12月

12

アポロ

レゾナンスCafeのためにクララが作ってくれたケーキにアポロが添えてあった。
懐かしい。
何十年かぶりに食べたよ、アポロ。
1969年に発売されたお菓子だから、僕が八歳の頃。
お友達のお誕生日会なんかに行くと、お皿に盛ってあったアポロ。

12月

11

緑茶にミカン

この季節になれば、こたつを出して、そこに入り、お湯のポットを用意して、緑茶を飲みながらミカンを食べたものでした。
いまはうちにこたつはないけど、緑茶にミカンの季節到来。
ミカンにもっとも合う飲み物は緑茶ではないでしょうか?
紅茶と言う意見もあると思いますが、僕は幼い頃の思い出があるので、揺るぎなくミカンには緑茶ですね。
シャンパンや白ワインも合うかもしれないけど、毎日とか、たくさんは飲めません。

11月

27

鞄帰る

修理に出していた一澤信三郎帆布の鞄が帰って来た。
ところどころ縒れたり、色が抜けたりしているけど、一緒にいろんなところに行った相棒だ。
20年使っても修理してまだ使えるというのがありがたい。
肩かけバンドがボロボロになったので、交換してもらった。
交換する前に中国製の鞄を買ったが、数ヶ月で壊れてしまった。
壊れた部分を二回自分で修理したが、それでも壊れる。
力がかかる部分がうまく処理されてないために何度補強の縫い直してもまた壊れる。
20年使える鞄の凄さを思い知った。

11月

22

INDIGO

大学生から就職した頃まで、よくハイ・ファイ・セットを聞いた。
一番好きなアルバムはなんといっても「Pasadena Park」だったけど、たまたま「INDIGO」というアルバムを見かけた。
僕の記憶からはすっかり消えていた。
でも、「聞いたことがあるかも」という感触があったのでネット上にあったそれを聞いてみた。
完全に覚えている訳ではないけど、断片的にメロディーを覚えている。
聞いているうちに心がなんかザワザワする。
この曲と一緒に忘れた思い出があるのだろう。

11月

21

香港ペニンシュラホテル

40年ほど前に香港を旅行した。
当時は香港のペニンシュラホテルが世界最高のホテルだと言われていた。
学生だった僕たちは、そういう高級ホテルに恐る恐る近づき、一階のカフェでお茶をした。
階上のバルコニーで弦楽四重奏が演奏されていた。
当時は香港がまだ英国領で、何年か後には中国に返還されるといわれていた。
香港の人たちは香港に留まるか、国外に行くか、考えていた。
そんな香港の中で、最高に贅沢な、そして国際的な場所だったペニンシュラホテル。
いまはどのようになっているのか?
ホームページには警告文が掲載されている。

10月

15

お豆腐屋さん

昔、夕方になるとお豆腐屋さんが、自転車に乗ってやってきた。
「トーフ〜、トーフ」と聞こえる笛を吹きながら。
母はその笛が聞こえるとあわててボウルを抱えて化粧も気にせず外に出る。
「お豆腐屋さん、お豆腐屋さん」
お豆腐屋さんは自転車を押して歩いているからちゃんとつかまる。
「豆腐一丁お願い」
「あいよ」
荷台に乗せた大きな木の箱を開けると、そこにはたっぷり水が張られていて、中で豆腐がゆらゆらと揺れていた。
豆腐屋さんは一丁すくいあげ、母が持っていったボウルに豆腐を入れる。
その晩や翌朝の豆腐の味噌汁、時には湯豆腐や冷や奴になっていた。
のどかな生活が懐かしい。

10月

10

アイルランドの空

台風が近づいてきた空を見て、アイルランドの空を思い出した。
アイルランドは雨が多く、晴れている日は珍しく、良くて曇り空だという。
僕が行ったときには晴れた日が多かった。
そのとき、空にはいろんな形の雲が出ていた。
薄い雲に彩雲が出たこともあった。
雨がパラパラと降った日、ツイードのハンチング帽を買った。
帽子を買ったのはそのときがはじめてだった。

