感情ってなんだ? Prayers studio「卒塔婆小町」を見て

意識とは何かという問いはいまだ答えが出ていない。意識とはこういうものという定義に従って判断する人や、意識とは意識だと開き直る人はいるが、本当に意識とはどういうものかを誰も反論させず納得のいく形で説明した人はまだいない。同様に感情が何かをすべての人に対して説得できる人もいない。

感情とは何かをどれだけ説明されても、きっと感情は動かない。だけど感情に動かされてしまった人の声は、他人に伝わる。電車の中で必死に何かを訴えている子ども。母親が無視したり「いい加減にしなさい」と怒っていたりすると、子どもの感情が乗った声はそばにいる人の感情を逆撫でしてしまう。

Prayers studioのドラマトライアル「卒塔婆小町」を見て、俳優にとって「声」は、演技よりももしかしたら大切なものかもしれないと思うようになった。なぜなら、そこには感情はもちろん、年齢や立場まで表現されていたから。

「卒塔婆小町」は三島由紀夫の「近代能楽集」に収められている。能の「卒都婆小町」からインスパイアされてできた作品。能の「卒都婆小町」の概要はこうだ。

僧の一行が歩いていると老婆が卒都婆に腰掛けている。僧は仏を粗末に扱うではないと老婆に説教するが、逆に言い負かされてしまう。「仏の慈悲はそんなに浅いものではない」と。僧が老婆の名を聞くと「小野小町のなれの果てだ」と答える。若い頃の話をし、老いた現在の境遇に嘆いていると、狂乱状態になってしまう。その昔、深草少将は小町に惚れ、告白すると「百夜通ってきたら受け入れましょう」と言われる。九十九夜まで通うが、最後の一夜を残して死んでしまう。その深草少将の怨霊が取り憑いていて、かつての恨みを小町は狂うことで表現する。狂いから醒めると老婆は、成仏を願うことが人の道であると悟る。

この物語をベースに三島由紀夫はこんな話を作った。ただし、これはPrayers studioの劇を見ての印象。僕はまだ三島の本を読んでいない。

戦後間もなくの夜の公園に一人の老婆がいる。シケモク(煙草の吸殻)を拾って数えている。ベンチでいちゃつく恋人たちを見つけるとその邪魔をする。それを見ていた通りがかりの詩人は、酔いも手伝いその老婆に話しかける。詩人は若いカップルたちに「生きることを楽しんでいていい」というようなことをいうと、「あいつらは死んでいる。生きているのはこっちだよ」という。

老婆はかつて小町と呼ばれ、鹿鳴館でおこなわれた舞踏会の華だった。

「私を美しいと言った男はみんな死んじまった。だから今じゃこう考える。私を美しいと言った男はみんな死ぬんだと」
その頃の思い出話をするうちに、老婆は当時の若い小町になり、詩人はそこで小町に恋する深草少将となる。ワルツを踊る二人。舞踏会の人々は小町の美貌を褒めそやす。小町に愛を告白しようとする少将。小町は「言ってはなりません」と止めるが、少将は「君は美しい」と言ってしまう。少将の命の灯火が消えていく。最期に「またきっと君に会うだろう。百年もすれば……」とつぶやく。
「また百年」と老婆は嘆く。戦後の夜の公園で、詩人は冷たくなっていた。老婆はシケモクの数を数える。百年のときを数えるかのようにして。

この芝居を見て驚いたのは、小町を演じた小池恵理子。老婆のときは老婆の声になり、美貌の小町のときには美人の声になる。しかも、舞踏会の途中、老婆と小町のあいだを行ったり来たりするのがその声ではっきりと演じ分けられる。鳥肌が立った。どうすればそんなことができるのか。のどを絞めたり広げたりすることで似たことはできるだろうと思う。だけど小池が演じていたのは、感情とその存在を感じさせる呪われた老婆と、鹿鳴館の羨望を一身に受ける美貌の小町。ただのどを絞めたり広げたりしただけではあのようにはならない。

芝居を見たあと、観客から希望者には演技の指導が受けられた。参加して、演技の指導を渡部朋彦氏から受けた。短い芝居だったが、二度演じさせてもらった。一度目はなんの指導も受けずに演じる。演技が難しいことがよくわかった。特に「君は美しい」という台詞は普段言い慣れていないのでどこか居心地が悪い。それを見て渡部氏が「ここで詩人が感じるような感情を実際に感じたことはあるか」と質問する。思い出した情景があった。

それは中学生の頃、片思いだった女の子が議長になり、討論会のようなことをやっていた。内容は確か「戦時中、爆弾で火の海になった場所に母親が助けを求めていたら助けにいくか?」というような、なんとも答えようのない質問だったと思う。助けにいけば自分は死んでしまうかもしれない。それでも助けにいくのか? その質問で彼女は驚いたことに僕を指名して答えろという。「そんなのその場にならないとわからないよ」と本心では思っていたが、彼女の手前「助けにいく」と答えてしまった。その居心地の悪さが「君は美しい」と言ってしまえば死んでしまうことを知っている深草少将の気持ちに似ているのではないかと思ったからだ。その話をすると渡部氏はさらに重ねてこういった。

「では、そのときの彼女に似ている点を、相手役の俳優の中に見つけてください」

相手役をしてくれたのは中学校の先生だ。生物を教えているということだった。知的な表情に抑えめのジュエリーが似合っていた。その彼女のことをじっと見つめる。はじめて会った女性をこんなにじっと見つめたのははじめてだ。似た点を見つけて「見つけました」といった。ではもう一度、と芝居をする。

「君は美しい」という台詞にきて、僕はかつての複雑な感情を再体験した。すると僕自身はよく覚えてないのだが、終わったあとで座席に着き、隣に座っていた男性が「二度目の芝居はすごかった、僕は好きです」という。僕自身は何が起こったのかはよくわからない。ただ、かつての感情を思い出していただけだ。感情を体験することで、僕の動作に何かが現れたのかもしれない。貴重な体験をさせてもらった。この体験でさらに感情とは何かがわからなくなった。

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