水五訓? 水六訓?

東北Blogs.com(現在は廃止)のピックアップをアップするために、ほぼ毎日のように東北のBlogを100以上読んでいる。そのなかに「続・雨ニモマケズ風ニモマケズ」というBlogがある。現在東北で復興作業をしているボランティアのかたのBlogだ。そこに昨日「井戸のヘドロ出し」という記事がアップされた。その記事の中に水六訓というものが出てくる。

【水六訓】

・あらゆる生物に生命力を与えるは水なり。

・常に自己の進路を求めてやまざるは水なり。

・如何なる障害をも克服する勇猛心と、よく方円の器に従う和合性とを兼ね備えるは水なり。

・自から清く他の汚れを洗い清濁併せ容るの糧あるは水なり。

・動力となり光となり、生産と生活に無限の奉仕を行い何等報いを求めざるは水なり。

・大洋を充し、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と変じ、霰と化してもその性を失わざるは水なり。

哲学者 笹川良一翁のことば

しかし、この言葉、どこかで聞いたことがあるのだが、そのうろ覚えの記憶によると、歴史上の人物の言葉だったと思った。それでネットを調べる。まず最初にヒットしたのがここだった。「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」。同じ人が以前に書いたBlogだった。そこにもまったく同じことが書かれている。「この人は2005年から間違っている」と思った。

二番目にヒットするのがここ。(現在2018年には存在しない)これを発見したときには気がつかなかったけど、実はこの記事も同じ人が書いている。

三番目にやっと正しいことを書いていると思われる記事が見つかった。(こちらも現在2018年には存在しない)

<水六訓>  伝、黒田藩主黒田如水

と書かれている。

「そうそう、黒田如水」と思い、さっそく間違いを直してもらおうと思った。グーグルでトップに出てくることが間違いでは、間違いが広がってしまう。ところが「続・雨ニモマケズ風ニモマケズ」にはコメント欄がない。そこでtwitterのIDが書かれていたのでtwitterからコメントした。

@mtzao いつも「続・雨にも負けず…」を読んでいます。「井戸のヘドロ出し」の記事に「水八訓」を「笹川良一翁のことば」としていますが、それは黒田藩主黒田如水の言葉です。ネット上に間違ったことは書かないでください。拡散してしまいます。お願いします。

ここまでわずか二分程度だろう。東北のBlogを読む速度でサクサクとやってしまった。しかし、twitterを発してから、何かが心に引っかかった。間違いを指摘したにしては、あまりにも簡単すぎやしないかと。だいたい黒田如水についてほとんど僕は何も知らない。かつてどこかのサイトで「水六訓」について読んだことがあるという程度だった。気になったので「黒田如水」を調べる。「黒田孝高」としてwikipediaにあった。そこには水六訓は出て来ない。しかも、その人の生涯を読むと黒田藩主になったということは書かれていない。「あれ?」と思い、Googleに戻り「黒田如水 水六訓」で調べると、上にヒットしたふたつは「水六訓」と書かれているが、それから下はほとんど「水五訓」と書かれている。「なんだこれは?」と思ってしまった。

水五訓はこう書かれている。

水五訓(水五則)

一つ、自ら活動して他を動かしむるは水なり

一つ、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり

一つ、常に己の進路を求めて止まざるは水なり

一つ、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり

一つ、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり
雪と変じ霰と化し疑っては玲瓏たる鏡となりたえるも其性を
失わざるは水なり

似ているが、ちょっと違う。「あらら」と思った。そこで「笹川良一 水六訓」と調べた。すると東京・三田の笹川記念会館や志摩のB&G海洋センターに「水六訓」の看板があることがわかった。

もっと調べると、もともとの「水五訓」も、黒田如水の言葉かどうか定かではなく、頼山陽という説もあるそうです。

ネットのおかげで便利にはなったけど、間違いは流さないようにしないとね。twitterの続きはこう書きました。

@mtzao 僕の勘違いのようです。すみません。黒田如水の言葉は「水五訓」なのですね。それにひとつ足したのが「水六訓」のようです。知りませんでした。

もっと正確に書くならひとつ足しただけではありません。言葉は現代風に書き直してあります。でも、これだけ似た言葉があるとするなら、僕ならその言葉を自分の言葉として看板までにはできないなと思った。しかしそれ以前に、僕自身がよく調べてからBlogを書かなければ。

