3月

8

サテン・ドール

マッコイ・タイナーと聞いてすぐに思い出すのが、『バラードとブルースの夜』に収められた「サテン・ドール」。
ジャズピアノで「サテン・ドール」を習ったとき、「お手本として聞くのは誰の演奏がいいか?」という質問に先生が教えてくれたもの。
「こうやるとモード奏法っぽくていいよ」と、コードとスケールの考え方から離れられない僕に、単一コードが指定されている小節の中にいくつもの違う和音をぶち込んだ演奏を教えてくれた。
「そんなことやっていいんですか?」という、ジャズの考え方からすればまったくとんちんかんな僕に「かっこよく聞こえれば何をしてもいいんだよ」という、めまいがする名言をいただいた。
他のアルバムではマッコイ・タイナ−はどんどんモダンジャズっぽくなっていったが、そういうのももちろんいいけど、僕にはデビュー三作目の「サテン・ドール」が、思い出とともに沁みる演奏だった。

3月

4

ジェントル・レイン

朝、相方が電話で誰かと話していた。
「今日の雨はジェントル・レインね」
それを聞いてキュンとする。
大学生の頃、僕はジャズピアノを習っていた。
「枯葉」の次に習ったのが「ジェントル・レイン」。
アストラッド・ジルベルトの歌を聴いたのはそのあとだった。
英語の歌詞がとても粋だった。

私たちふたり、互いにこの世でひとりぼっち。
やさしい雨の中、一緒に歩いてよ。
心配しないで、私はあなたの腕を抱え、ちょっとのあいだあなたの恋人になる。
あなたの涙が私の頬を伝うのを感じる。
やさしい雨の中。
おいで愛しい人、私を守って、ぬくぬくさせて、この悲しくてやさしい雨の中で。

2月

2

声に乗るもの

声にはいろんなものが乗ってくる。
感情、体調はもちろん、ささいな違和感も伝えてくる。
声というものはいろんなことを含んでくれる。
その不思議さ。
僕の声にもいろんなものが乗るのだろう。
隠しても無駄だ。

2月

1

秩父遥拝

今朝、テレビをつけたら矢野顕子が民謡を歌っていた。
なんかいいなと思っていたとき、ふと「秩父遥拝」を思い出す。
笹久保伸さんが秩父の機織り歌やまりつき歌、雨乞いの歌などを集めてアルバムにしたもの。
もう歌われなくなってしまった歌ばかり。
笹久保さんは「秩父前衛派」というアート集団を主宰している。
武甲山の破壊をやめろと訴えながら、さまざまなアート活動をしている。
武甲山は石灰が産出されるのでセメント会社が掘り続け、山の形が変わってしまった。
毎年秩父夜祭で人々はその山を祀る。
秩父の町を潤すためにやせ細った山。
笹久保さんは「おかしいだろう」と訴えながら、いまはもうほかでは聞けない歌を声を絞り出すように歌うとき、隠されてしまった魂たちが咆哮を始める。
失われた山容、鉱石、泉、草花、動物、古事記の時代から伝わってきた物語や祀られた神々。
あなたには聞いてほしい、その咆哮を。

1月

27

新しい音楽通論

中学生の頃に吹奏楽の編曲をしようと思い、『新しい音楽通論』という本を買った。
音大生用のテキストとして作られたそうだが、難しくて理解できないところがいくつかあった。
そのひとつが対位法。
ひさしぶりに出して読んだが、やはり対位法がわからない。
このまま理解できずに一生を終えそうだ。

12月

27

いとしのテラ

No.03998で「テラ」について書いたが、それで思い出した杉真理の「いとしのテラ」。
ネットで探すと聞くことができた。
竹宮惠子の「地球(テラ)へ…」のヒットのあとだったため、タイトルだけでSF的なイメージが広がった。
歌詞の内容は失恋を思わせるが、SF的なイメージがうまくかぶっているので、生命と宇宙の壮大な交響詩のようにも聞こえる。

11月

22

INDIGO

大学生から就職した頃まで、よくハイ・ファイ・セットを聞いた。
一番好きなアルバムはなんといっても「Pasadena Park」だったけど、たまたま「INDIGO」というアルバムを見かけた。
僕の記憶からはすっかり消えていた。
でも、「聞いたことがあるかも」という感触があったのでネット上にあったそれを聞いてみた。
完全に覚えている訳ではないけど、断片的にメロディーを覚えている。
聞いているうちに心がなんかザワザワする。
この曲と一緒に忘れた思い出があるのだろう。

