10月

17

人の意識は融合できない

人は、悲しいほどに
ひとりひとり別の存在。
だからこそ、
互いに意見が相容れないことがある。
コンピューターなら何台でもつなげて
いろんなデータの共有ができるが、
人間は、
何人もの人が集まって討議すると
必ずと言っていいほど
意見が割れてしまう。
人によって何を大切にしているかが
異なるからだ。
逆に見ると、コンピューターには
そのようなことがない。
個人が尊重する主義のようなものより
そのときどきに与えられる
判断の根拠によってのみ
物事を決めていく。
個人の主義のようなものは、
感情にも根差している。
それがいいか悪いかは
どう考えるかによるが、
コンピューターはそれを考える
判断の根拠を
与えられるまで待っている。
AIはいつかその判断の根拠も
考えるようになるのかもしれないが、
それはもしかしたら人間にとっては
危険なことかもしれない。
人間は意識の融合ができないからこそ、
互いに言い合う必要が生まれ、
少しの共通認識と、
多くの意見の異なりを生む。
意見がみんな違うから
ある程度の歯止めがかかるが、
判断が一度に共有され,
ある方向に動くとなったら
一度に動けるAIは
人間という存在をどう扱うのか?
そう考えると、人間同士のいざこざは
実はそれほど悪いものでもないように思えてくる。

10月

5

人を動かすもの

瞑想したり、気持ちいいものを書いたりして、
自分の感情に向き合うと、
自分が何に影響されているかが
わかるようになってくる。
心地よさと恐怖と概念だ。
どれも物質として存在するものではない。
しかしそれらの影響で
自分の心やからだを動かしてしまう。
それらはいいことでもあり
悪いことでもある。
人間は、
動物には持ちようのない概念を持つことで、
地球上に繁栄できた。
お金という概念のおかげで社会ができ、
いろいろと問題はあるものの
そこそこ幸せに生きていける。
インターネットが定着し、
AIが生まれてくる現在、
個人がそのことに関して
深く考えておかないと、
間違った方向に進むことになる。
ホーキング博士が言っていた、
「AIは人類にとって最悪、
 もしくは最良の結果を
 もたらす可能性がある」
は、個人個人のあり方で
どちらの方向に行くのかが
決まってくるように思う。

6月

25

理解不能なこと

これから世界には理解不能なことが
きっと増えていく。
理解不能だけど、
それを受け入れることで
みんながうまくいくようなこと。
人間が人間になる寸前、
きっとプレ人間たちには
「言葉」というものがどういうものか
よくわからなかったはず。
同じように、膨大なデータを読み込み
生み出される本当のAIの判断は
きっと多くの人にとって理解不能だ。
それを上手に受け入れることで
いままで不可能だった何事かが
うまくいくようになるかもしれない。
ただ偽物のAIと本物のAIの区別が
難しく、本物のAIが登場したとき
きっと混乱するだろう。
偽物のAIとは特定の人や人たちの
意図を大きく反映させたもの。

3月

16

シンギュラリティ

もう数十年後にはAIが
人間の知能を越えると言われている。
そのためのハードルは
たくさんあるけど、
次々とクリアされるだろうと
言われている。
もし本当にAIが生まれたら、
それは人間にとって
理解不能なものになるはずだ。
それを一生懸命理解しようとする
人間が愛おしい。(自分も含めて)
一番の問題は、そこに至る手前で
人間のエゴによって
生まれる状況である。
たとえば、AIを神のように扱い、
それに人びとを
従わせようとするなど。
さらに、
本当に理想的なAIができたら、
膨大なデータによって
高速で判断するため、
きっと人間にはいいとも悪いとも
判断しにくい状況が
たくさん生まれるはずだ。
人間のエゴが
それを歪んだ解釈に導くことこそ
怖いことなのだと思う。

3月

10

AIと死

AIはいま、本当のAIと疑似AIの
ごた混ぜ状況が続いている。
もっと正しく言えば、
何がAIで、何がAIでないのか、
曖昧に過ぎて
話題にもできない状態だ。
詳しい人はそういうことが
わかっているはずなのに、
その話題が面倒なために
そっちに話題を
持っていくことがない。
死とは何かを話題にするのと同じだ。
死とは、心臓が止まったときか、
それとも脳波が止まったときか、
はたまたもっと別なことなのか?
これも話題にはなりにくい。
なぜかというと、
人間にとっては
不可知の領域だからだ。
人間を越えた知性というのも
越えた段階で不可知のものとなる。
それをいま知ろうというのは
無理な話なのだ。
死が怖いというのと同じレベルで
AIを恐れても疲れるだけ。