共に生きる〜ルールの変更

今朝、茂木健一郎さんがこんなことをつぶやいた。

るる(1)そろそろ、この国をどう変えるか、本気で議論するべき時がきた。一番のポイントの一つは「ルール」だと思う。ルールを守るではなく、ルールをつくる。人と人が出会い、競う時のルール作りのセンスを、私たちは育まなければならない。

るる(2)コンピュータ・ゲームは別に脳に悪くない。ただ、ルールが決まっていて、それに従う点が創造的ではない。もっとも、自分でコンピュータ・ゲームを作るようになると、一気に創造的になる。ゲーム好きには、そこまで行ってほしい。

るる(3)子どもたちは、楽しく遊べるためのルールを作る素晴らしい能力を持っていている。たとえば、「みそっかす」。弱い子、幼い子は、特別扱いして少し有利にしてあげる。そうすることで、誰が勝つかわからなくなり、ゲームの楽しさが増すのだ。

るる(4)草野球をやっていて、弱い子が来ると下手投げにしてあげる。三振なしにする。送球も、ちょっと手加減する。子どもがそうするのは、弱者保護の麗しい理想からではなくて、そうやることでゲームとして楽しくなるのだ。

るる(5)ババ抜きで、幼い子がババを引くと泣き出すから、わざとそのカードを少し上に出したりする。幼い子も意味がわかるから、それを避けてセーフになる。こういう「みそっかす」も、楽しく遊ぶための智恵だ。

るる(6)ルールをつくる上では、多様なバックラウンドを持った人が、みな勝ったり負けたり、いろいろあるようにした方が楽しい。いつも誰が勝つか決まっていたり、負け続ける人が出るようなルールは、ゲームをつまらなくする。

るる(7)「新卒一括採用」は、ゲームのルールとして全くつまらない。マジメに黙々と従った人だけが有利となり、途中でふらふらしたり、飛び出して戻ってきた人は負けると決まっている。そんなゲームは、誰の胸もわくわくさせない。盛り上がらない。

るる(8)ペーパーテスト一辺倒の大学入試も、全くつまらない。ハーバード大学だったら、市川海老蔵や卓球の愛ちゃんもそのまま受かるかもしれない。東京大学は小難しい試験を解けないとダメだ。どちらが「ルール」として面白いか、歴然としている。

るる(9)日本人は従順だから、誰かが決めたルールに黙々と従って、その中で上位に来た人を「エリート」と呼ぶ。つまらない。本当のエリートは、みんなが楽しく遊べるように、ルールを工夫する人のことを言う。子どもの時、夢中になって遊んだ頃のことを思い出してごらん。

これを読んでいいこと書くなと思った。そして思い出したのは、9年前に中学校でした講演だ。ここにまとめがある。

ポイントは「誰でも誰かの役に立ち、誰かの世話になっている」ということ。講演会で僕は肉食獣の話から比喩を作った。

肉食獣は我が物顔で草食獣を食べるが、視点を変えると、彼らは草食獣がいてくれるおかげで生きていられると言えるし、もっと言えば、広い草原があるから生きていられるとも言える。僕は今朝、目覚まし時計で起きた。朝食を食べ、電車に乗って目白駅まで来て、千登世橋中学校に到着した。僕は目覚まし時計を使うし、朝食は僕の意思で食べた。電車もお金を払って乗った。我が物顔でそれらを使ったり食べたりしているが、視点を変えると、それらを作ったり、運行してくれる人たちがいなければ時間通りにここに来られなかっただろう。

社会は僕たちにとっての生態系だ。多くの人が活き活きと生きてないと、その生態系はうまく機能しなくなる。僕たちは、古いマーケティング的な考え方に侵されたため、大切な考え方を見失ってしまったのではないか? 

