1月

16

ある愛の詩

ひさしぶりに「ある愛の詩」のテーマ曲を聞いた。
とても懐かしい。
上映は僕が小学生のころだ。
兄がレコードを買ってきたので聴いた。
そののちいろんな人がカバーした。
僕もピアノで弾いたな。

1月

15

笹久保伸さんのギター

笹久保伸さんはギタリスト。
南米でギターを学び帰国する。
南米でどんなにギターがうまくなっても、何かが違うと感じていた。
その何かとは「出自」。
帰国して「秩父前衛派」を立ち上げる。
笹久保さんの出身は秩父だ。
秩父とは何かをアートに昇華していく。
笹久保さんの演奏しているギターをはじめて聞いてすぐに秩父を連想する人は少ないだろう。
しかし、いくつもの作品を聞いていくうちに秩父と笹久保さんのギターの音につながりが生まれてくる。

12月

26

水滴の音

水道から水が滴り、コップに落ちる。
その音に聞き入りながら水琴窟を思いだす。
一粒の水滴が空洞に豊かに響く。
水琴窟の水滴にはたくさんの生命が宿っている。
生命の歌が響く。
地球に満ちあふれた人類。
人類の歌も水滴に宿る命に伝えよう。
名のない命もともに繁栄するように。
形が違うだけの、遺伝子という名の複製子に支えられた仲間達。

12月

24

バストロンボーン

普通のテナートロンボーンより少し管径が太いので、響きが豊かで低い音を出しやすいトロンボーンのこと。
中学から高校までブラスバンドでバストロンボーンを吹いていたので、いまでもどこかでその音がすると耳がピピッと反応する。
ジョン・バリーが担当していた頃の007の音楽にはよくバストロンボーンの音がしてしびれた。
最近どんな音楽でもシンセサイザーでホーンの音が代用されていることが多くて悲しく思っている。
なので、実際のバストロの音がどこかから聞こえてくるとにやける。

12月

23

クリスマスソング

この季節になるとあちこちからクリスマスソングが聞こえてくる。
「ジングルベル」とか「リトル・ドラマー・ボーイ」など懐かしいスタンダード曲もあるが、ジャパニーズポップの定番もたくさんある。
どれが一番印象的かというと僕にとっては「ホワイトクリスマス」か山下達郎の「クリスマス・イブ」だな。
どの曲にせよ、キュンとする。

12月

12

新しい音楽と馴染み深い音楽

聞いたことのないような新しい音楽と、いつも聞いている馴染み深い音楽、どちらが好きか?
曲によるだろうから一般化はあまり意味がないかもしれない。
それでも考えてみる。
まず、最近の音楽にまったく新しい音楽というものがあるのだろうか?
たいていテンポが曲の頭から最後までほぼ同じである。
リズムもほぼ統一され、Aメロ、Bメロ、盛り上がりの部分程度の変化しかない。
つまり聞いている側が簡単に音楽に同調できるようにできている。
ストラヴィンスキーの『春の祭典』のようなはじめて聞いた人にショックを与えるような音楽は滅多に流行らない。
その点、馴染み深い音楽は記憶が助けてくれるから、少し複雑な音楽でも同調できる。
つまり、音楽に同調できるかどうかがとても大切な気がする。
はじめて聴いた曲でも好きになれるのは、なんとなくパターンが追えるからであり、ときどきパターンを追えなくなって裏切られるところに喜べるかどうか。
だから音楽を沢山聴いて、豊富なパターンを保持している人は、はじめて聴いた曲も簡単に好きかどうか判断できるのではないかと思う。

12月

11

朝の足音

寒い空気の中、駅へと急ぐ足音。
車の走る音。
クラクション。
エンジンを吹かす音。
地下鉄の入口から階段を降りていく。
毎朝繰り返される重い足音。
気分を明るくするために聞く音楽が耳の中で鳴っている。
朝の足音をかき消すために。
何度も繰り返される朝の足音を
重く感じるようになったのはいつの頃からだろう。
入試を通過して始めて学校に行く朝、
足音は軽かったはず。
まわりの重い足音が可笑しかったはず。
いま僕は重い足音の群れのひとつ。
軽やかな足音を夢見ながら。
通った学校での心ときめく出会い。
知らないことを知る喜び。
一緒にバカをする仲間。
朝の足音を変えよう。
ピカソのように。

