僕は「ヌースフィア」についての本を書きました。しかし、なかなか出版できないので、その原稿を少しずつここに公開していきます。科学的な事実も多く出てくるので、時間の経過と共に内容が古くなるでしょう。もし何か間違いなどがあったら指摘していただけるとありがたいです。
はじめに
「ヌースフィア」とは1955年に没したテイヤール・ド・シャルダンの作った言葉である。地質学的に地球を重力圏、岩石圏、水成圏、大気圏と区別するが、その他に動植物によって作られている生息域をバイオスフィア(生物圏)と呼ぶ。19世紀から20世紀にかけて活躍したスュエスという地質学者が名付けた。バイオスフィアの成熟に伴い人間がそこに現れたわけだが、人間は他の生物がしなかったことをしはじめた。それは意識を持ち思考し、他の人間と言葉を介して意識や思考を共有し始めたのだ。
言葉を介して意識を共有すると、言葉を介して意識を共有しない他の動物とは明らかな違いが生まれてきた。その違いが故に人間は地球全土を覆い尽くすほど、その生息域を広げていき、地球の表面に様々な構造物を作り上げた。水成圏、大気圏、岩石圏からバイオスフィアが生まれたように、バイオスフィアから新たな、「思考する層」とも呼べる層が生まれたのだ。その層をテイヤール・ド・シャルダンは「ヌースフィア」*1と名付けた。
「ヌースフィア」の概念を含む著書「現象としての人間」はシャルダンの死後1955年に刊行され、60年代にかけて知識人たちのあいだに大きな反響を呼び、ベルクソンやアインシュタインの著作がもたらしたときの驚きと比較されるほど注目された。しかし、現在日本ではその概念は「ガイア」ほどには市民権を持たない。
環境問題のキャッチフレーズとして「地球にやさしい」というものがある。明らかに欺瞞だ。地球は人間にやさしくなんかしてもらわなくてもやっていける。「人間が住まわせてもらうための環境を作りたい」ことのていのよいいいかえだ。しかし「ヌースフィアにやさしい」としたらどうだろう?
ヌースフィアは地球上で人間が操作できる唯一の圏である。なにしろ人間が生み出した圏なのだ。もちろんヌースフィアの変化によって他の圏にも影響が出ることは承知している。しかしヌースフィアという概念をはっきりつかむことによって新しいものの見方が可能になる。それは医師が内蔵を胃、腸、肝臓、脾臓と区別するようなものである。そのような区別がなければ恐らく医師は治療できまい。同様に地球もヌースフィアという概念をもって見るとそれまででは見ることのできなかった地球の貌(かお)を見ることができるのだ。「環境」を見る目ももちろん変わるだろう。
残念ながらヌースフィアの概念のオリジナルはもう半世紀も前のものだ。まだケストラーのホロンもリチャード・ドーキンスのミームも、まして全世界的コンピューターのネットワークも生まれてなかった。この50年の人間文化の進歩は驚くべきものだ。それらをふまえてもう一度ヌースフィアに向き合ってみたい。50年たってもヌースフィアという概念がいかに大切なものかをあなたは発見するだろう。
地球環境の惨状を考えると「車には乗らない」「電気は使わない」「質素な生活をする」などということを余儀なくされる気がしてしまう。そして未来はあまり薔薇色ではなく、つらく暗い忍従の日々を思ってしまう。しかし、実際には車の台数は増えていても環境は改善されるし、電気の使用量が増えても地球環境の悪化は食い止められるかもしれない。そのようなことが可能になるためには何が必要なのか、そのヒントがヌースフィアを知ることによって見えてくる。
バイオスフィアについてのすべてを一冊の本にまとめることはできない。バイオスフィアについて知れば知るほど新たな疑問が湧いてくるのと同様、ヌースフィアについても知れば知るほど疑問が増えていくはずだ。ぜひそれらの疑問に対してあなた自身が答えを出していってほしい。この本はヌースフィアというものがどのようなものかを考えるきっかけを与えるものでしかない。ヌースフィアを構成するもの、ヌースフィアをどのように観察するか、そしてヌースフィアから何が生まれようとしているのか。このようなことが書かれている。しかし、ヌースフィアのすべてではない。ヌースフィアの断片の寄せ集めである。なにしろ、あなたが何か新しいことをそこにつけ加えることができる。どんどんと変化していくカオスの渦だ。ヌースフィアは一冊の本にするには広大な世界だ。
