GW前に連絡や献本をいただいたのでご報告。
まずひとつめは、『水のきらめきPodcast』で鼎談していただいた長島美和さんが再度国展に入賞ました。長島さんは染色の専門家。podcastはこちらで聞けます。
part3も早くアップしないとな。
作品の詳細は長島さんのホームページ『M’s Color』で見ることができます。
いつもの作品はペンで下書きするのだそうですが、今回の作品は紙をハサミで切り抜いて作ったそうです。長島さんは作品を作るときに、いかに自分の無意識にアクセスするかが鍵だとおっしゃっていました。前回の国展参加作品は、自分の過去を見つめることでデザインしたそうですが、今回はハサミでチョキチョキと紙を切り抜くことで、きっと身体と心の奥底に降りていったのでしょう。実物を見るのが楽しみです。
国展は六本木・国立新美術館にて現在開催中で5月11日まで。(5/7は休館) 開場は午前10時から午後6時まで。最終日のみ1時まで。入場料700円だそうです。
去年から長島さん大活躍です。入賞おめでとうございました。
ふたつめは伊勢華子さんの『サンカクノニホン』。小学生向けの写真で構成された絵本です。日本は6852の島でできているそうです。その島のうち、ひとが住んでいる島が422なんだそうです。それらの島を線で結ぶと、日本はほぼ三角形になるというのがこの絵本でわかります。小学生向けといえども侮れません。日本に対する新しい視点を持つことになります。
いくつかの島の写真が掲載されています。日本の多様性がじんわりと心に染みてくる本です。
伊勢さんは何度か一緒に飲み、本も読んだのですが、僕が彼女に感じることは『パンク』。本を出版しているのに、実際にその本を読むとその多くは彼女の言葉で埋められるのではなく、子どもの言葉で埋められているものが多い。そこに僕は『パンク』を感じる。パンク・ロックはもともとロックが高度に進化し、複雑になってしまったことへのアンチとして登場した。「単純な言葉で単純なコードとリズム」を刻むパンクは、その派手な外見と相まって次第に熱狂的に支持されていきました。
作家というものは自分の言葉で何かを表現しようとするものだが、伊勢さんは普通の作家という枠から逸脱し、他人の言葉を編集することで自らの立場を表現してきた。つまり高度に洗練化された著作物の中に「子どもの言葉」という極めて単純な文章を放り込むことで際立たせたのだ。パンクというと、叫び声ばかりが気になるが、本質は物事を単純化させ、エネルギーを純化させたことだ。そういう意味で伊勢さんの作品は『パンク』だと思うのだ。
今回の作品も、本土にいる(本土も島だが)小学生たちが「見たことのない日本」を見てどう反応するかが楽しみな作品だ。島に暮らしていると意識している子供たちは、自分の島について語り始めるだろう。小学生でもできそうなデザインにあえてしていることに、その意図を感じる。
伊勢華子さん、出版おめでとうございました。
みっつめは河合利枝さんの詩集『星の見つけ方』。河合さんは30年ほど宗左近先生に詩を習ってきたそうです。1997年の第一詩集「あっ、入道雲」と2001年の第二詩集「イルカの秘密」を出版した頃に読ませていただきました。そして2009年の『星の見つけ方』。
エリオットが『詩の効用と批評の効用』で
ひと目みてよい詩が見わけられる人でも、つねにそれがなぜよい詩であるかという理由を、私たちに説明できるとはかぎりません。ほかの経験とおなじように、詩の経験もまた部分的にしか言葉に移せません。
と書いているように、どんな詩人も批評家も、ある詩の良さを100パーセント表現することはできません。まして、それほどたくさんの詩を読んだことのない僕にはなおさらです。なので、『星の見つけ方』についてその素晴らしさを書くと言うことは、僕の個人的な感想を書くしかないことを先に明言しておきます。もともとこのBlog「水のきらめき」では、僕の嗜好と思いつきばかりの文章を並べているのですから、わざわざこのように明言しなくてもいいのですが、いったん「詩の良さ」について語ろうとするとき、僕は暗闇に放り込まれます。一般の人と自分とのあいだにあるはずの基準がどこにもないから。そして、一般的には素晴らしいと言われている詩が、まったく僕には響かなかったり、無名の人の机の落書きが心に響いたりするのです。そのような不思議な化学変化を起こす詩というものの一般論はとてもできません。なので、これから書く『星の見つけ方』の話も、響くひとには響くけど、響かないひとには響かない、そんな話になります。そう断り書きしたうえで、明言します。
『星の見つけ方』はとても僕に響きました。
それはきっと前二作を読んでいるからというのも理由でしょうし、河合さんを個人的に知っているからと言うのもあるでしょう。さらに宗先生に習ったからかもしれません。僕には詩の抽象度がとても心地いいのです。詩に現れる河合さんの心のしこりの残り滓が核となり、僕の妄想や印象をぐっと広げてくれるのです。
たいていいままで読んできた詩というのは、大詩人や作家の有名な詩をポツリポツリと読んできたのですが、それだけでは詩はあまり心に響いてきませんでした。その詩人や作家の人生や歴史的背景を知ることで、やっと少しだけ感情移入できるものでした。河合利枝という詩人に出会い、その人となりを知って、はじめて詩の力というものを、一部かもしれませんが、理解した気になりました。「河合さんが、このように書いている」ということが大切なのだと。
河合さんは特殊な人ではありません。有名な詩人ではなく、作家でもありません。市井に生きるごく普通の人です。この「ごく普通のひと」が書いた詩であることがこの詩集の大きな価値です。普通の人が、このような抽象度を持って詩を紡ぐ、紡ぎ続けているというのが非凡なことです。
僕のように、普通でしかない自分を痛切に感じながら、一歩先に踏み出したいと思っている人には、深く響く詩集です。その詩に響いてみたい方は、実際に本を手にとってみてください。あなたの星が輝き出すでしょう。
河合利枝さん、出版おめでとうございます。献本いただきありがとうございました。







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