12月

5

鳥の声

思いがけなく鳥の声を聞く。
この季節に?
ありがたいと思う。
自分の心もときどきふと
何かが動き出す。
鳥の声と同じ。
ふふっと思う。

11月

27

映画『ボヘミアン・ラプソディー』

中学二年の時、僕はQueenのライブに行った。
場所は日本武道館。
1976年、二度目の来日ライブ。
「預言者の唄」が特に印象に残った。
間奏のコーラスと最後のギターソロにしびれた。
中二と言えばいろんなことが強烈な思い出として残っていて、
普段はすっかり忘れているようなことが
ときどき何かの拍子に飛び出してくる。
Queenの音楽はそのような思い出を
フラッシュバックさせる強烈なスイッチだ。
映画『ボヘミアン・ラプソディー』を見て、
たくさんのスイッチを一度に押された。
ストーリー自体も面白いものだが、
その感動とともにいろんなスイッチが押される。
僕はすっかり泣かされた。
ほかにも僕にはビートルズとかカーペンターズとか
スイッチが隠されている音楽がある。
それらの映画ができたら、
そしてそれの質が良かったら、
絶対またボロ泣きするんだろうなと思う。
この映画の成功で、
しばらくかつてヒットした音楽にまつわる映画が
作られるようになるのだろうと思う。

10月

19

初代iPod shuffle

2005年に買ったiPod shuffleが出てきた。
充電してスイッチを入れると
懐かしい曲が聞こえてくる。
曲を入れ替えることはできないけど
すでに録音してある曲を
聞き続けるのには問題ない。
今日、持ち歩いてみようかな。

8月

20

虫の声

夜になると秋の虫の声が
聞こえてくる。
窓から入ってくるいのちの交響曲。
夢見心地の耳に優しい。

7月

19

フルート

高校生の頃、安いフルートを買って
よく吹いていた。
今朝、それが夢に出てきた。
ひさしぶりに
フルート吹きたいと思う。
僕の持っていたフルートは
高校の後輩が貸してくれと
持って行った以来行方不明。

5月

28

月と木星

昨晩、うちに帰ると相方が
「月と木星が見えるよ」
というので空を見上げた。
薄雲がかかっていたが東南の空に
月に寄り添って木星が光っていた。
「木星って曲あったよね」
というので、三拍子の部分を歌った。
途中で相方も一緒に歌いだした。

5月

15

チェット・ベイカー没後30年

ジム・ホールと共演した『アランフェス協奏曲』をときどき聞いたが、
チェット・ベイカーのことはほとんど知らなかった。
それがファンになったのはヒロ川島と出会ってから。
川島さんはチェットと1986年の初来日の際に知り合いとなり、
不思議な縁を結ぶ。
昨日、5月13日はチェットの命日。
毎年この日にはヒロ川島が「CHET BAKER MEMORIAL NIGHT」をおこなう。
没後30年という節目にその音を聞きに行った。
川島さんはただチェットのファンだからと
MEMORIAL NIGHTをおこなっている訳ではない。
彼はチェットの楽器を譲り受けたのだ。
はじめてそのことを聞いたときは「なにそれ?」と思った。
その話を聞いたとき、彼はまだ会社員だった。
月に一度、練習のためにライブを開くという贅沢をしていた。
収入を得ていたという点ではプロだが、
音楽だけで生計がたっていた訳ではないので
セミプロという状態だった。
その彼になぜチェット・ベイカーが
本人の使っていた楽器を上げたのか?
いろいろと話を聞いてやっと合点した。

話は飛ぶが、昔々空海が唐に行った。
当時の空海はまだ無名で、
なぜ唐に行けたのかすら定かではない。
恵果和尚を訪ねると、空海の資質を見抜き
即座に奥義伝授を始め、半年ですべてを伝え、
恵果は入滅する。
もちろん空海はその後日本に帰り大活躍するのだが、
チェットと川島さんの関係に似たものを感じる。
チェットは1986年に川島さんと出会い、
1988年5月13日に亡くなる。
僕と川島さんは1996年に出会った。
ある日、僕の車の助手席に
川島さんを乗せ走っていると、
チェットと川島さんの不思議な話を
聞かせてくれた。
不思議な話はたくさんあるのだが、
そのひとつは確かこんなものだった。
チェットが亡くなりしばらくすると、川島さんの友人から
「チェットのいい曲だけ集めてカセットに録音してくれ」と頼まれた。
川島さんは録音されてないカセットを探すと、
ラベルに何も書かれていない一本のカセットを見つける。
よく見ると少しだけテープが進んでいたので
何か入っているのかな?と思い、そのカセットをかけてみる。
するとレコーダーから聞こえてきたのは、
英会話の練習テープのようだった。
「Repeat after me.
 Good by Mr.Baker.
 Good by Mr.Baker.
 Good by Mr.Baker.」
川島さんはそんな英会話教材を聞いたこともなかったし、
なぜそのように録音されているのかもわからなかった。
そんな不思議な話をいくつか聞かされ、
「本当かよ」と思ったし
それを口にすると
「本当なんだよ」と川島さんは叫んだ。
そのとき、車内でかけていた
ラジオの曲が変わった。
すると川島さんが「あーっ!」と叫ぶ。
「どうしたの?」と聞くと、
「この曲、ポップなんだけど、間奏の部分を
 チェットが吹いているんだ」
しばらくして、チェットの吹くアドリブが鳴り始めた。
そんなことがあったので、
今ではふたりの不思議な縁を疑うことはない。
何しろその後の川島さんの活躍は
チェットから楽器を託された意味を体現している。
チェットの生誕70年には
「JAZZ-Love Notes」という番組を
テレビ東京で2クールにわたりOn Airする。
ちなみにLOVE NOTESとはチェットが生前作りたいと言っていたバンド名。
それを川島さんは1989年に立ち上げ、いまも活動を続けている。
彼は30回「CHET BAKER MEMORIAL NIGHT」を続けてきた。
川島さんは普段別の楽器を使っている。
1年に一度「CHET BAKER MEMORIAL NIGHT」にチェットの楽器で演奏する。
素晴らしい供養だ。

