5月

15

短調と長調

音楽には短調の曲と長調の曲がある。
大雑把に考えると、短調は悲しげで、長調は楽しげになる。
なぜそうなるのか、理由はわからない。
古事記や大嘗祭の研究をしている工藤隆博士が、中国の少数民族のなかに歌垣を残している部族を見つけ、その研究をした。
すると、創世神話をめでたいときと葬式のとき、両方で歌われることを知った。
文字に書くと同じに読めてしまうが、歌で聞くと内容が同じでも雰囲気が明らかに違ったそうだ。
言葉がはっきりと文字化され、意味が限定されていく以前の言葉は、表現の仕方によって楽しく感じられたり、悲しく感じられたりしたのかもしれない。
ここからは僕の勝手な推測。
そもそも言葉は、現実のものが存在したらそれに名前を付けて「なんとかだ」とするのは比較的簡単だったろうが、感情のようなものは、始原の言葉にはなく、雰囲気だけを伝えていて、それが歌のようになったのかもしれない。
それが歌垣に残ったということ。
それが長年の文化の堆積、意味の堆積によって、短調と長調に分かれたのかもしれない。
推論の推論でしかないが、こういうことを考えるのは楽しい。

5月

25

うがやふきあえずのみこと

夢の中に
「うがやふきあえずのみこと」が
出てきた。
少し前に現代語訳された
「古事記」を読んだから
出てきたのだと思う。
目が覚めてもその音が
耳に残っていた。
そういう名前の神様がいたことは
覚えているけど、
その神様がどういう神様かは
覚えていなかった。
そこで調べてみる。
神武天皇の父親とある。
海彦山彦の山彦と豊玉姫の息子。