7月

7

四季〜ユートピアノ〜

1980年に製作されNHKで放映された単発ドラマ。
2000年を過ぎた頃に一度再放送された。
それを一度だけ見たのだが、とても印象に残った。
主人公の女性が調律師としていろんなピアノを調律していく。
淡々としたドラマだが、ピアノの音が印象に残った。
ピアノによってあんなにも音色が違うのかとはじめて知った。
もちろんピアノによって音の違いがあるのは知っていたが、置かれている場所によって響きが違う。
調律していくことでも音が変わる。
その些細な違いに気付かされていく。
ピアノの音が流れるたびに「うちのピアノの音と違うな」と思う。
うちのピアノの音と思い出の大切さをかみしめた。

7月

5

Jeff Peterson のギター

ホノルルのはずれを散歩していたとき、疲れたのでカフェにでも入ろうと思い、知らないホテル内のアーケードに入った。
そこにはCDショップがあり、ふらっと入るとギターの素敵な音が聞こえてきた。
きっとハワイアン・スラッキーギターだろう。
ハワイにはスラッキーギターの名手が何人かいる。
前にハワイに行ったとき、スラッキーギターの名手によるベスト盤のようなアルバムを買っていた。
店員に「この曲は誰のなんていう曲ですか?」と質問すると、カウンターに立てかけてあったCDケースを指差して「それだよ」という。
オレンジ色の丘の先に霧に包まれた暗い森が写っている抽象的な表紙だった。
「有名なひとなんですか?」
「いや、新人だよ。いい音だすよねぇ」
そこではじめて Jeff Peterson を知った。
飾られていた「Slak key Guitar ~ The Artistotry of Jeff Peterson」を買った。
以来、何枚かのアルバムを買い、朝によく聞く。

6月

19

雨の音

今朝は雨の音で目覚めた。
「雨の音だな」と思った瞬間、懐かしい歌を思い出した。
Listen to the rhythm of the falling rain.で始まる「悲しき雨音」。
でも、なぜこの歌を覚えているのかよくわからない。
かつてCMに使われていたので、出だしの部分を覚えているのは理解できるけど、ほぼすべての歌詞をなんとなく覚えている。
歌詞を見てすぐに歌えてしまうのだ。
レコードやCDは持ってない。
ラジオや街中で聞いたのを覚えていたのかな。

6月

10

ティンシャ

ヒーリング・ライティングのワークショップを始めた頃、いい音のティンシャが欲しくて、お店で見つけると鳴らしていた。
なかなか気に入った音のが見つからず、あるとき安曇野のシャンティクティで見つけて、それを使った。
10年ほど使って、バリ島で見つけたティンシャに変えた。
以前のものはひとに譲った。
ふたつの鐘の音程が微妙に違うのがいい。
ワウワウワウと、音のモアレが生まれる。
今使っているものも、かつて使っていたものも、すぐにその音を思い出すことができる。

5月

22

紺碧の空

twitterに「紺碧の空」を歌う学生たちの映像が流れて来た。
NHKの朝ドラ「エール」の一場面を切り取って流したもの。
とても懐かしい。
球場で、喉がかれるまで歌った。

5月

15

短調と長調

音楽には短調の曲と長調の曲がある。
大雑把に考えると、短調は悲しげで、長調は楽しげになる。
なぜそうなるのか、理由はわからない。
古事記や大嘗祭の研究をしている工藤隆博士が、中国の少数民族のなかに歌垣を残している部族を見つけ、その研究をした。
すると、創世神話をめでたいときと葬式のとき、両方で歌われることを知った。
文字に書くと同じに読めてしまうが、歌で聞くと内容が同じでも雰囲気が明らかに違ったそうだ。
言葉がはっきりと文字化され、意味が限定されていく以前の言葉は、表現の仕方によって楽しく感じられたり、悲しく感じられたりしたのかもしれない。
ここからは僕の勝手な推測。
そもそも言葉は、現実のものが存在したらそれに名前を付けて「なんとかだ」とするのは比較的簡単だったろうが、感情のようなものは、始原の言葉にはなく、雰囲気だけを伝えていて、それが歌のようになったのかもしれない。
それが歌垣に残ったということ。
それが長年の文化の堆積、意味の堆積によって、短調と長調に分かれたのかもしれない。
推論の推論でしかないが、こういうことを考えるのは楽しい。