8月

22

水滴の音

世界は一滴の水の音とともに始まった。
一滴の水の音が世界を変えた。
それ以上でもそれ以下でもない。
一滴の水の音とともに人は笑い、人は歌い、鳥は飛び、魚は群れをなす。
僕がそれを認識していなかっただけ。
一滴の水の音とともに宇宙は存在し、銀河は巡り、彗星は流れ、太陽は輝く。
一滴の水の音とともにあらゆることが起き、あらゆることが変化し、あらゆることが流れていく。
僕はその状況の中に浮かんで流されるだけ。
一滴の水。

8月

5

古いアイルランドのCD

98年だったかな、アイルランドに行った。
そのときに買ったCDをひさしぶりに聴く。
そのCDを買ったお店の雰囲気を思い出す。
トリニティ大学のそばだった。
そこでケルズの書を見て、有名な図書館に行った。
芝生の緑が美しかった。
小学生たちが社会科見学に来ていて写真を撮ったらはしゃいでいた。
音楽の中に記憶が閉じ込められていたようだ。

7月

24

スコアを読みながら第九を聞く

何十年かぶりにスコアを読みながら第九を聞いた。
スコアとはオーケストラすべての楽器の楽譜が書かれている譜面だ。
高校生まではいろんな曲のスコアを読みながらクラシックを聴いたものだ。
一番難しかったのは「春の祭典」。
きちんとついて行けるようになるのに3回くらい聞き直した。
「春の祭典」に比べれば第九のスコアは簡単。
実際には演奏されていても聴こえてこない音というものがある。
スコアを読むとそれがわかる。
どの指揮者のどのオーケストラの演奏だと、この音を強調するとかしないとか、そういうことがわかる。
とても面白い。

6月

7

声が出せる

三日ほど前、寝る前に喉がイガイガしていた。
うがいをして寝たが、それから三日の間にガラガラ声になってしまった。
「あー」と声を出すと、三種類の音が聞こえる。
出したい声と勝手に出てしまう別の音と、ガラガラと鳴るもうひとつの音。
こんなのははじめてた。
普通に声が出せるって、ありがたいことだったんだな。

6月

4

言えない思い

昨日の「日刊 気持ちいいもの」を書いて思い出したことがある。
それはまだ黛敏郎が「題名のない音楽会」の司会をしていた頃、「ビギン・ザ・ビギン」をテーマに番組を作ったことがあった。
その中で黛が「ビギン・ザ・ビギンはフリオ・イグレシアスの編曲で短調の部分がなくなり、芸術性が失われた」と主張した。
「ビギン・ザ・ビギン」の原曲には長調の部分と短調の部分があり、長調の部分でかつての恋の華々しい思い出を歌い、短調の部分で現在の失恋状態を思うという構成になっている。
それを黛は実際にオーケストラに演奏させて解説し、さきほどの主張をしたのだ。
それを聞いて、僕はうなってしまった。
黛の言いたいことはわかる、でもね・・・という、「・・・」の部分がうまく言葉にならなかったのだ。
それを30年もして思い出すのだから、「・・・」の部分はよっぽどのことだろうと思うのだが、そんなによっぽどのことでもない。
なにが「・・・」に含まれていたのか、やっと言語化できるようになった。
ようは「フリオ・イグレシアスの曲もいい」と言いたかったのだが、黛の説得力には勝てそうにないので黙っていたのだ。
いまなら反論できる。
フリオの曲は長調で歌っていても、すでに哀愁を帯びているのだ。
長調の部分と短調の部分が、長調の歌のなかにギュッとまとまって絞り込まれている。
開高健がエッセイに「(モダニズムとは)1.最高の材質。2.デサインは極端なまでにシンプル。3.機能を完全に果たす」と書いていたが、まさにそれだと。
でも、30年前でも本来なら「いいものはいい」それだけですんだのだろうけど、僕はそこで口を噤んだ。
そんな些細なことでも30年後に思い出すのだから、本当に恨みに思っていることなど、死ぬまで忘れないんだろうな、心の底では、と思った。

