3月

31

15円の切符

西武池袋線桜台駅が幼い頃の最寄りの駅だった。
そこから電車に乗ってよく池袋に行った。
小学生になってはじめて切符を買ってもらった。
桜台駅から池袋まで、大人が30円、子供が15円。
15円の切符を握りしめ、池袋に行くのがうれしかった。

3月

31

和菓子

僕が幼い頃、桜台駅前に和菓子店があった。
そこでは毎日職人さんが和菓子を作っていた。
お茶を点てる母に連れられてよく行った。
その頃の和菓子屋さんはどこもお店の工房で作っていたように思う。
上生菓子はひとつひとつ丁寧に形を作る。
あんな繊細な作り物をしていくのは大変だろうと思っていたが、最近はあまり見かけなくなった。
もちろんデパートなんかに行けばあるだろうけど、昔はどこの駅にも一軒や二軒の上生菓子を出す和菓子屋さんがあったように思う。
最近はたいていは店舗だけで、どこかで作って持ってくる。
上生菓子があるお店は珍しくて、お饅頭とかせんべいとか、機械でも作れるようなお菓子が優勢になった。
売り子の背後にある窓から、職人の和菓子を作る姿をひさしぶりに見たい。

3月

23

おせっかいなおばあさん

相方と散歩がてらランチを食べに出かけた。
何年も前に相方がカナダに旅行したとき、お土産でフリースのベストをくれた。
ひさしぶりにそれをお揃いで着て出かけた。
裏道をふらふらとのんびり歩いていると、マスクをしたおばあさんが向こう側から歩いてきて、すれ違い様に「仲良しね、一緒の服着て」と言って歩き去っていった。
思わず笑ってしまった。
「昔はああいうおじいちゃん、おばあちゃんがたくさんいたね」
相方も「そうそう」という。
「私が膝上くらいのミニをはいていたら、『寒くないの』ってよくいわれた」
昔はそういう老人が多かった。
僕も冬に半ズボンをはいていると「元気でいいね」と何度か言われた。
いまはそういう人にはほとんど会わない。
僕が大人になったから話しかけにくくなったというのもあるだろう。
でも、年配の人が見知らぬ子供に話かけるというのは、以前より減ったのではないだろうか。
おせっかいなおばあさんに話しかけられ、ちょっとうれしかった。

3月

18

気持ちいいを引き寄せる

ひさしぶりにこの『日刊 気持ちいいもの』を再開した日、東日本大震災が起きました。
朝に創刊号を発信し、昼過ぎに大地震が起きたのです。
それから数ヶ月は苦痛や困難を感じながら「気持ちいいもの」を発信しました。
とてもいい修行でした。
いまもまた似た状態になってきました。
何か大きな発見があるのかも。

3月

13

コーヒーを淹れる

生まれてこの方、何回コーヒーを淹れたんだろう?
何百回ではきかない。
きっと何千回のオーダー。
毎日淹れたとして30年続けていたらと考えると、そろそろ一万回に近づいているかも。
大学生くらいまではインスタントコーヒーだったけど、就職してからはほぼ豆から淹れている。
そう考えると一万回になったかもな。
サイフォンはいちいち洗うのが面倒なので、ほぼいつもドリップで楽しむ。
最後にサイフォンで淹れたのはいつだろう?
10年くらい前かな。
こう書くと、ひさしぶりにサイフォンで淹れてみたくなる。
あのポコポコという音がいいよね。
サイフォンで淹れたのは数十回程度かな。
それ以外、ほぼいつもドリップ。
かつて実家には挽いた豆をセットすれば自動でコーヒーを淹れる簡単なマシンがあった。
懐かしいな。
今は手で淹れる。
挽き立ての豆にお湯を落とすと、フワッと豆が盛り上がるのがいい。
香りもたつ。
かつて母さんは僕がコーヒーを淹れると喜んでくれた。
だけど基本的にはコーヒーを好まなかった。
飲むときは胃にやさしいと言って牛乳を入れた。
僕も何杯も飲む時はその教えを守っている。
いまは相方に淹れている。
相方も喜んでくれるが、牛乳を好まないので僕のように何杯もは飲まない。