4月

22

イージー・リスニング・オーケストラ

僕の子供の頃にはイージー・リスニング・オーケストラが流行っていた。
オーケストラもたくさんあって、
パーシー・フェイス
フランク・プゥルセル
ポール・モーリア
レイモン・ルフェーブル
カラベリ
なんかがいつものようにラジオから流れていた。
楽団ごとに違う同じ曲の別アレンジが楽しめた。
いまでも同じ曲のいろんなアレンジを聞きたいと思うのだけど、かつてのようには楽しめない時代になってしまった。
一度景気がどん底まで落ち込んで、はい上がって来るときに復活するのかな。

4月

22

音楽は楽しむためにある

高校では吹奏楽部にいた。
吹奏楽団の指揮者は楽団の中から学生同士で選んだ。
顧問の先生は音大で指揮を教えていた。
先生が指揮をすると何も言わずとも楽団が見事にまとまった。
その先生に年に一度、夏の合宿のときだけ指揮を教えてもらえた。
歴代の指揮者が自分の指揮と先生の指揮の違いを見せつけられ、何が違うかを学ぶ機会をもらえた。
その先生にこんな質問をしたことがある。
「先生が指揮してコンクール出たら優勝できるんじゃないですか?」
先生は答えた。
「そんなことしたいの? どうしてもというならやってもいいけど、音楽を楽しんだ方がいいんじゃない? みんながそういうなら考えるよ」
僕たちは楽しむことを選んだ。

3月

8

サテン・ドール

マッコイ・タイナーと聞いてすぐに思い出すのが、『バラードとブルースの夜』に収められた「サテン・ドール」。
ジャズピアノで「サテン・ドール」を習ったとき、「お手本として聞くのは誰の演奏がいいか?」という質問に先生が教えてくれたもの。
「こうやるとモード奏法っぽくていいよ」と、コードとスケールの考え方から離れられない僕に、単一コードが指定されている小節の中にいくつもの違う和音をぶち込んだ演奏を教えてくれた。
「そんなことやっていいんですか?」という、ジャズの考え方からすればまったくとんちんかんな僕に「かっこよく聞こえれば何をしてもいいんだよ」という、めまいがする名言をいただいた。
他のアルバムではマッコイ・タイナ−はどんどんモダンジャズっぽくなっていったが、そういうのももちろんいいけど、僕にはデビュー三作目の「サテン・ドール」が、思い出とともに沁みる演奏だった。

3月

4

ジェントル・レイン

朝、相方が電話で誰かと話していた。
「今日の雨はジェントル・レインね」
それを聞いてキュンとする。
大学生の頃、僕はジャズピアノを習っていた。
「枯葉」の次に習ったのが「ジェントル・レイン」。
アストラッド・ジルベルトの歌を聴いたのはそのあとだった。
英語の歌詞がとても粋だった。

私たちふたり、互いにこの世でひとりぼっち。
やさしい雨の中、一緒に歩いてよ。
心配しないで、私はあなたの腕を抱え、ちょっとのあいだあなたの恋人になる。
あなたの涙が私の頬を伝うのを感じる。
やさしい雨の中。
おいで愛しい人、私を守って、ぬくぬくさせて、この悲しくてやさしい雨の中で。

2月

2

声に乗るもの

声にはいろんなものが乗ってくる。
感情、体調はもちろん、ささいな違和感も伝えてくる。
声というものはいろんなことを含んでくれる。
その不思議さ。
僕の声にもいろんなものが乗るのだろう。
隠しても無駄だ。

2月

1

秩父遥拝

今朝、テレビをつけたら矢野顕子が民謡を歌っていた。
なんかいいなと思っていたとき、ふと「秩父遥拝」を思い出す。
笹久保伸さんが秩父の機織り歌やまりつき歌、雨乞いの歌などを集めてアルバムにしたもの。
もう歌われなくなってしまった歌ばかり。
笹久保さんは「秩父前衛派」というアート集団を主宰している。
武甲山の破壊をやめろと訴えながら、さまざまなアート活動をしている。
武甲山は石灰が産出されるのでセメント会社が掘り続け、山の形が変わってしまった。
毎年秩父夜祭で人々はその山を祀る。
秩父の町を潤すためにやせ細った山。
笹久保さんは「おかしいだろう」と訴えながら、いまはもうほかでは聞けない歌を声を絞り出すように歌うとき、隠されてしまった魂たちが咆哮を始める。
失われた山容、鉱石、泉、草花、動物、古事記の時代から伝わってきた物語や祀られた神々。
あなたには聞いてほしい、その咆哮を。

1月

27

新しい音楽通論

中学生の頃に吹奏楽の編曲をしようと思い、『新しい音楽通論』という本を買った。
音大生用のテキストとして作られたそうだが、難しくて理解できないところがいくつかあった。
そのひとつが対位法。
ひさしぶりに出して読んだが、やはり対位法がわからない。
このまま理解できずに一生を終えそうだ。

