「ザ・コーヴ(The COVE)」への反論

「ドキュメンタリー映画「The COVE」について」で書いた冗談を本当にやっている人がいたのでご紹介。いろいろと書くよりYouTubeを直接見てもらいましょう。

ほかにもこんなものがあった。

(ここにあった映像は現在視聴できません)

これに最初に出てくるおじさんの話はストレートでわかりやすくて笑ってしまう。

これらを見ると、どうしてもIWCの議論を引きずっているように思える。なぜアメリカを中心とした反捕鯨国は、そこまでイルカやクジラを大切にしようとしているのか理解しがたい部分が残る。ビデオの中に人種差別と同様に動物差別があるからだという主張があるが、そうなのかなぁ?と思ってしまう。

以前聞いた話でなるほどなぁと思ったのは、かつてアメリカ人はインディアンを大量に殺した。その罪の意識から、とにかく何かを徹底的に保護しない限り、その埋め合わせができないからするんだと言うこと。でも、それでも何か釈然としない感覚が残る。

「The COVEについて」のコメント欄に「なぜ日本人ばかりが責められるのでしょう?」という質問があったのだが、僕は「アメリカ人は日本人なら話が通ると思っているのでは?」と書いたが、でもそれ以上の何かがあるような気もする。

twitterで知り合った作家の渡辺由佳里さんが、あるときこうつぶやいた。渡辺さんはアメリカで暮らしている。
「税金をどっかり払ったところ。私の半分も払っていない米国民が「私の税金で移民を養いたくない」みたいなことを言うたびに、凶暴な感情がわき上がるぞ」

それに対して僕はコメントした。
「@YukariWatanabe 日本でも移民がこれからますます増えるでしょう。建前ではいいこと言っても、本音では「あまり移民が増えると日本の文化が壊されるかも」なんてつい考えてしまいます。こんな僕にどう考えればいいのか、適切な助言を下さい。」

以降のやりとりは以下の通り。
「@yoji_t それはとても難しい問題ですね。140字ではとても語れない(笑)。社会経済的に低いレベルの移民が多い地域は犯罪が増えるし、教育レベルが高い移民がほとんどの私の町でもある種の問題が発生しています。門戸を開く前にじっくり寛容である点と譲らない点を考えねばなりませんね」
「@yoji_t @tinouye 以前Bostonで連載していたルポがあります。blogへのUpが中途のままですが、それでよろしければどうぞご覧ください。 http://bit.ly/DkUKI

いただいたURLのルポを読むと、なるほど人種差別がこうやって始まるのだと言うことがわかる。

ポイントは「互いに自分はわかっている気になってしまうこと」。相手のことが理解できていないのに、勝手に理解した気になってしまうこと。

僕もきっといろんなところでわかった気になっているんだろうなぁと思う。

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僕はイルカやクジラが好きだ。御蔵島やハワイで一緒に泳いだことがある。とても楽しかった。イルカがこちらに興味を持ってくれたときのなんとも言えぬ感動は、なんとも言えないのでとても書きにくい。スピリチュアルな雰囲気で書けば「癒される」みたいな感じ。(笑) 犬がしっぽを振って寄ってきてくれたときの感じに似ていた。自分のことを好きになってくれた犬が、自分のことを見つけてしっぽを振りながら全速力で走ってきて、ハッハと息を吹きかけながら顔のまわりをなめまわされるときの、あの勢いと犬の「うれしいぞ」というエネルギー、あの感じだ。

もちろんイルカとはたいてい初対面なのだけど、御蔵島には何回か行ったので、僕には認識できなかったが、イルカは認識していたかもしれない。確か三回目くらいに行ったとき、二頭のイルカにはさまれてしばらく泳いだ。たいていイルカは一緒に泳いでも人間が息継ぎをするときに離れてしまうものだが、そのときはなぜか一緒に二、三回息継ぎをしてくれた。二頭にはさまれて深く潜り、僕の息が続かなくなると一緒に海面に上がってきてくれて息継ぎするのだ。このときの感動はきっと死ぬまで忘れないだろう。

クジラもハワイに何度か見に行った。あの巨体がノッソリといるだけで、なんかニマニマとしてしまう。息をブーッと吹くだけで歓声を上げてしまう。尻尾を持ち上げて海に沈んでいく瞬間なんか、WBCで日本が優勝したときのようにガッツポーズを取ってしまう。まだブリーチングを見たことがないのだが、そのときにはいったい自分がどうなってしまうか心配なほどだ。

そんなにイルカやクジラが好きなものだから時々人に「じゃあクジラは食べられないんですか?」と聞かれる。そんなことはない。おいしいものはペロリと食べてしまう。それが日本の文化だから。

