2月

19

アンクルトリス

最近のトリスハイボールのCFにアンクルトリスが登場する。
しかもイラストのままのアンクルトリスではなく、円筒形が基本のズンドウなアンクルトリス。
僕が子供の頃、うちにあの形の楊枝入れがあった。
きっとオマケでもらったのだろう。
そっくりな人形が出てきて懐かしい。
思い出の遠近法だな。

1月

11

サーキットを走る

かつてサーキットを走ったことがある。
いつもは速度制限があり、安全運転をするのが当然とされているが、いざどれだけ速く走ってもいいとなると、速度の上限は恐怖心との戦いになる。
速度を超過するとカーブが曲がれない。
タイヤをキュルキュルと軋ませながら、タイヤのこげる匂いを嗅ぎながら走る。

1月

8

犬のうんちを踏む

小学生のとき、ガキ大将とよく遊んだ。
そのガキ大将はときどき理不尽なことを言うので鬱陶しかったが、喧嘩するのも厄介なので、いい距離で付き合っていた。
あるとき何人かで帰る道すがら、ふざけあっていてつい犬のうんちを踏んでしまった。
ここぞとばかりガキ大将が「エンガチョ」と大声を出して逃げていったのでみんなもそれに従った。
このまま引き下がれば「エンガチョ野郎」に落ち着いてしまう。
ここは攻めるしかないと思い、ガキ大将を追いかけた。
「こっち来るな」といいながら逃げていくガキ大将。
袋小路に追いつめた。
「近寄ったら殴るぞ」というので、「わかった」と言った瞬間、僕は足を蹴り上げた。
靴に付いていたうんちがガキ大将の服や顔に飛んだ。
「お前何やってんだ」といいながらガキ大将は泣き出した。w
いい思い出だ。

12月

14

洗濯物を干す

朝起きて洗濯をして物干に干す。
今日のように晴れ渡っていると洗濯物がきれいに乾いていい。
キラキラの朝日が洗濯物を輝かす。
充電量の落ちたソーラー時計も一緒に日にさらしておこう。
ミーアキャットが朝日に向かって立つ気持ちがわかる気がする。
干したシーツで母さんとかくれんぼしたな。
子象がミルク飲むのに物干に干した大きな毛布の影からしか飲まなかったことを思い出す。
大きな毛布を母親象と思うそうだ。

11月

30

柿の季節

柿の季節になると相方が
柿の皮をむいて出してくれる。
そのときに毎年同じ話をする。
それは、父が柔らかい柿が好きで
母は固い柿が好きだったこと。
母が固い柿の皮をむいて出すと
父が「僕は柔らかい柿が好きだから
固いうちに皮むかないでよ」という。
すると母が
「この前柔らかくなるまで
 待ったんだから
 今度は固くてもいいでしょう」
と反論する。
その二人のやりとりを僕は隣で
毎回見ていた。
母は母で母だったし、
父は父で父だった。
柿の季節になるとする話。