12月

27

いとしのテラ

No.03998で「テラ」について書いたが、それで思い出した杉真理の「いとしのテラ」。
ネットで探すと聞くことができた。
竹宮惠子の「地球(テラ)へ…」のヒットのあとだったため、タイトルだけでSF的なイメージが広がった。
歌詞の内容は失恋を思わせるが、SF的なイメージがうまくかぶっているので、生命と宇宙の壮大な交響詩のようにも聞こえる。

11月

22

INDIGO

大学生から就職した頃まで、よくハイ・ファイ・セットを聞いた。
一番好きなアルバムはなんといっても「Pasadena Park」だったけど、たまたま「INDIGO」というアルバムを見かけた。
僕の記憶からはすっかり消えていた。
でも、「聞いたことがあるかも」という感触があったのでネット上にあったそれを聞いてみた。
完全に覚えている訳ではないけど、断片的にメロディーを覚えている。
聞いているうちに心がなんかザワザワする。
この曲と一緒に忘れた思い出があるのだろう。

8月

22

水滴の音

世界は一滴の水の音とともに始まった。
一滴の水の音が世界を変えた。
それ以上でもそれ以下でもない。
一滴の水の音とともに人は笑い、人は歌い、鳥は飛び、魚は群れをなす。
僕がそれを認識していなかっただけ。
一滴の水の音とともに宇宙は存在し、銀河は巡り、彗星は流れ、太陽は輝く。
一滴の水の音とともにあらゆることが起き、あらゆることが変化し、あらゆることが流れていく。
僕はその状況の中に浮かんで流されるだけ。
一滴の水。

8月

5

古いアイルランドのCD

98年だったかな、アイルランドに行った。
そのときに買ったCDをひさしぶりに聴く。
そのCDを買ったお店の雰囲気を思い出す。
トリニティ大学のそばだった。
そこでケルズの書を見て、有名な図書館に行った。
芝生の緑が美しかった。
小学生たちが社会科見学に来ていて写真を撮ったらはしゃいでいた。
音楽の中に記憶が閉じ込められていたようだ。

7月

24

スコアを読みながら第九を聞く

何十年かぶりにスコアを読みながら第九を聞いた。
スコアとはオーケストラすべての楽器の楽譜が書かれている譜面だ。
高校生まではいろんな曲のスコアを読みながらクラシックを聴いたものだ。
一番難しかったのは「春の祭典」。
きちんとついて行けるようになるのに3回くらい聞き直した。
「春の祭典」に比べれば第九のスコアは簡単。
実際には演奏されていても聴こえてこない音というものがある。
スコアを読むとそれがわかる。
どの指揮者のどのオーケストラの演奏だと、この音を強調するとかしないとか、そういうことがわかる。
とても面白い。

6月

7

声が出せる

三日ほど前、寝る前に喉がイガイガしていた。
うがいをして寝たが、それから三日の間にガラガラ声になってしまった。
「あー」と声を出すと、三種類の音が聞こえる。
出したい声と勝手に出てしまう別の音と、ガラガラと鳴るもうひとつの音。
こんなのははじめてた。
普通に声が出せるって、ありがたいことだったんだな。

6月

4

言えない思い

昨日の「日刊 気持ちいいもの」を書いて思い出したことがある。
それはまだ黛敏郎が「題名のない音楽会」の司会をしていた頃、「ビギン・ザ・ビギン」をテーマに番組を作ったことがあった。
その中で黛が「ビギン・ザ・ビギンはフリオ・イグレシアスの編曲で短調の部分がなくなり、芸術性が失われた」と主張した。
「ビギン・ザ・ビギン」の原曲には長調の部分と短調の部分があり、長調の部分でかつての恋の華々しい思い出を歌い、短調の部分で現在の失恋状態を思うという構成になっている。
それを黛は実際にオーケストラに演奏させて解説し、さきほどの主張をしたのだ。
それを聞いて、僕はうなってしまった。
黛の言いたいことはわかる、でもね・・・という、「・・・」の部分がうまく言葉にならなかったのだ。
それを30年もして思い出すのだから、「・・・」の部分はよっぽどのことだろうと思うのだが、そんなによっぽどのことでもない。
なにが「・・・」に含まれていたのか、やっと言語化できるようになった。
ようは「フリオ・イグレシアスの曲もいい」と言いたかったのだが、黛の説得力には勝てそうにないので黙っていたのだ。
いまなら反論できる。
フリオの曲は長調で歌っていても、すでに哀愁を帯びているのだ。
長調の部分と短調の部分が、長調の歌のなかにギュッとまとまって絞り込まれている。
開高健がエッセイに「(モダニズムとは)1.最高の材質。2.デサインは極端なまでにシンプル。3.機能を完全に果たす」と書いていたが、まさにそれだと。
でも、30年前でも本来なら「いいものはいい」それだけですんだのだろうけど、僕はそこで口を噤んだ。
そんな些細なことでも30年後に思い出すのだから、本当に恨みに思っていることなど、死ぬまで忘れないんだろうな、心の底では、と思った。

