7月

17

東大寺戒壇院の広目天像

幼い頃、居間に東大寺戒壇院の広目天像の写真が飾られていた。
どうしてこんな怖い顔した仏像の写真を飾っておくんだろうと思っていた。
一方で、パパに似ているとも思っていた。
親父が死んでエッセイを読んでいたら、誰かに広目天に似ていると言われたという話が出てきた。
知っていて飾っていたのかと思う。
自分に似ているという仏像の写真を飾るっていうのは、どういうつもりなんだろう?
広目天の写真をどこかで見る度にその疑問が浮かぶ。
まあ、単純に嬉しかったのかな?

7月

14

ジョージ・ウィンストンの「ディセンバー」

はじめて聞いたのは確か高ニか、高三の時。
通学していた高校のそばに「友&愛」というレンタルレコード屋があり、週に一度はかよっていた。
そこで見つけた。
当時は輸入盤しかなく、輸入してきた「ディセンバー」を貸し出ししていた。
雪面に白樺の表紙が印象的で、しかもわざわざ輸入盤を貸し出していたので、よほどいいアルバムかもと思い、聞いたことのないジョージ・ウィンストンというピアニストの演奏をはじめて聞いた。
最初の曲で大好きになった。
のちに日本版も発売され、レコードを手に入れて何度も聞いた。
それぞれの曲にいろんな思い出がある。
楽譜を入手して、自分でも弾いた。

6月

30

2020東京オリンピック

僕は2020東京オリンピックができるのか、それの開催が決まったときから心配でした。
なぜなら、1940年に開催予定だった東京オリンピックを思い出したからです。
もちろん僕は生まれていません。
話を聞いて知っていただけです。
あのオリンピックが中止になったのは、日本がある役目を負ったからではないかと思ったのです。
そして、今回も。
これは僕の勝手な推測です。
欧米社会とアジア社会の結節点としてやりとりする内容は、決して言葉だけでは説明のしようがない、複雑怪奇なものでしょう。
長年の摩擦や妥協が影響してる。
新型コロナウィルスが影を落としているように見えますが、それは見える部分の問題であって、本当の問題は、見えない部分にあるのだと思います。
どんなやりとりがなされるのか、観察していきたいと思います。

6月

28

モロカイ島

ときどき、モロカイ島を思い出す。
どこまでも続く土の道。
広い青空。
沖にはクジラ。
輝く星空。
小高い丘からは足元に星が見えた。

6月

18

ゆっくり漕いで速く漕ぐ

その泳ぎ方を僕はイルカから習った。
ゆっくりと漕いで加速して最後を速く。
水は最初から速く漕ぐと着いてこない。
最初はゆっくりと漕いで水が着いてくるのを待つ。
着いてきたら加速して、最後は速く。
でも、さじ加減が微妙。
同じようにやっても全然進まないこともある。
ぐーっと進めると気持ちいい。

6月

2

Moon Love

ヒロ川島のライブでMoon Loveという曲を聴いた。
チェット・ベイカーの十八番だったらしいが、メロディーはチャイコフスキー交響曲第五番第二楽章の頭に出てくるホルンのメロディーだ。
ジャズ・カルテットで演奏されるその曲を聴きながら、真冬の石神井公園を思い出していた。
池の表面が凍っていた。

5月

9

思い出のナシチャンプルー

2016年以来、バリ島に行ってない、
翌年にアグン山が噴火して、落ちついたら行こうと思っていたら、今度はコロナ騒ぎだ。
なので、バリ島のナシチャンプルーが食べたい。
都内のバリ料理屋さんに行ってもいいのだろうけど、バリ島で食べるのが一番。
あの、なんだかわからないものがたくさん入っているけど「おいしい」料理をまた味わいたい。

4月

20

Pasadena Park

大学生の頃、貸しレコード屋で借りてカセットに録音した。
それをずっと聞いていたけど、就職してからCDを買った。
アルバムに含まれるどの曲も好き。
ひさしぶりに聞くとうるっとするので、注意が必要。w

4月

13

一炊の夢

中学二年の時、国語担当の榊原先生が、担当した生徒全員と交換日記を始めた。
ひとクラスだいたい40名。
担当していたクラスは多分4クラスはあっただろう。
すると毎週160名と交換日記をしていたことになる。
凄く大変だっただろう。
その第一回の課題が「日記に名前を付けて、その理由を書け」というものだった。
僕は確かことわざ辞典のようなものを引いて、「一炊の夢」という言葉を見つけ、日記の名前を「一炊の夢記」とした。
そんなことはすっかり忘れ40年ほど経ってしまったが、ユングが解説を書いた「黄金の華の秘密」を読んでいたら、その本の訳者(湯浅泰雄)が書いた解説に「一炊の夢」を見つけた。
「黄金の華の秘密」の各章が「呂祖師曰く」で始まるのだが、「一炊の夢」はその「呂祖師」が邯鄲(かんたん)の村で盧生という青年に教えた話なんだそうだ。
だから別名「邯鄲の夢」ともいう。
さらにへぇと思ったのは、呂祖師のことを道教史上に残したのは全真教という教団なんだそうだが、そこの開祖は王重陽というひとだそうだ。
重陽の節句に生まれて「陽二」と名付けられた僕は「一炊の夢」から目覚めてしまいそうだ。

