『アラブ・エクスプレス展』と『大英博物館 古代エジプト展』

 ハラーイル・サルキシアン この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 – 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

森アーツセンターギャラリーでおこなわれている『大英博物館 古代エジプト展』に行ってきた。本当は森美術館の『アラブ・エクスプレス展』に行ったのだけど、こちらの展示はどれもとても悲しくて滅入る作品が多かった。社会背景を反映してとても重苦しかった。ひとつひとつの作品を思い出すと胸のあたりがドヨよ〜ンとなる。

たとえばトップの写真。何の変哲もない街の写真に見えるけど、説明を読むと途端にドヨよ〜ンとする。これらはすべて公開処刑がおこなわれた場所の写真だそうだ。アラブの人たちにとって忘れられない風景で、それらを忘れるために処刑されたひとの写ってないさまを写真にしたのだとか。話聞いただけで胸に刺さるでしょう?

ほかにもこんな作品がありました。

アーデル・アービディーン この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利 – 改変禁止 2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。

「なにこれ?」としか思いませんでしたが、解説を読むとドヨよ〜ンとします。

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銀行を作ったのではない。いまを生きた。ムハマド・ユヌス

ソーシャルクロスアライアンスが主催したムハマド・ユヌス氏来日シンポジウムに参加してきた。

ユヌス氏はグラミン銀行を設立したことでノーベル平和賞をもらい有名になったが、今回のシンポジウムを聞いて、ユヌス氏は銀行を創設したかったわけではないことがわかった。そして、その話の内容にとても親しみを覚えた。

ユヌス氏はアメリカに留学し、経済学博士となって帰国。バングラディッシュのチッタゴン大学の経済学部長となった。ここまではよくある話。ユヌス氏のここからがすごいところ。

ユヌス氏は大学で経済学を教えていたが、あるとき自分がどんなに高邁な経済学を大学で教えても、現実の社会がちっとも変わらないと思い始める。そこで街に出て、市井の人たちにいろいろと話を聞いたそうだ。すると当時は独立後間もないこともあり、国の経済は疲弊し、一般市民がわずかな負債で一生借金を返し続けなければならないような理不尽な状況がたくさんあることを知る。そこで経済学博士として銀行に、貧しい人たちにも借金が正当にできるように頼むが、銀行は貧乏人に貸しても返ってくるあてがないと貸してくれない。そこでユヌス氏は、大学教授の自分が借りるのならいいだろうと、自分の名前で借金をし、それを事業を興したいがお金がなくて興せない人たちに貸し始める。ユヌス氏は自分でリスクを取った。すると借りた人たちはユヌスさんが困っては大変だと、期日通りにきちんと返す。次第にユヌスさんが銀行から借りる額は増え、貸す人数も増えていくと、銀行からの借金は飛んでもない額に膨らんでいった。その額がいくら大学教授でも個人では返しきれない相当な額になったとき、政府から認可を受け、特殊銀行となった。それが村落(グラミン)銀行だった。

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日本はいじめの土壌でできている?

反原発運動が盛り上がりを見せている。以前にも表明したとおり、僕は原子力発電を完全に止めるべきだと思っている。そのために「TohokuBlogs.com」を立ち上げた。しかし、最近はあまり反原発の活動をしていない。なぜかというと、次のことを考えるべきだなと思うから。反原発はこのまま行ってきちんと原発が稼働停止するかどうか微妙だ。なぜ微妙なのかを考え、その理由を可能であれば取り除きたいと思っている。いきなり書くと不思議に思われるかもしれないが、原発完全停止の歯止めになっている問題のひとつは、いじめ問題なのではないかと思う。なぜかを書いていこう。

大津市のいじめ

今朝のニュース番組を見ていてふと思ったのは「日本の精神的土壌はいじめなのか?」ということだ。そのきっかけはもちろん大津市のいじめ問題だ。そのニュース番組ではこんなことを言っていた。
教育の現場ではいじめをした生徒を守ろうとする。なぜならば、教師側の問題を露呈したくないから。
とてもわかりやすい。そして、これなら大津市の教師たちを糾弾できるだろう。しかし、それだけでいいのだろうか? 何かここにも割り切れないものを感じる。なにが割り切れないのか。もしかしたら、立場さえ違えば、自分がその当事者になってしまうのではないかという疑念だ。