フィジオスフィア(物理圏)とバイオスフィア(生物圏)
46億年前に地球ができて以来、フィジオスフィアは地球の基盤であった。地球は最初宇宙の塵が集まり火の玉のように燃えさかっていたという。それが冷却し、大気圏、岩石圏、水圏などが生まれる。それら無生物で構成される地球の部分をフィジオスフィア(物理圏)と呼ぶ。フィジオスフィアはあらゆる発生可能な化合物を生み出しながら次第に変化していった。その変化の中でもっとも大きな変化はRNAを生み出したことである。RNAは現在の生物の細胞のなかに必ず含まれ、核と細胞質のあいだを行き来しながら遺伝子中のDNAの情報をタンパク質に転換する役割を担っている。実際にRNAがどのようにして生まれたのかは未だ議論の最中だが、アミノ酸のスープの中から生まれたのであろうと、宇宙から飛来したのであろうと、無機物の堆積のなかからできたのであろうと、泡からできたのであろうととにかく何らかの理由でRNAが生まれた。RNAが変化してDNAが生まれたと考えられているが、その詳細はまだよくわかっていない。最初の生命と考えられるものは恐らくRNAで生まれたタンパク質の壁で覆われ、その内部にはDNAが存在したのだろうと考えられる。タンパク質で覆われた比較的安定な環境のなかでDNAは複製を繰り返し、タンパク質の壁を突き破るほどにふくれると分裂するような簡単な構造だったと思われる。
DNAは細胞のなかで遺伝子をつかさどる。遺伝子は自己複製子である。自分と同じ構造の分子を生み出す。
実際に発見されているもっとも古い生物は、オーストラリア西部のノースポールにあるワラウーナ層群と南アフリカのスワジランド地系フィグ・ツリー層群の堆積岩から得られた化石に見られる。それは楕円形単細胞と分裂過程にある細胞で、その同じ地層から進化した繊維状細菌も発見された。35億年前の化石だった。
RNAから細胞へ、そしてDNAへの誕生へと移行したと考えられているが、実際にはまだ確証を得られたわけではない。考えにくいことではあるが、いきなり単細胞生物が生まれたのかもしれない。宇宙から飛来したという説も、否定する明らかな理由がない限り、排除するべきではないだろう。
このように生命の起源はいまだ謎に包まれているが、はっきりと言えることがある。それはフィジオスフィアの存在がバイオスフィアを支えていると言うことだ。
バイオスフィアは生命の複雑性によって生み出されている。最初に生まれた嫌気性細菌は酸素を排泄した。その排泄した酸素がいつしか次に生まれる好気性細菌の活動に利用されるようになる。ここで私たちが学ばなければならないのは、自然はどのような環境であろうと、それを受け入れ利用するという点である。嫌気性細菌が排泄した酸素はオゾンとなり、宇宙から降り注ぐ有毒な紫外線を防ぐ役割を果たすようになる。それと同時に細菌にとっては有害な紫外線を利用して性の区別を生み出したと考えられている。DNAやタンパク質の結合は非常にもろく、紫外線の照射によって破壊される。破壊されたDNAの修復のために性別が生まれたと考えられている。
DNAを内に含む細胞は何度も自己複製を繰り返し、大きな変異を長い時間をかけて遂げ、現在のバイオスフィア(生物圏)を生み出した。バイオスフィアを生み出した媒体(メディア)はDNAである。DNAが複雑化していくことであらゆる生物の関係性が生まれ、それがバイオスフィアを存在させている。
相互進化
当初誕生した嫌気性細菌は排泄物として酸素を生み出す。そして酸素は嫌気性細菌にとっては毒になる。ところがその毒を利用して生きる細菌が生まれる。好気性細菌だ。好気性細菌は酸素を取り込むと同時に有機物を摂食する。酸素を取り込むことで運動が活発になり他の生命を食べることができるようになった。特に不活発な嫌気性細菌は格好の餌食となった。嫌気性細菌はフィジオスフィアの要素である無生物を摂食していたが、好気性細菌はバイオスフィアの構成要素、つまり生物を摂食する。これによって爆発的に進化の速度が速まったと言われている。嫌気性細菌だけの世界では単に食物を有利に確保すればよかったのだが、好気性細菌が生まれることで、他の生物にいかに食べられないかが重要なことになったからだ。これを「赤の女王効果」と呼ぶ。
ルイス・キャロルの童話『鏡の国のアリス』で赤の女王はアリスに言う。
「ここでは同じ場所にいようと思ったらできるだけ速く走り続けなければならないのですよ」