3月

21

大滝詠一に恋をして。

雑誌Penが大瀧詠一の特集を組んだ。
見つけてすぐに買った。
はじめて大瀧詠一を聞いたのは浪人中。
夏期講習の予約のため、予備校前に並んでいたとき、隣に並んでいた男が大きなラジカセを肩に担いで「ロング・バケーション」を聞いていた。
その男に「その曲は何?」と聞いて「おおたきえいいち」という人を知った。
以来、大瀧詠一はいつも僕のそばにいた。
大学生の頃に「イーチ・タイム」が出た。
「ペパーミント・ブルー」を何度も聞いた。
甘酸っぱい思い出がたくさんあるので、文章を書く時には聞くことができない。

3月

20

イチゴミルク

「まぁるくてちっちゃくて三角だ」を思い出す僕はかなりの歳ですが、ひさしぶりにイチゴを潰してミルクに浸して食べました。
イチゴ自体はよく食べるのですが、イチゴを潰すためのスプーンをその正しい使い方で使うのはひさしぶり。
昔はこれに砂糖をかけたけど、いまのイチゴは充分に甘い。

3月

17

シガール

ひさしぶりにヨックモックのシガールを食べた。
とても懐かしい。
ところが、幼い頃の記憶と少し違うところがある。
それは、穴の太さだ。
昔はもう少しだけ穴が太かった。
くわえたときにあの穴を通して息をした。
いまのシガールは息をするのには少し細い。
大人になってそんなことをしなかったから気がつかなかったが、幼い頃にはそういう変わったことをした。
それを思い出したのだ。
調べると、かつては手巻きだったが、いまは機械巻きになったそうだ。
昔と変わらぬ美味しさだが、幼い頃の思い出は、そういう些細なことを連れてくる。

3月

12

日光 その1

日光の気持ちよさは、何度書いても書ききれるものではない。
時と場所にもよるし、前後の状況によっても変わる。
それをときどき、ここに書き続けることにする。
いろんな日光の気持ちよさを感じていこう。

僕のBlogのタイトルは「水のきらめき」。
なぜそのようにしたのかはたくさん理由があって、これも書き切れない。
その理由の一つが、太陽の光のきらめきにある。
昔、年に一度は御蔵島に行っていたことがある。
目的はイルカと泳ぐこと。
1996年から2000年まで。
2000年に三宅島が噴火して行かなくなった。
御蔵島から三宅島がよく見える。
隣の島の人たちが避難して苦労しているのに、イルカと泳ぐ気にはならなかった。
御蔵島に行くと夕日の見渡せる高台に出て、よく夕日を眺めたものだ。
夕日の反射が太陽から僕に向かってまっすぐに海面を照らす。
光の道がキラキラと輝いていた。
心が洗われるような気がした。

3月

11

10年前の今日

10年前、3月1日から試運転した。
3月1日に1991回として、3月11日が2001回の正式稼働。
『日刊 気持ちいいもの』を再開した。
正式オープンの言葉とともに、以下のような文を流した。

—–

生きていること

生きていることは何よりも気持ちいいこと。
もし生きていなかったら
気持ちいいも、気持ち悪いもない。
「愛する」の反対が「憎む」ではなく、
「無関心」とマザーテレサは言った。
「気持ちいい」の反対が「無感覚」としたら
感覚を持てる「生きている」状態は
どれほど素敵なことだろう。
生きている限り、
気持ちいいことを感じていこう。

—–

朝の七時頃に配信して、その日の14時46分、東日本大震災が起きた。
翌日から気持ちいいとはいえない状況の中、「気持ちいいもの」を配信し続ける。
偶然だとはわかっていても、、、

3月

4

歳を取って知ること

歳を取って知ることは、若い頃には知りようがなかったこと。
そう思うと、若い人がさらにかわいく思える。
僕もあんなだったなと。

2月

28

黒い瞳、再び

渡辺貞夫の「黒い瞳」が流れてきた。
何度聞いてもうるっとする。
きっとこの『日刊 気持ちいいもの』にももう書いただろうなと思って調べてみる。
2002年6月14日に書いていた。
以下のようなものだった。

—–

黒い瞳
    
渡辺貞夫の曲に『黒い瞳』がある。
シンプルな詩、シンプルなメロディーを
中学生のコーラスが歌う。
バックはブラジルのパーカッション・チームと
ナベサダの率いるジャズバンド。
うまいとかへたとか、そんな域を遙かに超えて
なぜか心が震えてしまう。
音楽で大事なのは技術だけではないことがよくわかる。
ナベサダの問いかけに中学生たちが
全身全霊で答えている。

—-

これを読んでおやっ?と思う。
あの歌は中学生の声なのか?
すっかり忘れている。
調べると、栃木の中学生だということがわかった。
録音されたのは1997年頃、20年以上前だ。
あの歌を歌っていた中学生はもうアラフォーだ。
あの歌を歌うということが、どういう体験だったのか、聞いてみたい。

