水中出産

「書く冒険.jp」の「Photographs & Text」に次はどんな写真を掲載しようかと、古いファイルを開いていたら、ベルギーのオステンドにある水中出産施設の写真が出てきたので掲載した。その写真がどのようにして撮られたのかここに説明しよう。

1996年、僕はベルギーのブリュッセルで「国際イルカクジラ会議」に出席した。会議の中でベルギーの産婦人科医が講演をする予定だったが来なかった。その日、たまたま入院していた妊婦が出産し、来られなくなったのだという。そこで講演を聞きながら見る予定だった映像を見せてもらった。それは水中出産についての説明ビデオだった。

どんな順番で何を説明されたのか、いまとなってはほとんど覚えてないのだが、まずは双子が生まれるシーンがあった。透明のバスタブに張られた水の中で、妊婦が出産を待っている。カメラは医療のための映像だから遠慮は一切ない。陣痛に妊婦の顔が歪むと、水の中に赤ちゃんが頭から出てくる。二人目もすぐ出てきて、二人とも母親の胸に抱かれた。

その次の映像が特に印象的だった。別の妊婦の出産が始まると、なんと水中に赤ちゃんが足から出てきたのだ。逆子だったのだ。逆子の赤ちゃんは普通であればすぐに引き出されるもののようだが、映像は逆子の赤ちゃんが自分でお母さんのお腹から出てくるのをじっと待つ。足をピクピクと動かし、まるで元気な動物が生まれてくる瞬間だった。もちろん人間も動物だから、がんばって生まれてくるものなのかもしれないが、たいていの出産シーンは、途中まで出てきたら産婆さんか医師かが取り上げる。ところが、この映像は、赤ちゃんが自分で完全に水の中に出てくるまで、じっと何もせず撮影しているだけなのだ。足が出て、腰が出て、胸のあたりまで出たらスルッと頭まで出た。出てきた赤ちゃんを水の中で抱え上げると、すでに水の中で目を開いている。母親の胸に抱くとすでに表情は笑っているかのようだった。この映像を見て、出産に対する僕の考え方がガラッと変わってしまった。

その映像があまりにも衝撃的だったので、僕は何のアポも取らずに、会議が終了してから訪ねてみた。とにかくその不思議な水中出産というものがどんなものなのか、もっと知りたかったのだ。会議後に三、四日ベルギーに滞在するように予定を組んでいたので、さっそくその病院のあるオステンドに向かおうとして宿を調べた。オステンドにはほとんど宿の情報がない。そこで地図を調べてホテルのありそうな場所を探す。ブルージュが比較的近かったのでそこに宿を取った。病院についての情報はオステンドにあることと、名前しかわからなかったのでオステンド駅で聞いたら「あっちの方向に歩いていけばあるよ」と言われたので、そっちへ向かってトボトボ歩く。駅から離れると人がほとんどいなかった。こんなところに本当に病院があるのか不安になったとき、たまたま通りかかった男性に道を尋ねたら、池の先にあると言われた。池のほとりを歩いていくと、やっと病院にたどり着く。

病院の受付で産婦人科の先生に会いたいと言うと不思議な顔をされた。男の東洋人が産婦人科医にどんな用があると思われただろう? しばらくしたら産婦人科の看護師長が出てきたので、経緯を話したら、とても喜んでくれた。日本の病院だったら「忙しいのに何しに来たのよ」くらい言われそうだが、よく来てくれたというのだ。その看護師長によれば、その施設はベルギーはおろか、世界でも珍しいものだという。それを作ったことにとても誇りを感じているというのだ。

そんな話をしながら師長は、産婦人科施設のすべての部屋を見せてくれた。そのときに撮影したのが「書く冒険」に掲載した写真だ。

師長はこんなことを話してくれた。産婦人科医のポネット博士は水中出産の施設を増設する際に、まず看護師たちに相談したそうだ。水中出産をはじめるとその負担の多くは看護師たちに行く。それを許してくれるかどうか、検討するように言ったのだ。水中出産をすると言うことは、妊婦の体内にある自然なリズムを尊重することに価値があるのだそうだ。普通の出産では医師や看護師のスケジユールに合わせ、妊婦に薬を打って計画的に出産させる。ところが水中出産では、麻酔などは一切使わず、促進剤も使わず、妊婦の体内リズムを尊重することで、自然な分娩を心がけるのだという。だから医師や看護師は勤務時間を妊婦に合わせなければならない。何人か一度に生むときには増員しなければならないから、より大変になると言う。しかし、看護師たちはそのような難しい状況になるのを知りながら、出産施設を作ることに合意する。なぜなら、水中出産で子供を産むことに非常な価値を認めたからだ。

妊婦は出産の際に様々なホルモンを分泌する。それによって産道が開き、赤ちゃんが降りてきて、出産にいたる。これは生命が何億年もかけて進化させたシステムだ。しかし、出産の際に促進剤を与えたり、麻酔を打ったりするのは、つい数十年前におこなわれるようになったことである。研究によっては、赤ちゃんが生まれるときにその経過を覚えていないのは問題であることを指摘するものもある。母親と赤ちゃんの絆ができないのではないかと指摘する論文もある。これらのことは生まれてすぐにそれが真実であるかどうかを計ることができない。僕は、もしかしたら医師や看護師の無駄な作業なのかもしれないとも思いつつ、それでも赤ちゃんにとっていい影響がある可能性があるのであればと、水中出産の研究をし続けているこの病院の医師と看護師たちをすごい人たちだなと思った。

この詳細については、もう絶版になってしまったが、『胎内記憶』(七田眞、つなぶちようじ共著)に書いたので、読んでいただきたい。アマゾンのマーケットプレイスで入手できます。この本はもともと『水中出産』というタイトルで企画を持ち込んだのだが、その企画はまだ早いと『胎内記憶』について書くことになった。しかし、ベルギーでの水中出産についてもページを割いて書いてある。

日本では水中出産はまだ多くの人に理解されていない。怪しいもの、危ないものと思われている。それはとても残念だ。素晴らしい施設での水中出産は価値があるものだと僕は思っている。

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