これが「赤の女王効果」の由来だ。
話をわかりやすくするためにここでは草食動物と肉食動物を考えよう。肉食動物は草食動物を食べるためには草食動物より足が速いとか、筋力があるとか、遠くの獲物を察知できる能力がなければならない。そのような能力を持って草食動物を食べていくと、もしその草食動物が肉食動物よりも遙かに劣っていたら、すぐにその草食動物は肉食動物に食べ尽くされてしまう。環境に適合し、長い進化の過程を経るためには草食動物にも肉食動物に勝るとも劣らない能力が必要だ。
肉食動物に草食動物が食べられ、個体数を下げると、そこに残った草食動物はそれまでに食べられてしまった草食動物よりわずかに何かの能力が勝っていると考えられる。走る速度が速かったり、筋力が強かったり、または環境にとけ込み見えにくい外観を持っていたのかもしれない。すると能力が勝った草食動物だけが残っているために、その子孫はその能力を引き継ぐものとなるだろう。すると今度は肉食獣が食料を確保しにくくなり個体数を落とすことになる。そこに残った肉食動物は能力の勝った草食動物を捕獲する能力を持ったものだけが残ることになる。このようにして食うものと食われるものが相互進化を遂げる。これを「赤の女王効果」と呼ぶ。進化し続けなければ同じ生存率を確保できないのだ。それと同じことが嫌気性細菌と好気性細菌のあいだにも起きたと考えられる。
嫌気性細菌はフィジオスフィアの化学的エネルギーと太陽エネルギーを利用している。一方、好気性細菌は主にバイオスフィアのエネルギーを利用していると言える。バイオスフィアにあらわれた他の生命を摂食するのだ。ここに赤の女王効果があらわれ進化は爆発的に進む。バイオスフィアの変化は多様性を孕む。ここには壮大なる進化の物語がある。
進化の結果、バイオスフィアに人間が現れる。そして、人間は別の次元の自己複製子を生み出した。
ヌースフィア
リチャード・ドーキンスの有名な著書に『利己的な遺伝子』がある。そのなかで生物の自己複製子はジーン(遺伝子)であり、人間が生み出した新しい「文化」という自己複製子をミームと名づけている。これらの名前は論議を簡単にするために名づけられたと考えられる。なぜなら遺伝子は確かに自己複製するが、それだけ単独で存在したところで自己複製はできない。細胞核に包まれた遺伝子は細胞やその他諸々の生物の器官がない限り自己複製できない。それと同様、ミームも人間の脳や言葉の流通などがない限り自己複製しない。
そこで本書では自己複製子の媒体について考える。ジーンの媒体はDNAであり、ミームの媒体は言葉である。
DNAにはその生物の形状、材質、性質などを決める情報が含まれている。つまりDNAがわかれば、それが発現されたときの形状なども分かるはずだと考えられている。その信念に基づきヒトゲノム計画などが推進されている。DNAが伝えているのは実際のアミノ酸の配列だけではなく、そこから引き出されるべき情報が伝えられているのである。だからDNAは自己複製子の媒体と考えられる。
同様に言葉も、実際の音の配列だけが伝えられているのではなく、そこに含まれる意味が伝えられているのだから自己複製子の媒体と言える。
媒体は伝えたいことの本質ではない。ジーンという自己複製子が伝えたいのはDNAの配列であり、そこから引き出される生物の形状、材質、性質などであり、それらをすべて引き受けられるなにものかである。言葉もミームそのものではない。日本語が流通している社会があってはじめて日本語の言葉はある意味を伝えることができる。英語の流通している社会で日本語は意味をなさない。
日本語で媒体というと新聞や雑誌、ラジオ、テレビなどマスメディアのことを意味することが多いが、この場合の媒体は英語のメディア(media)のことを言っている。何かを伝えたり表現するための中間物である。
ヌースフィアは言葉を媒体として発生しふくらんだ。
人間が言葉や、言葉から生まれる概念から生み出したものがヌースフィアを形作る。あらゆる建築物、道路、田畑、乗り物、合成化学物質、薬品、衣類、加工された食品など、人間の手によるものすべてがヌースフィアを構成する。
DNAが複雑になることによってバイオスフィアが豊かになったように、言葉が複雑に多様な表現をすることでヌースフィアも豊かになった。
三つの圏の関係