2月

21

TR-606

大学生の頃、ローランドのTR-606というリズムマシンで音楽を作っていた。
簡単な作りのリズムマシンだったけど、音は特徴的で良かった。
いまでもときどき、これはTR-606かな?と思う音に出会う。
最近ではローランドが、デスクトップミュージック用にPCに入れられるソフトを開発したが、至れり尽くせりで、かつてのシンプルさはない。
便利と言えば便利だが、かつてのシンプルなものでも結構苦労したので、いまの機能ではきっと音を選ぶだけで時間がかかりそうだ。
それが楽しいといえば楽しいが、思い出に浸りたい僕としては「前の方が良かった」と言いたくなる。
感覚が年寄りじみたな。w

2月

20

吉祥寺

吉祥寺の地図を見ると、いろんな思い出があふれてきた。
ここでこんなことがあった、あそこにあの人が住んでいた、ここで買い物したなどということ。
それで不思議に思う。
普段よく行く場所ではそんなふうにはならない、
たとえば、池袋の地図を見ても、たくさんの思い出があふれてくるとは思えない。
なぜ吉祥寺ではそんなことが起きるのか?
滅多に行かないからかな。
行くときはそれぞれに鮮明な理由があり、思い出が残るからかな。

1月

29

混合ワクチンの思い出

二種混合ワクチンか、三種混合ワクチンかは定かではないが、僕が幼い頃、母が混合ワクチンの接種を拒否してくれた。
後日、厚生省がそのワクチンの使用を中止した。
脳症などの副反応が報告されたからだ。
そのニュースが流れたとき、どのように僕への接種を拒否したかを話してくれた。
拒否などできる状態ではなかったそうだが、母は頑として拒否してくれた。
接種会場で半日、僕を抱えて立たされたとか。
その話を思い出すと、ありがたかったと泣ける。

12月

30

サバの味噌煮

ひさしぶりにサバの味噌煮を食べた。
懐かしい。
母がよく作ってくれた。
でも、幼い僕はあまりおいしいとは思わなかった。
サバの匂いが嫌だった。
あれから何年経っただろう。
いまではとてもおいしく感じられる。
なぜだろう?
味覚が大人になったからか、母に教育されておいしくなったからか、本当のところはよくわからないけど、母に「おいしい」と言えばよかった。

12月

30

ゴードン・ジン

最初によく飲んだお酒はジンだった。
うちのキャビネットに入っていたので、ときどき出して飲んでいた。
そうやってチビチビ飲んで味を覚えた。
バーでマティーニを作ってもらうとき、別のジンで作られると物足りないので、先に「ジンはゴードンで」と頼む。
ベルモットの違いはあまり気にならないのが不思議だ。
ひさしぶりにゴードンをボトルで買って、ニマニマ、チビチビ。

12月

25

クリスマス

クリスマスとは何か?
いろんな見方がある。
起源について調べると、ヨーロッパの宗教の歴史がわかるようになる。
日本の、一家庭でのクリスマスの解釈は、それとはまったく違う。
うちではとにかく何かをお祝いする機会だった。
プレゼントがあり、ごちそうがある。
父親は、そんなことしなくてもいいよと思っていたが、母親は子供のために奮起した。
だから、僕にとってのクリスマスは母親が頑張った思い出とともにある。
メリークリスマス。
母さんどうもありがとう。

12月

14

ミラーマンの歌

今朝、朝焼けを見た。
朝焼けを見るとふとこの歌を思い出す。
「朝焼けの光の中に立つ影は、ミラーマン」
だけど、その番組がどのような話だったのか、歌詞の続きがどうなるのか、まったく覚えてない。

12月

12

フィンガーチョコレート

レゾナンスCafeにフィンガーチョコレートが出てきた。
銀紙に包まれた細長いチョコ。
正確には細長い焼き菓子にチョコレートがコーティングされたもの。
小学生の頃、母がPTAの集会に出て帰ってくると、残ったフィンガーチョコがおみやげだった。

12月

11

ゴールドはパープルを愛してる

伊勢丹新宿店メンズ館二階のメンズクリエーターズに行って、山崎美弥子さんの作品を観た。
帰ってから12年前にモロカイ島で会ったときの写真を見直す。
その頃にはもうすでに水平線の絵を描き始めていた。
12年たちいまの絵となる。
いったい何枚の水平線を描いたのだろう?
そういう積み重ねがあの絵には込められている。
山崎さんの絵はどれも小振りだ。
その小さなキャンバスという窓から、遠くの水平線を眺めるのが好きなのだろう。
モロカイの家の窓からも、海が眺められた。
伊勢丹の会場で、大小二枚の作品を買っていた、お洒落な帽子を被った年配のご婦人がいた。
カウンターで二枚の絵を包装してもらうのを待ちながら、そわそわしていた雰囲気が可愛らしかった。
あのご婦人はきっと今ごろ、あの大小二つの窓から、未来の水平線を眺めているのだろう。