9月

25

アリンコを殺して学ぶこと

子供の頃、アリンコをたくさんつかまえてきてバケツに入れて、そこに水を入れた。
バケツから逃げるアリンコもいたけど、溺れるアリンコもいた。
いま考えるとよくあんな残酷なことしたなと思えるが、子供の頃の僕はそれが面白かった。
アリンコは、みんな一緒だった。
つまり個体識別できていない。
名前なんかない無名のモノたち。
いくら殺しても何も言わない。
だからいくら殺しても問題ない。
なんどかやって、もうそういう遊びはしなくなった。
大人になって会社に入り、大きなビルの高いところから、下を歩いている人たちを見た。
アリンコのようだった。
そして、そのアリンコのような人のひとりが僕だと思った。
簡単に殺されてはかなわない。
そう思っている人みんなで社会を作っている。

9月

12

エコなコテージ

昔、エコなコテージに泊まった。
建物の骨格が木造で、壁がテント地でできていて、明かりに裸電球がひとつだけ。
天井に大きな扇風機。
窓は、テント地に縫い付けられたファスナーを開けると網戸になっていた。
シャワーは屋根の上に水がたまる仕組みになっていて、日中に太陽の光で温める。
シャワーを出すときは天井から垂れていたヒモを引っ張るので片手が使えない。
片手でからだを洗うのは難しいのでヒモを付け足して足で操作できるようにした。
足の指にヒモを括り付け、足を床につけるとお湯が出る。
お湯を止めるときにはその足を上げる。
お湯がもったいないので片足になってふらふらしながらからだを洗った。
お湯は昼間ピーカンだと熱いくらいになるのだが、ある量を使うと水になる。
トイレは、うわべは水洗だが、肥料にするため紙以外は流すなと言われる。
そのときは覚悟して行ったから楽しかった。
不便を喜べた。

8月

28

地球交響曲第九番

1992年に完成した第一番からずっと見てきた地球交響曲。
今年2月に逗子でひさしぶりに第二番を見た。
そのときに龍村仁監督が来場し、お話しをした。
第九番の制作について触れていた。
交響曲第九番のジンクスというものがある。
クラシック音楽好きには有名な話だ。
ベートーヴェンが交響曲第九番を作って終わって以来、誰も交響曲は9作以上作れなくなったという。
マーラーは第九を作るのを避けるため『大地の歌』を作った。
そして、『大地の歌』の次に第九を作って人生を終える。
龍村監督もそのことを気にしているようで、冗談のように「次は第九だよ」と何度も言っていた。
後日、監督とお話しする機会があった。
そのときに「第一番を作ったときにはもう第九まで作るつもりだったのですか?」と聞いた。
すると監督はこう答えた。
「そこまでは作らなければならないと思っていたよ」
第一番から八番まで作り続けてきた地球交響曲。
第九を作って大きな節目とするつもりのようだ。
その第九にはベートーヴェンの第九が取り上げられる。
小林研一郎氏の指揮による演奏会の練習から本番までを撮影する。
『歌うネアンデルタール』を著したスディーヴン・ミズン博士が来日し、北海道と沖縄に行く準備をしているそうだ。
ミズン博士は『氷河期以降』という著書で縄文のことに触れている。
きっと何か関係があるのだろう。

8月

16

きれいな海でシュノーケリング

きれいな海でシュノーケリングしたい。
沖縄とかハワイとか、グレートバリアリーフも最高だった。
そういうところでシュノーケリングして魚やイルカを一緒に泳ぐ。
ムフフだ。
想像するだけで真夏の暑さの中、一瞬の涼が得られる。

8月

8

鬼押出し

浅間山が小規模な噴火を起こしたとか。
すぐに思い出したのが「鬼押出し」。
浅間山のまわりをごつごつした岩が取り囲んでいる。
かつて浅間山が噴火したとき流れ出た溶岩がそのようになったと聞いた。
行ったのは小学生のころだったかな。
今日のようにとても暑い日だったように思う。

8月

5

古いアイルランドのCD

98年だったかな、アイルランドに行った。
そのときに買ったCDをひさしぶりに聴く。
そのCDを買ったお店の雰囲気を思い出す。
トリニティ大学のそばだった。
そこでケルズの書を見て、有名な図書館に行った。
芝生の緑が美しかった。
小学生たちが社会科見学に来ていて写真を撮ったらはしゃいでいた。
音楽の中に記憶が閉じ込められていたようだ。

7月

12

未来の自分になってみる

多次元リフレーミングをするとき、いろんな時代の自分を思い出すのだが、未来の自分を思い出すということはあまりしてこなかった。
唯一していたのは死ぬときのこと。
ニュピに行き、まる一日半 瞑想していると、死ぬときのような感覚が生まれる。
実際にどうなるかはわからないが、それが死への練習になっていたような気がする。
死は暗闇のような場所に戻る体験。
何も分からない領域に入っていくこと。
そのとき、居心地いい感覚を持てるかどうか。