3月

8

サテン・ドール

マッコイ・タイナーと聞いてすぐに思い出すのが、『バラードとブルースの夜』に収められた「サテン・ドール」。
ジャズピアノで「サテン・ドール」を習ったとき、「お手本として聞くのは誰の演奏がいいか?」という質問に先生が教えてくれたもの。
「こうやるとモード奏法っぽくていいよ」と、コードとスケールの考え方から離れられない僕に、単一コードが指定されている小節の中にいくつもの違う和音をぶち込んだ演奏を教えてくれた。
「そんなことやっていいんですか?」という、ジャズの考え方からすればまったくとんちんかんな僕に「かっこよく聞こえれば何をしてもいいんだよ」という、めまいがする名言をいただいた。
他のアルバムではマッコイ・タイナ−はどんどんモダンジャズっぽくなっていったが、そういうのももちろんいいけど、僕にはデビュー三作目の「サテン・ドール」が、思い出とともに沁みる演奏だった。

2月

19

プールバー

最近では見かけなくなったプールバー。
かつてバブル真っ盛りの頃、夜の街にはプールバーがあったものだ。
バーボンのロックを小さなテーブルにおいて、白い玉をつき、順番を待つうちにすする。
ビリヤード台にかぶさるように屈み、指を立て、キューを突き出す色気と、ゲームの楽しさに浸った。
酒を飲みながら玉を突くあの音をまたいつかどこかで楽しみたい。

2月

8

バタン・ワル

ウブド王宮からサッカー球技場に向かって歩いていく。
球技場の手前の角を左に曲がり、坂を降りていくと、降り切った左側にバタン・ワルがある。
ウブドに行くと一度は寄りたいカフェ。
たいてい混んでいるが、入る余地はいつもある。
何がいいのかはっきりは言えない。
とてもおいしいという訳ではないが、そこそこおいしい。
一番は、居心地がいいのかな。
バリらしい騒音も心地よい。
壁にかかっている絵も好み。

1月

27

新しい音楽通論

中学生の頃に吹奏楽の編曲をしようと思い、『新しい音楽通論』という本を買った。
音大生用のテキストとして作られたそうだが、難しくて理解できないところがいくつかあった。
そのひとつが対位法。
ひさしぶりに出して読んだが、やはり対位法がわからない。
このまま理解できずに一生を終えそうだ。

1月

2

おせち料理

ほぼ毎年食べてきたおせち料理。
これを食べないと年が明けません。
コリコリとした食感の数の子。
甘い黒豆。
ちょっと固い田作り。
なくてはならない紅白のかまぼこ。
甘すぎて香りが嫌いな伊達巻き。
こちらも甘いけど嫌いではないきんとん。
お酢の具合によっておいしかったりおいしくなかったりする紅白なます。
あると豪華な伊勢エビ。
焼きたてはおいしい鯛の姿焼き。
冷えてもおいしい鰤の照り焼き。
甘くしない方が好きな車えびの艶煮。
最初に箸を付けることが多い昆布巻き。
ないと寂しい筑前煮。
今年もおいしくいただきました。

12月

27

いとしのテラ

No.03998で「テラ」について書いたが、それで思い出した杉真理の「いとしのテラ」。
ネットで探すと聞くことができた。
竹宮惠子の「地球(テラ)へ…」のヒットのあとだったため、タイトルだけでSF的なイメージが広がった。
歌詞の内容は失恋を思わせるが、SF的なイメージがうまくかぶっているので、生命と宇宙の壮大な交響詩のようにも聞こえる。

12月

12

アポロ

レゾナンスCafeのためにクララが作ってくれたケーキにアポロが添えてあった。
懐かしい。
何十年かぶりに食べたよ、アポロ。
1969年に発売されたお菓子だから、僕が八歳の頃。
お友達のお誕生日会なんかに行くと、お皿に盛ってあったアポロ。

12月

11

緑茶にミカン

この季節になれば、こたつを出して、そこに入り、お湯のポットを用意して、緑茶を飲みながらミカンを食べたものでした。
いまはうちにこたつはないけど、緑茶にミカンの季節到来。
ミカンにもっとも合う飲み物は緑茶ではないでしょうか?
紅茶と言う意見もあると思いますが、僕は幼い頃の思い出があるので、揺るぎなくミカンには緑茶ですね。
シャンパンや白ワインも合うかもしれないけど、毎日とか、たくさんは飲めません。