僕たちは社会のパラダイムを変える、その変節点にいる。いま変えずにいつ変えるのだろう。市場は消費者の搾取から生まれるのではない。かつて消費者と名付けられた人は、生産者であり、役人であり、政治家であり、農業従事者であり、漁業従事者であり、工業労働者であり、弁護士であり、ありとあらゆる職業の人の総体なのだ。消費者を豊かにすることこそが市場を作る人の仕事だ。その観点を忘れ、従事者から搾取し、消費者から搾取し、ありとあらゆる人を出し抜くことで市場を作ろうとするのは正しくないこと。一方で、消費者からの観点も変化しなければならない。物を買うとき「安い方がいい」という価値観だけで物を買う限り、市場から搾取していることにほかならない。適正な価格とは何かを消費者が考えない限り、市場は育たない。飲食業では安い食べ物を提供しようと、安全性には目をつぶることがよくあるようだ。それは、消費者がそのようなものを求めるからそうなってしまう。物を買うとき、正しい価格で買う知恵を持つことが、すべての人に求められるようになっていく。その知恵を持たない人は「衆愚」と言われても仕方ないだろう。かつて江戸に住んでいた人たちは「宵越しの銭は持たない」ことを信条にしていたという。なぜか。江戸は火事がよく起きた。もし銭を抱える生き方をしていたら江戸はまったく潤わず、町には活気が生まれなかっただろう。自分が持っている銭は誰かに与えることではじめて生きる。その考え方がきちんと生きていたのだ。

僕たちは権利ばかり言いつのり、自らが学ぶことを忘れているのかもしれない。便利な物ばかり求めるが故に、じっくりと考えることを忘れているのかも。

イスラエルとパレスチナ、それぞれの悲しみ

2003年、僕は友人の誘いである会議に参加した。それは、イスラエルとパレスチナから子供たちを日本に呼んで、日本の子供たちと一緒にサッカーをさせて仲良くさせようと言うプランを実現するための会議だった。その集まりは「イスラエル・パレスチナ・日本の子供たちによる親善サッカー大会」という長い名前がつけられた。そして略称は「jipco」となった。それから苦難の会議が続く。対立しているイスラエルとパレスチナの子供たちが一緒にいたら、何が起きるかわからないと、子供たちが宿泊する宿が取れない。警察も厳重に警備するという。それは素晴らしいという人と、そんなことは無理だという人がいた。

さらに大きな問題は、イスラエルとパレスチナの問題について適切なことが書けないし、言えないということだった。

たとえば、日本ではニュースで時々「自爆テロ」という言葉が使われる。このイベントに関わるまで、僕にとって「自爆テロ」は「自爆テロ」でしかなかった。ところが、jipcoに関わることで、「自爆テロ」は単なる「自爆テロ」ではなくなってしまった。「自爆テロ」という言葉は、もともとイスラエル側が主張した言葉だ。「テロ」なのだから。一方でパレスチナ側にとってそれはただの「テロ」ではない。命をかけてでも主張しなければならない決死の行動だから「テロ」などとは言われたくない。もとはと言えばイスラエルが勝手にやって来て俺たちを追い出したのだから聖戦だという。このようなやりとりをしていると、まったく考えるべきことが何なのかわからなくなってくる。しかもそこに第三者がいう「自爆テロ」の定義が現れてくる。「自爆テロ」とは「社会に何らかの訴えがあることを、自らの命を絶って訴えること」。第三者がそう定義することで、パレスチナがいくら聖戦だと言っても、国際社会では自爆テロと言われてしまう。さらに複雑なのは、国際社会にいるパレスチナ人は「自爆テロ」という言葉を受け入れていくのだ。しかし、言葉は受け入れても、その下にある思いは全く違う。

つまり、立場によって使う言葉が違い、たとえ同じ言葉を使っていてもその意味するところが違ってくるのだ。それはまさにバベルの塔の状態だ。そんなことを理解していくにつれて、イスラエルとパレスチナの人たちが仲良くなるということがいかに難しいことかがわかってくる。

半年後、イスラエルとパレスチナから子供たちがやって来た。はじめはなかなか会話もできなかったふたつのグループが、一緒にいることで、しかも日本人の子供をあいだにはさむことで、次第に仲良くなっていく。来日前にはイスラエルもパレスチナも人前では決して裸にならないから、温泉に入るのも別々で、ひとりずつでなければ入らないのではないかと言われていた。ところが、子供たちは日本人のすることを見て、みんな一緒に風呂に入ってしまったのだ。同行したスタッフはみんなびっくりだった。残念ながらその場に僕はいなかったので、そのときの状況を詳細には再現できないが、その晩のスタッフの打ち合わせは大変盛り上がった。

