「何か」を、自分自身で理解するためにも使える。
その「何か」は複雑で言語化できないこともあれば、単にいままで言葉になっていないから言語化できないものもある。
外国語を習うとそれがよくわかるようだ。
でも、母国語だけでも「何か」は生まれる。
「何か」を伝えるためには用意周到にしないと、誤解ばかりが広がっていく。
「言葉は誤解を伝えるもの」と割り切った方が楽かも。
「誤解」の深い意味が理解できれば。

8月

15

レッテル思考からの脱却

人間は言葉を持ったが故に、何かの答えとしてレッテルを貼るようなことをして安心することがある。
幼い頃からそれが身に付いていると、レッテルを貼って答えたつもりになる以外どうしたらいいのかわからなくなる。
言葉で答える限り、レッテル貼りと何が違うのかきちんと答えるのは難しい。
でも、人間にはそれができるんだよ。

8月

10

空の色

空の色はいつも違う。
このわずかな違いを表現できたら、
君に伝えたいことをきちんと伝えられるのかも。

7月

31

黙浴

スポーツジムのお風呂の入口にこう書いてあった。
「黙浴」
要するに黙ってお風呂に入れということ。
思わず笑ってしまった。

7月

20

全体性に触れる

書くのは簡単だが、実行は難しい。
そもそも全体性とは何か?
人間にとっての全体性とは、宇宙のことであり、地球のことであり、国家のことであり、地方社会のことであり、家族のことであり、個人のことであり、それらの総合でもある。
それぞれに支配している理屈は異なり、自分がどの観点からモノを見るかによって現れてくる思いや感想は異なり、その違いに惑わされていると即断即決はできなくなるため、多くの人はそれらの違いについてあまり深くは考えないのだろう。
しかし、長い人生について考えるとき、これらについてじっくりと考える必要がある。
いま僕たちが混乱の中にいるとしたら、この全体性に触れる機会なのではないか?
この答えも簡単に出すべきものではないだろう。

7月

12

虹を見る

昨日の土砂降りの時、外出先の建物の中で気がつかなかったが、停電して知った。
外に出ると雨は止んでいた。
うちに帰って空を見上げるとひさしぶりに虹を見た。
If you want the rainbow, you gotta put up with the rain.

7月

11

執着はいいものであり、悪いもの

「気持ちいいもの」は執着でもある。
ここに書けば書くほど、その執着は明確になる。
「執着はいいものであり、悪いもの」と知っているから「わざわざそれを書くなんて無駄なことだ」と考えることは簡単だ。
でも実際にやってみると、簡単なことだけではないことが理解できるし、体験できる。
それを「体験してない頃の僕」に説明するのは難しい。

6月

24

堕天使

「堕天使」という言葉があります。
天使だったのに、悪魔になってしまった存在。
悪魔を演じるしかしようがない存在。
堕天使のみなさん、自分が天使であることを思い出してください。
あなたの力は強大です。
あなたの力で多くの人が救われます。

6月

4

どこにあるのか

気持ちいいものは、いったいどこにあるのか?
ときどき、考える、感じてみる。
「いまここ」なんて簡単なものではない。
他人に伝えるのにそれしかいいようがないから「いまここ」という。
「いまここ」であり、「永遠の彼方」であり、「宇宙大の広がり」であり、「妄想」であり、「意味のないもの」でもある。
それを知るとはどういうことか。
語り尽くせぬ言葉が溢れる一方で、沈黙が訪れる。

6月

2

ユニコーンはノアの箱舟から追い出される

錬金術の話にユニコーンがよく出てくる。
ユニコーンは想像上の動物だとされているが、面白いのは東欧の民話。
ノアが箱船を作ったとき、ユニコーンも乗せたが、あまりにも暴れるので箱船から水の中へ放り投げたそうだ。
だから今ではユニコーンはいないという。
ユニコーンが陽の象徴だとすると、その意味がよくわかる。

5月

16

信じて待つこと

世の中では、信じられないことがたくさん起きている。
だからこそ、信じて待つことの価値が高まる。
信じて待っている人にはきちんと答えよう。

4月

22

賢者の石

賢者の石について、理系出身の僕は「馬鹿なことを考えていたな」くらいにしか思っていなかったが、ユングの『心理学と錬金術』を読んで唸ってしまった。
心の目で見ると現実は変わる。

4月

7

渝わる

「渝」
こんな字、見たことなかった。
ある本を読んでいたところ「渝わる」と出てきた。
「なにわるだ?」
「字統」を調べる。
載ってない。

PCで漢字を調べてインターネットで意味を引く。
読み方は「かわる」。
意味は「かわる」「かえる」「改まる」「あふれる」。

学研の「漢和大字典」によると「中身が抜けて入れ替わる」「水があふれでる」様をいうとのこと。
ニュアンスに凝るといろんな字が使われるようになるんだろうな。

3月

31

往還という言葉

ある日、「往還」という言葉を見かけた。
あまり見慣れない言葉だ。
調べると「道を行き来すること」とある。
または「行き来するための道」。
文章の前後関係から読み解くと「あの世とこの世を行ったり来たりすること」とか「ある意識から別の意識へ行ったり来たりすること」と読み取れる。
そういう意味でこの言葉を使うのか、と思っていたら、あちこちで似た意味で使われているのを見つける。
資本主義と次の社会、通常の意識と変性意識、コロナ前とコロナ後、あちこちで往還している。