11月

27

鞄帰る

修理に出していた一澤信三郎帆布の鞄が帰って来た。
ところどころ縒れたり、色が抜けたりしているけど、一緒にいろんなところに行った相棒だ。
20年使っても修理してまだ使えるというのがありがたい。
肩かけバンドがボロボロになったので、交換してもらった。
交換する前に中国製の鞄を買ったが、数ヶ月で壊れてしまった。
壊れた部分を二回自分で修理したが、それでも壊れる。
力がかかる部分がうまく処理されてないために何度補強の縫い直してもまた壊れる。
20年使える鞄の凄さを思い知った。

11月

22

INDIGO

大学生から就職した頃まで、よくハイ・ファイ・セットを聞いた。
一番好きなアルバムはなんといっても「Pasadena Park」だったけど、たまたま「INDIGO」というアルバムを見かけた。
僕の記憶からはすっかり消えていた。
でも、「聞いたことがあるかも」という感触があったのでネット上にあったそれを聞いてみた。
完全に覚えている訳ではないけど、断片的にメロディーを覚えている。
聞いているうちに心がなんかザワザワする。
この曲と一緒に忘れた思い出があるのだろう。

11月

21

香港ペニンシュラホテル

40年ほど前に香港を旅行した。
当時は香港のペニンシュラホテルが世界最高のホテルだと言われていた。
学生だった僕たちは、そういう高級ホテルに恐る恐る近づき、一階のカフェでお茶をした。
階上のバルコニーで弦楽四重奏が演奏されていた。
当時は香港がまだ英国領で、何年か後には中国に返還されるといわれていた。
香港の人たちは香港に留まるか、国外に行くか、考えていた。
そんな香港の中で、最高に贅沢な、そして国際的な場所だったペニンシュラホテル。
いまはどのようになっているのか?
ホームページには警告文が掲載されている。

10月

15

お豆腐屋さん

昔、夕方になるとお豆腐屋さんが、自転車に乗ってやってきた。
「トーフ〜、トーフ」と聞こえる笛を吹きながら。
母はその笛が聞こえるとあわててボウルを抱えて化粧も気にせず外に出る。
「お豆腐屋さん、お豆腐屋さん」
お豆腐屋さんは自転車を押して歩いているからちゃんとつかまる。
「豆腐一丁お願い」
「あいよ」
荷台に乗せた大きな木の箱を開けると、そこにはたっぷり水が張られていて、中で豆腐がゆらゆらと揺れていた。
豆腐屋さんは一丁すくいあげ、母が持っていったボウルに豆腐を入れる。
その晩や翌朝の豆腐の味噌汁、時には湯豆腐や冷や奴になっていた。
のどかな生活が懐かしい。

10月

10

アイルランドの空

台風が近づいてきた空を見て、アイルランドの空を思い出した。
アイルランドは雨が多く、晴れている日は珍しく、良くて曇り空だという。
僕が行ったときには晴れた日が多かった。
そのとき、空にはいろんな形の雲が出ていた。
薄い雲に彩雲が出たこともあった。
雨がパラパラと降った日、ツイードのハンチング帽を買った。
帽子を買ったのはそのときがはじめてだった。

9月

25

アリンコを殺して学ぶこと

子供の頃、アリンコをたくさんつかまえてきてバケツに入れて、そこに水を入れた。
バケツから逃げるアリンコもいたけど、溺れるアリンコもいた。
いま考えるとよくあんな残酷なことしたなと思えるが、子供の頃の僕はそれが面白かった。
アリンコは、みんな一緒だった。
つまり個体識別できていない。
名前なんかない無名のモノたち。
いくら殺しても何も言わない。
だからいくら殺しても問題ない。
なんどかやって、もうそういう遊びはしなくなった。
大人になって会社に入り、大きなビルの高いところから、下を歩いている人たちを見た。
アリンコのようだった。
そして、そのアリンコのような人のひとりが僕だと思った。
簡単に殺されてはかなわない。
そう思っている人みんなで社会を作っている。

