
今年もニュピにバリ島に行ってきました。今回印象に残ったことは三つありました。
まずひとつは、日が昇る前にブサキ寺院に行き、入口で日の出を待って入っていきました。とてもきれいでした。アグン山が朝日に輝き、神々しい感じがしました。しかもアグン山の全容が見えました。滅多にないことです。

僕たちの直感は水のきらめき ゆらめくように浮かんでは消え

今年もニュピにバリ島に行ってきました。今回印象に残ったことは三つありました。
まずひとつは、日が昇る前にブサキ寺院に行き、入口で日の出を待って入っていきました。とてもきれいでした。アグン山が朝日に輝き、神々しい感じがしました。しかもアグン山の全容が見えました。滅多にないことです。

毎朝『日刊 気持ちいいもの』を書いている。するといろいろと気づくことがある。そのひとつをここに書こう。
夢に何か気持ちいいことが登場すると、それを『日刊 気持ちいいもの』に書くことができるが、そうではない場合、たいてい最初に思いつくのは前日に書いたことだ。「まあそうだろう」とそのことを特に気に留めていなかったが、これって人間の、または脳を持つ生命の特徴なのかもしれないなと思ったとき、思い出したことがあった。
それは子供が言語を獲得していくとき、何度も同じようなことを語る。しかも、頻度が高いのは、同じことの中にある些細な違いについて語ることだと言語学の本で読んだ。
だとすると、僕のような大人でも、実は脳のある領域では絶えず子供と同じことをしているのではないかと考えた。しかし一方で同じことを繰り返し反芻することは「意味がない」と教え込まれた結果、教育された大人は、それを無視するようになった。
なぜ同じようなことを繰り返し考えてはいけないのだろう?
人間には学ぶことがたくさんある。それらを学ぶためには、理解したことはすぐに大きく発展させるか、もっと別なことを学ぶかするように教え込まれたからではないか?
1999年から月〜金で、ほぼ毎日「日刊気持ちいいもの」というメールマガジンを書いていた。
何か僕にとって気持ちいいものをタイトルにして、それに関する短文を発信するのだ。これはモノの考え方にとても前向きな作用を及ぼす。