何日か一緒にサッカーの練習をした上で、最後に三つの国の子供たちが、それぞれチームを作りサッカーをした。それはイスラエルとパレスチナと日本の混成チームだ。国と国が戦うのではなく、三つの国の子供たちがほぼ均等にチームに分かれ、戦っていく。最後はイスラエルとパレスチナと日本の子供ではなく、地球にいる子どもたちになった。国境は関係ない。言葉は交わせないが表情と行動で仲良くなっていく。

別れの日、成田空港では子供たちが抱き合って泣いていた。「もしかしたら、もう会えないのかも」「国に帰ったらまた敵同士になってしまうのかも」

2010年4月、無印良品が翌年のイスラエル出店を決め、発表した。僕はすぐにある条件が整えば「いいことだな」と思った。しかし、世論は「イスラエルという暴力国家に加担するのか」と大騒ぎになった。かつての僕だったら大騒ぎに加担していたかもしれない。しかし、jipcoに関わることで、そういう活動はちょっとだけ違うなと感じるようになった。かつて僕は、イスラエルに生きている人と、イスラエルという国家が同じ物でしかなかった。ところが、イスラエルの子供たちとその親などに触れ合い、イベントをおこなった結果、違う見方が生まれてきた。イスラエル国家のすることと、そこに生きている人たちの思いは、必ずしも一致してない。国際的な視点から言えば、イスラエルは確かに加害者かもしれないが、個人の視点に降りてくると被害者でもあるなと。そして、それは同等にパレスチナが被害者でもあり、加害者であることも意味する。そのあいだに立ったとき、日本人の僕としては「切ない」としかいいようがない。どちらかが必ずしも悪いとは言い切れなくなってしまった。

普通に考えれば経済力がなく、いつも窮地に追い込まれているパレスチナのほうに応援したくなる気持ちはある。しかし、イスラエルの立場に立って考えれば、確かにパレスチナにどこかに行ってほしいという思いが生まれてしまうのも頷ける。

日本の報道はねじれている。心情的には日本人の多くはパレスチナに味方したいと思う人が多い。しかし、メディアはアメリカのことを考慮してか、イスラエル寄りの報道を言葉としてはおこなう。すると、それらを聞いている一般の日本人は、曖昧な表現で起きていることを聞かされるために、詳細にその紛争をイメージできない。そしてそれは、たぶん誰かの悪意に導かれてそうなっているわけではない。その状況下で無印良品のイスラエル出店が発表された。表面上はイスラエル寄りのメディアでくすぶっていた日本人の心情が、ここぞとばかりに爆発した。日本人は弱い者に味方しがちだ。そしてそのことは僕もそうだ。村上春樹の比喩に従えば「卵の側に立つ」。表面的にはイスラエルの味方をするかのような無印良品がターゲットになってしまった。そういうことではないかと僕は推測する。

さて、さきほど僕は「ある条件が整えば」と書いた。そのある条件とは「無印良品がイスラエルの人もパレスチナの人も、同等に接して商売するなら」ということだ。無印良品がイスラエルに出店し、イスラエルの人とパレスチナの人と、同等に扱って商売をしたら、現地の人たちはきっとはじめのうちは嫌がっただろう。しかし、一部の、本当に平和を願う人たちからは歓迎されたのではないかと思う。そのような架け橋になるという覚悟があってイスラエルへの出店を決めたのだとしたら、それを僕は拍手を持って迎えたかった。しかし、実際のところはわからない。たまたま知り合った無印良品の人にそのことを話したら「そう思っていただけたら嬉しいです」と言われた。ただしその人もイスラエル出店の担当ではなかったので、正しいことは知らなかった。

jipcoは発足の翌年、ピース・キッズ・サッカーとしてNPOになる。そして、現在はサッカーのイベントにこだわることなく、イスラエルとパレスチナから高校生くらいの若者を招待し、日本の若者と交流させるイベントをおこなうピース・フィールド・ジャパン(PFJ)に進化した。毎年のように感動的なエピソードがもたらされる。

このPFJに無印良品が寄付金を集める機会を提供してくれた。日本人は大きな企業がやることを悪く見がちだ。だから、これは「イスラエル出店の悪印象を拭うためにしている」という人もいるだろう。でも、僕は「いまでも無印良品はイスラエルとパレスチナの架け橋になりたいのではないか」と思うことにしている。そして、それが現実になればと願っている。