6月

3

ウンポコマス

僕が会社勤めをしていた頃、新潟に行ったとき、駅から乗ったタクシーの中で、フリオ・イグレシアスの「ビギン・ザ・ビギン」がかかった。
その頃丁度、キューピーかなにかのCFにこの曲が使われていて、誰が歌っているなんという曲か知りたかったので、そのときはじめて演奏者と曲名を知った。
「えっ! あのビギン・ザ・ビギンがこうなるの?」と驚いた。
そのとき、僕が知っていたビギン・ザ・ビギンは、パーシー・フェイスの演奏だけだった。
そのスペイン語の歌詞の中で「ウンポコマス」という部分がある。
何かのときにふっとその部分を思い出すのだ。
「ウンコ・ポマス」じゃないよ。
「ウンポコマス」
「もう少し」という意味なんだそうだ。
フリオの「ウンポコゥ〜マス」という節回しが好き。

5月

19

リコーダーの音色

中学校のブラスバンドの先輩で、リコーダーをいい音で鳴らせる人がいた。
リコーダーの音というものは、ピーとかプーとかいう音だと思っていたが、その人が吹くと見事にバロック音楽のような音になる。
ああいう音はきっといい楽器で吹くからそうなるので、学校で使っているような安物ではああいう音は出ないと思い込んでいたけど、違った。
「なんでそんな音が出るんですか?」と聞くと「こういう音だと思って息を抑制して吹くと出るんだよ」と言うのでやってみた。
確かにそれっぽく鳴る。
音色のイメージって大切。

5月

8

鼓動

赤ちゃんは母親の鼓動を聞くと落ち着いて眠るという。
だけど僕自身は鼓動を聞いても落ち着くとか気持ちいいとか思ったことがない。
今朝、目が覚めると、枕に耳をつけて、自分の鼓動を聞いていた。
トクトクと耳から鼓動が聞こえてくる。
夢心地のときに「鼓動を気持ちよく聞いているのか?」と思ったが、特に気持ちいい訳ではない。
そして思う。
「なんで自分の鼓動を聞いているんだ?」
それで目が覚めた。
夢の中では気持ちよかったのを、目が覚めてそうは感じなくなったのか。
ただたまたま鼓動を聞く状態になっていたのか。
感触としては自分の鼓動を確かめていたような感じがする。
なんにせよ、ボケた頭でつらつらと思った。
曖昧模糊とした言葉にならないようなことを考えるのが好き。
鼓動はその入口か。

4月

26

緑の地平線〜ホライゾン

『ナウ・アンド・ゼン』の次に出たカーペンターズのアルバム。
このアルバムの発売日、僕は風邪を引いて中学校を休み寝込んでいた。
しかし、このアルバムがどうしても早く聞きたかったので、母親の目を盗んで予約していたレコード屋さんに夕方に行って買った。
はじめて聞いたときには少し違和感があった。
それまでのカーペンターズとちょっと雰囲気が違うのだ。
でも何度か聞くうちに好きになった。
特に「アイ・キャン・ドリーム」の編曲が気に入った。
途中からストリングスが絡み、間奏をトロンボーンの和音で演奏する。
「ソリテアー」、「グッドバイ・アンド・アイ・ラブ・ユー」や「愛は木の葉のように」のような静かな曲が特に良かった。
「オンリー・イエスタディ」や「プリーズ・ミスター・ポストマン」ももちろんいい。
「プリーズ・ミスター・ポストマン」はビートルズも演奏していると聞き、後日聞いたが、ビートルズの演奏が幼稚に思えた。

4月

4

オン・ザ・ビーチ

渋谷のボイルストンではじめて知ったバーボンをすすっていたとき、クリス・レアの「オン・ザ・ビーチ」がかかった。
波の音から始まり、シンバルをブラシでこする音とともにギターがリズムを刻み、エレピが静かにうなる。
そして、クリス・レアの喘ぐような渋い声。
時代はバブルで浮かれていた頃。
なんでもうまく行くかのように思われた世の中は、次第にかげりを見せてきて、一番うまくいってないのは自分の心かもと思い始めた頃、一人の女性との些細な諍いに心痛める。
そんな気分にじっくり染み込む歌だった。