9月

22

海におしっこ

広告会社に勤務していたとき、久米島へポスターの撮影に行った。
美人でキュートなキャンペーン・ガールがモデル。
スポンサーとカメラマンとその助手と衣装担当とヘアメークとコーディネーターと一緒に久米島から三十分ほど船で行った小さな島で撮影した。
海は驚くほど透明で、走るボートから10mほど下の岩がそのまま見れる。
ほかの船が通りかかると、海の底と船が一緒に見えて、まるで空中に浮いているかのようだ。
着いた島は木が一本も生えてなく、細長い楕円形。
真ん中が少し高くなっていて、そこに立つと島がすべて見渡せた。
周囲を歩くと数分で元の場所に戻れるような小さな島。
島の真ん中にビーチパラソルを立て、モデルさんの衣装やメークを整えた。
その島で撮影すべき衣装が何着かあった。
それらがすべて終わる前に曇ってしまった。
太陽が出てくるのを待つことになった。
スポンサーと僕は海に入った。
その島に行くのにみんな水着で行くことになっていた。
こんなことなら水中マスクも持ってくればよかった。
海に入ってもマスクがないので魚は見にくい。
すぐに飽きて海から出た。
島の真ん中でしばらく待ったがなかなか太陽が出てこない。
用を足したくなりコーディネーターにどうすればいいか聞いた。
「海でするしかないですね」
仕方ないので海辺に降りた。
島の真ん中の小高いところからキャンペーン・ガールがなんとはなしにこちらを見ている。
立ちションすると丸見えだ。
仕方ないので海に入っておしっこする。
しかし、普段と環境が違うせいかなかなか出てこない。
やっとなんとか出して、知らん顔で小高いところに戻った。
そこからおしっこしたところを見ると心臓が縮み上がった。
きらきらと輝いている海の表面が、おしっこしたところから沖へと向かって乱れた帯のようにゆらゆらと、わずかに輝きを変えている。
おしっこしたのがバレバレだ。
でも、注意して見なければただの海の表面にしか見えない。
あんなに遠くまで帯が届くとは思わなかった。
気づいたかなと思ってドキドキしていると、キャンペーン・ガールがすっと立ち「私も」と言い残して浜に降りていった。
しばらくして、乱れた帯の二本目が、沖に向かって流れて行った。

7月

1

懐かしい歌詞の一部

もらったメールに
懐かしい歌詞の一部を見つけた。
メールにはこうあった。

薄く切ったオレンジを
アイスティーに浮かべて
リゾートのプールサイドで
このメールを書いています。

やられたって感じ。
明らかに大瀧詠一の
「カナリア諸島にて」を
引用している。
メールの送り主は大学の同級生。
一緒にドライブの最中に
「カナリア諸島にて」をよく聞いた。
あいつはあいつなりに、
僕は僕なりに、
「ぼくはぼくの岸辺で生きて行くだけ」

4月

27

サンダルフォーのブルーベリージャム

昔、サンダルフォーの
ブルーベリージャムを食べた。
まだいまのように海外のジャムが
入ってくる前のこと。
たいていは明治屋やソントンの
厚紙容器入りジャムだった。
ガラスの瓶にブルーベリーの粒が
ゴロゴロ入っていて
なんかそれだけでも嬉しかったし、
そのうえ当時食べていたジャムより
格段おいしかった。
いまではおいしいジャムが
たくさんあり、
サンダルフォーの
ブルーベリージャムも
まあ普通のジャムになってしまった。
つまり、僕たちのスタンダードが
かつてより格段に
上がったということ。
まあおいしいサンダルフォーの
ブルーベリージャム食べながら
ムフフと思う。

4月

24

チョコベビーの空容器

3月18日にチョコベビーについて書いたが、
あれから少しずつ食べて、
一昨日食べ尽くした。
ちびりちびりと一ヶ月も食べ続けた。
それで容器が空になったので
捨てようとしたら、
ふと思い出したことがあった。
小学生の頃、
空になったチョコベビーの容器に、
蟻を捕まえて入れた。
何匹か捕まえて容器に密閉し、
その容器を思いっきり振った。
容器から出すと蟻はみんな
フラフラだった。
子供ってどうしようもないことをするなと思う。
自分でしたことだというのは棚に上げて。