6月

3

ウンポコマス

僕が会社勤めをしていた頃、新潟に行ったとき、駅から乗ったタクシーの中で、フリオ・イグレシアスの「ビギン・ザ・ビギン」がかかった。
その頃丁度、キューピーかなにかのCFにこの曲が使われていて、誰が歌っているなんという曲か知りたかったので、そのときはじめて演奏者と曲名を知った。
「えっ! あのビギン・ザ・ビギンがこうなるの?」と驚いた。
そのとき、僕が知っていたビギン・ザ・ビギンは、パーシー・フェイスの演奏だけだった。
そのスペイン語の歌詞の中で「ウンポコマス」という部分がある。
何かのときにふっとその部分を思い出すのだ。
「ウンコ・ポマス」じゃないよ。
「ウンポコマス」
「もう少し」という意味なんだそうだ。
フリオの「ウンポコゥ〜マス」という節回しが好き。

5月

19

リコーダーの音色

中学校のブラスバンドの先輩で、リコーダーをいい音で鳴らせる人がいた。
リコーダーの音というものは、ピーとかプーとかいう音だと思っていたが、その人が吹くと見事にバロック音楽のような音になる。
ああいう音はきっといい楽器で吹くからそうなるので、学校で使っているような安物ではああいう音は出ないと思い込んでいたけど、違った。
「なんでそんな音が出るんですか?」と聞くと「こういう音だと思って息を抑制して吹くと出るんだよ」と言うのでやってみた。
確かにそれっぽく鳴る。
音色のイメージって大切。

5月

8

鼓動

赤ちゃんは母親の鼓動を聞くと落ち着いて眠るという。
だけど僕自身は鼓動を聞いても落ち着くとか気持ちいいとか思ったことがない。
今朝、目が覚めると、枕に耳をつけて、自分の鼓動を聞いていた。
トクトクと耳から鼓動が聞こえてくる。
夢心地のときに「鼓動を気持ちよく聞いているのか?」と思ったが、特に気持ちいい訳ではない。
そして思う。
「なんで自分の鼓動を聞いているんだ?」
それで目が覚めた。
夢の中では気持ちよかったのを、目が覚めてそうは感じなくなったのか。
ただたまたま鼓動を聞く状態になっていたのか。
感触としては自分の鼓動を確かめていたような感じがする。
なんにせよ、ボケた頭でつらつらと思った。
曖昧模糊とした言葉にならないようなことを考えるのが好き。
鼓動はその入口か。

4月

26

緑の地平線〜ホライゾン

『ナウ・アンド・ゼン』の次に出たカーペンターズのアルバム。
このアルバムの発売日、僕は風邪を引いて中学校を休み寝込んでいた。
しかし、このアルバムがどうしても早く聞きたかったので、母親の目を盗んで予約していたレコード屋さんに夕方に行って買った。
はじめて聞いたときには少し違和感があった。
それまでのカーペンターズとちょっと雰囲気が違うのだ。
でも何度か聞くうちに好きになった。
特に「アイ・キャン・ドリーム」の編曲が気に入った。
途中からストリングスが絡み、間奏をトロンボーンの和音で演奏する。
「ソリテアー」、「グッドバイ・アンド・アイ・ラブ・ユー」や「愛は木の葉のように」のような静かな曲が特に良かった。
「オンリー・イエスタディ」や「プリーズ・ミスター・ポストマン」ももちろんいい。
「プリーズ・ミスター・ポストマン」はビートルズも演奏していると聞き、後日聞いたが、ビートルズの演奏が幼稚に思えた。

4月

4

オン・ザ・ビーチ

渋谷のボイルストンではじめて知ったバーボンをすすっていたとき、クリス・レアの「オン・ザ・ビーチ」がかかった。
波の音から始まり、シンバルをブラシでこする音とともにギターがリズムを刻み、エレピが静かにうなる。
そして、クリス・レアの喘ぐような渋い声。
時代はバブルで浮かれていた頃。
なんでもうまく行くかのように思われた世の中は、次第にかげりを見せてきて、一番うまくいってないのは自分の心かもと思い始めた頃、一人の女性との些細な諍いに心痛める。
そんな気分にじっくり染み込む歌だった。

4月

3

対旋律

中学生の頃、レイ・コニフ・シンガーズの「やさしく歌って」を聞いて、その対旋律に興味を持った。
原曲にはないメロディーが最初に流れ、途中から盛り上がりのメロディーにそれが対旋律として絡む。
ジャズのアドリブと同じで、コードさえ保っていれば、どんなメロディーをいれてもいいのだと気づき、いろんなメロディーに対旋律を作って遊んだ。
あの頃はイージーリスニングのオーケストラがたくさんあって、同じメロディーにいろんな対旋律が聞けたので参考になった。
特にレーモン・ルフェーブルの「シバの女王」の対旋律には衝撃を受けた。

