『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んで

村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ。

今回の小説はいきなり主題の提示で始まる。あまりにもすぐに本題が始まるので「どうしたことか?」と思ったのだが、しばらく読むとその理由が読み取れた。『1Q84』で『シンフォニエッタ』を使ったように、この小説ではリスト作曲の『巡礼の年 第一年〈スイス〉』から「ル・マル・デュ・ペイ」という曲が主題として使われているが、その曲の形式を小説で追っているのだ。

こちらに書いたが、村上春樹の小説はたいてい、シンフォニエッタのようにすべての音があってはじめてその素晴らしさがわかるような、物語の複雑な絡まり方が面白さを生み出しているのだが、今回はその面白さは比較的単純に表現されている。だから、今回の作品に限って言えば、ストーリーを手短にまとめても面白さが伝えられるような物語になっている。

『1Q84』という物語は、主人公の行動だけをまとめただけでは、いったい何が面白いのかよくわからない。主題に絡む様々な細かな話が全体の面白さを生み出していた。それは『シンフォニエッタ』という作品にとても似ていた。『シンフォニエッタ』はそのメロディーだけ抽出して単音で演奏しても、何がどういい曲なのかよくわからない。単純でかつ面白味のないメロディーだ。ところが、メロディーに付随する音がすべて演奏されたとき、その音楽の豊饒さが見えてくる。それは『1Q84』の面白さに呼応していた。

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