1月

30

冬の冷え切った青い空

風が吹くと震え上がる、
厚着をしないと凍えてしまう、
そういう冬の冷え切った青い空の下、
手袋をして歩いて行こう。
人出の少ない砂浜や、
いまでは小さくなった畑の道を、
てくてくてくてく。
最後にコークスの焚かれたストーブのある、
木造のうちでコーヒーをすすろう。
それだけでひとは、幸せになれる。

1月

25

矛盾だらけの話

自分には矛盾がある。
話す相手によって違うことを言うことがある。
それはある程度仕方ないことだと思っている。
相手のことを思ってそう言って上げるのであれば、それは仕方ないことと言えるだろう。
では、自分の都合を優先するために話を変えることはどうだろうか?
自分の都合というのが具体的にどういうものかによって変わるだろう。
たとえば、こんなふうに考えることができる。
視点が自分の内側にあるか、外側にあるかで、判断が変わる。
常識では多くの場合、視点は自分の内側にあるものだ。
だけど政治家のような人間は、社会の視点という自分の外側に視点を持って行かざるを得ないことがある。
そういうとき、狡猾な人は外と内を混同して、話を曖昧にしてしまうことがある。
どういうときに内側に置き、どういうときに外側に置くべきかは、きっと「共感」という、いまの僕たちには少し曖昧な判断基準によって決められる。
それを厳格にできるものなのか、いまの僕にはよくわからない。
それはただ、各個人の心によるものと考える人が多数派だろう。

1月

2

新年明けましておめでとうございます

節目を付けるというのはいいこと。
日本はそのおかげで繁栄しているのだと思う。
混沌の中に節目を。
今年はそれがさらに求められるのだろうと思う。
内にも、外にも。

12月

16

InDesign2021

最新版のInDesignを手に入れて作業している。
初代InDesignにはものすごくお世話になった。
それは書籍用の編集ソフトだった。
それを使って何冊か本を編集した。
しばらく使ってないうちに、InDesignは進化し、電子書籍も編集できるようになった。
初代InDesignから20年も経ったのだ。
初代とは全く違うので小さなことにいちいちつまずく。
そもそも書式の設定はどうするかとか、ページ番号はどう付けるのかとか、縦中横をどう指示するかとか、ルビはどうふるかとか、その度に時間がかかる。
やっと目鼻を付けてスマホで見たら、なぜか表紙が二分割されている。
カーッ!
使いこなせるようになるのが楽しみ、と負け惜しみのようにつぶやく。

12月

9

日刊 気持ちいいもの No.00001〜No.01700

『日刊 気持ちいいもの』の最初の1700本をpdfにまとめたものをざっと読み直した。
忘れていたたくさんの気持ちいいものに出会えて良かった。
僕が書いたのだから、どれを読んでも気持ちいい感覚がよみがえる。
気持ちがブルーになったとき読むといい。
『日刊 気持ちいいもの』サイトのトップに置いてある。
読者登録した人はログインすれば読めます。

11月

5

豊さとはたくさんの意味に気づいていること

アメリカの大統領選は混沌としてきた。
いろんな人がいろんな意見を言うだろう。
そして、どの意見が本当は正しいのか、よくわからなくなっていく。
アメリカにはすでにたくさんの謎が存在する。
なぜケネディ大統領が暗殺されたのか。
911の本当の主犯は誰なのか。
なぜ大量破壊兵器のないイラクが攻撃されたのか。
挙げていけばキリがない。
そして、そのような政治の在り方は、世界全体を包んでしまっている。
残念というしかないが、そのことをきちんと知っておく必要がある。
たった一つの真理を求めていくと、解釈や立場、見方の違いによる意見の相違を許容することができなくなっていく。
どちらが正しいか、戦わざるを得なくなる。
解釈や立場の違いによって見方の相違が生まれてくることは仕方のないことだ。
それを許容できないと暴力が行使されてしまう。
立場が違えば意味や解釈が違うことを許容し、その違いを越えて共同するためには時間がかかるだろう。
しかし、その時間を取ることで、豊かな結果を得られるよう努力していかないと、地球環境は荒れ、人々は無意味に殺され、荒涼とした世界に直面しなければならないだろう。
どんな出来事にもいろんな意味が生まれてしまう。
そのことに深く気づかない限り、無意味な争いが続くだけだ。

10月

29

真如

「大乗起信論」に真如という言葉が出てくる。
わかったようでわからない言葉。
その人の立場や精神的段階によって意味が微妙に異なる言葉。
言葉とはいったいどんなものかが炙り出される言葉。

10月

23

意味をたくさん持つ

毎日気持ちいいものを書くことは気持ちいい。
毎日気持ちいいものを書くことは面倒だ。
毎日気持ちいいものを書くことは勉強になる。
毎日気持ちいいものを書くことは無駄なことだ。
毎日気持ちいいものを書くことは価値のあることだ。
毎日気持ちいいものを書くことは暇な人がすることだ。
毎日気持ちいいものを書くことは心の修養になる。
毎日気持ちいいものを書くことは意味がない。
毎日気持ちいいものを書くことは光を灯すことだ。
毎日気持ちいいものを書くことは闇を見つけることだ。
・・・
こうやって毎日いろんな意味を見つけ続けられることがとてもありがたいこと。
このような状況を生み出してくれた一切の存在、状況、宇宙に、深い感謝を捧げる。