7月

3

アイスピックの思い出

アイスピックのことをここに書こうと思った。
しかし、あまり記憶が明確ではない。
サラリーマンの頃、バーで丸い氷のロックを飲んだ。
あれをうちでも真似したかった。
それで、丸い氷ができる器を買った。
でも満足しなかった。
そこで大きな氷を作って、バーでやっているように削ってみようと思った。
だからアイスピックを買った、のだと思う。
しかし、いつどこで買ったのかはっきりしない。
もう二十年以上使っていることだけははっきりしている。
こうして記憶は失われていくのだな。
いいこともある。
自分にとって都合の悪いことは忘れてしまうということだ。
こうして僕は、自分が思うような理想的な人間になっていく。(笑)

6月

16

ミルクセーキ

牛乳と卵、それにバニラビーンズと氷を入れ、ミキサーにかける。
甘みはハチミツと黒砂糖を使った。
幼い頃、母がよく作ってくれた。
その頃はバニラビーンズが手に入らないので、バニラエッセンスを使っていた。
ひさしぶりに作ったミルクセーキは氷を入れすぎ、ソフトクリームのようにねっとりした。
相方がコップから飲もうとしてなかなか出てこず、思い切りのけぞったら一度に落ちてきて服を汚した。
それを見て笑ったあとに僕は、ステア用のスティックを出してかき混ぜて飲んだ。

6月

4

言えない思い

昨日の「日刊 気持ちいいもの」を書いて思い出したことがある。
それはまだ黛敏郎が「題名のない音楽会」の司会をしていた頃、「ビギン・ザ・ビギン」をテーマに番組を作ったことがあった。
その中で黛が「ビギン・ザ・ビギンはフリオ・イグレシアスの編曲で短調の部分がなくなり、芸術性が失われた」と主張した。
「ビギン・ザ・ビギン」の原曲には長調の部分と短調の部分があり、長調の部分でかつての恋の華々しい思い出を歌い、短調の部分で現在の失恋状態を思うという構成になっている。
それを黛は実際にオーケストラに演奏させて解説し、さきほどの主張をしたのだ。
それを聞いて、僕はうなってしまった。
黛の言いたいことはわかる、でもね・・・という、「・・・」の部分がうまく言葉にならなかったのだ。
それを30年もして思い出すのだから、「・・・」の部分はよっぽどのことだろうと思うのだが、そんなによっぽどのことでもない。
なにが「・・・」に含まれていたのか、やっと言語化できるようになった。
ようは「フリオ・イグレシアスの曲もいい」と言いたかったのだが、黛の説得力には勝てそうにないので黙っていたのだ。
いまなら反論できる。
フリオの曲は長調で歌っていても、すでに哀愁を帯びているのだ。
長調の部分と短調の部分が、長調の歌のなかにギュッとまとまって絞り込まれている。
開高健がエッセイに「(モダニズムとは)1.最高の材質。2.デサインは極端なまでにシンプル。3.機能を完全に果たす」と書いていたが、まさにそれだと。
でも、30年前でも本来なら「いいものはいい」それだけですんだのだろうけど、僕はそこで口を噤んだ。
そんな些細なことでも30年後に思い出すのだから、本当に恨みに思っていることなど、死ぬまで忘れないんだろうな、心の底では、と思った。

6月

3

ウンポコマス

僕が会社勤めをしていた頃、新潟に行ったとき、駅から乗ったタクシーの中で、フリオ・イグレシアスの「ビギン・ザ・ビギン」がかかった。
その頃丁度、キューピーかなにかのCFにこの曲が使われていて、誰が歌っているなんという曲か知りたかったので、そのときはじめて演奏者と曲名を知った。
「えっ! あのビギン・ザ・ビギンがこうなるの?」と驚いた。
そのとき、僕が知っていたビギン・ザ・ビギンは、パーシー・フェイスの演奏だけだった。
そのスペイン語の歌詞の中で「ウンポコマス」という部分がある。
何かのときにふっとその部分を思い出すのだ。
「ウンコ・ポマス」じゃないよ。
「ウンポコマス」
「もう少し」という意味なんだそうだ。
フリオの「ウンポコゥ〜マス」という節回しが好き。

