10月

12

道(タオ)に戻る

「黄金の華の秘密」を翻訳した
ヴィルヘルムが、こんな体験をした。
ヴィルヘルムが住んでいた
中国のある地方が旱魃になり、
村人が雨乞い師を呼んでくる。
しばらくしてしわくちゃな老人がやってきた。
その老人は静かな場所にある
小屋を貸してくれといい、
そこに三日間こもりました。
すると、四日目には曇ってきて
雪など降るはずがない季節に雪が降りました。
ヴィルヘルムはその雨乞い師に
どうすればそういうことができるのか聞きました。
「どうやって雪を降らせたのですか?」
「わしは雪など降らせていない」
「では、この三日間
 何をしていたのですか?」
「それなら答えられる。
 この土地はタオからはずれていた。
 天の定めるしかるべきあり方から
 はずれていたのじゃ。
 わしもそんな土地に来たために
 タオからはずれた。
 だからその自然な秩序に戻るため
 三日必要だったんじゃ。
 自分がタオに戻ったから
 おのずと雨が降ったんじゃよ」

2月

16

赤の書

ときどきパラパラとページをめくっていた『赤の書』を
ついに読み出した。
とても大きな本なので
テーブルに置くだけで一苦労だ。
読み始めると止まらない。
ユングの夢とも想像とも創作とも
言えるような曖昧な世界に
引きずり込まれる。
こんなことが書かれている。

深みの精神は、私の悟性と
あらゆる知識を奪い去り、
説明できず、不条理なことに
身を捧げさせる。
そして私からある一つのことに
役立たない言葉と文字の
一切を奪った。
ある一つのこととは
意味とナンセンスとの融合であり、
これが超意味を生み出すのである。
ところで超意味とは、
来るべきものへの進路であり、
道であり、橋である。
つまりそれが来るべき神である。
それは来たるべき神自身ではなくて、
神のイメージであり、
このイメージが
超意味の中に現れるのだ。
神は一つのイメージであって
神を崇拝する者は
超意味のイメージの中において
崇拝せねばならない。
   『赤の書』創元社刊より

ユングはこの本を書くことで
様々なことに気づいて行く。
そして『黄金の華の秘密』
と出会って書くのをやめる。
こんなことも書かれている。

道は唯一つしかない。
それはあなたたち一人ひとりの
道である。
(中略)
皆、自分の道を行きなさい。

先を読むのが楽しみ。