4月

16

電話の変遷

電話する。
家族が取る。
本人につながる。

電話する。
留守番電話につながる。
折り返し電話がかかって来る。

ポケットベルに電話する。
折り返し電話がかかってくる。

ポケットベルに電話する。
返事がポケットベルに
暗号で返って来る。

携帯電話に電話する。
「あとで折り返す」といわれ
折り返しかかって来る。

電話する前にSNSで
何時に話ができるか
アポイントを取る。
その時間に話をする。

SNSにつながっているか確認し、
つながっていたらSNSの電話で
話をする。

いろんな方式があって
どれで話すかSNS上で
やりとりしてから話す。

便利になったのか不便になったのか
よくわからない。

4月

10

花崗岩片の話

中学生の頃、
僕が片思いしていた女の子がいた。
その子の名前をここでは
Kさんとしておこう。
僕にとってKさんは美人だったが、
友だちは「美人ではない」という。
確かに理知的に考えると
美人ではなかったかもしれない。
スタイルがいいとはいえなかった。
はっきり言うと、足が短いのだ。
それから指が短かった。
彼女はピアノがうまかった。
Kさんは
「ピアノを弾いたから指が短くなった」
というけど、それは違うだろうと
僕は思った。
鼻が鷲っ鼻だった。
昔話の魔女のような形の鼻だった。
こういうふうに言語化すると
美人ではないことが
強調されてしまうけど、
それでも美人は
いるのではないかと僕は思う。
実際Kさんはそうだったし。
そんなKさんを
なぜ僕が好きになったのか。
長らく謎だった。
好きか嫌いかの理由って、
いくらでもあとづけできると思うので、
本当の理由というのが
わからないでいた。
というか、そんなことは忘れていて、
最近では考えもしていなかった。
それがなぜか、この年になって、
ついさっき、
はっきりとわかったのだ。
なぜそんなことになるのか、
僕には理解が及ばない。
何が起きたのかというと、
山尾三省の文章を読んだからだ。
その文章はここにある。
「花崗岩片の話」という文章だ。
http://www.chiwakinomori.com/jiyu/198406.006jiyu.pdf
頭から読んで行って、
次の文章にさしかかったとき
ふと思い出したのだ。
ひらめいたといってもいいだろう。
僕がなぜ彼女を好きになったのか。
________

 またある初夏の早朝に、漁から戻
ってきた部落の男が、海そのものの
ように透きとおった青い鯖を投げて
くれる時、彼がそこに投げてくれる
ものはただの青い鯖ではない。そこ
に投げられたものが海という真理で
あり、海という愛であることを、見
ないわけにはいかないのである。
 日常生活の中にすべてがある。日
常生活の中に、すべての真理がある。
だからまた、日常生活の中に深い悲
哀も貌(かお)を現わすのである。
花崗岩片の話より 山尾三省
________

ここを読んでいたとき、
なぜか思いついた。
「彼女が大きな菊を栽培したからだ」
なぜそう思ったのか、
まったく脈絡がないので
僕にも理解しがたいことであるが、
そうだったからしかたがない。
「ひとはみんなそういうもの」と
一般化していいのかどうか
わからないが、
僕が特別な例だとは思わないから
きっと多くの人も
そうなのではないかと思う。
よくわからないときに、
よくわからないことを
不意に思い出す。
そしてそれが何か
特別な真理かのように思えてしまう。
中学生の頃、科学か家庭科か、
菊を栽培するという授業があった。
家に持ち帰り菊を栽培する。
僕が育てた菊は
小さな花しかつけなかった。
一方で、Kさんの育てた菊は、
とても大きな菊の花をつけた。
「すごい」と僕は思った。
それが僕の恋の入口だったのだ。
なぜそんなことを思いついたのか、
くどいようだが
僕にはよくわからない。
きっと山尾三省の文章に
そういうことを思い出させる力が
あったのだろう。

4月

7

ふきの煮物

春になって蕗が売られていたので
買って煮物にしてもらう。
少し苦味があってうまい。
しゃくっていう歯ごたえもいい。
子どもの頃、
母の作ったふきの煮物に
「おいしくない」と
文句をいっていた。
母は
「大人になるとおいしくなるの」
と言い続けていた。
「まさか」と思っていたけど、
本当だった。
文句を言い続けていた僕に、
「大人になるとおいしくなるの」
と言い続けてくれた母へ
いまさらながら感謝。

