『日刊 気持ちいいもの』というメルマガをほぼ毎日書いている。
今日も書いた。
いろんな発見があるのだが、これは忘れたくないと思う発見があったので書いておく。
比較的長い文章を書いた。
こんな文章だ。
複雑性と愛について考える
僕たちにはいま、いろんなことを考えるための時間を与えられた。何をどう考えるべきか? あまりにも考えるべきことは多いので、たった数週間で答えは出せないかもしれない。でも、何事にもトライは大切。
長い話になるけど、この話は最後には「愛とは何か?」につながります。愛について深く考えるための「ある側面」について書いていきます。興味のある方はお付き合いください。
複雑性が大切な時代だと言われる。なぜ複雑性が大切なのか? 前提がたくさん必要なのは知っているが、それを言い出すとなが〜い文章になってしまうからかなりはしょる。わからない人は質問してください。なんとなくわかった人はそれでよしとしてください。理論的に科学的に正しいことを求めていくと、きっと訳が分からなくなります。なぜそうなってしまうのかについては、またいつか説明します。
複雑性が大切なのは「僕たちがひとりひとりみんな違うから」。もし複雑性が大切だと気づけないと、僕たちは「ひとりひとり違う」ことを容認できないということになる。
食べ物は記憶で味が変わる
先ほど、NEWS ZEROで、未来の食をテーマにいくつかの未来食についてレポートしていた。そのうちのひとつにバーチャル・リアリティを利用して食べ物の制限をする話があった。
レポーターの目の前にはご飯が置かれている。それをヘッドセットを通して見ると、カレーがかかったカレーライスに見えるようになっている。スプーンでご飯をすくうと、ヘッドセットからはカレーのかかったご飯をすくいあげているように見え、そのまま食べると、実際にはご飯しか食べてないのだが、視覚的にはカレーライスを食べているように見えるというもの。このときレポーターが不思議な反応をする。実際にはカレーを食べた訳ではないのに「カレーの香りを感じた」というのだ。
まさかと思う一方で、「やっぱり」とも思った。似たような体験を以前していた。それは「塩餡餅」だ。「しおあんびん」と読む。