ソウルオリンピックの一週間後、僕はソウルに行った。当時韓国では目抜き通りにあった犬肉鍋屋さんを見えないところに移転させたと話題になっていた。幸運にも見つけられたら食べてみようと思っていたが、あまり熱心でもなかったので食べる機会には巡り合えなかった。犬は好きだが食べるか食べないかは別問題だ。それが人間だと思う。

何ヶ月か前、ドキュメンタリー映画「The Cove」の予告編を見た。またやってるなぁと思った。和歌山県太地町のイルカ漁についての映画だった。そのときに見たのとほとんど同じものがここにある。(この映像は現在削除されています)

これを見たときにはまったく気がつかなかったが、もし下のトレーラーを見せられていたら、きっと驚いただろう。リチャード・オバリーが登場するからだ。

(ここには動画がありましたが、YouTubeから削除されたので消しました)

リチャード・オバリーはかつて「わんばくフリッパー」という、イルカが主人公のテレビドラマに調教師スタッフとして参加した。使ったイルカは何頭か彼が捕獲したものだった。テレビドラマが終わり、イルカたちはあちこちに引き取られていく。しかし、もともと引き取られることなど考えずに撮影のために捕まえたイルカたちだったので、ひどい扱いを受けて次々と死んでいく。リチャード・オバリーが捕まえた一頭のイルカはオバリーが訪ねていったときに彼の腕の中で死んだ。それ以来オバリーはイルカの解放運動を始める。このときのいきさつについては「イルカがほほ笑む日」という本に詳しく書いてある。彼の運動は過激で、入り江に囲ってあるような場所では囲いを切って逃がしてしまう。それがもとで逮捕され、ニュースになり、アメリカでは英雄扱いされた。アメリカ海軍を相手に訴訟を起こし、兵器として育てたイルカを引き取りリハビリして海に返そうともした。そんな頃、1995年前後に僕は彼をシュガーローフに訪ねた。マイアミからキーウェストに向かう途中にある。そこのリゾート施設のオーナーに許可を取り、海軍から引き受けたイルカのリハビリをしていた。

リチャード・オバリー(以下リックと略す)とは寿司も食べたし、ビールも飲んだ。リックはとても繊細で、普通に会っているとあんな過激なことをするようには思えない。暇なときは自分のアトリエでイルカの絵を描いている。可愛いイルカの絵を描いて売るのだそうだ。そんな彼だから、日本人がクジラを食べることについて、僕の前でははっきりとした態度は取らなかった。その話をすると困った顔をしていた。しかし、彼の側にいたボランティアは違った。シュガーキーリゾートのカウンターでビールを飲みながら二、三人のボランティアと談笑していたのだが、「日本人はイルカを食うんだよな」と言われた。たぶん僕がイルカの保護に興味を持っているので「イルカを食うなんて飛んでもない」という同意を求めるつもりでそう言ったのだと思う。しかし、僕はこう答えた。

「イルカは食べたことないけど、クジラならあるよ」

その場の雰囲気が固まった。そのあとのやりとりはよく覚えてないが、最後にこういった。

「君たちは牛を食べるだろう。なぜ牛はいいのにクジラはダメなんだい?」

すると期待していた答えが返ってきた。

「イルカは知性があるからよ。人間並みの頭脳があるからダメなの」

酔いも手伝って僕はこう答えた。

「じゃあ、君たちは頭のいい人間は生かすけど、頭の悪い人間は殺すのかい?」

雰囲気が険悪になったのはいうまでもない。それ以来ボランティアの人たちとはうまく会話ができなくなった。

ボランティアは誰も話をしてくれないので、イルカのいる入り江の端に座って黙ってイルカを見つめていたときリックがやってきた。

「どうかしたの?」と言うので、「Fine.」と答えた。たぶんリックはボランティアと僕が言い争ったことを聞いたのだろう。僕の肩に手を置いて「It’s OK」と言って去っていった。

そんな彼だから、日本人の心情は重々承知しているのだと思う。それでもなお「イルカを自由にしろ」が彼の主張だ。

かつて農業系の雑誌に書いていたとき、牛を飼育している農家に取材したことがある。そこは肉牛を育てていた。一泊して翌日、ちょうど牛を市場に送り出す日だった。市場に送られる日には牛は普段とは違う声を出すという。どうやら牛たちは何かを感づいているらしい。農家の人に「情が移ったりしないのですか?」と聞いてみた。すると「情が移らないように番号で呼ぶんだ」と言っていた。その声を聞いて「情が移らない訳はないな」と感じた。それが人間の感情だ。

しかし、人間は動物を食べる。食べないではいられない。動物でも魚でも草でも木の実でも食べるから人間になったのだと思う。もし人間が雑食にならなかったら、いまのような人間にはなれなかっただろう。それが人間だ。

「イルカを食べるな」という運動はそのうち加速して「動物を食べるな」「命を食べるな」「人工のものだけ食え」なんて、ならなければいいのだが。

写真は二枚とも僕が撮影しました。

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