4月

5

梟サブレ

今年も秩父今宮神社の龍神祭と
水分神事に参拝した。
秩父今宮神社はかつて
今宮坊と呼ばれ、
神仏習合の一大霊場だった。
明治維新の神仏分離令で
各神社仏閣は独立する。
このとき大宝年間に役小角によって
勧請されたという八大龍王神のお祭、
龍神祭は幕を閉じる。
しかし、平成七年、
そのお祭りは復活した。
龍神祭は午前中におこなれ、
午後に水分神事がおこなわれる。
水分神事は、秩父神社から神官らが
今宮神社の境内にある
龍神池のご神徳を
いただきに来る神事で、
水幣を渡すことで象徴されている。
秩父神社の神官らは水幣を持ち帰り、
秩父神社の鳥居の前に藁で作った
龍の水口にそれを刺し、
龍のご神霊が行き渡った境内で
田植えを模した所作をおこなう。
無事に実際の田植えが終わり、
秋に実りが得られると、
そのお礼にと秩父夜祭をおこなう。
日本三大曳山祭のひとつである
秩父夜祭は、平成28年
ユネスコ無形文化遺産に登録され、
さらに人が集まるようになったが、
その祭は、
ご神体である武甲山に、
恵みをもたらしてくれた
龍神様をお返しするのが目的だ。
行進する曳山の先頭を行く神輿に
龍の水口が乗る。
この一年の営みの最初となる神事が
水分神事である。
この神事に秩父神社から
御神幸行列して来た人たちの背中に、
フクロウの絵が描かれていた。
「なぜフクロウ?」と思い、
秩父神社に行き、
御田植神事を見たあとで
境内の裏にまわると、
そこに「北辰の梟」がいた。
社殿裏にある木彫の梟。
なるほど、これを担いで来たのか
と思い、境内から出ると、
目の前のお菓子屋さん八幡屋本店に
「梟サブレ」という
ポスターが出ていたので
思わず買ってしまった。
鎌倉・豊島屋の鳩サブレーを
思い出す。

4月

4

トランスジェンダーの日

4月4日といってすぐに思い出すのは
小学校の同級生だったT君の誕生日。
いまだに数年に一度会うけど、
彼が小学生の頃、
「僕の誕生日はおかまの日だ」と
いうので、「なぜ?」と聞くと
「だって、桃の節句と端午の節句の
 丁度中間だから」というので
笑った。
それが現実になったからかどうかは
知らないけど、
今日はトランスジェンダーの日だという。
当事者の人たちには
「おかま=トランスジェンダー」
という、誤った認識が広がることを
恐れて、別の日にしようと
しているらしい。
僕はその誤った認識を
小学生以来していたということだ。
では、どう認識したらいいのか?
ひとりひとり別のことのようなので、
そういう知り合いができたら、
その本人に聞くしかなさそうだ。
そもそも
「この人はトランスジェンダーです」
と区別するべきかどうかも
僕にはよくわからない。
「私はトランスジェンダーよ」と
胸を張っていう人もいれば、
「そんなレッテル貼らないでよ」と
思う人もいるだろう。
そういう未知なる考えと
遭遇する日?

4月

2

忘れてしまうもの

『日刊 気持ちいいもの』に
書こうとするものをよく忘れてしまう。
前の晩「よし明日はこれを書こう」
と決めても、
翌朝には忘れてしまうことが
よくある。
「そりゃ歳だろう」と
誰でも思うだろうが、
それだけでもない。
ここに書こうとしているのは、
レッテルの再現ではないのだ。
たとえばこの文章は
「忘れてしまうもの」という
タイトルだが、
タイトルだけでこれから僕が
どんなことを書こうとしているのかは
多くの人にはよくわからないと思う。
だいたい「忘れてしまうもの」を
気持ちいいだなんて思う人は
少ないだろう。
でもそれを
気持ちいいものとして感じ、
その気持ちよさを書くためには
多くの人に言語化されていない、
わかりにくいことを
わかるように書かなければならない。
そうすると、僕自身にもまだ
言語化されてないことなので、
それは簡単に失われてしまう。
「これ気持ちいいな」と
思ったものが、
すでに言語化されていて
「この感覚」と明示できれば
その「気持ちいいもの」は
簡単に書ける。
ところが「気持ちいいもの」が
明示しにくい、
一般には言語化されてないことに
気持ちよさを感じてしまうと、
それを覚えておくのが難しい。
それを文章に書くのは、
まるで手に掬った水を運ぶようだ。
今回の気持ちいいものは、
たまたま書く直前に思いついたので
掬った水を
無事に文章へと運び終えそうだが、
前日にこんなことが思い浮かんで
「気持ちいいな」と思っても、
なかなか文章にはできずに
忘れてしまう。
今日は「きっと忘れてしまうな」と
思うことが文章化できて、
とても気持ちいい。
いままで忘れてしまった物事に
しみじみと哀悼を思う。