5月

4

ケチャ

バリ島に行くと
ケチャをどこかでやっている。
声によってさざ波が生まれ、
そのモアレに頭がしびれる。
声の干渉は色彩をもたらし、
丸く座った男たちの上に
風を呼び起こす。
バリ島全体がキュビズムのように
視点の定まらない高次元立体物に
なっていく。
時を超え、場所を超え、
意味すらも超えた迷宮に包まれる。

4月

1

エイプリルフールズ

エイプリルフールになると思い出すのは、
「The April Fools」という曲。
「幸せはパリで」という映画の
テーマ曲。
パーシー・フェイスによる演奏が
とても好き。
一度聞くと何度も聞きたくなる。
女性のコーラスとストリング、
ホーンの伴奏、
そして、ちょっと拍子が狂うような
メロディーが絶品。
はじめて聞いた小学生の頃、
二声のコーラスが
突如一声になったり、
拍子が狂ったかな?と思う瞬間が
あるのがどうも気になったけど、
いまとなってはそここそが
いいところなんだな。

3月

30

桜の花びらを踏む

桜が散りだした。
桜の花びらが
たくさん集まっているところを
歩いた。
するとパリパリとわずかな音がする。
桜の花びらは
しっとりと水分を含んでいて
踏んでも音などしないと
思い込んでいたが、
実際には乾燥した花びらは
踏むとパリパリと音がするのだ。
50年以上
そのことに気づかなかったとは。

3月

25

Japanese music box

幼い頃、
両親と僕が寝ていた部屋の床の間に
木で作られた
水車小屋のミニチュアがあり、
中にオルゴールが仕掛けられていた。
屋根の一部を持ち上げると
水車が回り始め、
五木の子守歌が奏でられる。
そんなことはずっと忘れていたが、
ジョージ・ウィンストンの
Japanese music boxという曲を聴くと
そのことを思い出す。
ほぼ同じ編曲をピアノで奏でるのだ。

3月

17

目からウロコが落ちた音階感

僕がバリ島に興味を持ったきっかけは
ガムラン音楽だった。
それを聞いたとき鳥肌が立った。
いろいろと調べて行くと
ガムラン音楽は不協和音をたくさん
取り入れていることがわかってきた。
たとえば、一対の楽器があり、
同じ音を出すのに
わずかに調律をずらしている。
半音の半音にもならないようなズレ。
たとえば3Hzほど音が
ズレていたとしよう。
すると一秒に三回ほど
ワンワンワンとうなることになる。
そのうなりが
美しいという解釈なのだ。
だからわざとそれを出すようにセットする。
しかも楽団の所有している
楽器のセットごとにそのズレは違う。
同じ曲を演奏しても
楽団ごとにその印象は違うものになる。
だから楽団の楽器をひとつ取りだして
別の楽団の中で演奏するというのは
非合理なこと。
楽団の響きが変わってしまうのだ。
でも、その変わってしまった響きが
いいなら、それでよい。
純正律は簡単に転調ができない。
転調すると、すべての音が
微妙にズレるからだ。
(なぜかは純正律のことを調べて
 周波数を丁寧に計算していくと
 理解できます)
西洋の人たちは
それを何とかしようと
いろんな音階を生み出した。
でも、どんな音階も
正確には割り切れない。
うまく割り切れないのが
人間の世界だと解釈し、
生まれてくるうなりは
消すべきものと考えた。
もしすべての調が
うまく割り切れれば、
それは神の世界。
バリの音楽はそれほどまでには
厳密さを追及しなかった。
生まれてくるうなりを美しいものと感じた。
そしてそれこそが
神の世界を表しているとした。
理論的には西洋の考えのほうが
進んでいるが、
人間的にはバリの音楽の考え方で
充分だと思う。
結局西洋の人たちも
平均律を使うことに落ち着いたのは
そういうことなのだと思う。