バイオスフィア(生物圏)はフィジオスフィア(物理圏)が存在しないと存在できない。その意味ではバイオスフィアはフイジオスフィアに依存していると言える。一方でバイオスフィアは依存しているにもかかわらずフィジオスフィアをマネージしている。マネージとは経営するとか、取り締まるとか、支配する、あやつるなどという意味だ。
フィジオスフィアはバイオスフィアにマネージされることで安定した環境を約束される。バイオスフィアが生み出す酸素や二酸化炭素や排泄物や熱や食物循環が大気を安定させ、温度を安定させ、宇宙からの落下物や宇宙線からもフィジオスフィアを守る要素となる。
この関係と似た関係がヌースフィアとバイオスフィアのあいだにもある。ヌースフィアはバイオスフィアが存在しないと存在できない。ヌースフィアはバイオスフィアに依存していると言える。一方でヌースフィアはバイオスフィアをマネージしている。ヌースフィアはヌースフィアの利益となる生物を優先的に生存させる。たとえば、麦や稲や野菜など、食料となる植物や食用となる魚や動物、それに建材になる木などだ。それらの生物はほかのどのような生物より優先され、大事にされる。それによってバイオスフィアはヌースフィアの影響によって変化する。バイオスフィアが存在しないとヌースフィアは存在できないので、なんとかバイオスフィアがある平衡を保てるようにマネージしている。
このようにして三つの圏は関係を保ち存在している。昨今の環境問題はヌースフィアの莫大な搾取によるバイオスフィアの疲弊が原因と言えるだろう。
ヌースフィアという概念を提案したティヤール・ド・シャルダンはヌースフィアの進化が極まると、そこにはオメガポイントが生まれると書いているのだが、その点に関しては私は異を唱える。ヌースフィアの進化の段階で次の圏(スフィア)が生まれると考えるのが妥当であろう。フィジオスフィアからバイオスフィアが生まれたように、バイオスフィアからヌースフィアが生まれたように、ヌースフィアからは次のスフィアが生まれるはずだ。その際にヌースフィアは複雑性を内在するはずだ。バイオスフィアもすべての生命が人間になるのではなく複雑性を保持することによって人間の存在を支えている。同様に次に生まれるスフィアもヌースフィアの複雑性に支えられると推測するのは妥当であろう。
次のスフィアも媒体を持ち、媒体の複雑性が増すことによって発展し、ヌースフィアに依存しながらヌースフィアをマネージすることになるだろう。私はその媒体はインターネットを駆けめぐる莫大な量のデーターだと考え、そのスフィアをサイバースフィアと名づける。
サイバースフィア
サイバースフィアの環境はインターネットである。そこに流通する莫大な量のデーターのうち、自己複製子となるのはほんの一部だ。多くのデーターは複製されることなく消去される。それはあたかも不安定なアミノ酸の巨大分子が生まれては消えていった状態に似てないだろうか。そしていつかインターネット内のデーターは自己複製子へと育つ。
インターネットを荒らし回っているウィルスは自己複製子と言える。インターネットという環境の中で独自に複製を作り、繁殖していく。明らかにヌースフィアに害を与えるので、いまのところ駆除されてしまう。しかし、いままで見てきた三つの圏の関係を考えると、以下のような特色をサイバースフィアは持つだろうと推測できる。まず、ヌースフィアに依存する。そして、ヌースフィアをマネージする。
よくSFでロボットが世界を征服する話があるが、私はあのようになるとは考えていない。またサイバースペースに生まれた人工生命が人類を征服するとも思っていない。それはあまりにもSFじみている。では、どのようにサイバースフィアはヌースフィアをマネージするのか。ヌースフィアの構成要素、つまり人は、サイバースフィアのマネージを本当の意味で理解することはないと考えている。それはあたかもバイオスフィアの構成要素がヌースフィアのことを知らないが如くにである。これについての詳細な議論は最終章におこなうつもりだ。
この本を読むことで、あなたには様々な新しい考えを抱いていただきたい。その考えのひとつひとつがヌースフィアにカオスをもたらし、新しい複製子の種となるかもしれない。
*1 ヌースフィア
ギリシャ語「Nous」と球形を意味する「Sphere」からなる造語。「Nous」は心、精神、理性などと訳される。
『ヌースフィア 第一章 意識』はこちらをご覧下さい。







[...] 『ヌースフィア はじめに』はこちらにあります。 [...]