1月

22

雪が積もる

子供の頃、雪が積もるとなると
それだけでそわそわした。
早く降ってくれないかな、
積もってくれないかなと。
もし雪が積もれば雪合戦をしたし、
雪だるまを作ったり、
雪の上を滑って遊んだ。
大人になると
そんなことはしなくなったが、
心の片隅に
「したいやりたい」という
ウキウキした気分が残っており、
雪の日には
何かやらかしてしまいたくなる。

1月

15

絵本の記憶

甥に子どもが生まれた。
クレヨンハウスに頼んで
毎月絵本を届けてもらうことにした。
それで自分が読んだ絵本のことを
思い出そうとする。
母の言葉によれば、
幼稚園で売られていた絵本は
ほとんど買い、それでも足らなくて
本屋でも買っていたという。
たけど僕はそれを何も覚えていない。
たった1冊
「小さな王様の大きな夢」
という絵本だけ
妙に詳しく覚えている。
小学一年か二年の時に読んだ絵本。

1月

11

トランプの国

小学一年の頃、
母の知人の俳優さんが
「トランプの国」とか言う
子ども向けの演劇をしたので
見に行った。
いまにして思えば豪勢な舞台だった。
主人公の姉弟がいる。
弟が降った雪を食べて、
なぜかトランプの国に行く。
そこはその名の通り
トランプのキャラクターが
城を守っている。
そこでどんな事件が起きるのかは
忘れてしまったが、
姉弟で難局を乗り越えていく。
そのときのテーマ曲を
いまだに覚えている。
「ごまかし札はやっつけろ
 ジャックとクイーンも勢揃い
 ハートの国のカーニバル
 さあさあジャックのお出ましだ
 今日は楽しいカーニバル」
という歌だった。
はじめて見た舞台だったので
興奮したのを覚えている。
あれから50年ほどたち、
実際にアメリカが
トランプの国になるとは
夢にも思わなかった。

1月

5

ウエハース付きアイスクリーム

最近、ウエハース付きの
アイスクリームを食べた覚えがない。
アイスクリームだけの
アイスクリームを食べてないのだ。
パンケーキに載っていたり、
パフェになっていたり、
お皿にいろんな
ケーキと盛られていたりして
食べることは食べるが、
アイスクリーム単体を
飲食店では頼まなくなった。
かつてアイスクリームは
貴重品だった。
僕の子供の頃にはアイスクリームは
滅多に食べられないごちそうで、
母さんはうちの冷蔵庫で
作ってくれた。
だから外食して食べる
ウエハース付きアイスクリームは
思い出すだけで
目がキラキラするような食べ物で、
夢に出てくるような
類いのものだった。
いまではいつでもどこでも
食べられるので、
わざわざ単品でウエハースを付けて
食べることはなくなった。
だからこそ、
ウエハース付きアイスクリーム
と聞くと、かつての
ごちそうだった頃の
アイスクリームを思い出す。

1月

4

黄金銃を持つ男

「007 黄金銃を持つ男」という
映画が公開されたのは
僕が中学生の頃。
正月映画として公開され、
父と見に行った。
見に行く直前、出掛けに
どんな理由かは忘れてしまったけど、
父が母と喧嘩した。
映画を見終わって、
帰りの丸の内線の中で
こんな話をした。
「母さんまだ怒っているかな?」
「どうかね」
「現実は映画みたいに行かないね」
「そうだな」
母さんの誕生日のことを思い出して
次に思い出したこと。

1月

3

母の誕生日

今日は母の誕生日。
母が好きだったものを思い出す。
黄色い車
生け花
お茶
お酒
ミシン
帽子
ハワイ
ミツコ
など。
生きていれば90歳だ。