3月

14

ドゥルパド

倍音声明というものがある。
みんなで声を出して
その響きを楽しむ。
ドゥルパドをはじめて聞いたとき、
それに似ているなと思った。
シタールの響きに合わせて詠唱する。
これを知ったきっかけは
2016年のニュピツアーに参加なさった
亜矢子さんだ。
ウダイ・バワルカールという
ドゥルパドの名手に
習っていると聞いた。
日本に帰ってくると、
バワルカールの映像が届いた。
http://bit.ly/2GqcfAZ
このバワルカールが日本で
最初で最後の演奏会を
おこなうそうだ。
詳細はこちら。
ときどきアクセスが集中すると
見られなくなるので、そのときには
しばらく待ってから見て下さい。
https://dhrupadjapan.org
facebookはこらち。
https://www.facebook.com/dhrupadsocietyofjapan/
これとは違うけど、
GarageBandに自分の声を
多重録音して、
響かせると気持ちいいですよ。
こういう響き合いが心地よいのは
動物の本能なのかな。
小さなバードホイッスルを
いつも持ち歩いているけど、
鳥のいそうなところで鳴らすと、
鳥も鳴き出す。

3月

11

山下達郎のサンデーソングブック

FMTokyoで毎週日曜日のプログラム。
ラジコで聞いた。
311から七周年と言うことで、
心を穏やかにするような
音楽を聴いた。
あるリスナーからのハガキに
311後に他人を非難する論調が
強くなったが、
私はあまりそれには乗れなかった。
達郎のコンサートで
「僕は音楽家なので、
 音楽でそれを表現します」
という言葉を聞き、
その通りだなと思った。
というような話が出てきた。
深く同意する。
その一方で、
言葉で表現する人にとっては、
非難のようになってしまうことも
仕方ないことだと思う。
どちらも同意するというのは、
いったいどういうことなのか。
その矛盾のような思いと
ただ一緒にいる。

3月

7

Horizon

カーペンターズのアルバム。
「オンリー・イエスタディ」
「デスペラード」などが
収められている。
どの曲もしっとりとした編曲で、
それ以前の
アメリカ的甘ったるい編曲から
脱皮していて驚いた。
といっても僕は中学生だったけど。
ここに収められている
「I Can Dream Can’t I」の
トロンボーンの間奏にしびれた。

2月

20

音楽をワクワクしながら聴く

最近音楽は、一定の料金を払うと
ずっと聞き続けられるサービスが登場し、
わざわざCDを買いに行ったりしなくなった。
でもそれでいいのかな?と思う。
一時期そういうサービスを
試しに受けたが、
音楽を聴いていて
あまりうれしくない。
ときどき素敵な音楽に出会えるのは
いいことだけど、
たいていの曲は僕にとって
退屈なものだ。
悪くはないけど、よくもない。
なぜそうなるのか?
僕の好きな音楽は、
それを演奏している
ミュージシャンのことを
多少は知っているからだ。
たとえ知らなくても、
好きになったら知りたいと思う。
ずっと聞き続けられる音楽サービスは
ミュージシャンの背景について
ほとんど知る機会なく流されて行く。
かといって、ひとつひとつ
調べて行くのも大変。
こう考えて行くと、
ただ音楽を聴いているということも、
本当に「ただ聴いている」のとは
違うことがわかる。
せっかく音楽を聴くなら
その曲に感動できる状態、
心が動く状態で聴きたい。

2月

19

あなたと夜と音楽と

ビル・エヴァンス「グリーン・ドルフィン・ストリート」に収められたスタンダード。
ドラムのリズムのみの前奏でいきなりメロディーが始まる。
その入り方がとても粋。
昔、煙草の宣伝に使われていてテレビから流れてきたとき「なんだこの曲は」と思い探した。
コマーシャルに感謝。

2月

6

水の音

気持ちいいものとして
何度も思い出すもののひとつに
水の音がある。
一滴だけ水滴が水面に落ちる音。
波の音。
せせらぎの音。
ちょろちょろ流れる水の音。
滝の音。
水琴窟の音。
泳いでいるときの音。
雨の音。
雨の音にもまたいろいろある。
どれも素敵。
なぜ水の音に心慰められるのだろう。