3月

12

PORTRAIT IN BLACK AND WHITE

ヒロ川島の新作CDが「PORTRAIT IN BLACK AND WHITE」。
この曲はウクレレのオオタサンとも録音している。
どちらもいい演奏だ。
だけど、なぜこの曲を何度も演奏するのか、その理由がこの新作アルバムのインナースリーブに書かれていた。
素敵な話だ。
ヒロ川島とチェット・ベイカーの見えないつながりは、とても濃厚で驚くばかりだ。
いくつかの逸話を聞かせてもらったが、インナースリーブにある話は聞いたことがなかった。
その話で、なぜヒロ川島がアルバムのタイトルに「PORTRAIT IN BLACK AND WHITE」を選んだのかがわかる。
インナースリーブの文章に近いエッセイがここで読める。
きっとこれを推敲してインナースリーブにしたのだろう。
http://www.lovenotesjoy.com/hiro/mono.html
これを読んで興味をもったら、アルバムを買うといい。
演奏とともに調えられた文章を読むと、じわっと来る。

1月

16

ある愛の詩

ひさしぶりに「ある愛の詩」のテーマ曲を聞いた。
とても懐かしい。
上映は僕が小学生のころだ。
兄がレコードを買ってきたので聴いた。
そののちいろんな人がカバーした。
僕もピアノで弾いたな。

1月

15

笹久保伸さんのギター

笹久保伸さんはギタリスト。
南米でギターを学び帰国する。
南米でどんなにギターがうまくなっても、何かが違うと感じていた。
その何かとは「出自」。
帰国して「秩父前衛派」を立ち上げる。
笹久保さんの出身は秩父だ。
秩父とは何かをアートに昇華していく。
笹久保さんの演奏しているギターをはじめて聞いてすぐに秩父を連想する人は少ないだろう。
しかし、いくつもの作品を聞いていくうちに秩父と笹久保さんのギターの音につながりが生まれてくる。

12月

26

水滴の音

水道から水が滴り、コップに落ちる。
その音に聞き入りながら水琴窟を思いだす。
一粒の水滴が空洞に豊かに響く。
水琴窟の水滴にはたくさんの生命が宿っている。
生命の歌が響く。
地球に満ちあふれた人類。
人類の歌も水滴に宿る命に伝えよう。
名のない命もともに繁栄するように。
形が違うだけの、遺伝子という名の複製子に支えられた仲間達。

12月

24

バストロンボーン

普通のテナートロンボーンより少し管径が太いので、響きが豊かで低い音を出しやすいトロンボーンのこと。
中学から高校までブラスバンドでバストロンボーンを吹いていたので、いまでもどこかでその音がすると耳がピピッと反応する。
ジョン・バリーが担当していた頃の007の音楽にはよくバストロンボーンの音がしてしびれた。
最近どんな音楽でもシンセサイザーでホーンの音が代用されていることが多くて悲しく思っている。
なので、実際のバストロの音がどこかから聞こえてくるとにやける。

12月

23

クリスマスソング

この季節になるとあちこちからクリスマスソングが聞こえてくる。
「ジングルベル」とか「リトル・ドラマー・ボーイ」など懐かしいスタンダード曲もあるが、ジャパニーズポップの定番もたくさんある。
どれが一番印象的かというと僕にとっては「ホワイトクリスマス」か山下達郎の「クリスマス・イブ」だな。
どの曲にせよ、キュンとする。

12月

12

新しい音楽と馴染み深い音楽

聞いたことのないような新しい音楽と、いつも聞いている馴染み深い音楽、どちらが好きか?
曲によるだろうから一般化はあまり意味がないかもしれない。
それでも考えてみる。
まず、最近の音楽にまったく新しい音楽というものがあるのだろうか?
たいていテンポが曲の頭から最後までほぼ同じである。
リズムもほぼ統一され、Aメロ、Bメロ、盛り上がりの部分程度の変化しかない。
つまり聞いている側が簡単に音楽に同調できるようにできている。
ストラヴィンスキーの『春の祭典』のようなはじめて聞いた人にショックを与えるような音楽は滅多に流行らない。
その点、馴染み深い音楽は記憶が助けてくれるから、少し複雑な音楽でも同調できる。
つまり、音楽に同調できるかどうかがとても大切な気がする。
はじめて聴いた曲でも好きになれるのは、なんとなくパターンが追えるからであり、ときどきパターンを追えなくなって裏切られるところに喜べるかどうか。
だから音楽を沢山聴いて、豊富なパターンを保持している人は、はじめて聴いた曲も簡単に好きかどうか判断できるのではないかと思う。