9月

12

エコなコテージ

昔、エコなコテージに泊まった。
建物の骨格が木造で、壁がテント地でできていて、明かりに裸電球がひとつだけ。
天井に大きな扇風機。
窓は、テント地に縫い付けられたファスナーを開けると網戸になっていた。
シャワーは屋根の上に水がたまる仕組みになっていて、日中に太陽の光で温める。
シャワーを出すときは天井から垂れていたヒモを引っ張るので片手が使えない。
片手でからだを洗うのは難しいのでヒモを付け足して足で操作できるようにした。
足の指にヒモを括り付け、足を床につけるとお湯が出る。
お湯を止めるときにはその足を上げる。
お湯がもったいないので片足になってふらふらしながらからだを洗った。
お湯は昼間ピーカンだと熱いくらいになるのだが、ある量を使うと水になる。
トイレは、うわべは水洗だが、肥料にするため紙以外は流すなと言われる。
そのときは覚悟して行ったから楽しかった。
不便を喜べた。

8月

28

地球交響曲第九番

1992年に完成した第一番からずっと見てきた地球交響曲。
今年2月に逗子でひさしぶりに第二番を見た。
そのときに龍村仁監督が来場し、お話しをした。
第九番の制作について触れていた。
交響曲第九番のジンクスというものがある。
クラシック音楽好きには有名な話だ。
ベートーヴェンが交響曲第九番を作って終わって以来、誰も交響曲は9作以上作れなくなったという。
マーラーは第九を作るのを避けるため『大地の歌』を作った。
そして、『大地の歌』の次に第九を作って人生を終える。
龍村監督もそのことを気にしているようで、冗談のように「次は第九だよ」と何度も言っていた。
後日、監督とお話しする機会があった。
そのときに「第一番を作ったときにはもう第九まで作るつもりだったのですか?」と聞いた。
すると監督はこう答えた。
「そこまでは作らなければならないと思っていたよ」
第一番から八番まで作り続けてきた地球交響曲。
第九を作って大きな節目とするつもりのようだ。
その第九にはベートーヴェンの第九が取り上げられる。
小林研一郎氏の指揮による演奏会の練習から本番までを撮影する。
『歌うネアンデルタール』を著したスディーヴン・ミズン博士が来日し、北海道と沖縄に行く準備をしているそうだ。
ミズン博士は『氷河期以降』という著書で縄文のことに触れている。
きっと何か関係があるのだろう。

8月

16

きれいな海でシュノーケリング

きれいな海でシュノーケリングしたい。
沖縄とかハワイとか、グレートバリアリーフも最高だった。
そういうところでシュノーケリングして魚やイルカを一緒に泳ぐ。
ムフフだ。
想像するだけで真夏の暑さの中、一瞬の涼が得られる。

8月

8

鬼押出し

浅間山が小規模な噴火を起こしたとか。
すぐに思い出したのが「鬼押出し」。
浅間山のまわりをごつごつした岩が取り囲んでいる。
かつて浅間山が噴火したとき流れ出た溶岩がそのようになったと聞いた。
行ったのは小学生のころだったかな。
今日のようにとても暑い日だったように思う。

8月

5

古いアイルランドのCD

98年だったかな、アイルランドに行った。
そのときに買ったCDをひさしぶりに聴く。
そのCDを買ったお店の雰囲気を思い出す。
トリニティ大学のそばだった。
そこでケルズの書を見て、有名な図書館に行った。
芝生の緑が美しかった。
小学生たちが社会科見学に来ていて写真を撮ったらはしゃいでいた。
音楽の中に記憶が閉じ込められていたようだ。

7月

12

未来の自分になってみる

多次元リフレーミングをするとき、いろんな時代の自分を思い出すのだが、未来の自分を思い出すということはあまりしてこなかった。
唯一していたのは死ぬときのこと。
ニュピに行き、まる一日半 瞑想していると、死ぬときのような感覚が生まれる。
実際にどうなるかはわからないが、それが死への練習になっていたような気がする。
死は暗闇のような場所に戻る体験。
何も分からない領域に入っていくこと。
そのとき、居心地いい感覚を持てるかどうか。