5月

6

鯉のぼりが欲しかった

最近では個人宅で鯉のぼりを上げているのは見かけなくなったが、僕の幼い頃にはぽつぽつとそういう家があった。
青空にたなびく鯉のぼりを見上げては「いいなぁ」と思っていた。
だから、幼稚園や小学校で紙製の小さな鯉のぼりをもらっても「なんだかなぁ」と思っていた。
でもそのことを誰にも言わなかった。
両親が聞いたら落胆するだろうし、誰も喜ぶことはなくて、悲しむだけだろうから。
だからいまだに鯉のぼりを見上げるとその感情を思い出す。
あるとき友人が酒を飲んでいて「鯉のぼりが欲しかった」と話すのを聞いて、溜飲が下がる思いがした。

5月

4

江戸川乱歩全集の横尾忠則の挿絵

昭和44年に刊行が始まった講談社発行の「江戸川乱歩全集」の1、4、7、10巻に横尾忠則の挿絵が入っている。
僕が小学生の頃、父が買ってくれた。
「少年探偵団」とか「怪人二十面相」とか、そういうのが来るのだとばかり思っていたら、大人向けの濃厚な、エログロと言ってもいいような作品が15巻もやってきた。
小学生にこんなの読ませていいのだろうか?と思うような作品たち。
それを少しずつ読んでいった。
小学生には理解不能な作品が多かった。
それでも僕は『二銭銅貨』という比較的穏やかな作品を漫画に描いたりしていた。
その第一巻の横尾忠則の挿絵がとても怖かった。
「白昼夢」の挿絵も怖かったが、一番ぞっとしたのは「屋根裏の散歩者」の挿絵だった。
屋根裏にいる男が描かれているのだが、それがなんとも妖しい。
それがどのように妖しいのか、僕にはうまく書けない。
主人公らしい男の、目が少し寄っていて、口元の歯の間からよだれが垂れている。
だけど、その絵の奇怪さはそれに因ったものではない。
横尾忠則独特の色の濃くてのっぺりとした絵と、絵の上部にある花の写真のコラージュ、そのアンバランスから来るのかもしれない。
そのなんとも形容しがたい気味悪さに、何度も絵を凝視した。

4月

2

ボイルストン

大学生の頃から会社員だった頃まで通っていた店が高田馬場にあった。
バーボン専門店のボイルストンだ。
いつも何十種類かのバーボンが置かれていて、片っ端から飲んでいった。
そこで僕はバーボンの味を覚える。
残念ながら高田馬場のボイルストンは閉店してしまったが、数十年ぶりに本店のボイルストンに行った。
いまもたくさんのバーボンがある。
そこのオーナーの家には千本くらい、かつて名品といわれたボトルが保存されているそうだ。

3月

29

高い崖から綱一本で降りる

20代の頃、高い崖から綱一本で降りたことがある。
ハーネスを装着して綱を通し、そこを調節してスルスルと降りる。
降りる時はハーネスと綱が頼りで、あとは自分の姿勢が問題になるだけ。
おどおどしていると姿勢が悪くなって降りにくくなることが理解できたので、姿勢を保って降りていく。
崖を蹴って足が崖から離れた瞬間に金具を緩めてシュルシュルと降りる。
怖いという感情を手放す練習ができた。
降りる瞬間、爽快感が支配する。

3月

24

無重力状態とその疑似体験

フリーフォールで落ちる瞬間。
高い飛び込み台から飛び込むプール。
スキーでジャンプ。
自転車で降りる急坂。
エアポケット。
車で小山を越えて飛び上がる。
高い崖から綱一本で降りる。
透明な海にぽっかり浮かぶ。
あ、しまった。
ひとつずつ別の項目として書けば良かった。

3月

11

8年目

毎日書くと言いながら、書いたり書かなかったりして8年がたった。
8年前の今日、7年ぶりに「日刊 気持ちいいもの」を書き始めた。
そして、その日に東日本大震災が起きた。
もう8年がたったのかと思う。
最初に「日刊 気持ちいいもの」を書き出してからは20年がたつ。
あの頃は初代のiMacとPHSを使っていた。
PHSは普通の携帯より軽くて好きだった。

2月

19

アンクルトリス

最近のトリスハイボールのCFにアンクルトリスが登場する。
しかもイラストのままのアンクルトリスではなく、円筒形が基本のズンドウなアンクルトリス。
僕が子供の頃、うちにあの形の楊枝入れがあった。
きっとオマケでもらったのだろう。
そっくりな人形が出てきて懐かしい。
思い出の遠近法だな。